カレンダーと残り香
何気なく、本当に何気なく、予定の確認をしただけだった。
壁に掛けたカレンダーが目に付いたのだ。だから何も考えずに、口にしてしまった。
明日の同窓会、十八時からよね、と。
用意もあるだろうし、明日は早めに帰るの、と聞きたいだけだった。けれど、達也は触っていたスマホの画面を暗くすると、後ろポケットへとしまいながら私を罵倒したのだ。
要約すると、勝手に人のものを見るな、そんな事する奴とはやっていけない、との事だった。私が「違う」と言えば余計怒り出し、最後に捨て台詞を吐いて勢いよく出て行った。あっけなく、二年の付き合いが終わった、夜の八時。
私はカレンダーを見上げる。
何も予定を書いていないカレンダー。
毎年、こうして壁に掛けるのが癖になっていた。
ふと、そこに霞んだ人影が重なる。
柏谷愁――名前忘れたことのないその人は、高校二年生の時の初めての彼だった。
彼には日課があって、帰宅すると壁に掛けたカレンダーの前に立つのだ。メモ帳に書いた予定をカレンダーに書き込んでいく。私は宿題をするふりをしながらその後ろ姿をこっそりと眺めていた。部屋の扉は開いている。
初めて部屋に入った時に、何をしているの、と聞くと、彼は静かな声で答えてくれた。
――予定を埋めてる。安心するから。
彼にとってそれは、自分を整理する為のなくてはならない時間らしく、私はそれを邪魔せぬように見ているのが好きだった。
プレゼントはいつもメモ帳。
渡すと、彼は言うのだ。
――どうしよう、捨てられないな。
一人になった部屋の中で、ごろんと床に横になる。
大好きだった。
ある時、カレンダーの枠が徐々に尋常ではないスピードで埋まりはじめた事に気づいてしまった。
高校三年。埋まらない方が問題だろう。
今ならばわかるが、私はそれをおぞましい宣告のように感じ始めていた。
時間が流れていく恐ろしさ。空白など許されないという、無言の圧のようなもの。
あのカレンダーの数字が、その枠が、将来へのカウントダウンのように自分の中に積み重なっていったのだ。
そうしてある時気づく。
私との予定が一切書き込まれなくなった事に。
幼い私は、それに耐えられなかった。
カレンダーを見上げ、目を閉じる。
彼は、最後に渡した藍色の手帳をまだ持ってくれているだろうか。
毎朝、それを確かめることができない。
私は考える。
明日は、コーヒーショップのガラス越しにちらりと合う視線から逃げずに、店に入ってみようか、と。
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