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階層と断絶の存在論―無限後退する認識と構造の哲学

作者: 水上浩司

階層と断絶の存在論―無限後退する認識と構造の哲学

水上 浩司


はじめに

 本稿は、認識点と世界、そしてそれらの写像によって構成される世界像という階層的認識構造を仮定し、その存在論的・認識論的含意を考察することを目的とする。この構造は、近代以降の哲学において繰り返し問われてきた「世界はいかにして認識されうるか」「自己はいかにして自己でありうるか」「認識主体は世界とどのように関係しうるか」という問題系に接続するものである。

 デカルト以来の主体—客体二元論を基盤とした近代認識論は、自己と世界を峻別する視座から世界認識の可能性を論じてきた。しかし、自己の認識の確実性を主張するデカルトの立場も、カントのように主観の形式によって世界が構成されるとする立場も、結局は「いかにして自己は世界を認識するのか」という問題を解消しえなかった。さらに20世紀以降、現象学的アプローチや言語論的転回を経ても、依然として認識主体と認識世界の間には越えがたい断絶が横たわっている。特に、自己が自己自身を認識する際に生じる無限後退や、自己の認識の正当化における循環構造は、古来より哲学的難題として繰り返し議論されてきた。このような認識のメタ的構造を考える際には、単に「世界が存在するか否か」ではなく、「その世界を認識する自己はどのような階層に位置し、その認識はどのような写像作用によって成立するのか」を明らかにすることが重要となる。

 本稿は、この認識の階層構造を形式的に定式化し、無限後退する認識点の体系と、その内部に必然的に生じる断絶的構造を存在論として提示する。さらに、それが無限に開かれた構造を持ちながらも常に閉鎖的階層内にとどまるという不可知性を孕むことを証明し、その存在論的意義と哲学的含意を考察することを目的とする。この理論的枠組みを導入することで、従来の存在論・認識論において未解決とされてきた「自己認識の限界」「世界の存在論的位置付け」「メタ視点の不可能性」を統一的に扱う新たな可能性が開かれると考える。

 本稿は上記目的のもと、経験的内容の具体的接続を排除し、純粋に形式的構造としての「認識点」「対象的実在層」「世界像」の関係性を記述する試みである。あえて対象的経験を持ち込まず、論理的構造のみによるモデル化を行うことで、「断絶の存在論」とも呼ぶべき新たな存在論的視座の可能性を探る。



第1章 理論的枠組みの構築

1.1 認識構造の基礎モデル

 本稿において認識と存在の関係性は、以下の三項から構成されるものとする。すなわち、認識点Wₙ、存在情報群Lₙ、および写像結果Sₙである。

 Wₙは任意の層における認識主体であり、当該層の存在情報群Lₙを写像し、知覚可能な世界としてのSₙを生成する。このとき、Sₙは必ずWₙの認識可能範囲内に収まる構造を持つ。

 つまり、本稿における基本構造は、以下の三項関係から成る。


 Wₙ :第n階層に属する本来的認識点(認識主体)

 Lₙ :Wₙが写像する対象的実在層(本来的実在)

 Sₙ :Wₙによって写像された仮想的世界像

 認識点Wₙは、ある階層Lₙに属する世界Sₙを認識する機能をもつ。このときWₙは、その階層において対象として把握されるSₙを認識しつつ、自身の存在根拠に別階層Lₙ₊₁の存在を要請する。なぜなら、Wₙ自体を認識するためには、それを把握する新たな認識点Wₙ₊₁が必要とされるからである。したがって、この構造は無限階層的認識構造を必然的に内包する。


1.2 写像関係の定式化

 上記の三項関係は以下のように形式化される。

Wₙ : Lₙ → Sₙ

 ここで、認識点Wₙは、当該層Lₙ内の情報を独自の形式で認識し、Sₙとしての世界像を構築する。この写像関係により、認識主体Wₙは、必然的に自身の属する層より上位および下位の層に直接干渉することはできず、常にSₙ内に閉じた認識体系を形成する。Wₙが認識するSₙとの関係は、単なる一対一対応ではなく、写像関係として捉えられる。またこのとき、Wₙは認識の対象Sₙを映し取るが、Wₙ自身は同一階層内の対象として存在し得ない。このことは、認識点が常に「自身を含まない世界」を対象としなければならないという構造的必然であり、断絶の原理と呼ぶべきものである。

