自称名探偵の幼馴染と助手の僕
第13回集英社ライトノベル新人賞IP部門、二次選考落選作です(´;ω;`)
「……さて」
旧校舎の一階にある探偵部の部室には、事件の関係者たちが集められていた。
依頼人の女子高生、百合咲さん。
その友人の森谷さん。
そして、最後に僕――卯野上歴。
半円を描くように並んだ僕らの中心には、我らが探偵部の部長であり僕の幼馴染である来栖朔が立っている。
彼女は制服のスカートを翻しながら関係者たちへ向き直り、言葉を続けた。
「一週間前、私たちは行方不明になった百合咲さんの猫を探して欲しいという依頼を受けました。家にいたはずの猫がいなくなり、百合咲さんはご友人の森谷さんと共に部屋中を探した。そして開きっぱなしになっていた窓を見つけ、猫がそこから逃げ出したのだと結論付けた……ですね?」
来栖に誘導されるように、依頼人の百合咲さんは頷いた。
「ええ、来栖さんの言う通りです」
「その時の様子をもう少し詳しく教えてもらえますか?」
「分かりました。ええと、私がミィちゃんを飼い始めたのは――ミィちゃんって、猫の名前なんですけど――一か月くらい前です。ミィちゃんはいつも私がリビングのドアを開けるとすぐに駆け寄ってくるんです。だけどその日はどんなに呼んでも姿を見せてくれなくて」
百合咲さんの声が徐々に涙交じりになっていく。
その隣で、友人の森谷さんが百合咲さんを慰めるように、彼女の頭を撫でた。
話を促すように来栖が言う。
「百合咲さんは森谷さんに相談した。携帯で連絡を受けた森谷さんはすぐ百合咲さんの家へ向かった」
「そうよ」マスクをした森谷さんは鼻声で答える。「百合咲はあたしの親友だもん。親友が困ってるんだから助けるのは当たり前じゃん。一緒に家中探し回ったし」
「しかし猫――ミィちゃんは見つからなかった?」
来栖の言葉に百合咲さんが答える。
「はい。森谷が、二階の屋根が開いているのが見つけてくれたんです。きっと私が閉め忘れていて、ミィちゃんはそこから外に出ちゃったんです」
「そしてその翌日、あなたたちは私たち探偵部にミィちゃんの捜索を依頼した」
百合咲さんと森谷さんは同時に頷いた。
それを待っていたように、来栖は僕を見た。
説明役を交代しろという合図だ。
僕は咳払いをし、言った。
「依頼を受けた僕と来栖は百合咲さんの自宅とその周辺を調べ、とある結論に至りました。今日、百合咲さんと森谷さんにここへ来てもらったのはその結論について説明するためです」
「ミィちゃんが見つかったわけじゃないんですか?」
来栖さんが言った。
僕は首を横に振った。
「残念ながら。しかし、ミィちゃんが今どこにいるのか、ある程度の予想はついています」
「……どういうこと? 結局ミィちゃんは見つけられなかったんでしょ?」森谷さんが不機嫌そうに眉根を寄せ、呆れたようにため息をついた。「ねえ百合咲、こんな人たちに頼ったのが間違いだったんだよ。ミィちゃんはあたしたちだけで探そ」
「え、ええ……? うん……」
百合咲さんは戸惑うように森谷さんと僕らを交互に見た。
そのとき、来栖が良く響く声で言った。
「確認しておきたいことがあります、森谷さん。私の質問に答えてください」
「え、あたし? 何よ」
森谷さんが睨むように来栖を見る。
「鼻炎が酷そうですね。いつからですか?」
「……一週間前よ」
「一週間前ですか。確か、ミィちゃんがいなくなったのも一週間前でしたね」
「はあ? ミィちゃんの行方とあたしのアレルギーに何の関係があるのよ」
「アレルギー? 私は鼻炎としか言っていませんが」
「……!」
森谷さんはハッとした表情を浮かべながら、片手で口を押えた。
「いくら探してもミィちゃんが見つかるはずはないんです。なぜなら、ミィちゃんはどこかへ逃げてしまったのではなく――連れ去られたのだから」
「つ、連れ去られた!?」
百合咲さんが可愛らしい声で言った。
そんな彼女に来栖は頷いてみせる。
「単刀直入に言いましょう。森谷さん、あなたは百合咲さんからミィちゃんを探して欲しいと頼まれたあの日、本当はミィちゃんを見つけていたんじゃないですか?」
「え!? そうなの、森谷?」
百合咲さんの質問に対し、森谷さんは口を噤んだままだった。
その間も来栖の推理は続いている。
「あなたは見つかったミィちゃんを隠し、それから窓を開けた。その後で百合咲さんを呼び、窓が開いていたと告げた。百合咲さんはそれを聞き、ミィちゃんがいなくなったと信じ込んだ」
