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舞台春秋  作者: 小田中 慎 feat.KS
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冬華白陽

「誰か、お茶いらない?」

 二人が顔を上げるが、

「あ、いらないです」

 と女性の方が答える。19時50分の控室。あまり空調の利きがよろしくないので、家の押入れで忘れ去られていた電気ストーブを持って来て暖を取っている。自分で淹れた茶を飲みながらふと、窓の外を見る。夕方から降り続く雨のなか、搬入口の水銀灯に映えて一際太く光る筋が見える。

「ああ、みぞれ混じりになっちゃったなー」

「え?雪ですか、やっぱり」

「天気予報で言ってたからねぇ」

「まいりますねー」

 内線が鳴る。1コールで取る音響チーフ(と言っても彼はもっぱら「舞台担当」として働いている)。ひとつ「はい」と答えると受話器を置き、

「小ホール終りです」

「おし、行って来るか。ここ頼むよ」

「はい」 

 小ホールモニター*のITV回線の調子が悪く、小ホールのモニターが2週間前から映らない。とても不便だ。施設担当が保守業者に連絡し修理日程の調整をした筈だが、未だに返事が無い。明日念押しで業者にTELすること、と心にメモを取る。

 今晩の小ホールはピアノの先生の「温習会」。地区のピアノの先生の中でも最長老の方を囲んで、今やピアノの先生がほとんどの彼のお弟子さんたちの発表会だ。ビデオ業者と録音業者*が入っている。

「お疲れ」

 本日の小ホール担当(スタッフでは照明チーフ)に声を掛ける。音響2枚目*は3点吊りマイク*を降ろし始めている。下袖でライン*を巻いている30位の男性に声を掛ける。

「お疲れ様でした」

 すると彼は振り向き無言でペコリと頭を下げる。何故か後ろで照明チーフが苦笑している。ピアノの大先生が花束を抱えて客席から上がってくる。舞台へ上がる掛け段の上から手を差し出して介助すると、

「お疲れ様でした、いかがでしたか?」

 と声をかける。

「ああ、ありがとうございましたね。お陰さまで助かりましたよ」

「こちらこそ。またよろしくお願いします」

「ハイ、さようなら」

 先生の後ろから来た女性がこちらに笑みを向け(彼女もピアノ教師だ)、無口な録音業者と少し話してから楽屋へと去る。録音業者が機材を台車に積むと「お疲れでした」とボソボソ言って搬入口から出て行く。ウチの音響2枚目が露骨にイヤな顔をする。

「アイツ、やっと声出しましたよ」

 彼は業者が昼に入ってきた時、あいさつが無かった*、と怒っていた。 

「あの人、シロートさんだろ?」

 録音業者には趣味的に“二足のわらじ”をやっている人も多い。 

「いくら兼業でも、あいさつぐらい」

「まあ、そんなもんだって。気にするなよ」

「今度来たら、俺、言いますよ?あいさつぐらいしろ、って」

「止めとけ止めとけ。メールでも打たれたらコトだしさ」

 と笑う。ここ数年来インターネットのお陰で、“苦情” が我々の会ったことも無い上層部*へ直接行くことがある。それも大抵が“尾ひれ”が付いているので始末に終えない。何れにしろ不快に思うから苦情となるので、最終的にはこちらがいけない。中には最初から八つ当たり、と言うのか確信犯と言うのか、煽り立てて“苦情”を上げる人もいるので、ややこしいのだが・・・

 表から出て行くビデオ業者から挨拶され、

「はい、お疲れでした」 

 客席から小ホールロビーを見廻り、エントランスの入り口を施錠する。前はこんな事は清掃か警備の仕事だったが世知辛い世の中、清掃や警備の契約金額が下がり人員削減、仕様範囲がどうとかでホール部分の見廻り・施錠開錠はこちらの仕事にされてしまった。トイレを覗いて忘れ物が無いか確認する。案の定、傘が一つ、流しの横に立て掛けてある。それを持って舞台に帰る。