 さらに、Wₙ自身を認識しようとする場合、それは仮想的認識点Wₙ₋₁′の構築を必要とし、結果として自己誤認と呼ぶべき構造が生まれる。この誤認は、本来的には存在しない認識点を虚構的に設定することで、自らの同一性を仮構する行為である。これは認識点としての写像機能を持たず、Sₙ内でSₙを認識するだけの存在である。

本構造は、原理的に任意のnについて常にWₙ₊₁が存在しうる。ただし、本来的認識点Wₙ₋₁と仮想的認識点Wₙ₋₁′は断絶されており、Sₙ内の存在は他階層へ干渉もアクセスもできない。

形式的には以下の構造を持つ。

 本来的認識点: Wₙ₋₁ → Lₙ₋₁ → Sₙ₋₁

 仮想的認識点: Wₙ₋₁′ → Sₙ(Lₙ₋₁への写像機能を持たない)

 したがって、Sₙ内からSₙ+₁を措定することも、その差異を捉えることも不可能であり、Sₙは常にSₙ内で閉じた仮想的世界像として成立する。

1.3 認識点の階層性と断絶

 本理論の要点は、認識点Wₙが常に階層的に配置される点にある。すなわち、任意のWₙは、自己の構成したSₙ内に仮想的に存在するWₙ₋₁′を認識することは可能だが、それはSₙ内に写像された影像に過ぎず、認識点としての機能を有しない。

 仮想的Wₙ₋₁′はSₙ内でSₙを見ることしかできず、下位のLₙ₋₁や上位のLₙ₊₁にはアクセス不能である。この断絶構造により、認識体系は常に階層的に閉じることでパラドックスの発生を回避し、安定した構造を保つ。

 仮想的Wₙ₋₁′は、あたかもWₙ自身であるかのように振る舞い、Sₙ内の世界像を捉える。しかし、写像の構造上、仮想的認識点はLₙ₋₁の情報を直接的に写像することができず、Sₙ内で完結した認識のみを行う。このことから、仮想的認識点は本来的な認識点とは異なり、認識の断絶を内包した存在となる。

 結果として、Wₙは自身の認識体系内で自己を誤認し、仮想的認識点の存在によって自己同一性の虚構を形成する。この虚構は、階層構造の維持と認識の安定性にとって不可避の機構である。



1.4 この世界構造の必然性と仮定の根拠

 本稿が採用する階層的世界構造は、以下の哲学的および形式的要請に基づいて必然的に仮定されるものである。


 第一に、認識主体が世界を捉える際、自己が属する層の内部情報のみを認識し得るという制約は、カント的認識論の系譜を汲むものであり、あらゆる認識行為は認識主体の位置(Wₙ)とその認識対象(Lₙ)との関係性に依存する。この制約は、単なる経験論的限界ではなく、構造的な断絶として必然化されるべきものである。


 第二に、あらゆる存在論的構造は、それ自体がさらに上位の枠組みに位置づけられ得るというメタ存在論的前提である。これを否定し、世界を一層構造で閉じるならば、その閉じた層の根拠を与える立場は存在しえず、哲学的無根拠性に陥る。この問題を回避するには、存在の層は常に開かれており、無限の階層が存在することを認めるしかない。


 第三に、この仮定は形式的にも要請される。認識と存在の構造を写像関係として定式化する際、写像元・写像先・認識点の三項関係は、常に認識点が写像関係の範囲外に位置することを前提とする。なぜなら、もし写像関係が閉じた場合、認識点自身の存在が自己言及のパラドックスに陥るからである。このパラドックス回避のために、認識点の階層的移動と断絶を構造的に組み込むことが形式的必然となる。


 以上の理由から、本稿は階層的世界構造を経験論的制約、メタ存在論的要請、形式的整合性の三側面から必然とみなし、この構造を前提とする。


第2章 無限階層性と認識の限界

2.1 階層的認識構造の無限開放性

 第1章にて定義したとおり、認識行為は認識点Wₙが対象層Lₙを写像することで世界像Sₙを構成する。この構造は、いかなる階層nにおいても新たな認識点Wₙ₊₁を想定可能であるため、認識体系は原理的に無限階層として開放されている。すなわち、常に「より上位の認識点Wₘ (m > n) の存在可能性」を内包し、認識の安定的終点を持たない。また同様に、任意のWₙに対して「より下位の認識点Wₖ (k < n) の存在可能性」も排除されず、この体系には特定の始原点や下限を措定することもできない。