「じゃあ、ミィちゃんは今どこにいるんですか?」
百合咲さんの方へ向き直り、来栖は口を開く。
「恐らく森谷さんのお家に。森谷さんの鼻炎はおそらく、猫アレルギーによるものでしょう」
来栖の言葉が途切れるや否や、森谷さんは叫んだ。
「いい加減にしてよね! なんであたしがミィちゃんを隠さなきゃいけないわけ!?」
「それはあなたにしか分からないことですよ、森谷さん」
「はあ? バッカじゃない? 証拠はあるわけ、証拠は」
「……あなたの通学リュックです」
「リュック……!?」
「百合咲さんのお家からミィちゃんを連れだす際、ミィちゃんを入れたリュックですよ。動物の毛というものは洗っても簡単に落ちるものではありません。まだ残っているんじゃないですか? あなたのリュックの中に、ミィちゃんの毛が」
「あ……」
森谷さんからは、次の言葉は出てこなかった。
その反応こそが決定的な証拠のようなものだった。
「森谷、あなたがミィちゃんを連れて行っちゃったの?」
百合咲さんが、信じられないと言いたそうな声音で尋ねる。
静寂が探偵部の部室を包んだ。
野球部がノックをしている音が遠くから聞こえてきたとき、ようやく森崎さんが答えた。
「……ミィちゃんは、うちで元気にしてるよ」
「そんな……っ!」
百合咲さんが声を詰まらせる。
「あたしが大事にお世話してるから安心して、百合咲。まさかこんなに早くバレちゃうとは思わなかったけどね」
言いながら、森谷さんは両手で顔を覆った。
「どうしてなの、森谷。どうしてミィちゃんがいなくなったなんて嘘ついたの?」
百合咲さんは森谷さんの顔を覗き込んだ。
「……羨ましかったから」
「え?」
「百合咲は猫を飼い始めてから、猫の話しかしなくなった。休みの日も猫の世話があるからって、二人で出かけたりしてくれなくなった。だからあの日、ミィちゃんがいなくなったってあたしを呼んでくれた日、クローゼットの奥でミィちゃんを見つけたとき――この猫がいなくなれば、百合咲はあたしだけに構ってくれるようになるって思ったんだ。百合咲にいっぱい遊んでもらえるミィちゃんが羨ましかったの」
「森谷……」
「ごめん、百合咲。ミィちゃんは返す。だから、だから、あたしのこと嫌いにならないで」
涙声で訴える森谷さん。
そんな彼女の髪を、百合咲さんは優しく撫でた。
「……私の方こそごめんね。森谷が寂しがってるって気づいてあげられなかった。今度二人で遊びに行こうね、森谷」
「百合咲……ごめん、本当ごめん。あたしがバカだったぁ……!」
森谷さんが百合咲さんの胸に顔をうずめ、肩を震わせて泣き出す。
こうしてみると百合咲さん、思いのほか主張の強いサイズのバストをお持ちだ。
女子高生の胸に顔面を突っ込むなんて所業を僕ら男子が行った場合、慰謝料を請求されてもおかしくはない。
不公平な世の中だ……。
というか、僕らは今何を見せられているのだろうか。
犯人の独白シーンだろうか、それとも若干流行おくれのきらいがあるガールズラブ系ラブコメだろうか。
「あの、こんな時に言うのもなんですけど、ペットの誘拐は窃盗罪に当たりますから百合咲さんは森谷さんに慰謝料の請求ができるかもしれませんよ―――ッ痛ぇなあ、何すんだよ」
背後から脳天を叩かれ、僕は後ろを振り向いた。
そこには来栖が立っていた。
「私に殴られるくらいで済んで良かったじゃない。百合の間に挟まる男は馬に蹴られて死んでしまえという諺があるわ」
「そんな諺は存在しない……」
「細かいことはいいのよ。とにかくこれで一件落着ってわけね」
「ああ、まあ、そうだな」
「それにしてもさすがよね、卯野上。――全部あなたの推理通りだった」
やっぱり私、卯野上がいなきゃ何もできない、と来栖は続けた。
彼女の右手には、僕がノートの切れ端に書いたカンペが握られていた。
※※※
「卯野上、キスって知ってる?」
まだ小学校に入ったばかりの頃だったと思う。
来栖は僕を自宅の部屋に呼び、とあるビデオを見せた後でそう言った。
そのビデオは裸の男女が大きい声を上げながら組技のようなものをやりあうという内容だった。
今にして思えば、来栖が父親の部屋で見つけた謎のDVDだというそれはアダルトビデオで、裸の男女は性行為をしていたに違いないのだが、当時何の知識もなかった僕は訳も分からず来栖の言うままにその映像を最初から最後まで見続けるしかなかった。
ただ、男女が貪るように互いの唇を吸いあっていた様子だけが僕の脳裏に焼き付いていた。
