夏想観夢
打ち合わせから一緒に帰ってくるなり、4月に本社から異動になった照明2枚目が語気を強めて尋ねた。
「なんで雪なんですか?」
彼は29歳。専門学校*からこの世界に入って9年目、昨年の春先までは誰もが知っているアーティストのセンターチーフ*だった。
「さあね。事情があるんだろ?」
冷蔵庫からウーロン茶を出しマグカップに注ぎ、ちびり飲みながら大ホールで行なわれている催物の附帯計算*を始める。こちらがそれ以上答えないでいると再び彼が、
「夏ですよ?」
少ない言葉には怒気すら滲んでいる。納得がいかない時、普段おしゃべりと言ってもよい彼はとても言葉少なくなる。その位は彼の性格を把握した。これ以上フリをしても仕方がない。しかし、「それ」を言うのは今ではない。計算書を置くと真正面に座ってこちらを見つめる彼の目線にこちらも合わせる。
「夏だね。気温が32度だ。とても暑い。ついでに君も熱くなっている。少し頭を冷やした方がいい。後20分で小ホールが終わる。そんな顔で客の前に出ない方がいい」
ガタン。彼は無言で立ち上がるとバタンとドアを閉じて出て行った。こういう時、いつでも自分の歳を感じる。彼は今言うところのアラサー。自分はもうアラフィフとやらだ。
基本パターンといえる1ホール3ポジション、舞台・音響・照明。大・小ホールの場合、6ポジション、これを役所では「六人区」という。人区はイコール「人」ではないのだが、定期休館日がある場合、イコールの場合が多い。かつてこの会館も月曜が休館*だった。しかし5年前に年末年始と保守点検の臨時休館以外休みはなくなった。ならば1人2人追加して貰わなければ4週8休*の維持は難しい。しかし休みがなくなったというのに予算は減少。無茶苦茶な話だが仕様*内容が増えたのに契約金額も減少、入札*もあり虎視眈々と狙っている三流の業者*もあって、本来なら増額を要求するところなんと20%オフで本社は受けた。何とか隙間を狙って不定期に交代で休みを取り、それでも足りない場合は簡単な催物の日に本社から交代要員を送って貰って凌いでいた。
そんな折、彼が異動した照明の代わりとしてやって来る。彼に白羽の矢が立ったのは、何度か件の交代要員や催物の増員でやって来ていて、ウチの事情も多少解かっていたからだとは思う。しかし、本当の理由は「お払い箱」なのだろう。彼はちょうど1年ほど前、大怪我をした。バイクで出勤途上、自爆。雨の日、坂の途中の交差点。赤信号で急ブレーキ、滑った車体は・・・両足の複雑骨折、3ヶ月の重傷。幸いにも命に別状はなく脳もやられず後遺症もなかった。しかし、復帰しても彼の居場所はなくなった。仕事は後輩に受け継がれ、他の仕事に就いても何か不満そうな彼をツアーチーフ連中は敬遠し出した。挙句が「ノリウチ」から「小屋番」への異動命令。多分本社は彼に退職願を出させようとしたのかも知れない。しかし彼はそれに甘んじてやって来た。
普通、彼くらいの経験があればホール舞台管理なら「照明チーフ」となる。ある程度舞台関係を知っていて指導力を認められるのなら「舞台責任者」として自分のポジションでの異動もあり得ただろう。しかし本社は「照明2枚目」として異動させた。もちろん管理の経験がないから、というのが表向きだったが。
新しい仕事の覚えは流石に早かった。日舞の仕込みなどやったことも見たこともなかったろうに、慣れない雪駄と黒足袋*を履き、見様見真似で所作*を担いだ。彼の元「看板」のアーティストは代々木、名古屋のレインボーや大阪城、横浜アリーナ*などを満杯にする。それに携わっていた彼は今、首都圏郊外の都市で観客100人足らずのピアノの発表会をやっている。あの頃は細かい仕事は現地照明がさっさと片付けていたが、今では一人、何でもやらなくてはならない。
