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舞台春秋  作者: 小田中 慎 feat.KS
3/5

春報暖恩・前/打合せ・リハーサル篇

何だか望外な評判に気を良くした原案KSが居酒屋でこうクダを巻いたのです。「あらすじ負けだよね、それに秋冬しかないし。春秋でしょ、春と夏も(以下略)」という訳で蛇足承知で投稿は続く・・・

 打ち合わせ*に訪れた女性2人は20代前半、2人揃って大人しそうな感じがした。第一印象は往々にして裏切られる。毎日様々な人間を見ていると、それも何かの要求を秘め、何としてもそれを通したいと考えている人間ばかり相手にすれば観察眼も肥えるというもの。この2人も打ち合わせ開始5分目にしてその前兆が見え始める。

「あの・・・よく動くスポットライトってあるじゃないですか?あれ、使えますか?」

 隣に座った音響2枚目がこちらの顔をちらり見たのが分かる。言いたいことは良くわかる。これは例のタイプですよ、と伝えているのだ。

「動くといいましても、色々ありますよ?何をしたいのですか?」

「ええ、この始めのところで派手にしたいんです。パーッと客席まで光が動いて、それで・・・あのテレビとかコンサートでよくやっている風に・・・」

「白い光の円が人間を追いかけて明るくする、ああいうのではないんですね?」

「ああ、そう、それもお願いします」

「白い光が追いかける、これはピンスポット*というもので、電動ではなく人間が操作します。それはお使いになる小ホールには2台ありますが、これを使うには別途2人の照明オペレーターを雇い入れて、このピンスポットの付帯設備料金*を頂かなくてはなりません。2名1日の人件費で5万、付帯設備は1台1区分3千円ですから2区分で1万2千円ですね。それにテレビやコンサートでよく見かける動く光のスポット。これはムービングと言ってこの会館にはありません。借りて来ないといけないんですよ。そうですね、ムービングを使うにはやはりプラス2名の照明と機材を借りて、最低でも30万といったところでしょうか」

 立て板に水の如し。無理と分かっていても頭から否定すれば反感を呼ぶしヘタをすればクレーマーを生む。きちんと説明、暗に実現は望み薄と知らしめる、これに限る。予想通り2人は黙り込む。やがて片割れが、

「もっと安く出来ませんか」

「ピンスポットの方は難しいかと。ムービングは掛け合いますけれど、2割も引けたら御の字、といったところです。どうしましょうか?」

「・・・」

 暫く2人顔を見あわせた後で、片方がぽつりと、

「ピンスポット、1台だけではだめですか?それなら半額ですよね」

「ええ、大丈夫ですよ。その代わり1台だけですと同時に離れた2箇所には出せませんからご理解くださいね」

「難しいですか?」

「そうですね、たとえば舞台の上手かみて、ああ、客席から見て右側の端に光を当てたい人がいて、同時に下手しもて、左側にもいる場合、どちらか片方しか照らせない、そういうことです」

 ここで奥の手を示す。

「でもそちらから誰かお手伝い頂けましたら2台分の付帯設備だけで使えますよ」

「誰かウチから人を出して、その機械を使うということですか?」

「ええ。もちろん使い方は教えます。しかし大きくて重いスポットですし触る場所によっては火傷しそうなほど熱くなるので大人の方限定ですが」

「それは今決めなくてはならないんですか?」

 今まで黙っていた方が聞く。

「いいえ。本番3週間前までお知らせ頂けたら」

「・・・帰って相談して来ます」

 その方がいい。ここで決めて帰っても、上の人間やら父兄やら色々突っ込まれて白紙になるケースがほとんど。こうして打ち合わせに来館する人たちは何故か決定権のない人が多いからだ。

