1. 回想録:シルバーニードル社副社長
可愛いぬいぐるみを作れ。
そんな注文を受けた時、あなたならどのようなものを作るだろうか?
最初に思いつくのは、人気のある犬や猫といった動物をモチーフにすることだろうか。
鳥や魚、それこそ人形のように人間を選ぶ人もいるだろう。
もう少し視野を広げれば、建物や装飾品、車、飛行機といった選択肢もある。
「可愛い」ぬいぐるみを作れ。
この注文は当社シルバーニードルが設立に至った事の発端であり、これまで長きに渡って取り組み続けてきた目標でもある。
可愛いぬいぐるみを作るにはどうしたらいいだろうか?
本回顧録を記すにあたり、この質問だけは必ず答えるよう周囲からたびたび言われた。
一方でぬいぐるみごとき、それらしい造形で適当に作ればいいだろうと言う者もいる。
だが、これがなかなかどうして、やってみると非常に難しい。
当社は定期的にぬいぐるみ作りの体験会を開催している。
そこでは、作業が止まり手も頭も動かない人々を多数見かけるのだから、この考えは正しいと胸を張って主張できる。
どのモチーフを選ぶにせよ、ぬいぐるみを作るにあたっては考慮しなければならないことがある。
それは、どこまでデフォルメするかという問題だ。
例えば犬をモチーフに選び、そのままのリアルな造形でぬいぐるみを作る。
出来上がった物を前にして、「何か違う」という感想を抱くことになるだろう。
可愛いぬいぐるみを作るということと、リアルであるということは同義ではない。
頭身を縮める、頭部を大きくする、形状を丸くする、模様や細部を単純化する。
こういった工夫を盛り込むことで、初めて愛らしさや愛嬌さを生み出すことができる。
そう、ぬいぐるみ作りとは石像や絵画と同じく、制作者の意図とデザインが重要なのである。
モチーフの良さを引き出すためには、その特徴を強調しなければならない。
どこをどれだけ強調するかは職人次第だ。
犬の耳を大きくする、鳥の模様を単純にする、飛行機の羽を短くする、建物の窓数を減らす。
当然、実物とは異なる造形になる。
だが、そうすることでぬいぐるみにする意味が生まれる。
そして大まかなデザインを決めると、今度は全体のバランスが気になり出す。
手足が短すぎるのではないか、頭部が大きすぎるのではないか、胴体を小さくした方が良いのではないか。
そうやって細かい修正を繰り返すと、次第に何をどうすれば良いのかが分からなくなってくる。
上手くいかないことに苛つき、脂汗を流しながら取り組んでも進展が見られない。
出来上がった作品を他人に見せても評価は芳しく無く、報われないまま次に取り組まなければならない。
誰もが経験するだろう。
しかし、この問題から逃げることはできず、向き合い続けなければならない。
偉そうなことを述べてきたが、ここまでの話は当の私たちの失敗の歴史でもある。
つまり、それだけ痛い目に遭ってきたわけだ。
今でこそ当社は世界に知られるぬいぐるみ工房であり、世界各国に支店を置くほどの成長を遂げた。
だが、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではなく、多くの挑戦と失敗に彩られている。
そもそも、創業当初の私たちはぬいぐるみ作りの専門家ですらなかった。
服職人ではあるが、ぬいぐるみ作りは完全な素人。
人の体に合わせる仕立て服とぬいぐるみでは、求められるものが全く異なる。
共通点は糸と針と生地を扱うことだけ。
正直なところ、最初はこの注文には乗り気ではなかった。
周囲からも馬鹿にされ、厄介な仕事を押し付けられただけだった。
しかも、「他国の有名なぬいぐるみブランドに勝て」というおまけ付きだ。
そんな私たちがどのように歩んできたのか。
本書を読む人々にとって、私たちと同じ失敗を避ける一助になれば幸いである。
多角的な視点があった方が良いと思い、本書を記すにあたって関係者たちにインタビューを行った。
しかしながら、当社の設立のいきさつについては高名な方々が多数関係している。
彼らの名誉と平穏のため、全てを詳細に記すことはできない。
その点だけはご了承頂きたい。
悩み苦しんでいた私を救ってくれた愛する娘たちに、
共に困難へと挑んだ大切な友人に、
そしてこれから挑戦への道を歩み出そうとする人々に本書を捧げる。