「あ、大も終わりますよ」と、照明チーフから声が掛ける。

 確かに操作盤上*のモニターに緞帳が下がるところが映し出されている。

「ここ、やりますから先行って下さい」 

 彼女に傘を渡して

「じゃ、まかせたよ」

 と大ホールへと急ぐ。


 大ホール舞台に行くと袖幕が次々と飛んで行くところ。SS*を現地照明さんがバラしている。 

「お疲れ様でしたー」

 一際大きな声で全体に声を掛ける。

 ウチの人間を含めて方々から「お疲れでした」「お疲れです」と元気に声が掛かる。 一人でニヤリとしてしまう。ウンウン、プロはこうでなくっちゃねぇ。

 最近はTVのバラエティに良く出ている演歌歌手のコンサート。地元の商店会が呼び屋と折半、慰安と福引の景品として買っている。2曲目まで覗いていたが、客の入りはぼちぼちと言ったところ、雨にしては入っていた方かもしれない。

「お疲れです」

 ウチの照明2枚目がニコニコして言う。彼は今日、操作盤を一人で頑張っていた。 見たことが無いLEDムービング*を照明さんが持ち込んでいたので、近くから見たかったから、と言う。

「どう?タメになったか?」

「ええ、英語ですけどマニュアルも見せてもらいましたし」

 袖幕を飛ばしていた、財団提出書類上は「舞台」となっている音響チーフと、音響サブ(実際小ホールを今日やっていた「音響2枚目」は3人の“音響”のうち一番下っ端なので本当は3枚目だ。本当にややこしい)が横に来る。

「外は?」

「雪ですね、既に」

「そっか。じゃあ、警備に舞台が終ってもスタッフを楽屋から追い出さないようにって言っとかないとな」

「うん、あの警備のおっさん、日が浅いからガチガチなんだよね」

 皆で笑う。音響2枚目が笑いながら内線で会館事務室に今の話を通す。ツアーの舞監がロビーから小走りにやってくる。エントランスでサイン入りCDを売るために表に出ていた本人*に挨拶にでも行っていたのだろう。

「ああ、お疲れさまでした」

 とにこにこしている。 

「え?大入り*たくさん貰えたぞ、て顔してるよ」 

「オイオイ、カンベンしてよ」

「問題、なんにもなかったかな」

「ええ、ありがとさんでした。無事に」

「次は西の方だっけ?」

「うん、広島だね、明日はノリ*」

「気をつけて。ディナーショーもあるんでしょ?」

「真っ最中だね、ハハ。テレコ*で会館、ホテル、会館ってね」 

 彼とは昔、そう、自分がまだバリバリの照明オペレーターだった頃、一緒にツアーを回った事がある。彼もまだ舞台監督助手の時。もう、記憶があやふやになるくらい若い頃の話だ。

「今度飲もうよ、何時になるかわかんないけど」

「そうだね。この次はね」

 次はいつ会えるのか、そんなことは分からない。いくら狭い舞台スタッフの世界*と言っても彼はツアー廻り、こっちは小屋番*。お互いそれは無理だと分かってるが、まあ、社交辞令のようなものだ。何時の間にやらPAさん*がメインの卓*を舞台に上げている。サスも降りていて、ウチの照明が「吊位置はマークがありますから*」と叫んでいる。 

「明日は誰が早番?」

「あ、俺とアイツ」

 と音響チーフが飛び回る照明2枚目を指差す。 

「じゃあ、もうそろそろいいよ、上がって」

「はい、そうします。こりゃチェーンが必要になりそうですよ」

 彼は車で通っている。本当はいけないのだが、まあ黙認している*。彼は飲まないし、遅くなる時は送って貰えて便利だし。

「すみません、お先上がります」

 照明2枚目が音響チーフに言われて声を掛けて来る。

「ああ、気をつけてな」

「お疲れさまでした」 

 ショーのセットも簡単な物だったのでバラシは早い。積み込みは見るまでも無く手馴れたものだ。こっちそっちとPAさんと舞監の指示がバイト*に飛ぶ。

 21時35分。舞台上は掃除機をかけるウチの人間だけだ。貸していた各種コードもきちんと戻った。明日大ホールは映画上映会なので、スクリーンを下ろし、スピーカーをスクリーン裏に出すだけだ。現地に続きノリウチ照明さんが挨拶に来る