 その後打ち合わせは一進一退と言った具合で1時間も掛かってしまう。しかしこれも織り込み済みだったので次の11時の打ち合わせに1分余らせることが出来た。

「ピンスポ、星*、流れ雲*、ミラーボール*、虹*、シンデレラのお城*、か・・・増員*2名、照明は腕の見せ所だな」

 書き取った打ち合わせ表を眺めながら呟くと、

「音響もですよ」

 音響2枚目も吐息を漏らす。

「ワイヤレス*2本にピン*2本、MC*2本、録音に音出し*、増員1名の2人でこれやるんですから」

「泣かない、泣かない。シーズン最初の催し物としてはラクな方じゃないか」

 そう言いながら新しい打ち合わせ用紙に日付と時刻を書き入れ、ちょうど次の打ち合わせに訪れた初老の婦人2人連れに頭を下げた。

「先生、お久しぶりです。昨年秋の文化祭以来ですね、お元気そうで。どうぞお掛け下さい」


 冷たい雨が降っている。3月上旬、早咲きの桜が咲いて手袋をしなくても大丈夫なこの季節、でも今日は冬に逆戻りだ。

 こんな雨の中30分前から会館の外で待っていた先生と手伝いの父母を、事務所の許可を取って特別に開館15分前に入れる。観音開きの重く大きな搬入口を押し開くと痺れを切らしたようにダンボール箱やら衣装ケースを抱えた父母や先生たちがなだれ込む。

「足元気をつけてくださいね、薄暗いですから。楽屋は向かって左手の通路の奥ですよ」

 声を通すのは自信がある。ツアー現役時代、PAがサウンドチェックをしている最中、シーバー*やガナリ*を使わなくとも地の声でシーリング*まで声を届かせたものだ。今もそれぞれ何か叫ぶようにしている人々の中、うろうろしていた何人かがこちらを見て頭を下げてくれた。さて今日は何回この声の世話にならなくてはならないだろうか。

 街の中心やや外れたところにある私立幼稚園。その卒園発表会。今年は園の30周年だそうで、今までは園内にある大お遊戯室でやっていたらしいが、父兄から寄付を募ってウチでやることになったそうだ。毎年秋や暮に発表会で使う常連の幼稚園や保育園はいくつかあるが、この幼稚園は初めて。こういう時は少し気を入れて係らないとまずい。だから今日は身内のメンバーをチーフの自分と音響チーフ、照明チーフで固め、本社から来た照明の増員1名と音響増員1名のほか、近隣の系列管理会館から1名、員数外として入社1年目で活きの良い音響を借りている。

 舞台下袖*、操作盤の前でさっさと仕込みの段取りを打ち合わせ、音響はスピーカーを出しに音響倉庫に向かい、照明は仕込みに掛かる。リハ*は2時間後の11時からお昼休みを挟んで5時間続く。今日はリハまでで、明日日曜日9時からゲネプロ*、本番は午後1時半から2時間だった。実際のところこれだけ短い時間では大体のところしか仕込めない。照明も音響もリハの最中に内容を見て臨機に(と言うかステージ進行のスキを見て、が正しい)仕込みを増やしたり変更したりする。時間を貰えるプロの大規模なコンサートとはワケもケタ(=カネ)も違う。毎年雪山で大規模なコンサートを開く大物やら観客数万人クラスの会場でしかやらない国民的スターの5人組、果ては湘南海岸が故郷の超BIGなどになると、ツアー初回の仕込みやリハに4,5日は貰えるらしいが、まあ、こっちはそんな世界の尻尾の先のような存在だ、贅沢は言うまい。

 リハは切れ目なく続き、昼休みもない。いや、利用者は出演者や裏役が自分の出番の合間を狙って交互に休み、用意された弁当を食べる。こちらもそのお裾分けを貰っているが出演者と違いこっちは最初から最期まで出ずっぱり、交代もいない。余り誉められたことではないが、それぞれの持ち場で冷えた弁当を冷たくなったオレンジキャップのペットボトルの茶で流し込む。こうして弁当を貰う習慣があるのは最低限度の人数で仕事をこなしているため、ロクに休憩も出来ず食事も取れないからだが、この数年来、この弁当を受け取る行為が利用者から批判を受けることがある。弁当を暗に請求された、などと言い出す団体もあり、こちらから要求することはなくなった。公設ホールは利用者や観客から見れば行政サービスの拠点、我々もお役人と同列なのだ。