この「都落ち」の気持ちは理解出来る。かつて自分もツアーチーフから会館チーフへの異動を命じられた時はそうだった。全国各地を飛び回り*20年、ある程度の達成感と衰えを感じていた自分ですら数ヶ月フン切りがつかなかったのだ。若い彼は相当の落ち込みだろう。
しかし彼の表情はそういった様々な葛藤と憤怒を物語っているが、実際には文句も反抗も滅多にない。そして何より彼は辞めようとしていない。これは光明だった。
「雪を降らせてください。お願いします」
フラメンコの先生はそう言って頭を下げた。
「お金は払います。出来る範囲で構いません。雪を見せてやってください」
フラメンコ教室の発表会1週間前、音響の保守点検日に大ホール搬入口荷捌き室に集まったのは音響2枚目と照明2枚目、そして自分と様々な年代の10人の男女。
「いいですか?半紙はこうやって細目に切ります。そして、こう。三角に切って行く」
「百均」で用意した大量の半紙を3センチに細切り、それを三角形に切り落とす。
「いいですか?四角ではヒラヒラするだけで雪に見えません。必ず三角に切る*のがコツです。本番までにこの袋4袋分必要とします。時間はあまりありませんよ」
袋は業務用70リットルのゴミ袋。ウチの人間以外は皆真剣な眼差しだ。こちらが何も言わなくとも早速取り掛かる。ウチの2人は対照的な顔付き、音響2枚目は苦笑を滲ませ、それでも鋏を手にとって半紙を刻み始める。照明2枚目はじっとこちらを見つめたまま身動きしない。それを無視して自分も鋏を取り、刻み始めた。既に会館御用達の工務店の棟梁には「雪籠*」の図面を渡している。5万円以下で4つ、3日以内で納品、という注文に棟梁は「値段はどうにもなるけれど、こんな仕掛は初めてだから」と戸惑いながらも間に合わせると承諾した。後はこちら次第だった。
8月。その日も暑く、東の空には入道雲が並んでいる。午前中に34度を越え、朝のニュース番組が「この夏一番の暑さ」を保障していた。
そのプログラムはトリに行なわれた。影アナが「特別プログラム。『雪に舞う』」と紹介すると暗転の舞台にどこからか風の音が。フェードイン*した風の音に合わせるかのように照明が光の雪*を降らせる。それはブルーの背景に吹雪く。するとアンダルシアの情熱的な民謡がカットイン*、同時に舞台中央にサス*。黒い衣装に身を包み対照的な真紅の扇を広げた教室の先生がポーズを取っていた。一瞬の間を置き、滑るように光のエリアから踏み出して踊りが始まった。動き出しと同時にピンがフェードイン、淡いパープルの光が先生を包む。そしてここからが自分の出番だ。下袖、袖幕*と袖幕の間に下がった2本の黒い細引き*。それをゆっくりと引く、そして次第に大きく上下させる。滑車を通して籠が揺れる手応え、すると。
舞台に雪が降り出した。横から上に向けたSSの光の中、白い雪が輝き、ひらひらと舞う。曲は情熱的な高まりのサビに入り、先生の踊りは激しい。それに合わせ雪籠を大きく揺らす。スタッフと大勢の生徒、先生が1週間切り刻んだ大量の三角形をした半紙。客席から見れば、それは吹雪に他ならないはずだった。
やがて唐突に曲が終わり、先生が扇を高く差し上げポーズを決める。同時に照明が真っ赤に変わる。一瞬の静寂。直後に大ホールに拍手が鳴り響く。それは客席ばかりでなく、両袖から固唾を飲んで見守っていた出演者や生徒たちからも。誰かが引っ掛けぬよう雪籠の細引きを近くのモニターの影に逃がし、操作盤へ。照明が入り出演者が舞台へ出て行く。カーテンコールが始まった。
