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2. 第1章 爪弾き者たち-4

ロックミア共和国の政府高官室。


絨毯が敷かれた部屋には、重厚な机と革張りの椅子、分厚いファイルが詰め込まれた棚が並び、壁には共和国の国旗が掲げられている。


窓の外では、オックストンの街並みが夕暮れに染まる。


家具はどれも高級品だが、私物らしきものは机の上に置かれた写真立てくらいである。


この部屋の主の性格が実務優先であることが見て取れた。


そして、そこを執務室とする大臣のもとには、連日権力者たちからの訴えが届いていた。



「どうにかしてベアトリスを輸入再開できないのか?」


「子供がベアトリスを欲しがって泣き止まない」


「予約していたベアトリスが届かなくなってから、妻の機嫌がすこぶる悪い。何でも協力するからどうにかして欲しい」


「我が家は最前線もかくやと言わんばかりの状況だ。砲弾のごとき怒りの声が連日飛んでくる。至急援軍を求む」


「このまま家庭内で睨み合いが続くことに耐えられない。助けてくれ」


ベアトリスの輸出禁止が引き起こした不満が国中から殺到していた。



大臣は机に突っ伏し、髪をかきむしる。


「ぬいぐるみごときで、ヘザーリン帝国の風下に立つような真似をしろと言うのか! 国益をどれだけ損ねるか分かっているのか!」


大臣は机を何度も叩き、その衝撃で書類が床に散らばった。


彼の額には汗が浮かび、ネクタイがわずかに緩んでいる。



これまで大臣は訴えに対して、怒りを込めた拒否のメッセージを送り返していた。


しかし、積み上がる訴えの中に、国内でも有数の権力者の名前を見つけてしまう。


遂に権力者たちの圧力に耐えきれない日が訪れてしまったのだ。


それでも彼は国益を守るため、諦めることを良しとしなかった。



「なにがベアトリスだ。代わりを用意すれば満足するだろう」


彼はそう吐き捨てた後、部下を呼び出す。


そして、国内での高級ぬいぐるみ生産を始めるため、ハーディプールに使者を送るよう命じたのだった。



**********



スチュアートは使者から大臣の命令を聞いて頭を抱えた。


使者は慇懃な口調で告げた。


「大臣は共和国独自のぬいぐるみを開発・生産することを命じました。当然ですが、十分な報酬と支援を約束します。これは政府の正式な依頼であり、拒否は認めません」



スチュアートは丸メガネの位置を直し、内心ため息をついた。


工房長として、上流階級のわがままには慣れているが、政府からの強制的な依頼は別次元の重圧だった。


しかも、服ではなくぬいぐるみを作れという話である。


ハーディプールの服職人がそんなものを作ったことなどあるはずがない。



とはいえ、命令は命令だ。


拒否する権利などない。


命令が撤回されるとすれば、ハーディプールが失敗し、罰を与えられた時だろう。


スチュアートは丸メガネの奥で目を細め、渋々頷いた。



工房に職人たちを集め、スチュアートは使者と共に状況を説明し始める。


工房に流れる音が止まり、職人たちの視線が集まった。


使者は一礼し、落ち着いた声で告げた。



「ご存知のように、ヘザーリン帝国との関係悪化に伴い、ベアトリスの輸出が停止されました。ですが、共和国内の多くの人々、特に影響力のある家庭の子供たちがこのぬいぐるみを求めています」


