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右の頬を打つなら、左の頬をも……

作者: 雉白書屋

 私は敬虔なクリスチャンの両親のもとに生まれ、同じ価値観の中で育った。

 誰にでも、どんなことにも愛を持って行う。それが私の信条となった。

 だからこの夜、右頬をぶたれたとき、私は迷わず左頬を差し出した。

 聖書にこう書かれていたからだ。

『誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』と。


 すると、左頬もぶたれたので、再び右頬を出した。そしてまたぶたれたので左頬を出し、ぶたれると右頬を出し、そして左頬を出し――この繰り返しの中で、私はうっかり同じ頬を続けて差し出してしまった。

 その結果、右頬を連続でぶたれた。これでは、今度は左頬を二回ぶたれなければならない。だから私は左頬を連続で差し出し、調整を試みた。

 うまくいった。無事に相手に左頬をぶってもらい、ほっと胸を撫で下ろし、再び左右交互に頬を出し続けた。

 しかし、右頬を出してぶたれ、左頬を出してぶたれ、右頬を出してぶたれ……と、この『左右交互』のルールが守られていることに安堵したせいか、私は再び左頬を続けて差し出してしまった。

 これにより、右頬を二回ぶたれる必要が発生したわけだが、一度しか右頬をぶたれずに左頬をぶたれてしまい、右頬一回分の『ストック』が残ってしまった。

 かゆいところに手が届かないような、妙に気持ちの悪い感覚を抱えつつ、再び右、左、右、左と交互にぶたれながら不均衡を正すチャンスを窺っていると、そればかりに気を取られていたせいか、また間違えて左頬を余計にぶたれてしまった。

 私は自分の不甲斐なさに自己嫌悪に陥った。

 だが、『これはどうしたものか……』と首を傾げたその拍子に、ちょうど相手に右頬が向いていたので、二回連続でぶたれることに成功した。


 ――やった! 


 しかし、その直後――またしても左頬を続けて二回ぶたれてしまい、私は深いため息をついた。

 私は右頬を向け、確固たる意志で二回続けてぶたれようと決めた。

 ところが、これはどういうわけだろう。相手は右頬をぶったあと、左頬をぶとうとしたのだ。どうやら相手の中にも、『左右交互』にぶつルーティンが確立されてしまっているらしく、どうしても左頬をぶたなければ気が済まないようだった。

 この意思のすれ違いに苛立ちつつ、どうするべきか悩んでいると、偶然なのか、それとも仕方なくなのか、相手は右頬をぶってくれた。

 これでようやく心が晴れ、私は気分よく左頬を出し、再び左右交互のルールに身を委ねた。

 だが、気が緩んだせいか、私はまたしても右頬を続けて差し出してしまった。


 ――しまった。


 ……そう思った。しかし、驚いたことに、相手はその手を止めた。

 私はもしやと思い、左頬を差し出す。すると、相手はそれをぶった。

 その瞬間、私は悟った。相手が私のミスを理解し、それを正してくれたことに。先ほど相手が私の右頬をぶったのも、意図的であったのだ。

 手と頬が触れ合う一瞬の火花の中で、私たちは確かに心を通わせていた。

 私は愛情を込めて微笑んだ。すると、どうしたのだろうか、相手は手を下ろした。その顔は真っ青で、手は震え、息も荒くなっていた。


「悪かった……もう、やめてくれ……絡んで悪かった……もう殴りたくない……」


 相手はその場に膝をついて泣き始めた。

 ようやく……。私の胸に、充足感が広がった。

 私はそっと相手の頭を撫で、「許す」と優しく伝えた。すると彼は涙の中で微笑み、ゆっくりと自分の頬を差し出した。

 私は頷き、その頬を思いっきりぶった。


 相手は数メートル吹っ飛び、その場で痙攣し始めた。

 私がプロレスラーで、彼が酔っ払いの一般人とはいえ、これだけぶたれれば正当防衛は成立するはずだ。だが念のため、さっきの居酒屋で拝借したナイフを彼に握らせておくとしよう。

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