「お疲れさまでした。ありがとうございました」

「忘れ物は無いですね」

「はい、大丈夫です」

「じゃあ、またどうぞ」

「お先に失礼します!」 

 ツアースタッフの特徴でもある大きなバッグを下げて彼らは搬入口から出て行く。バイトも解散した。搬入口を閉める。たちまち静かになる。いつも何故かしら物寂しく感じる時間だ。スクリーンを下ろす。スピーカーを出して、本日終了。ロビーや客席など表の確認は音響サブがやってくれた。女の子が着替えるのを待って警備室へ行く。夜間警備に引継ぎ、関係者口から外へ出る。

「ひぇー!さみいなぁ」

 音響2枚目が哀れな声を出す。

「風邪引くなよ、頼むから。お前が倒れたってこのクソ忙しい中、本社から人なんて来ないからさ」

「へい」

 かなり降って来ている。ちょうど出て行くPAさんのトラック*に「気をつけて」と声をかける。返事代わりにクラクションが一つ。

 4トン車がゆっくりとバイパスの方へ出て行く。これからあのトラックはPAさんの運転で雪の中、西へ向かう。トラックを見送る目の前では、ウチの音響2枚目がふざけて照明チーフに雪球をぶつけていた。

「さあ急ぐぞ、電車止まらないうちに」

 明日は晴れると天気予報では言っている。きっと明日は雪掻きからスタートだ。

        


※用語解説


○モニター ; ここでは舞台の様子を映すモニターテレビ。

○ビデオ業者と録音業者 ; 会館管理スタッフは記録用を除く、売り物や記念品になるような録音やビデオ撮影は一切しないのが基本。利用者が直接それぞれの業者に頼むことになる。

○2枚目 ; 次席。2枚目3枚目という言い方は元来、上方歌舞伎の用語だ。

○3点吊りマイク ; 舞台前客席上方にある録音用マイク。

○ライン巻き ; 音響や映像関係のコード類の総称。長いコードを八の字に巻く。

○あいさつが無かった ; あいさつは業界の常識(というより一般でも)。朝でなくても「おはようございます」で、終わりや帰りには「お疲れさまでした」が基本。

○会ったことも無い上層部 ; 議員さんや果ては市長さん、国会議員さんにまで苦情を言う利用者がいるという。

○操作盤 ; ここでは電動舞台装置操作盤のこと。舞台前方横の観客からは見切れない位置にあるのが普通で、ここから舞台昇降装置や音響反射板などを操作する。

○SS ; ステージサイドスポットライトのこと。スタンドに付けた横からのスポットライト。仮設。

○LEDムービング ; 舞台照明の「動く」スポットライトをムービングと呼ぶ。最近は舞台照明界ではLED(発光ダイオード)を使ったものが使われ出されたという。省エネはここでも。

○本人 ; いわゆるスター。「看板」とも言う。

○大入り ; ここでは「大入り袋」にひっかけて本人(歌手)からのおこづかい。

○ノリ ; 前ノリ、などと使う、本番や仕込み日前に現地へ入ること。現地へ乗り込む、から来ている。

○テレコ ; 交互に、といった意味。

○舞台スタッフの世界 ; どのくらいこの仕事で食べているのか不明だが、ライブでツアーを行うプロのスタッフは1万人以下だろう。

○小屋番 ; その名の通り小屋の番人=会館管理。

○PAさん ; PA=パブリック・アドレス(放送拡声設備)。コンサート関係の音響担当(オペレーター)を特にそう呼ぶ。

○メインの卓 ; 音響の調整ボード(卓)はとても大きなもので、客席の後方中央に設置されることが多い(ライブでよく見かける)。

○吊位置はマークがありますから ; 会館舞台には「基本仕込み」があり、スポットライトを吊る位置がペンキやビニールテープ、テプラ等でマーキングしてある場合が多い。

○黙認している ; 車やバイクは事故が起こった場合、本番などに支障が出るので、本来は禁止事項だそう。

○バイト ; コンサートの場合、制作会社がセットや機材の搬出入や警備のため学生バイトを雇う。ツアースタッフにはこのバイト上がりも多いと聞く。

○PAさんのトラック ; 演歌のツアーや小規模なコンサートツアーでは、PAさんの機材車に照明・ステージセット・衣装など一切を積んで移動する場合が多い。逆に専門業者(運送屋)のことを「トランポ」(トランスポート)と呼ぶ。




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