その言葉を聞いた職人たちがざわつき始める。


そんなこと知らねえよという声もちらほら聞こえた。



使者は動揺する職人たちを見回す。


「そこで政府はハーディプールに、共和国独自のぬいぐるみを開発・生産することを命じます。十分な報酬と支援をお約束しますが、拒否する権限はないとお考え下さい」


工房は沈黙に包まれた。


言いたいことは山ほどある。


だが、言えるはずがない。



「大臣からの注文は至極単純です。可愛いぬいぐるみを作れ。ベアトリスに勝てるようなものを。それではよろしくお願いします」


そう言って、使者は丁寧に一礼した後に去っていった。


使者が店から出ていくのを確認した後、職人たちは一斉に不満を爆発させた。



「ぬいぐるみ作りなんて子供だましの仕事だ!」


「なんで俺たちがそんな仕事をやらなきゃならねえんだ?」


「俺たちは服職人だぞ!」


「そんな注文、ぬいぐるみ工房に言えよ!」



怒号が飛び交う。


スチュアートが希望者を募るが、当然誰も手を挙げない。


仕事の押し付け合いが始まった。



「お前、毛皮のコート作ったことあるよな?似たようなものだろ。やれよ」


「ふざけんな。それならウール使ってるお前も同じだろうが!」


「狐のマフラーを納品してた奴にやらせればいいんじゃないか?」


「おいこら、剥製と勘違いしてんじゃねえぞ」



職人たちは誰も仕事を受けようとしない。


ぬいぐるみ作りなど馬鹿げているというだけではない。


政府が絡む注文など、失敗した時のリスクを考えれば絶対に受けたくないのだ。


日頃、上流階級の人間を相手にしている彼らは、そういった点において危機管理が徹底していた。



散々揉めた後、スチュアートは最終的にネイトとラッセルを指名した。


「他の職人との共同作業が少なく、通常業務への影響が最小限で済む」


それが理由だった。


スチュアートは見本として3体のベアトリスをネイトに渡し、「この仕事を通じて、職人として何が足りないのかを学べ」と言った。



ネイトが受け取った3体のベアトリスは茶色の最も人気のあるものを始めとして、灰色で小ぶりかつ手足が少し長いもの、二周り大きいものが揃っていた。


大臣か使者のどちらかが、見本としてわざわざ用意したのだろう。


ネイトの腕の中でフワフワの毛並みが陽光に輝いた。



「ぬいぐるみ作りなんか興味ねえ!」


ネイトは怒り、作業台にベアトリスを叩きつけた。


赤い髪が乱れ、淡褐色の目が燃えるように光る。


隣に立つラッセルは余計な責任を嫌がり、灰色の目を曇らせた。



「爪弾き者同士お似合いだぜ」


他の職人たちは2人を嘲笑し、工房に冷たい笑い声が響く。


そこへ、若手職人のヒュー・オフリーが近づいてきた。


ヒューは20歳、身長160センチ。


茶色の長い髪を後ろで縛り、淡褐色の目は悪戯っぽく輝く。



「外れくじ引いたな、ネイト」


「うるせえ!」


笑いながらからかうヒューをネイトは怒鳴りつける。


そして足元に置かれていた箱を、怒りに任せて蹴り飛ばした。



ブレンドンはそんな彼らを遠巻きに眺めていた。


「どうせネイトは失敗するだろう。巻き込まれたラッセルが可哀想にな」


そう呟いた彼の茶色の目は冷たく、作業台に置かれた軍服の肩章を無意識に撫でていた。


ブレンドンが特別酷薄なわけではない。


工房内の誰もがこの注文は失敗すると予想していた。



ネイトはベアトリスを鷲掴みにして睨む。


ベアトリスは作業台の上で何度か跳ねていたが、その美しい毛並みには傷一つついていなかった。


フワフワの熊は確かに丁寧に作られている。


手足が少し長めにデザインされ、愛らしい目はガラス玉のように輝く。


剥製のようなリアルさを追求したぬいぐるみとは違った趣がある。


だが、ネイトにはただの玩具にしか見えなかった。



「こんなもん、適当に作ればいいだろ」


彼はそう呟いながら、再びベアトリスを作業台に放り投げ、憂さ晴らしに人形サイズのサンプル作りを始めた。



ラッセルはベアトリスを眺めながら途方に暮れていた。


フワフワの毛並みを指で撫でると、滑らかな感触が彼の疲れた心を少しだけ和らげた。


ネイトの様子を見れば、今日は話し合うことすらできないだろう。


そう判断して、抱えていた仕事を片付け、これ以上厄介事に巻き込まれないよう家に帰ったのだった。



煤けたレンガの外壁に小さな花壇があり、娘たちが植えた花の蕾がわずかに開き始め、色を添えていた。


ラッセルが家のドアを開けると、12歳の双子の娘、エリノアとリネットが食事の準備をして待っていた。



エリノアとリネットは双子らしく、共に身長は150センチで、容姿もそっくりだった。


金色のロングヘアに灰色の瞳、背中まで伸びた髪はエリノアが左側、リネットが右側を編み込んでいる。


エリノアの編み込みはきっちりと整い、リネットの編み込みは少し緩い。


リーダー気質なエリノアと、人をからかうのが好きなリネットという対照的な性格は髪型に表れていた。



ラッセルは帰路で買ってきたライ麦パンとビーフシチューを並べる。


娘たちも事前に用意したチーズ、ハム、ピクルス、サラダを並べ、全員で仲良く食事を始めた。


窓の外では下町の路地にガス灯が灯り、遠くで子供たちの笑い声が聞こえ始めていた。



「お父さん、今日はどんな服を作ったの?」


エリノアが明るい声で聞き、灰色の目がキラキラと輝く。


ラッセルはスプーンを手に持ったまま、苦笑した。


本当なら愚痴の1つも言いたいところだが、子供にそんな話をするのは憚られた。



「実はぬいぐるみを作る仕事が来たんだ」


「え!? ぬいぐるみ!? 凄い!ベアトリスみたいなの?」


リネットが目を輝かせ、椅子から身を乗り出す。


金色の髪が揺れ、ピクルスが皿から転がり落ちた。



「そうだな…似たようなものだ」


ラッセルはシチューをかき混ぜ、湯気を眺めた。


「私たちにも見せてよ!」


リネットがせがむが、ラッセルは首を横に振る。



「まだ何も作ってないよ。今日言われたばかりだからね」


「お父さんなら大丈夫よ」


「早く作ってね!私は犬のぬいぐるみが欲しい!」



娘たちは口々に好き勝手言い、食卓が一気に賑やかになった。


彼女たちの笑顔を見ながら、ラッセルは「この仕事は失敗できないな」と内心呟く。


灰色の目には、娘たちへの愛と、ぬいぐるみ作りへの不安が混ざり合っていた。

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