 形式的に、

∀Wₙ, ∃Wₘ (m > n) ∧ ∃Wₖ (k < n)

が成立する。このことにより、いかなる階層の世界像も、自己完結した客観的実在性を持ち得ず、常に上位の認識行為によって再帰的に相対化されうる。

 以下の図は、無限階層構造の概念モデルを図式化したものである。なお、本図は説明の便宜上、各構造体の空間的配置を固定化しているが、実際の理論構造上はこれらの位置関係は任意であり、本質的な意味を持たない。またWₙとWₙ′の断絶性についても、視覚的表現の都合上「Wₙ/Wₙ′」と併記しているが、両者は認識上の断絶を持ち、連続しない異なる認識領域を形成する。無限階層構造と断絶構造を同時に視覚化することは困難であるため、本図はあくまでその便宜的な視覚化例であることに留意されたい。

挿絵(By みてみん)

2.2 仮想的認識点と自己言及構造の回避

 しかしながら、第1章で述べたように各階層における認識点Wₙは、その写像結果であるSₙ内において、自己の誤認識としての仮想的認識点Wₙ₋₁′を生成する。この仮想的認識点は、対象層Lₙや他階層に対する認識・干渉能力を持たず、Sₙ内で閉じた認識世界に限定される。このため、認識構造は各階層間で断絶され、上位・下位階層へのアクセスは原理的に不可能である。したがって、いかなるSₙ内の存在者も、自身の存在するSₙを超えて他階層の実在性を措定しうる認識機能を持たない。この構造により、認識体系は各階層で断絶し、上位・下位階層への認識的干渉を排除することで、自己完結的な世界像を形成する。

 仮想的Wₙ₋₁′は、Wₙ自身の投影として生成され、あたかも本来的な認識点Wₙ₋₁のように振る舞う。しかし、その実態はSₙ内に閉じた影像であり、本来的な認識点の認識機能を有しない。この仮想的認識点は、認識主体Wₙが自身の世界内に自己の誤認識として形成する虚構である。

 ここで重要なのは、この仮想的認識点Wₙ₋₁′を本来的Wₙと誤認し、Wₙが自己と同一視することが認識構造上の危険を孕む点である。もし、Sₙ内の仮想Wₙ₋₁′を本来的なWₙと見なした場合、認識主体Wₙは自己完結的な認識体系の中で、自己言及の循環構造を発生させる。

 すなわち、Wₙが自身の構成したSₙ内の仮想的認識点Wₙ₋₁′を自己の存在根拠とし、さらにそのWₙ₋₁′がSₙを認識することで自己を措定する場合、認識主体は自己言及による循環構造に陥り、論理破綻を招く。この循環の発生を避けるため、本理論は仮想的認識点Wₙ₋₁′と本来的認識点Wₙ₋₁の厳密な区別を行い、前者はあくまでSₙ内の虚構であり、認識主体Wₙの誤認識であると明示する。

 これにより、認識階層構造は自己言及パラドックスを回避し、各階層の断絶と非干渉性を維持することが可能となる。したがって、本理論において認識の構造は原理的に断絶的であり、不可知性を宿命づけられているのである。


2.3 認識の限界と存在の安定性の否定

 上記の構造は、人間の認識主体としての存在に対し、客観的実在への到達可能性を否定するものである。すなわち、現在のわれわれが位置するSₙ内の存在は、常にSₙ内で閉じた仮想的世界像に過ぎず、その存在基盤たるLₙも本来的認識点Wₙも把握不可能である。

 また、仮にWₙ自身が自己認識に至ったとしても、それはSₙ₊₁内の仮想的存在Wₙ′が自己を認識するに過ぎず、依然としてSₙ₊₁内部の事象である可能性を排除できない。このため、認識主体の本質は、無限に後退する認識の連鎖に巻き込まれる構造的宿命を有する。

