第8話「......」
馬車の車輪が整備された道を滑るように進む。
静かに揺れる車内には、穏やかな沈黙が流れていた。
レイヴンは窓の外を眺めながら、思考を巡らせる。
(……エターナルクレストの主人公が二人いて、兄妹になっている。ゲームとは違う世界なのか、それとも俺の転生が影響したのか)
現時点では、答えを出せるはずもない。
だが、一つ確かなことがある。
(このまま彼らと関わることになる以上、どこかで軌道修正しないとまずい)
エターナルクレストの本編では、クロイツァー家は王国に背いた貴族として処刑される運命にある。
そして、その運命を決定づけるのが――この兄妹だった。
(……今はまだ、その兆しはない)
レオンとリリアは、何も知らない。
彼らにとって、クロイツァー家はただの貴族の一つに過ぎないのだ。
ならば、今のうちに信頼関係を築いておくのは悪くない。
もっとも、俺の無口設定がそれを妨げてくるのだが。
「……本当に、助かりました」
リリアの控えめな声が沈黙を破る。
「改めて、ありがとうございました。あのままでは、どうなっていたか……」
ルシアは軽く首を振った。
「礼を言われることではないわ。貴族として当然のことをしたまでよ。まあ、実際に助けたのはレイヴンだけど」
その言葉に、レオンとリリアがレイヴンに視線を向ける。
「本当にありがとうございました」
特にリリアの声には、どこか尊敬の色が混じっていた。
これまでの人生で、貴族と直接接する機会はほとんどなかっただろう。
レオンは実際に目の前で「当然」と言い切るルシアの姿勢に、少し意外そうな表情を浮かべていた。
ルシアの言葉は、自信に満ちていた。
彼女にとって、それは幼い頃から教えられた価値観であり、迷いのない信念でもあるのだろう。
レオンは小さく息をつく。
「……少し、印象が違いました」
「どういう意味?」
ルシアが眉をひそめると、レオンは少し戸惑いながら言葉を選んだ。
「貴族の方々は、もっと高貴で遠い存在だと思っていました。私たちのような平民には、到底関わることのない……」
リリアも頷く。
「実際、これまで貴族の方と直接お話しする機会など、ほとんどありませんでした」
ルシアはその言葉を聞いて、ふと考えるように視線を落とした。
「……それは、貴族の在り方にもよるでしょうね」
そう言った後、ふと問いかけるように続けた。
「あなたたちは、王都へは何の用で向かっているの?」
レオンが答える。
「私たちは、王立学院に入学するために向かっているのです」
その返答にルシアが目を瞬かせた。
「王立学院に?」
「はい。試験を通過し、合格通知をいただきました」
リリアが控えめに答えると、ルシアは納得したように頷いた。
「そう……平民でも学院に入れることは知っていたけれど、実際に入学する人を見るのは初めてだわ」
「枠が少ないと聞きますし、簡単なことではないようですね」
リリアが控えめに微笑む。
(なるほど。二人とも、並々ならぬ努力をしてここまで来たのは間違いないな)
王立学院は、基本的に貴族の子弟のための学び舎だ。
だが、極めて優秀な才能を持つ者に限り、平民にも門戸が開かれる。
つまり、彼らはその枠を勝ち取った、特別な存在ということになる。
(……ゲームをプレイしていた時には、彼らの努力なんてほとんど描かれていなかったが)
こうして直接会ってみると、ただの主人公補正なんかではなく、実力を持った人物なのだと実感する。
「それなら、私たちは学友になるのだから、そんなに気を張らなくてもいいのよ」
その言葉に、レオンとリリアは再び目を丸くした。
「学友……ですか」
レオンが小さく呟く。
王立学院に通うことは決まっていたが、貴族と“学友”という関係になるという実感はまだなかったのだろう。
「ええ、王立学院では貴族も平民も関係ないわ。あなたたちが実力で入学を勝ち取ったのなら、それだけの価値があるということよ」
ルシアの言葉に、リリアが小さく微笑んだ。
「ありがとうございます」
レオンもまた、少し緊張を解くように息を吐いた。
「……少し、貴族の方々に対する考えが変わった気がします」
ルシアはそれを聞いて、満足げに頷く。
「王立学院では、貴族だからといって全員が私のような考えとは限らないけれど……あなたたちも学ぶことは多いでしょうね」
リリアが静かに微笑む。
「私たちも、学院での生活を楽しみにしています」
ルシアは軽く頷いたあと、ふとレイヴンに視線を向けた。
「レイヴンも、学院に入学するわ」
レオンとリリアがレイヴンに視線を向ける。
レイヴンは無言のまま、僅かに頷いた。
「そう、なのですね」
リリアは、どこか安心したような、しかし興味深げな眼差しをレイヴンに向けた。
(俺のことをどう思っている?)
レオンは、礼儀をわきまえた剣士らしい印象を受ける。
だが、リリアは――ほんの少し、違う。
(探るような目……いや、単純に興味があるだけか)
リリアの瞳には、警戒や敵意ではなく、純粋な好奇心が宿っていた。
(まあ、今はまだどうこうするつもりはないだろうけど……問題は、これからだな)
エターナルクレストの物語が始まる前のこの時点では、彼らにとってクロイツァー家は特別な意味を持たない。
だが、それが変わるのは、時間の問題だ。
レイヴンは、窓の外の景色を眺めながら静かに息を吐いた。