第2話「......」
アルナの手助けを受けながら、レイヴンは重い身体を起こした。布団から出ると、見慣れないがどこか既視感のある豪華な服が用意されている。紫の刺繍が施された黒いジャケットと、貴族特有のエレガントな装飾が施されたブーツ。間違いない、これはゲームの中で見たクロイツァー家の服装だ。
(……これ、着るのか?)
無言のまま服を手に取ると、アルナがにこやかに微笑んだ。
「お坊ちゃま、ご自身でお着替えになりますか? それともお手伝いしましょうか?」
(いや、助けてくれるのはありがたいけど、そんなことより普通に喋りたい……)
当然言葉で答えられるわけもなく、レイヴンは静かに首を横に振る。それを見たアルナは、満足そうにうなずいた。
「やっぱりレイヴン様は自立心が強いですね! いつもそうですもんね!」
(違うってば……!)
心の中でツッコミを入れながらも、レイヴンは黙々と着替えを済ませた。
着替えが終わると、アルナはレイヴンを食堂へと案内した。
アルナに導かれて廊下を進むと、レイヴンはクロイツァー家の屋敷の豪奢さに改めて圧倒された。ゲームで何度か見た光景だが、現実としてそれを歩くと、その静けさが異様なほど際立つ。重厚な扉の前でアルナが一礼し、静かに扉を開けた。
重い扉が軋む音を立てて開かれると、そこには二人の大人が座っていた。
クロイツァー家の当主である父と、その隣に座る母。どちらも穏やかで、気品のある雰囲気を纏っている。父は厳しい表情を浮かべてはいるが、その目の奥には確かな優しさが宿っていた。
レイヴンが入ってくると、父は無言のままレイヴンに目を向け、静かに頷いた。その仕草には、安心感と愛情が滲んでいた。
(父さん……心配してくれてたのか)
母はレイヴンの姿を確認すると、優しい微笑みを浮かべて声をかけた。
「レイヴン、目覚めて良かったわ。具合はどう?」
(俺は……)
反射的に返事をしようとしたが、やはり口から出たのは「……」だけだった。喉に力を込めても、言葉は音にならない。
(……やっぱりダメか)
だが、母はその沈黙を当然のことのように受け入れ、柔らかく頷いた。
「大丈夫そうね。あなたのことはお母様、ちゃんとわかってるわ」
(……伝わってる? 本当に?)
母の言葉には、確信めいたものがあった。まるで彼の中にある言葉が、そのまま届いているかのように。
父は静かにレイヴンを見つめたまま、口元に微かな笑みを浮かべた。
その無言の表情からも、レイヴンは父の気持ちが伝わる気がした。
(……お前が無事で良かった、って感じか)
静かな空気の中で、レイヴンは家族の温かさを感じた。ゲームの中では悪役として描かれていたクロイツァー家が、実際にはこんなにも温かい家族だったことに、胸が締め付けられる。
母はテーブルに並べられた朝食を指さし、穏やかに声をかけた。
「さあ、朝ご飯にしましょう。今日は大事なお話もあるからね」
食卓に着くと、父は静かに食事を始めた。
レイヴンもそれに倣ってナイフとフォークを手に取る。母はそんな二人の様子を微笑ましく見つめながら、会話を続けた。
「レイヴン、あなたが目を覚ましたのはちょうど良いタイミングだったわ。今日、あなたの学園の入学手続きをするの」
(学園……?)
レイヴンは驚きながらも、「……」とだけ返した。だが、母はその沈黙を気にすることなく続ける。
「そう、王都の学園よ。あなたが成長するための大事な場所。お父様も期待してるわ」
父は静かに頷きながら、レイヴンに穏やかな視線を送る。
(……頑張れ、ってことか?)
レイヴンは無言で父の目を見返し、静かに頷いた。そこには言葉がなくとも通じ合う感覚が確かにあった。
しばらくして、レイヴンはふと気になっていたことを母に問いかけることにした。喋れないことは分かっているが、父と母には何故か気持ちが伝わる気がする。
「......」
(お母様。今、私は何歳でしょうか?)
母は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに微笑んで答えた。
「もうすぐ、あなたは16歳になるわね。今年はお屋敷の管理も任せようかと思っていたのよ」
(16歳……! あと2年で18歳か……。)
ゲームの中では、クロイツァー家が冤罪で没落するのは主人公が18歳の時だった。つまり、今はその直前。まだ時間はある。だが、このまま何もしなければ――。
(……何とかしないと……!)
レイヴンの焦りは母にも伝わったのか、彼女は穏やかな口調で続けた。
「大丈夫よ、レイヴン。あなたがしっかりしていることは、私たちも知っているわ」
(……知ってるって、何を?)
だが、母はそれ以上深く語ることはなかった。ただ、優しく微笑むだけだった。
そのとき、執事が一通の手紙を持ってきた。
それは王都からの貴族会議の招待状だった。
「クロイツァー家の皆様へ。3ヶ月後、王都で開催される貴族会議にご出席願います」
母は手紙を読み終えると、少しだけ眉をひそめた。
「最近、貴族会も騒がしくなってきたわね。いい噂を聞かないわ」
父もその言葉に頷き、真剣な表情を浮かべた。
(……やっぱり、何かある)
ゲームで知っている未来が現実に迫ってきている。だが、まだ2年の猶予がある。
その間に、レイヴンは家族を守る方法を見つけなければならなかった。