「ねえ卯野上、キスってね、こうするんだよ」
少し恥ずかしそうな顔をしながら囁くようにそう言って、来栖は僕の唇に自分の唇を当てた。
ビデオの中の男女がやっていたように互いの舌を絡め合うようなものではなく、単純に唇同氏が触れ合うだけのキスだった。
わずか数秒に満たない時間だったはずなのに、僕は今でもその瞬間を鮮明に思い出すことができる。
来栖のまつ毛、少し赤くなった頬、僕に向けられた桃色の唇と、その感触。あどけないはずなのに、やけに艶めかしい表情。
キスの後はどうやって家に帰ったのかさえも覚えていない。
ただ確かなのは、あの日以来僕は来栖以外の女の子に興味が無くなったということだ。
そんな僕は幸か不幸か、来栖とは家が隣で、彼女とは保育園の頃から高校に入学した現在に至るまでずっと同じクラスでもある。
思えば僕の人生は来栖に振り回される日々の連続だった。
漫画やアニメに影響されやすい来栖に付き合わされ、実に色々なことをやったものだ。
来栖が魔法少女にハマっていた小学生時代。怪人の痕跡が残っていないかと街中を探し回らなければならなかった。そのために僕は神社の境内に謎のサインを残したり、鉄橋の根元をライターで炙って焦げた跡を作り、さもここで怪人と正義の味方が戦ったように見せかけたりしなければならなかった。
まあ、さすがに、本物の魔法少女を連れて来てと言われたときはどうしようもなかったが……。
中学時代に入ると、来栖は謎部活系ラブコメに傾倒し始め、謎部活を作りたいと言い出した来栖のために空き教室を探し回ったり部活の設立申請をしたりしなければならなかった。
そんな経験があったから、高校に入って探偵ブームが来栖の中に到来した時、彼女の『探偵部を作るのよ! 探偵は部室にいるんだわ!』という命令を遂行するのに大した苦労はなかった。
中学時代にやったように部室と顧問の先生、そして部員の水増し要員として名前を貸してくれる親切な友達を見つけ、規定された様式にそれらしい理由を書いて(学校にどんなメリットがあるのかを強調するのがコツだ)提出すれば、『探偵部』の完成である。
かくして僕らは『探偵部』として、旧校舎の空き部室にたむろする日々を送ることになった。
10畳くらいのスペースに、長机とパイプ椅子が数台ずつ。そして壁際には空の本棚とホワイトボード。最奥の長机には『部長』と書かれたネームプレートが置かれていて、その向こうには何枚も重ねられた畳があった。
そこに寝転がっているのが、我が幼馴染にして『探偵部』部長、来栖朔だった。
「ねえー、暇なんだけど」
そう言って来栖は畳の上で寝返りを打つ。
短いスカートの裾が捲れ、来栖の細い太腿とピンク色の下着が見えた。
僕はそれを見つめすぎないよう努めながら言った。
「……あんまり転がるなよ。パンツ見えてるぞ」
来栖が飛びあがり、スカートの裾を押さえ、僕を睨む。
「ばか、どこ見てるのよ。卯野上のえっち」
「見たくて見たわけじゃねーよ。不可抗力だよ」
5月が終わって梅雨に突入していた。
旧校舎には空調が無く湿気も多いため、部室は蒸し暑かった。
来栖はブレザーを脱いでいて、ブラウスの胸元は第2ボタンまで開けていた。そのせいで胸の谷間が――と言いたいところだが、来栖は可哀そうなまでの貧乳だった。よって谷間は存在せず、白い胸元だけがブラウスの隙間から覗いていた。
まあ、僕は巨乳に興味はなくむしろ貧乳専門みたいなところがあるから、この部室内では完全な需要と供給が成り立っている。もし貧乳JKの市場というものが存在するならば、この『探偵部』においてそれらの需給曲線は均衡点に到達しているというわけだ。
「……ねえ卯野上」
「なんだよ」
「さっきから私の胸ばっかり見てない?」
「……見てねーよ」
そう言って僕は来栖の胸元から目を逸らした。
「ま、いいけど。どうせ小5の頃までは一緒にお風呂入ってた仲だし」
「覚えてねえよ、そんなこと」
答えつつ、僕の脳裏には小5の頃の来栖の一糸まとわぬ姿がチラついていた。
歴史の年号は全く頭に入ってこないが、来栖に関することは忘れないようになっているのだ、僕の頭は。
それにしても蒸し暑い部室だ。ここは廃部になった文芸部の部室をそのまま使わせてもらっているのだけれど、こんなに蒸し暑いんじゃ文庫本なんかはすぐダメになってしまうだろう。顔も知らない元文芸部員の皆さんに同情してしまう。