 リハは午後区分一杯続き、予定を1時間押して尻切れトンボで終了。ガナリを返しに来た演出担当の先生は大きな溜息を付いてお疲れ気味、そんな先生に「お疲れ様でした、何かありますか?」と声を掛ける。するとそれを待っていたかの如く、各組の若い先生方がストップウォッチやらノートやらを片手に押し寄せた。皆が一斉に話し出す中、「一人ずつお話しましょう」と操作盤横の影アナ*席で順番に要望を聞き取る。お手伝いの父母や出演する園児たちが帰宅する中、打ち合わせは延々と続き、その間、ウチの臨時編成チームは勝手にどんどん手直しや仕込み変え、段取り変更の打ち合わせなどをてきぱきとこなしている。それを横目に書き取るメモはどんどん真っ黒になっていった。漸く全ての先生が納得した人・しない人様々だったが帰路に着いたのは午後8時。楽屋口を閉め、戻れば音響はチーフを除いて既に退館して、照明チームがサスの微調整をしている。

「次、上手サス*」

 チーフが言うと調光室で2枚目が卓のフェーダーを上げ、暗くなった舞台上手側にポツンとスポットライトの光の円が灯る。その真下に入ったチーフは、手にしたアルミ製の介錯棒*を器用に使い、思い通りの位置に光の円をピタリ合わせた。寄って来た音響チーフにお疲れ、と声を掛け、先生たちの要望を台本片手に伝えると、出来ること・出来ないことを吟味しながらどうやって要望に応えるかを考える。方針が決ると音響チーフは明日の作業を頭で整理しつつ「お疲れさまでした、お先します」と帰途に着いた。

 残った照明が一段落付いた頃を見計らい、こちらにも要望を伝える。既に仕込み変更や出演者の動きの変更などはその都度インカム*で伝えていたので、その部分は先程来の修正で出来上がっていた。ここでは細かい演出上のタイミングや段取りを伝え、チーフは苦笑いを交えて台本に書き込んでいった。

 退館時間の9時が迫った頃合に残った照明チームと外へ出る。思わず震えるほど寒く、息も白いが雨は上がっていて、雲の切れ間から星も覗いていた。

「誰か天気予報見た?」

「明日は晴れですよ。朝は寒いけど昼の気温は4月下旬の暖かさだそうで」

 照明2枚目がケータイを見ながら言う。

「そりゃよかった。ではお疲れ様。ゆっくり休んでください」

 皆がそれぞれ挨拶を口にすると、一緒に歩いて部下に要らぬ気遣いをさせないよう、何時ものように皆を先に行かせ、彼らの後ろ姿が小さくなるまで独りゆっくりと空を見上げていた。



※用語解説


〇打ち合わせ ; 事前打ち合わせ。ホール利用者とスタッフにより当日の利用者側の希望やホール使用における制限などを話し合う。

〇ピンスポット ; クセノンピン、フォロースポットとも言う。通常は客席上部天井か客席最後方上部にピンルームと呼ばれる部屋を設え設置されている。その姿は大砲のように大きい。