プロセの影から客席を覗き、インカムで指示を出す。
「照明さん、客電フルで」
客電が上がる。観客はスタンディングオベーション。その拍手は舞台だけではなく車椅子席の一角にも向けられていた。舞台上をサーチ*していたセンターがそこに飛ぶ*。そこに居たのは老婦人。酸素吸入器と点滴台に囲まれ、静かに車椅子に座っていた。横に白衣の看護師が二人、そっと控えている。老婦人は片手を挙げ、ゆっくりと頷いていた。
「ありがとうございました。ほんとうにありがとう」
先生は本番衣装のまま未だ涙目で頭を下げる。
「思い通りに出来ましたか?」
「それはもう、満点の出来です」
「それは何よりでした」
「本当に我侭を通して頂いてありがとう。これからもよろしくお願いします」
先生が花束を差し出した。
「いえ、これは、」
「頂いてください。舞台さんも受ける権利がおありです。今日の成果は舞台さんあってのことでした」
「過分ですよ、仕事ですから。でも、遠慮なく」
差し出された大きな紅い南国の花が揺れる。先生と生徒たちは何度もお辞儀をして楽屋に消えた。
「お疲れさまでした」
照明チーフが笑顔で調光室から降りてくる。
「貰っちゃったよ。後で花瓶に生けて、楽屋口にでも」
「分かりました」
受け取った彼女は4月から照明チーフに昇格した元・2枚目。今日も立派な明かりを作っていた。
東北の、雪が多い地方の出身だという。あの老婦人のことだ。フラメンコ教室の前の代表。末期癌で余命3ヶ月だという。
「雪をもう一度見たいけれど、この分だと、だめね」
春先の頃、先生の見舞いを受けた時のこの一言が「夏の雪」を生んだ。
「おれたちは特殊な仕事だけどね」
その夜。照明2枚目を連れて飲みに行く。二人して暫く無言で生中を飲んだ後、話をした。
「仕事はどんなものでも一緒だと思うよ。気楽にやっていいものでもない。ここに来て4ヶ月、分かったと思うけど、ここに何かをやりに来る人たちは、何時もは普通の人たちばかりだ。知っての通りプロが来ることなんてこんな衛星都市の会館、一ヶ月に1回あれば、ってところだろ?おれたちは毎日こんなことをしているから鈍感になりやすいけどさ、ここを使う人にとっては半年に1度、いや一年に1度、2年に1度とかいう人たちだ。その日のために1年掛けて練習したり準備したりしてね。たった4分間の舞に100万近く掛けている人だって大勢いる、衣装や月謝でさ。だからここは夢を実現する場所だ。正に晴れ舞台なのさ。利用者はワガママだけどワガママでいいんだ、お客なんだからね。プロのおれたちはそのワガママを出来るだけ叶えいい夢を見てもらう、それが仕事さ。そういう意味でノリウチも小屋番も変わりはない。そう思ったら手加減なんか出来ないぜ?くどいようだけど、こんなことをしているのはおれたちだけじゃない、旅館やホテルや結婚式場、葬式、デパートやブランド店、旅行会社だってそうだ。世の中人が夢を見て、その夢で明日もがんばれる、そんな手助けをしている裏方だらけだ。だからおれたちも特殊じゃないしラクでもないんだ」
照明2枚目は目線を外していたが聞いてはいた。
「だからさ。誇りを持って働こうぜ。いい仕事ですね、って言われたらいい仕事ですよ、って胸を張って言えるように」
彼は頷いたがそれも何か自信のないものだった。こんなことを言っても彼の喪失感が薄れるとも思えない。今日の出来事だって彼の気持ちを一変するとは思えない。人はそんなに簡単に変われはしない。しかし、今日の出来事の記憶はきっと近い将来、彼の気持ちに何かを呼び覚ますはずだ。だからお説教はこの位でいい。
「さ、空けた空けた。もう一杯頼んだらお開きにしよう。明日も早いからね」