「また何か事件起きないかしら。ねえ卯野上、あんたちょっとその辺で死体見つけてきてよ」
「自販機でジュース買って来てみたいなテンションで言うなよ……。そんな簡単に死体が見つかってたまるか」
「でも、毎年2万人以上の自殺者が出ているでしょう? それって1日に50人以上が――1時間に2人以上が自殺してるペースじゃない? ということは案外、死体って私たちの近くに存在するんじゃないかしら」
「笑えない冗談はやめろよ。だいたい、それだと死因は自殺だろ? 別に推理する必要もないじゃないか」
「それはそうかも」
「そもそも殺人事件が起こったとしてお前に解決できるのかよ。先に言っとくけど、僕に頼られてもどうしようもないからな」
「そんなこと言っちゃって、私が困ってたら助けてくれるくせに」
来栖は再び畳に寝転がり、にやにやと笑いながら僕を見上げる。
「それなりに努力はしてきたつもりだ」
「でも、本物の魔法少女は連れて来てくれなかったよね」
「いつの話だよ。そんな出来事、僕は忘れたよ」
「懐かしい思い出だね」
「煩わしい思い出だ」
「それよりさあ、殺人と言えばさ、通り魔事件が起こってるの知ってる? 刃物で何人も切られてるんだって。しかも一回だけじゃないよ。日をおいて何度も起こってるの」
「知ってる。今朝のニュースでもやってたよ。物騒な話だよな。しかも事件発生場所は六智町だ」
六智町といえば、僕らの通う高校のすぐ隣の町だ。事件が起こった日は、終礼のときに担任の先生から気をつけて帰るようにと言われた記憶がある。いくら気をつけていても、刃物を持った人間に襲われたらどうしようもないだろう。
「怖いよねー。犯人、まだ捕まってないみたいだし」
そう言う来栖は、怖がっている様子は全く見せずにまだにやにや笑いを浮かべている。
「まさか、俺たちでその犯人を捕まえようなんて言わないよな」
「あ、バレた? さすが私の幼馴染だね。以心伝心ってやつ?」
「笑えない冗談はやめてくれってさっきも言ったばかりだろ。手に負えないよ、通り魔事件なんて」
結局いつもそうだ。
苦労するのは僕の方なのだ。
この間の猫の事件も、その前に起こった購買部万引き事件も、女子高生サドル盗難事件も解決したのはすべて僕。来栖は僕の推理を、まるで自分が考えたものみたいに関係者の前で仰々しく披露しただけだ。
「いいじゃん、協力してよ。私、卯野上がいないと何もできないんだからね」
マイナス方向にすごい自信だ……。
「少しは自分で努力しろよ。僕は来栖の保護者でも何でもないんだ」
「えーっ? 何その言い方。あんた私のこと嫌いなの?」
「嫌いだったらお前のために『探偵部』なんて作ってねえよ」
僕と来栖はへっへっへ、と、二人同時に気持ち悪い笑い声をあげた。
それを待っていたかのようなタイミングで『探偵部』のドアがノックされた。
来栖は畳の上から部長席へ移り、僕はその脇のパイプ椅子に腰かけた。
「お前、ボタン閉めろよ」
「やっぱり私の胸のとこ見てるじゃん」
「目に入ったんだよ。不可抗力だ」
「えっち」
「うるせえ」
来栖がブラウスの胸元のボタンを留め終わるのを待ってから、僕はドアの外に声をかけた。
「どうぞ、入ってください」
「失礼しまあす。『探偵部』ってここ?」
建付けの悪いドアをガラガラと開けながら姿を見せたのは、巨乳でスタイルの良い、美人系の女子だった。長い髪には微かにウェーブがかかっている。雰囲気から察するに上級生らしい。
彼女は、不思議なものを見るようにきょろきょろと部室の中を眺めた。
「ええ、僕らが『探偵部』です。何かご相談事が?」
僕が尋ねると、先輩らしい女生徒は頷き、言った。
「あなたたち、どんな事件も解決してくれるって本当?」
いやどんな事件でもってわけでは、と僕が言おうとした瞬間、来栖は身を乗り出して声を上げていた。
「もちろんです! なんでも任せてください!」
やれやれ。
僕はため息をついた。
その間に、美人の先輩は長机の端に置かれたパイプ椅子に座った。
とにかく話の内容を聞いてみないと判断できない、か。
「ええと、じゃあ早速ですが用件を教えてください」
僕の質問に、先輩は答える。
「あのね、私……誰かに尾行されているみたいなの」
「尾行?」
「そう。ストーカーと言った方が近いかもしれないわ。私をストーカーしている犯人を明らかにして欲しい――それが私の依頼なの」
※※※
先輩の名前は姫神真央。依頼内容はストーカーの正体を突き止めること。
