第16話「......」
王立学院の食堂は、校舎の西棟に位置していた。
高い天井から下がるシャンデリア、大理石の柱、重厚な木製テーブル――その内装は、まさに貴族のための空間を思わせる。
レイヴンは食堂に入ると、すぐに雰囲気の違いに気づいた。
食堂内は、明確に二つの空間に分かれている。
正面の広いスペースには貴族の生徒たちが集まり、入口近くの比較的狭いエリアに平民の生徒たちが座っていた。
制度上は平等を謳っていても、実際の学院生活では、やはり身分による区別が存在していた。
(……まあ、当然か)
レイヴンは淡々とした様子で、貴族側のエリアへと歩を進める。
すると、案の定、視線が集まってきた。
「あれが、クロイツァー家の……」
「授業中も黙ったままだったって?」
「魔法で自己紹介したらしいわね」
さまざまな囁きが聞こえてくる。
レイヴンはそれらを無視し、静かにテーブルへと向かった。
「おーい、レイヴン!こっちこっち!」
大きな声が響く。
ガルハートが手を振っていた。
レイヴンはそこへ向かい、無言で席に着いた。
「食堂の料理、うめぇな!」
ガルハートは満面の笑みを浮かべ、パンをちぎりながら言う。
「学院の料理は評判どおりだな。いや、俺の家は質素なほうだから、こういうのは新鮮だぜ」
レイヴンはただ軽く頷くだけだった。
給仕が彼の前に料理を運んでくる。
肉料理と野菜、そしてスープという標準的な組み合わせだ。
レイヴンが静かに食事を始めると、隣のテーブルから視線を感じた。
見れば、ルシアが上品に食事をしている。
彼女の隣には同じ貴族の女子生徒たちが座り、こちらをちらちらと見ている。
(……ご苦労な話だな)
貴族の交友関係は複雑だ。
彼女たちはおそらく、クロイツァー家のレイヴンと婚約している「かわいそうなルシア」を慰めに来たのだろう。
視線を別の方向に向けると、食堂の平民エリアにレオンとリリアの姿があった。
二人も同じ内容の料理を前に、楽しそうに会話を交わしている。
リリアはレイヴンの視線に気づくと、明るく手を振った。
レオンはそれを見て少し呆れたような表情を見せるが、丁寧に頭を下げる。
(……奇妙な感じだな)
ゲームの中では敵対関係になるはずの二人が、こんなにも友好的とは。
世界線が変わった影響なのか、それとも単にゲームと現実の差なのか。
そんなことを考えながら、レイヴンは黙々と食事を続けた。
ガルハートは食べながらも、休むことなく話し続ける。
「なぁ、午後の施設見学は何を見るんだろうな。俺は訓練場が一番気になるぜ!そこで一番強い奴と手合わせしたいもんだ!」
レイヴンはただ食事に集中しているだけだったが、ガルハートはそれを気にする様子もない。
彼は一人でも十分に会話が成立するタイプのようだった。
食事を終え、レイヴンが立ち上がろうとしたとき、後ろから声が聞こえた。
「クロイツァー」
振り返ると、ヴィルヘルムが数人の取り巻きを連れて立っていた。
彼の目は冷たく、唇は嘲笑うように歪んでいる。
「お前みたいな異端の家系の者が、よく堂々と学院に来られるな」
周囲の会話が一瞬止まり、食堂内の空気が凍りつく。
ガルハートが眉をひそめ、立ち上がりかけたが、レイヴンは手を上げて制した。
レイヴンはただ無表情でヴィルヘルムを見つめる。
だが、何も言わない。
その沈黙が逆に、ヴィルヘルムを苛立たせたようだ。
「何だ?言い返せないのか?それとも、平民どもと交流するほど落ちぶれているのか?」
レイヴンは依然として無言だった。
しかし、彼の視線には確かな意思が宿っている。
それは恐れでも、怒りでもない。ただ、静かな確固たる意志だった。
ヴィルヘルムはその視線に一瞬たじろぎかけたが、すぐに態度を取り繕う。
「ふん、黙っているなら仕方ない。お前の家系はそのうち滅びるだろうさ。そうなれば——」
「おい、そこまでだ」
ガルハートの力強い声が割って入った。
彼は立ち上がると、ヴィルヘルムと取り巻きたちの前に立ちはだかる。
「初日からケンカを売りに来るとは、貴族らしくねぇな」
ガルハートの体格はヴィルヘルムより一回り大きく、その存在感は明らかだった。
彼の目は真剣で、怒りを抑えているのが見て取れる。
「お前に関係ないだろう、アーデルバルト」
ヴィルヘルムは冷たく言い放った。
「関係あるさ。レイヴンは俺のルームメイトだ。それに、こんな公の場で喧嘩を吹っかけるような奴は嫌いなんでね」
