第10話「......」
「それでは、また」
レオンが少し遠慮がちに言う。
リリアも微笑みながら続けた。
「いろいろありがとうございました。助かりました!」
ルシアは軽く頷いた。
「王都に着いたばかりで不安も多いでしょうけれど、学院では学ぶことがたくさんあるわ」
レオンとリリアは学院の敷地内へと向かい、レイヴンとルシアも貴族専用の受付へと歩き出す。
その間、廊下を行き交う生徒たちの視線を感じた。
(……やっぱり、こういう目で見られるんだな)
すれ違う生徒たちは、表面上は貴族らしく振る舞いながらも、ちらちらとこちらを見ている。
ささやき声も、決して聞こえないほど小さくはない。
「……あれがクロイツァー家の跡取り?」
「実物は思ったより……いや、やっぱり近寄りがたいわね」
「目つきが鋭いというか……冷たそう」
「ヴェルディナ家の令嬢と一緒ということは、やっぱり婚約は本当なのかしら」
こういう場にいると、クロイツァー家の名がどう扱われているのかがよく分かる。
直接嫌悪を向けられるわけではないが、好意的な印象を持たれているわけでもない。
どこか距離を置かれた空気。
まるで、異質なものを見るかのような――そんな感覚。
(……まあ、こんなものか)
大方、事前に流れている噂をそのまま受け取っているのだろう。
実際に話したこともない相手のことを、彼らが理解しているはずもない。
ルシアの方をちらりと見ると、彼女は特に表情を変えることもなく前を向いていた。
こうした視線にも慣れているのか、それともただ無関心なのか。
やがて、貴族の新入生が手続きを行うための受付へとたどり着いた。
学院の一角に設けられた部屋は、格式ばった装飾が施され、立派な机の向こうには学院の職員が待機していた。
レイヴンは一歩前に出ると、無言のまま扉を開ける。
中に入り、静かに足を進めると、後ろからルシアが続いた。
(さて……ここから、本格的に学院生活が始まる)
この先、どんな風に立ち回るべきか――慎重に見極める必要がありそうだ。
学院の貴族用受付の部屋に足を踏み入れると、簡素ながらも格式のある雰囲気が広がっていた。
壁には学院の紋章が掲げられ、窓際には厚手の書類が整然と積み上げられている。
室内には数名の職員が待機していたが、その中でも特に目を引いたのは三人の教師だった。
一人は、白髪混じりの髭を整えた壮年の男性。
鋭い眼光と隙のない姿勢が、ただの事務官ではないことを物語っている。
レイヴンを見ると、書類を手に取った。
「クロイツァー家のレイヴン殿ですね?」
低く響く声。
単なる確認に過ぎないはずなのに、その視線には測るような鋭さがあった。
レイヴンは無言のまま軽く頷く。
その仕草に、隣に座っていた女性――藍色のローブを纏った教師が、視線を向ける。
「筆記試験の成績は問題なし、と......」
淡々とした言葉を口にしながらも、彼女の目はレイヴンの表情をじっと観察していた。
そんな中、もう一人の男――赤茶けた髪を無造作に伸ばし、背もたれに深く沈み込んでいる男が、欠伸を噛み殺しながら口を開いた。
「……はあ、書類の確認なんて面倒だなぁ。授業が始まれば分かることなのに」
彼は机に肘をつきながら、眠そうな目でレイヴンを見た。
一見すると気だるげな態度だが、その奥に鋭い観察眼が光っているのがわかる。
(……この人、ただの怠け者ってわけじゃなさそうだ)
レイヴンがそんなことを考えていると、最初の壮年の教師が軽く咳払いをした。
「では、手続きを続けましょう。貴族生徒の入学は形式的なものですが、今後の学業の進捗次第で評価が変わります。規則を順守し、適切に履修を進めてください」
レイヴンは無言のまま頷き、提示された書類に署名した。
その間も、教師たちは何かを考えるような視線を向けていたが、特に余計な詮索はしなかった。
最後に、背もたれに沈んでいた男が、欠伸混じりに言葉を投げた。
「ま、学院生活は長い。ほどほどにやんな」
それだけ言うと、彼は軽く伸びをし、再び椅子にもたれかかる。
今にも寝そうな雰囲気だったが、完全に気を抜いているようにも見えない。
(……何の授業を担当する先生なんだろうな、あの人。貴族っぽくないし)
レイヴンたちは署名を終え、手続きを完了させた。
入学手続きが終わり、学院の廊下を歩いていたレイヴンとルシア。
これから貴族寮へ戻るところだったが、レイヴンはふと足を止めた。
(……このまま寮に戻る前に、少し時間を取るべきか)
ルシアとは婚約関係にあるとはいえ、これまでまともに会話をしたことはほとんどない。
学院生活が始まれば、ある程度の付き合いを避けることはできない以上、今後の関係をどうするか考える必要がある。
それに、彼女にはすでに少なからず負担をかけている。
これ以上、余計な気苦労を増やしたくはない――そう思った。
レイヴンは一度ルシアの方を見てから、足を向けた。
向かった先は、学院の中庭に設けられたティースペース。
生徒たちが自由に使える場所であり、貴族の間ではちょっとした会談の場としても使われる。
彼がそのまま迷わず歩いていくと、隣を歩いていたルシアも足を止めた。
「……寮には戻らないの?」
レイヴンは一瞬だけ彼女を見つめ、
そして、手近な空いている席を指し示しながら、椅子を引いた。
「……」
言葉はなくとも、意図は伝わる。
ルシアは軽く目を瞬かせたあと、小さく息をついた。
「……珍しいわね。あなたから誘うなんて」
そう言いながらも、彼女は特に躊躇することなく席に座る。
レイヴンも向かいの席に腰を下ろした。
学院生活が始まる前に、少しでも意思のすり合わせができるなら、それに越したことはないだろう。