本人からの話によると、姫神先輩はつい数週間前から何者かに付きまとわれているのだという。
一人で帰っている途中に背後から足音がしたり、ショッピングに出かけたときにずっと誰かから見られているような気がしたり……。
「ううん……」
僕と来栖は部室で顔を見合わせながら唸っていた。
「卯野上、犯人分かった?」
「分かるわけないだろ。情報が少なすぎる。まずは姫神先輩をストーカーしそうな人間を列挙していくしかなさそうだな」
「あー、それ難しいかもよ」
「なんでだよ。本人に訊けば心当たりのある人間くらいいるんじゃないか?」
ちなみに姫神先輩は塾に行くからと言って帰ってしまった。受験生だし、仕方ないだろう。
「だって姫神先輩って百年に一度の美少女だって評判なんだよ? めちゃくちゃモテるんだって」
「え、そうなのか?」
「有名人だよ。知らなかったの?」
知らなかった……。
「まあ、僕には関係ないからな」
「仕方ないか。卯野上は私に夢中だからね」
「うるせえよ」
「ま、とにかくさ、ストーカーの候補者を挙げたらきっとキリがないよ。姫神先輩に振られたからって一方的にあの人を恨んでるような男子、いっぱいいると思うし」
すごい話だ。
モテすぎるというのも悩みの種だな。
「じゃあもうダメだ。お手上げだよ、僕には」
「まあまあ、そう言わないで。せっかく相談しに来てくれたんだからできるだけのことはやってみようよ」
「こっちとしては最初から警察か何かに相談してくれた方がありがたかったんだが……」
僕はパイプ椅子から立ち上がり、ホワイトボードに向かった。
「さすが卯野上、やる気じゃん」
「茶化すなよ。とりあえず状況を整理してみるか。姫神先輩が最初にストーカー被害に遭ったのは自宅の周辺だったよな」
「帰り道、誰かに尾行されてる気がするって話ね」
「数週間前――具体的には5月9日だったな」
僕はホワイトボードに、『5月9日 自宅周辺』と書き込んだ。
「次はショッピングモール。5月の14日」
「5日後か……。その後は?」
「ええっと、確か本屋さんだったわ。5月の22日。帰りに寄ったんだって」
「22日か……。また日にちが空いたな。どうしてだろう」
「毎日尾行すると飽きちゃうんじゃない?」
「身勝手な理由だな。それで次は?」
「6月1日、塾の帰り道と――それから、6月2日。六智駅の周辺」
「塾の帰りと駅周辺ね……」
「わざわざ電車で塾まで通ってるんだって。受験生って大変だよね」
「その通りだな。二年後のことを考えると気が重いよ」
なんとかうまく受験をやり過ごせないだろうか。指定校推薦とかで。
「っていうか、1日と2日って昨日と一昨日じゃん。それで怖くなって私たちに相談しに来たのかな?」
今日は6月3日。来栖の言う通り、姫神先輩がストーカーに遭ったのはつい昨日一昨日ということになる。
「なるほどな。名推理だ、来栖」
「えへへ、そうでしょ」
「今日が6月3日だと把握しているなんて……」
「えっ、それってバカにしてない?」
僕は敢えて何も答えなかった。
ホワイトボードには、姫神先輩がストーカー被害に遭ったと思われる日にちと場所が時系列順に並んだ。
とはいえ、発生したタイミングも場所も見事にバラバラだ。これじゃ対策のしようもないし、犯人像の特定も難しいか……。
悩んでいる僕にの耳に、来栖の能天気な声が飛び込んでくる。
「ねえねえ卯野上、何か思いついた?」
「思いつくわけないだろ……。ヒントの少なさに愕然としているところだ」
「こうなったら姫神先輩に筋トレか何かをしてもらって、自分でストーカーを撃退できるようになってもらうしかないかもね」
「ああ、いいかもな。もし姫神先輩が筋肉もりもりマッチョウーマンになれば、ストーカーの方から離れていくんじゃないか?」
僕は筋骨隆々な姫神先輩の姿を想像してみた。
いや、それはそれで筋肉フェチのストーカーを呼び寄せてしまうかもしれない。世の中には色々な癖を持った人たちがいるからな。
「鍛えすぎて、あの通り魔事件の犯人も返り討ちにできたりしてね」
「あははは、面白いなあ」
「……棒読みじゃん。むかつくんですけど」
来栖が頬を膨らませる。
可愛い。
――しかしそれにしてもどこから手をつけて良いのか分からない依頼だ。
ストーカーの正体を明らかにして欲しいといわれても、手がかりがない以上は手がつけられないというか、手も足も出ない。
こうなったら手当たり次第に現場を当たってみるしか―――手当たり次第?
