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3. 第2章 軍部の命令-1

ハーディプールの工房に朝の光が窓から差し込むと、まるで舞台の幕が上がるように活気づいた。


差し込んだ光が作業台に広げられたビロードやシルクの生地を輝かせ、壁に吊るされたドレスの金糸刺繍がきらめく。


職人たちは作業台に向かい、針と糸を手に黙々と手を動かす。



喧嘩が起きれば野次馬根性を発揮する職人たちも、いざ仕事が始まれば表情はガラリと変わり、無駄に騒ぎ立てるようなことはしない。


生地の裁断音やミシンの軽い唸りが響き合い、時折職人たちの短い会話や道具の音が空気を揺らす。


だが、ネイトの作業台だけは、周囲から隔絶されたような異質な雰囲気を漂わせていた。



ネイトは赤い髪を無造作にかき上げ、淡褐色の目で作業台に並ぶベアトリスたちを睨みつけていた。


ネイトを見返す愛らしい目は光を反射してキラキラと輝いており、彼の苛立ちを嘲笑うかのようだ。


しかしながら、どんなに気に入らなかろうが、仕事を与えられた以上やらなくてはならない。


そう考えていると、抱えていた仕事を終えて納品作業を行っていたラッセルが、ちょうど作業台に戻ってきた。



「で、どうすんだよ。こいつら」


ベアトリスを指差しながら、ネイトはラッセルの方に振り向く。


表情と声には面倒くささが滲んでいた。


ネイトに聞かれたラッセルも軽くため息をついた。



「...どうするも何も、作るしかないだろう。政府の依頼だ。できませんでしたじゃ通用しない」


「ハッ、ぬいぐるみなんて、適当に生地を切って綿を詰めりゃ終わりじゃねえか」


ネイトはベアトリスの頭を握り、乱暴に振る。


フワフワの毛並みが揺れ、少し長い手足がプラプラとするが、変わらない愛らしい表情は苛立っているネイトと対照的だった。



「そう簡単な話なら、わざわざ私たちに押し付けてこないさ」


ラッセルは冷静に返すが、内心ではネイトと似たような苛立ちを感じていた。


彼らは服飾の専門家であって、ぬいぐるみ作りは未知の領域だった。



ロックミア共和国内にもぬいぐるみ工房は存在する。


しかし、基本的には低中価格のものばかりで、ベアトリスのような高級品は存在しない。


正確に言えば高級品は存在するが、ベアトリスほど評価が高いものがない。


ハイブランドは並ぶものがいないからこそ、ハイブランドと呼ばれるのだ。



大臣はそれを理解していたのか、それとも内々に打診して断られたのか。


それはネイトらには分からない。


だが、権力者の家族たちが国産品で満足できるなら、そもそもこんな注文が降って湧いてこないことくらいは理解していた。


同時に、専門家が太刀打ちできない相手に、素人である自分たちが勝たなくてはならないことに憤りを感じるのも仕方のない話だった。


ラッセルはそんな理不尽に立ち向かうため、娘たちの笑顔を浮かべながら、「やらなくてはならない」と自分に言い聞かせた。



ネイトの側に椅子を置き、腰を下ろしてネイトに向かい合う。


「とりあえず打ち合わせを始めよう。どんなデザインにするか、それくらいは決めないと話が進まないだろう」


しかし、このラッセルの現実的な提案をネイトは気に入らなかったようだ。


フンッと鼻を鳴らして、作業台の引き出しからハサミと生地を取り出した。



「見りゃ分かる。こんなもん、型紙もいらねえよ」


ネイトは茶色のコットン生地を適当に広げ、目分量でザクザクと切り始めた。


ネイトの手つきは乱暴で、慎重さの欠片も無い。


明らかに雑な仕事ぶりだが、ハサミの音は鋭く、生地を切る動きに迷いは無かった。


ラッセルは眉をひそめつつも、黙って作業を見守る。



「ぬいぐるみだぜ?細けえことを気にするようなもんじゃねえだろ」


そう言いながらネイトは切り出した生地を適当に重ね、針をスイスイと動かして縫い合わせていく。


耳、目、鼻、口と細部も流れるように仕上げ、適当に拳で押し込むようにして綿を詰めて形を整えた。


作業開始から10分ほどで、作業台の上に犬のぬいぐるみが出来上がっていた。



「ほら、できた。こんなんでいいだろ?」


ネイトは犬のぬいぐるみをラッセルに放り投げた。


ラッセルは慌ててぬいぐるみを抱きとめ、じっくりと観察する。


あれだけ雑な作業の結果とは思えないほど、しっかりした作りのぬいぐるみだった。



全体のフォルムは犬らしさをしっかりと捉え、デフォルメされた丸い鼻と大ぶりな耳、どこか憎めない表情は愛嬌があった。


生地の裁断も的確で歪んでいる部分はない。


縫い目も揃っていて適度な弾性を維持しており、そう簡単にほつれる心配はなさそうだ。



ラッセルは顔を上げてネイトと向き合う。


窓から差し込む陽光が後光のように赤い髪を照らし、流れる風を受けて炎のように揺れる。


ラッセルはスチュアートがネイトに仕事を任せた理由を初めて理解した。



「…悪くないな」


ラッセルは呟き、髭の端がわずかに動いた。


「これで大臣が満足するなら、私に文句はない」


「だろ? 簡単な仕事だ」


ネイトは鼻で笑い、作業台に散らばった生地の端切れをゴミ箱に払い落とした。



ラッセルはぬいぐるみをネイトの作業台に戻す。


「手伝いが必要なら言ってくれ。2人でやった方が早い」


「いらねえよ。こんなもん、俺一人で十分だ」


ネイトはそっけなく答え、人形サイズのサンプル作りを始めた。



ラッセルは軽く肩をすくめ、抱えている仕事の残りを片付けようと、作業台の上に仕掛中のドレスを置いた。


冷静な様子を取り繕うが、正直なところ内心ではネイトの才能に舌を巻いていた。


型紙も使わず、適当に作ったぬいぐるみがそれなりの形になるなど、並の職人にはできない芸当だ。



流石にそのまま高級品として売るのは難しい。


しかし、きちんとデザインを詰めて、高級な生地を使って作れば、子供を納得させるくらいはできるかもしれない。


ベアトリスに匹敵するところまでいかなくとも、権力者からの要求が減れば大臣も納得するだろう。



頭の片隅では、「自分がデザインするなら...」という考えが浮かぶが、実際に詳細なイメージをまとめようとすると途端に思考が止まる。


ラッセルはそのことに目を背けるように、「まあ、しばらくはネイトの好きにさせておくか」と自分に言い聞かせ仕事を始める。


ただ、娘たちの期待に満ちた顔がちらつき、いつもより仕事に集中することができなかった。

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