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2. 第1章 爪弾き者たち-2

ロックミア共和国内で有名な高級服飾工房「ハーディプール」では、今日も職人たちがドレスや軍服を始めとした、豪奢な衣装や制服などの高級服を作っていた。


ハーディプールの店舗はオックストンの目抜き通りにあり、貴族や権力者を相手にするのに相応しい威厳を備えていた。


古びたレンガ造りの建物は長い歴史の中で育まれた風格を漂わせ、磨き上げられた看板には金文字で店名が刻まれ、正面には重厚な木製ドアが威厳を放つ。


店先のガラス窓から店内を伺うと、マネキンがシルクのドレスや新作のスーツで着飾られており、通りすがりの人々の目を引く。


まさしく、貴族や権力者といった、上流階級の人間を相手にするのにふさわしい店構えだった。



ハーディプールの店舗の1階と2階は商品展示と接客室、3階から5階が工房となっている。


工房の窓からは、通りを行き交う馬車や紳士淑女の姿が見え、差し込む陽光が作業台を照らし出す。



工房の中は、静かな緊張感に満ちていた。


職人たちはそれぞれの作業台で、針と糸を手に黙々と作業を進める。


ドレスの裾に華やかな金糸の刺繍を施す者、軍服の肩章に銀の飾りを縫い付ける者、燕尾服の流れるようなラインを仕上げる者がいた。



作業台には真紅のベルベットや瑠璃色のシルクといった生地が色とりどりに広がり、同じく貝ボタンや透き通るようなレース、艷やかなリボンが整然と並ぶ。


どれも高級品で、一目でその価値が分かるものばかりだ。


壁際には仕立て上がった衣装が吊るされ、貴族の舞踏会用のドレスは宝石のように輝き、軍高官用の制服は威厳を放っていた。



ハーディプールで作られる服はどれも一流品だった。


ハーディプールでは男女両方の高級服を請け負っており、職人はそれぞれの専門分野を担当している。


高級服には仕立てる職人のクセのようなものが現れるため、客は好みのデザインを生み出す職人を見つけると贔屓にすることが珍しくない。


そして、着道楽が多い上流階級の目に留まれば、同じような注文が舞い込むのもよくある光景である。


ハーディプールはロックミア随一の服飾工房として注文が絶えず、職人たちの手は休まる暇がなかった。



その工房の一角で、ネイト・コーニッシュは今日も同僚と衝突していた。


ネイトは18歳、身長185センチ。


燃えるような赤い髪は両側を刈り上げたツーブロックで、淡褐色の目は鋭く、整った顔立ちに険が漂う。


白いシャツの袖をまくり、黒いパンツは膝に擦り切れが目立つ。


簡素な格好だが粗野な態度と相まって、路地裏のならず者のような雰囲気を醸し出していた。



ネイトは他の職人と同じく自分の作業台でスーツを縫い上げていたが、彼の作業台には他の職人たちとは違うところがあった。


生地や裁縫中の服だけではなく、彼が趣味で作る人形サイズの服を着た、小さなマネキンが並んでいた。


マネキンの隣には、ネイビーにイエローチェックのジャケットや、絞ったラインのウエストコートが小さなハンガーにかけられていた。



そんなネイトに向けて怒鳴りつける声が飛ぶ。


「ネイト。お前、また客にケチつけたのか!俺の客の機嫌を損ねるんじゃないと言っただろうが!」


中堅職人のブレンドン・チェンバレンが声を荒げながら、ネイトに近づいてくる。


ブレンドンは33歳、身長178センチ。


茶色のショートヘアと淡褐色の目を持ち、作業用のエプロンに針と糸を差している。



ネイトは縫いかけのジャケットを作業台に投げ捨て立ち上がり、目の前に立つ同僚へと向かい合った。


作業台の上に散らばったボタンが揺れてカタカタと音を立てる。



「うるせえな。何の話だよ」


心底面倒くさそうにするネイトを見て、ブレンドンは怒りを加速させた。


「お前が午前中に接客した客の話だ!俺がいない時に勝手に対応しやがったな!」


「あー、あの太ったおっさんのことか。あれはお前が受けてる注文に関する話じゃねえ。俺が作ったサンプルの服に対して、ウエストのラインに注文をつけてきたから、ダサイから止めとけって言っただけだぞ」


「言い方ってものがあるだろうが!それに、ダサいかどうかは客が決めるんだよ。職人のくせにそんなことも分かってねえのか!お前のせいで長年の客を失うところだったんだ!」