「あ」
「どうしたの、卯野上?」
「手あたり次第――無差別に、か」
「ねえ、どうしたのってば」
来栖がわざわざこっちに歩いてきて、僕のシャツの袖を引く。
「あのさ、通り魔事件の現場と事件発生日って覚えてるか?」
「え? ……まあ、覚えてはいるけど」
「教えてくれ」
「ふっふっふ、この私の記憶力に刮目しなさい」
「いいからさっさと教えろ」
「……はいはい。まずは5月の10日。六智町の町役場周辺。数人の通行人に切りかかった事件ね。お昼時で、ちょうど人通りが多かったんだって」
「次は?」
「5月の15日。ショッピングモールの駐車場。犠牲者はモールに来てたお客さん。刃物を持った男がうろうろしてたって目撃情報もあるわ」
「その次」
「5月の23日。六智町の商店街付近」
「それが最後か?」
「ええ。これ以降事件は起きてないみたい。犯人も捕まってないけど」
「なるほどな……」
改めてホワイトボードを眺める。
背中を冷たい汗が伝った。
心臓が早鐘を打ち始めた。
これは―――マズいかもしれない。
一刻も早く何とかしなければ。
「ねえ、何か分かったの?」
「あのさ、姫神先輩の家ってどこか知ってるか?」
「ええと……有名だよ。六智町の役場の近くだって」
ああ、そうか。
だとしたら最悪だ。
「気づいちゃったかもな、僕。気づきたくなかったけど」
「どういうこと?」
「姫神先輩のストーカー被害と無差別殺傷事件の関係性だよ。妙だと思わないか?」
「え? 妙って……」
来栖はホワイトボードを見た。
それから小さく息を呑み、言った。
「どうしてなの……!?」
「良いか、来栖。姫神先輩が最初にストーカー被害に遭ったのは5月9日、自宅周辺。そして無差別殺傷事件が最初に起こったのは5月10日。姫神先輩の家って六智町の役場近くなんだろ? だとしたら――」
「事件の発生場所も同じってこと?」
「次のもそうだよ。姫神先輩は5月14日にショッピングモールでストーカー被害に遭った。そして5月15日にはショッピングモールの駐車場で客が刃物で切り付けられる事件が起こってる」
「最後は5月23日。商店街に刃物を持った男が現れた……」
「そしてその前日の22日、姫神先輩は商店街の本屋でストーカーらしき男を見かけている。つまり――姫神先輩がストーカー被害に遭った翌日、その付近で通り魔事件が起こってるってことなんだ」
「じゃあ、次は?」
来栖の声が裏返る。
僕は喉がカラカラに乾いているのを感じながら、言った。
「六智駅か、姫神先輩の塾だ」
「どっちなの?」
「分かるもんか。少なくとも僕が言えるのは、事件が起こるとしたらそのどちらかの場所で――しかも、今日起こる可能性が高いってことだけだ」
今までは姫神先輩のストーカー事件の翌日に殺傷事件が起きていた。
しかし今回ストーカー事件は連続で、しかも別々の場所で起こっている。
「ねえ卯野上。姫神先輩、今日塾に行くって言ってなかった?」
「言ってたな」
「塾に行くためには電車に乗らないといけないって話だったよね?」
「……だな」
「じゃあさ、もしかして姫神先輩、今めっちゃピンチってこと?」
「その通りだ」
僕はスマホを取り出し、姫神先輩から教えてもらっていた彼女の連絡先へ電話を掛けた。
しかし、いくら待っても先輩は応答しなかった。
「電話、出ないの?」
「ああ……マズいな」
「じゃあ、こんなところにいる場合じゃなくない?」
「奇遇だな。僕もそう思っていたところだよ」
僕らは同時に立ち上がり、先を争うように部室から飛び出した。
※※※
高校に一番近い駅から電車に飛び乗り、僕と来栖は六智駅で降りた。
駅は人通りも多く、この中から姫神先輩を探すのは至難の業に思えた――いや、姫神先輩だけじゃない。犯人は無差別にナイフで誰かを襲っているのだ。ここにいるすべての人たちに危険が迫っていると言える。
でも、だからってどうすればいいんだ。警察に通報だろうか。しかし、姫神先輩がストーカーに遭った翌日に殺傷事件が起こっているからと伝えたところで信じてもらえるわけがない。むしろ僕が虚偽の通報ということで罪に問われる可能性だってある。
こうしている間にも、刃物を持った男がどこかに現れるかもしれない。
どうすればいい、僕……!?