彼は無言で頷くと顔を上げ、こちらを見た。何か捨てられた犬のような、所在無く寂しげな様子だったが目は活きている。
正しくプロの、いい面構えだった。
‐了‐
※用語解説
〇専門学校 ; 舞台スタッフもイベントや音響、照明を扱う専門学校から入る人間が多いが、最近は大卒も相当増えているそうだ。
〇センターチーフ ; ピンスポットライトを扱う主任。大規模なコンサートでは主任はピンを操作せずインカムできっかけだけを出すこともある。
〇附帯計算 ; 附帯設備(椅子やピアノ、マイク、スポットなどなど)の計算はスタッフの重要な仕事のひとつ。
〇月曜が休館 ; 旧来、公営会館は月曜休館が非常に多かったが、現在では年中無休、24時間開館の場所すらある。
〇4週8休 ; 4週間に8日休みを取ること。いわゆる変則労働時間制は芸能界では当たり前。
〇仕様 ; 舞台管理業務も公営施設委託である以上、契約を結ぶ。仕様書は実に多肢に及ぶ。
〇入札 ; 人件費中心となる契約のため、金額は1000万から1億以上。そのため毎年入札が行なわれるところもある。
〇三流の業者 ; 現在、こうした公営会館の舞台委託を中心業務として行う業者は日本でも10社以下だろう。ほとんどがツアースタッフを中心業務とする企業やビルメンである。その中には粗悪な管理を行なう業者も多いと聞く。
〇雪駄と黒足袋 ; 「タイヤ裏」と呼ばれる安物の雪駄(草履)と黒い足袋を履くことが舞台屋の印だった時代が長かったそうだ。今も歌舞伎や日本舞踊系を行なうスタッフは必需となっている。
〇所作 ; ここでは「所作台」のこと。能や歌舞伎、日本舞踊を行うときに舞台に敷くヒノキ舞台のこと。通常幅3尺長さ9尺の平台。素足・土足厳禁。
〇代々木、名古屋のレインボー、大阪城、横浜アリーナ ;代々木第一体育館、日本ガイシホール(旧・名古屋レインボーホール)、大阪城ホール、横浜アリーナ。どちらも各都市を代表するイベント、コンサート会場。
〇全国各地を飛び回り ; 15年ほどツアースタッフをやると、日本全国の20万都市はほとんど行くことになるという。特にお芝居と演歌歌手のスタッフは下手なツアーガイドより日本全国を廻る。
〇必ず三角に切る ; 舞台で雪を降らせる場合、こうした「紙雪」は四角に切らず三角形にする。四角では空気抵抗によりくるくる回り雪に見えない。三角形だと空気が上手く逃げ、舞うように落ちる。
〇雪籠 ; 紙雪を降らせるための道具。半面を網にした箱で、紐と滑車を使い揺らせて紙雪を落とす。
〇フェードイン ; 舞台では明かり又は音がゆっくり徐々に見えて(高まって)くること。逆はフェードアウト。
〇光の雪 ; 「流れ雲」や「シンデレラのお城」の項でも登場する「マシンスポット」を使い、流れ雲と同じターンテーブル状の板を縦回転、板には細かな穴が開いており、光が透過して「先玉」と呼ばれるプロジェクティブレンズを通し壁や白い幕などに投影すると雪が降っているような効果が得られる。
〇カットイン ; 突如照明が点いたり音が出たりすること。逆はカットアウト。
〇サス ; ここでは「単サス」のこと。一種のピックアップライト。
〇袖幕 ; 舞台袖に垂らす「見切れ」防止の黒またはエンジの幕。舞台前から「1袖」「2袖」などと呼ぶ。
〇細引き ; 細い綿ロープのこと。
〇サーチ ; その名の通り「探す」ように明かりを動かすこと。賞の発表の時ドラムロールと共にピンスポットが横に探るように動く、アレである。
〇飛ぶ ; 舞台用語ではある位置から別の位置へ移動することを「飛ぶ」ということがある。