「それくらいでキレる奴のことなんか知るかよ!」



2人が怒鳴り合っていると、今度は別の職人が口を挟み出した。


「どこぞのご令嬢がドレスの仮縫いで工房に来た時、お前のガラの悪さに気絶しかけたって話も聞いたぞ!」


「はっ、気絶? そんな軟弱な女が悪いんだろ」


ネイトは鼻で笑い飛ばす。


そんなネイトの返事を聞いて、周囲の職人たちから笑い声があがる。



「ウチに来るようなお上品な客にとって、お前みたいな奴は刺激が強すぎるんだよ」


「貴族の箱入りっぷりを舐め過ぎじゃないか?」


「何年も働いてるのにまだ客のことを見てないんだな」


ネイトは笑い声とともに投げかけられる言葉に苛立ち、舌打ちした。



「俺は仕事してるんだ。文句があるなら自分で全部やれよ」


「仕事? こっちはお前のせいでクレームが増えて迷惑してるんだ!」


ブレンドンは一歩踏み出し、ネイトを睨みつけた。



「迷惑?ハッ、客の機嫌取るのが仕事なんだろ?黙ってやれよ」


それに呼応するようにネイトも一歩踏み出し、ブレンドンを睨みつける。


工房の空気が一瞬で張り詰め、2人の間に一触即発の空気が漂う。



先程まで笑っていた周囲の職人たちは作業の手を止め、好奇心と苛立ちの入り混じった視線を投げかける。


壁に吊るされたドレスのレースが、窓から吹き込む風に揺れた。



そこへ、工房長のスチュアート・マンスフィールドが割って入った。


「2人ともいい加減にしろ!ネイト、客に対してその態度はなんだ!ブレンドン、あんたも大人なんだから落ち着け!」


スチュアートの声は低く、だが鋭く響く。



スチュアートは48歳、身長173センチ。


黒いショートヘアは頭頂部がやや薄くなり、丸メガネがトレードマークの男だった。


グレーのウエストコートに白いシャツを着こなし、紺と黄色のレジメンタルタイをきっちりと締めた姿は、威厳と親しみやすさを兼ね備えていた。



ネイトは舌打ちし、作業台に肘をついてそっぽを向いた。


赤い髪が陽光に照らされ、炎のように揺れる。


ブレンドンは肩をすくめ、「あいつが職人だなんて冗談だろ」と吐き捨て、自分の作業台に戻る。


工房は再び静寂に支配された。



ブレンドンは一時期ネイトの監督役を務めていたが、ネイトが指示を聞かなかったため途中で放棄したという過去がある。


「あいつの才能は認めているが、職人や同僚としてはクソ野郎だ」


ブレンドンは同僚にそう語っており、その言葉を裏付けるかのようにネイトとはよく衝突していた。


職人たちの間でどちらが先に工房を辞めるかで賭けが行われるほどに、両者は険悪な仲だった。



ネイトはハーディプールの新人職人だが、その人生は決して平坦ではなかった。


ネイトは子供の頃から趣味で副作りをしていたが、3年前に両親が流行り病で亡くなったことをきっかけに、故郷の村を離れてオックストンへ出てきた。


最初は日雇いの仕事を転々としていたが、短気な性格が災いしてどれも長続きしなかった。


そんなある日、生地問屋でスチュアートと出会う。



スチュアートはネイトが手にしていた風変わりなストライプの生地に目を留め、「その生地でどんな服を作るつもりだ?」と尋ねた。


ネイトはイメージしていたデザインをその場で語ったが、その回答を聞いたスチュアートはネイトに興味を持つ。


2人はそのまま話し続け、その出会いをきっかけとしてネイトはハーディプールで働くこととなった。


だから、工房長であることを差し引いても、ネイトはスチュアートに頭が上がらない。



スチュアートはネイトの才能を高く買っていた。


主に男性向けの服を担当するネイトは、独創的なデザインと精密な縫製で客を驚かせる仕事をした。


風変わりなシルエットを保ちながら、客の体型に対して服のラインをピッタリ合わせてくる。


一風変わったデザインの服は、ハーディプールに訪れる全ての客を満足させるにはほど遠いが、着道楽の客たちからすれば時折注文を出したくなるほどには魅力があった。


スチュアートの目は正しく、ネイトには確かに才能があったのだ。



だが、短気で礼儀知らずな態度は、同僚や客からの評判を落としていた。


ネイトは身だしなみを整えているものの、身にまとう雰囲気も相まって、普段の格好はならず者のような印象を与えていた。


加えて、田舎育ちのネイトには礼法というものが欠けていた。


高級服の職人には貴族の家系の者も珍しくなく、身だしなみやマナーに関しても相応の水準を身に着けている。


そんな職人ばかりと接してきた上流階級の客からは、「こいつは本当にまともな職人か?」と疑いの目を向けられることも少なくなかった。



ネイトは客あしらいも下手なせいでよくクレームを受けているため、その才能を認める者はいくらかいるものの、工房内では扱いに困る職人として見做されている。


スチュアートは内心、「いっそ四六時中スーツを着せて、見た目だけでもマシにすべきか」と真剣に考えるほどだった。



ネイトも馬鹿ではない。


自分の問題には気がついているし、他の職人に劣っている点を改善しようとは考えている。


自分のような人間がハーディプールで働けるのは、幸運以外なにものでもない。


一人前の職人として成長したいという思いも抱いている。


しかし、生来の性格と自分がデザインした服への嘲笑、自分を下に見る相手への苛立ちが助言を拒んでいた。


高級服の職人が腕ではなく、見た目や礼儀で判断されるというのも気に入らない。



もしハーディプールが庶民向けの店だったなら、ネイトの言動も大目に見て貰えただろう。


だが、残念ながらそうではなかった。


問題を認識していても、素直に頭を下げられないから問題は残り続ける。


問題が残る限り、ネイトの評価は悪化していく。


スチュアートがかばいきれなくなる日も遠くないだろう。


まさしく袋小路に追い込まれたネズミのようなネイトは、口元を歪めて作りかけのジャケットを睨み続けていた。

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