「来栖、姫神先輩に連絡は?」
「ダメ。さっきから電話してるんだけど、全然反応ナシ」
そうか……。
急がなければ僕ら自身が通り魔事件に巻き込まれることも考えられる。
こうなったら仕方ない。
「手分けして先輩を探すことにしよう。僕が駅を探すから、来栖は塾までの道を探してくれ。場所は分かるか?」
「大丈夫、姫神先輩から聞いてるから。だけど……姫神先輩以外の人は? 殺傷事件の犯人が現れてここで暴れたら、大変なことになるんじゃない?」
「全員を助けるのは無理だ。姫神先輩だけでも守れれば御の字ってところかな」
「我らが『探偵部』の依頼人だもんね」
来栖は自分を納得させるように頷いた。
「何かあったらすぐ連絡してくれ。危険を感じたらすぐそこから逃げるんだぞ」
「分かってるわよ。あんたこそ気をつけなさいよね、卯野上」
「当たり前だ」
「じゃ、また後で。間違っても犯人に刺されたりしないでよ」
「お互いにな」
来栖はスマホの地図アプリを見ながら、駅の外へと出て行った。
……来栖を塾の方へ向かわせたのには二つ理由がある。
一つは、殺傷事件が今まで人通りの多いところでしか起こっていないことだ。
役場の近くも、ショッピングモールも、商店街も。
姫神先輩が通っている塾の周辺はお世辞にも賑わっているとは言えず、殺傷事件の犯人が次の犯行現場に選ぶとは思えなかった。
もう一つは姫神先輩の居場所だ。さっき来栖は姫神先輩に連絡しても反応が無かったと言っていた。
駅から姫神先輩の通う塾までの道は、説明した通り人通りが多いわけじゃない。ということは、携帯が鳴れば気づくはずだ。それに気づかないということは、気づかないだけの理由があった――例えば、人の多い駅の騒音で携帯の音が聞こえなかったなんてことが考えられる。
そして、ストーカー事件と通り魔事件にあれだけの共通項があるのだから、それらの事件の犯人も同一人物である可能性が高い。
だとすれば、犯人は姫神先輩を狙っている人物だろう。つまり、姫神先輩の現在地こそが次に殺傷事件が起こる場所だ――これが、来栖を塾へ向かわせたもう一つの理由だ。
『探偵部』を作ったときはこんな危険な事件に巻き込まれるなんて想像もしていなかった。もし事前に分かっていたら来栖を危ない目に遭わせるような真似はしなかったのに。
焦燥感からか、心臓の高鳴りが収まらない。
僕は小さく深呼吸をしてから周囲を見渡した。
一刻も早く姫神先輩を見つけて、こんな場所から離れないと。
余計なことを考えている暇はない。とにかく虱潰しに探してみよう。
改札付近――いない。
券売機――いない。
トイレ――コンビニ――駅に併設された書店――どこにもいない。
気づかないうちに僕は肩で息をしていた。
汗が頬を伝っていく。
駅の利用者たちは何も知らないままにそれぞれの目的地へ歩いていく。
こんな人だかりの中から特定の誰かを見つけること自体、無理だったのかもしれない。
僕はスマホの画面を見た。来栖からの連絡はなかった。ということは、来栖もまだ姫神先輩を見つけていないのか。
じゃあ、やっぱり――姫神先輩は駅のどこかにいる。
汗を拭って顔を上げたとき、僕の視線は無意識のうちに駅の出入り口へと吸い寄せられていた。
ウェーブがかかったロングヘアの、スタイル抜群な女子高生。
間違いない、姫神先輩だ。
「……先輩!」
大声を上げながら駆け寄ると、姫神先輩はびっくりしたように肩を上下させ、こちらを振り返った。
「あ……えっと、『探偵部』の子?」
姫神先輩は不思議そうな顔で僕を見た。『探偵部』の部室を訪れたときと同じ制服姿で、右手には英単語帳を持っている。
いかにも日常って感じのその様子に、僕は安心しつつも拍子抜けしたような気持ちになった。
しかし、今この瞬間も刃物男が間近に迫っているかもしれないのだ。
「姫神先輩、とにかくここを離れましょう。危険ですから」
「危険? どういうこと?」
「通り魔の事件、知ってますか」
「六智町を中心に起こってるやつ? 知ってるわ。犯人、捕まってないんだよね?」
「あの事件の現場と、先輩がストーカーに遭った場所がほとんど一致しているんですよ」
「……え!?」
先輩が驚いたように目を見開く。
僕は言葉を続けた。
「恐らく、次に通り魔事件が起こるのはこの駅か塾の近くです。あくまでも僕の予想ですけど――」
と、そのとき、僕のスマホの着信音が鳴った。