〇付帯設備料金 ; 会館使用基本料金の他に支払うさまざまな使用料金。ピアノやピンスポット、果ては椅子1脚に至るまで基本セット以外に利用すればどんどん加算される。

〇星 ; 照明で出す場合、星球と呼ばれる弱電圧の超豆電球(麦球とも呼ぶ)を細い電線でつなぎ、昇降バトンに吊り下げて点ける。すると舞台に星空が現れる。

〇流れ雲 ; マシンスポットと呼ばれる一種の投影照明器具に回転円盤状の装置を付け、光で雲が流れるように映し出す。

〇ミラーボール ; よくショーパブやカラオケで見かける円形の小ミラーを多数貼り付けた回転機械。これに光を当てると反射した無数の光の点が宙を舞い踊るという仕掛。

〇虹 ; これはよく要望されるものの非常に難しい照明泣かせの要望だそうだ。虹を作り出す機材はあるものの、とても暗くカラオケなどではいざ知らず、ホールでは使い物にならないと言う。大抵はホリサーチと呼ばれるテクニックを使うと言う。これは舞台後方の白い幕に4,5色の光の帯を出すテクニックのことで、これでカンベンして貰うのだそうだ。

〇シンデレラのお城 ; 流れ雲で使うマシンスポットにネタ、マットとかゴボとか呼ばれるガラスまたはアルミの板をくり貫いたものを当て、舞台後方の白い幕(ホリゾントという)に映し出すのが主流だったが、最近は良いプロジェクター投影機(会議やプレゼンテーションで使うアレ)があるのでパソコンにつないで投影するのが増えているそうだ。

〇増員 ; スタッフだけでは実行不可能な場合の追加人員。大抵は有料。

〇ワイヤレス ; 無線マイクシステム。法律で決められた周波数帯を使用したもの。2波から6波程度までが普通で、周波数帯割り当ての数分拡声マイクが使える。

〇ピン ; ここではピンマイクのこと。これもワイヤレスの一種。TVでよく見かけるあのクリップ留の極小マイクと同じもの。

〇MC ; 司会やコメントを読み上げる人を指すが、ここではそういう人たちが使う専用のマイクを指す。ちなみに有線のダイナミックマイクは知る人ぞ知る名機SHURE製のSM58(PAは「ごっぱー」と呼ぶ)が会館ホールでの標準品。

〇録音に音出し ; 録音は既出の通り「記録目的に」と依頼された場合に録る。同じく既出の通りカセットテープが多い。音出しとは文字通り用意されたBGMや効果音などを台本に従って流すこと。これもカセットの場合が多い。会館音響のデジタル化はおよそ3割と言ったところだ。これも最近流行の行政改革と言う名の役人・議員たちの文化行政軽視のせい。

〇シーバー ; トランシーバー。設備の整った会館ではPHSの内線を使っているところも。

〇ガナリ ; 演出家やサウンドチェックで大音響の鳴る中、同時進行で指示を出さねばならない照明チーフのために用意されるマイクのこと。

〇シーリング ; 客席天井部にある照明スポットスペースのこと。大抵は1kwキロワットクラスの凸レンズスポットライトが8台から32台程度並んでいて、ステージを前上部から照らす役割を持つ。いわゆる「前明かり」の一部。

〇舞台下袖 ; 舞台の下手(客席から見て左側)、舞台横の客席からは見切れない(見ることが出来ない)空間。当然上手(客席から見て右側)は「上袖」と言う。

〇リハ ; リハーサル。

〇ゲネプロ ; 通常は本番進行通りのリハーサルのこと。演出家も途中で進行を止めないのが基本で、スタッフや出演者が本番の感覚(特に進行する時間の流れ)を確認するために必要とするが、これを行なわないことも多く、スタッフは「ぶっつけ本番」で苦労するようだ。

〇影アナ ; 影アナウンスのことで、表(舞台上)に立たずアナウンスすること。主な例としては開演前の「間もなく開演します」アナウンスが有名。

〇上手サス ; 照明サスペンションライト(既出)の内、人物などをピックアップするためのスポットライト。ここでは上手側にあるためそう呼ぶ。

〇介錯棒 ; 高所にあるスポットライトなどを動かすための一種の棹。昔は竹棹を使い(現在も多く残っているらしい)、照明係はこの棒で器用に機材の角度を遠隔操作する。

〇インカム ; インターカム。ヘッドセットタイプのヘッドフォンとフレキシブルマイクが一体となったもの。舞台・TV関係者の必需品である。



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