ガルハートはそう言って、一歩前に出た。
「正々堂々とやりたいなら、訓練場でやろうぜ。食堂で騒ぐのは、周りの迷惑だろ?」
その言葉に、ヴィルヘルムは顔を歪めるが、反論できなかった。
確かに、学院のルール上、食堂での争いは厳しく禁じられている。
「……ふん、訓練場か。そのうちお前にも相手してやるさ」
そう吐き捨てると、ヴィルヘルムは取り巻きたちを連れて立ち去った。
彼らが去った後、食堂内の空気が少しずつ元に戻る。
ガルハートはレイヴンの肩を軽く叩く。
「大丈夫か?」
レイヴンは黙って首を縦に振る。
ガルハートは明るく笑った。
「まぁ、気にすんな!俺たちで奴らを見返してやろうぜ!」
彼の豪快な性格は、ゲームの中のガルハートそのものだった。
(こいつは、本当に単純明快だな……)
レイヴンは内心で苦笑しながらも、少し安堵していた。
(まあ、これも想定内の範囲だな)
彼は感情を表に出さないまま、食堂を後にした。
*
正午を過ぎ、生徒たちは正門前に集合していた。
ガイウスが気だるげな様子で先頭に立ち、施設見学の案内を始める。
「では、学院の主要施設を見て回るぞ。質問があれば適宜受け付ける」
そう言って、彼は生徒たちを先導する。
レイヴンはガルハートと共に、列の中ほどを歩いていた。
最初に案内されたのは、魔法実験室だった。
校舎の北側に位置する大きな建物で、厳重な扉が施されている。
「ここは魔法の実験や訓練を行う場所だ。危険な魔法を扱うため、使用には許可が必要になる」
ガイウスは扉を開け、中を見せた。
広い円形の部屋には、複数の魔法陣が床に刻まれ、壁には魔導器具が並んでいる。
「中級以上の魔法を練習するなら、必ず教師の立ち会いが必要だ。特に非元素魔法は危険度が高いからな」
その言葉に、一部の生徒がレイヴンの方をちらりと見た。
クロイツァー家と言えば、非元素魔法の研究で有名だったからだ。
レイヴンはそれらの視線を無視し、静かに実験室を観察していた。
(……なるほど、使えそうだな)
ここなら、彼の持つ結界魔法を存分に練習できそうだった。
次に案内されたのは、図書館だった。
学院の中でも最も印象的な建物の一つで、螺旋階段が連なる吹き抜けの空間が圧巻だった。
「図書館には王国内でも随一の蔵書がある。魔法理論から歴史、貴族学に至るまで、あらゆる分野の書物が揃っている」
ガイウスは本棚を指差しながら説明する。
「貴重書は地下の書庫に保管されているが、そちらは閲覧許可が必要だ。通常の学習には、この階の書籍で十分だろう」
ユリウスがメガネを光らせながら、興味深そうに書架を眺めている。
リリアも目を輝かせ、魔法の書を手に取っていた。
レイヴンも図書館には強い関心を持った。
家族を救うためには、より多くの知識が必要だからだ。
そして次は、訓練場へと向かった。
広大な敷地を持つ訓練場は、剣術と魔法の両方を鍛えるための設備が整っていた。
「ここでは主に実技の授業が行われる。自主練習にも開放されているが、危険な訓練は必ず監督者の下で行うこと」
ガイウスは訓練場の中央に立ち、説明を続ける。
「剣術、魔法など、様々な分野の訓練が可能だ。各自の適性に合わせて、積極的に活用してほしい」
ガルハートが目を輝かせ、すでに手合わせの相手を探すように周囲を見回している。
レオンも剣術エリアを真剣な眼差しで観察していた。
レイヴンは静かに訓練場の設備を確認する。
魔法訓練用の的や、剣術練習用の人形などが整然と並んでいる。
(ここを使いこなせば、かなり実力を伸ばせそうだな)
その後、ガイウスの案内で医務室や学生寮、事務棟なども回り、施設見学は終了した。
生徒たちは正門前に集合し、ガイウスの最後の説明を聞く。
「初日は以上だ。明日から本格的な授業が始まる。各自、スケジュール表を確認して、遅刻のないようにな」
そう言って、彼は生徒たちを解散させた。
レイヴンは静かに寮へと戻りながら、今日の出来事を整理していた。
(思ったよりも複雑な人間関係だな)
学院での人間関係は、ゲームの設定よりもはるかに複雑だった。
主人公兄妹は友好的で、ルシアは冷静だが敵対的ではない。
一方で、ヴィルヘルムのような敵対者もいる。
それらを踏まえながら、彼は慎重に行動していく必要があった。
(まずは実力を上げることだな)
家族を救うためには、より強い力が必要だ。
そして、学院での情報収集も欠かせない。
レイヴンは決意を新たにしながら、静かに歩を進めた。