来栖からの電話だ。
ちょうどよかった。僕も来栖に姫神先輩の無事を伝えようと思っていたところだった。
もしもし、と呼びかける。
返事はなかった。
変だ。
「……来栖? どうしたんだ。姫神先輩は無事だ。どこかで合流しよう」
「――――ゃった」
「え?」
「大変なことになっちゃった」
聞こえてきたのは生気のない来栖の声だった。
「大変なことって……なんだよ」
「人が死んでるの」
「死んで……?」
「人が、刺されて、死んでるの」
全身から血の気が引いて行った。
身体中が麻痺しているような感覚だった。
だけど、気が付いたときにはもう、僕は来栖のところへ駆け出していた。
※※※
人が刺されて死んでいる。
その言葉が意味するのはただ一つ。刃物男は来栖が向かった方へ現れたということだ。
僕のミスだ。
僕の考えが間違っていたんだ。
刃物男は人の多いところを狙う――過去に起こった事件が偶然そうだっただけで今回も同じようになると決まっていたわけでもないのに、僕はそう信じ込んでいた。
駅から離れるにつれて人通りは徐々に減っていった。
そして路地裏の一本道を突き当りまで進んだ先に――それは、あった。
古びた街灯のぼんやりとした明かりの下。
立ち尽くす少女と、路地のさらに奥で横たわる人影。
倒れたまま微動だにしないその人影はどうやら赤いシャツを着ている男性らしかった。
瞼が半分開いていて、隙間からは光のない瞳が覗いている。
赤いシャツの――死体。
赤い―――いや。
違う。
これはシャツの赤じゃない。
この赤は、血の赤だ。
男性が着ているシャツは、その胸部当たりから湧き出た血液によって赤く染まっていたのだった。
遅れて、僕は周囲に漂う、噎せ返るような血の臭いに気が付いた。
思わず両手を握りしめたとき、その冷たさに驚いた。
今すぐこの場から離れたかった。
だけど、そうするわけにはいかなかった。
そうするわけにはいかない理由があった。
僕は掠れた声で、死体の前に立ち尽くす少女の名前を呼んだ。
「……来栖」
名前を呼ばれた少女は茫然とした表情でこちらを振り返った。
「―――卯野上、どうしよう」
来栖朔。
僕の幼馴染。
そして、僕の初恋の相手。
彼女の右手には―――血で真っ赤になった包丁が握られていた。
無意識のうちに呼吸が荒くなる。
過呼吸なのか、意識が遠くなっていくのが分かる。
僕は唇を強く噛みしめて、来栖の顔を見た。
「お前が……やったのか?」
来栖は何度も首を横に振った。
「違う、私じゃないの。この包丁は拾っただけなの。私が来た時にはもう、こうなってたのよ。私じゃない、私じゃないから。本当だから!」
錯乱したように叫ぶ来栖。
しかし――いくら来栖がやっていないと言ったとしても。
状況のすべてが、来栖が男を刺し殺したのだと告げている。
狭い、行き止まりの路地。そのような密室に近い状況で殺された男。凶器の刃物を持っているのは来栖。
警察の検挙率は100パーセント、そんな言葉が僕の脳裏をよぎった。
仮に来栖が犯人なかったとしても――これだけ状況が揃ってしまえば、来栖は犯人に仕立て上げられてしまう。
そんなのは――そんなのは、イヤだ。僕の前から来栖がいなくなってしまうなんて、絶対にイヤだ。
「助けて、卯野上」
来栖の声で僕は我に返った。
「…………」
来栖は涙を浮かべた瞳で僕を見つめていた。
だけど、そんな目をされても、僕にはどうしようもない――。
いや。
これまでも、ずっとそうだった。
来栖はいつも僕を頼りにしていた。
『卯野上がいなきゃ何もできない』、来栖はことあるごとにそう言っていた。
だとしたら。
僕がやるべきことは、ひとつだ。
「卯野上……」
不安そうな表情を浮かべる来栖の肩に、僕はそっと手をおいた。
来栖の身体は震えていた。
僕は小さく息を吐き、言った。
「大丈夫だ、来栖。僕が何とかするから」
来栖が疑われる前に真犯人を見つける。
そうすれば来栖を失わずに済む。
本物の魔法少女を連れて来るよりは、簡単な気がした。
読んでいただきありがとうございます。
集英社ライトノベル新人賞のIP部門は冒頭だけで応募できる新人賞でしたので、トリックは全く考えつかないまま応募したところ普通に落選しました(残念だが当然)。
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