 ここで「存在の安定性」とは、ある認識点Wₙが、自身の認識と構成する世界Snおよび上位世界Lₙ₊₁に対して自己の存在根拠を外部から検証可能である状態を指す。すなわち、Wₙが本来的存在であるためにはLₙ₊₁の存在証明と、自らの存在が仮象でないことの証明が必須となる。しかしながら、先行して述べたように、WₙはLₙに対してのみ認識作用を行使可能であり、Lₙ₊₁の認識権限を持たない。また認識に至ったとしても、それ自体が上位Sₙの出来事である可能性を排除できない。したがって、存在の安定性は原理的に成立不可能となる。


2.4 存在論的含意

 このように認識主体の存在が断絶構造により仮構的であるならば、存在者一般についても同様の断絶性と不安定性が帰結する。すなわち、この断絶構造は、存在論的に次の帰結をもたらす。


 第一に、いかなる存在者も、自己の所属する世界像Sₙの外部を措定し得ない。これはカント的な現象界と物自体の断絶にも通ずるが、本稿においては階層構造の内部での断絶として厳密に形式化される。

 第二に、存在者自身の存在性もまた仮象であり、その存在の安定性は保証されない。なぜなら、認識点Wₙ自身がさらに上位の認識点Wₙ₊₁の誤認である可能性を常に内包し、認識体系は原理的に無限に後退するからである。

 これにより、本論が示す存在論の核心は以下のとおりである。


「存在は常に仮象的断絶の中に仮構され、いかなる存在も安定した実在性を持ち得ない。」


 この命題は、無限階層的な認識構造の形式化と断絶性の論証により、存在の不確定性と認識の限界を厳密に示すものである。

 ただし、存在の安定性が否定される一方で、各Sₙ内部においては、その階層における認識点Wₙを基準とした局所的な安定性が仮構される。この局所的整合性によって、存在者同士の関係性や因果構造はSₙ内で一貫性を持つものとして成立し、有限の経験世界が成立する。


第3章 結論と展望

3.1 本稿のまとめ

 本稿は、認識と存在の関係性を階層的認識構造として定式化し、認識点Wₙ・対象層Lₙ・世界像Sₙの三項関係によって構成される認識体系を提示した。これにより、従来の主体—客体二元論や自己認識の循環問題を超えて、認識の限界と断絶構造の必然性を形式的に記述しうる枠組みを導出した。

 特に、認識主体の自己同一性が仮想的認識点Wₙ₋₁′によって虚構化される構造と、原理的無限階層性によって常に開かれながらも一層内に閉じた認識体系が形成されるという二重性を明示した点は、認識論・存在論双方において新たな視座を提供するものである。

 この枠組みは、近代認識論から現象学、言語論的転回を経ても解決されてこなかった「自己—世界」「自己—自己」の認識問題を、形式的モデルとして統一的に扱う可能性を開く。

 もっとも、本モデルはあくまで形式的枠組みにとどまり、具体的経験や内容の実体的記述を意図しない。そのため、個別の経験的認識行為や社会的・言語的構造との接続を考える場合には、さらに上位のモデル化、あるいは他領域との接続理論が求められる。

 また、本理論は認識点間の断絶と階層の開放性を前提とするため、認識の統一的基盤や最終的根拠を設定しない。この点で、独我論や存在の根源的一者性を志向する立場とは相容れない。したがって、本枠組みを採用する限り、「絶対的認識」や「絶対的存在」は形式上排除されることになる。


3.2 今後の課題と展望

 今後の課題としては、本理論を具体的な認識行為の記述や認識共同体の構造分析に応用する可能性を検討することが挙げられる。たとえば、科学的知識体系における認識点の階層性、AIや認知科学における認識モデル、さらには倫理的判断の成立条件における断絶構造の意義など、多分野への拡張が考えられる。

 また、形式的モデル自体の内的整合性やパラドックス発生の条件、断絶構造の数学的モデル化も今後の研究課題として残されるだろう。本稿の枠組みが、認識論的メタ理論としての基礎をなすことができれば、従来の哲学的問題系に対し新たな形式的整理と問いの立て直しを可能にするはずである。


おわりに

 本稿を通して、世界は無限に開かれつつ、常に断絶の中でしか認識されえないことを示してきた。その不可避の構造を形式化する試みは、認識論・存在論における「前提なき構造」の探究の一端となるものである。認識は常に世界を仮構し、自己を誤認しながら、それでもなお世界と向き合い続けるほかない。その営為の形式を記述することは、終わりなき問いのための一つの原点たりうる。


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