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Restaurant  作者: 夜月暁
美帆の場合
2/16

2.

 平日のオープン前の夕方。美帆はエレベータが最上階に着くなり、スタッフ専用の通用口のドアを勢い開けて店の中に入ると、レジで予約客の確認をしていた髙橋の姿が目に入った。

「髙橋さん!!」

「あ、美帆ちゃん。お疲れ」

 美帆の声に気付き、視線だけ上げて微笑む髙橋に、美帆は慌てふためきながら「ちょっと聞いてください!」と捲し立てていた。

「え、何。どうしたの」

 穏やかでない雰囲気だけは理解した髙橋がそう答えると、興奮と焦りで顔を赤くした美帆が続けた。


「あたし、佐井さんにボード誘われちゃった…!!」

 美帆のその言葉に、高橋は悪魔のごとくニヤッと笑った。

「美帆ちゃん、それは脈アリなんじゃん?」

「え? うそっ」

 驚く美帆に、高橋はおおきくうなずく。

「あいつは、スキーとかボードとかウインタースポーツが大っ好きだからさー、女の子とつき合う条件は、一緒に山に行ける子なんだってさ」

(えぇぇぇぇぇぇぇ!!!!)

 美帆が青くなっているのも気に留めず、髙橋は「早く、着替えておいで。俺、そろそろ昼飯食いたいんだよね」と催促していた。




(あたし…、ボードできないよ…。やったこと、ないし…)

 美帆が更衣室で着替えながらガックリと肩を落としていると、ロッカールームのドアが静かに開いた。

「あら美帆ちゃん、お疲れ様。今度の休み、楽しみね〜!」

 嬉しそうに顔を綻ばせながら、ちょうど出勤してきた友香が中に入ってきたのだ。

「友香さんはボード得意?」

「うん、好きよ。スキーもできるけど…」

「そっかぁ…」

 憂鬱そうに相槌を打つ美帆に、友香は少しだけ驚いていた。

「あれ、美帆ちゃん滑れないの? 雄一から誘われたんなら、意外にも上手なのかと思ってたんだけど…」

 友香の言葉に、美帆はうな垂れながら首を横に振って見せた。


「運動神経鈍いんですよ、あたし…」

「…何考えてるのかしらね、アイツは」

 そんな美帆の様子に、友香は眉をひそめながら呟くと、美帆は頭を抱えながら盛大なため息をいくつもこぼしていた。

「でも、向こうで教室とかやってるから、すぐ滑れるようになるわよ」

 気を取り直して!、と言わんばかりに友香は明るくそう促したが、美帆の溜息が尽きることはなかった。



 

 仕事中、美帆が佐井の横顔を眺めていると、いつもは涼しい顔をして仕事をしているのに、彼はどことなくテンションが高い。

(こんなにわかりやすい人だったんだ…)

 意外な面を知ることができた半面、この日帰り旅行が佐井に近づけるチャンスとも思えない美帆だった。


 そして、それから五日後の店休日の前日の夜。ついにその日がやってきた。

 バイト上がりに何か軽く食べた後、佐井、美帆、友香、直樹の四人は、大きな荷物を持って夜行バス乗り場へと移動した。

 髙橋は明日の店休日は出勤のため、お留守番だ。彼らが大荷物を持って店を去る時に、彼は手を振って見送っていた。


 友香と並んで歩きながら話をしている佐井の様子をその後ろから見ていた美帆は、隣で歩いている直樹が一生懸命話しかけていると言うのに、完全に上の空だ。佐井はとても嬉しそうに、コースの話をしている。それがわかると、ますます緊張してくるのだ。


(一緒に滑れるのかな、あたし…)


 思わずため息をついていると、「美帆ちゃん?」と、横にいる直樹が美帆の顔の前でひらひらと手のひらを揺らしていた。

「あ、ごめん…」

 美帆は笑顔を浮かべ、直樹に向き直った。

「直樹くんは、ボードする人?」

「うん。滑れるよ。この季節になるとけっこう行くから。美帆ちゃんは初めてだっけ?」

「…うん」

 自身なさげにそう答える美帆を見た直樹は、それを吹き飛ばすような爽やかな笑顔を浮かべている。


「午前中はスクールに入って練習した方が、上達も早いと思うよ」

 そして直樹が気遣うようにそう続けると、その言葉に美帆は作り笑いを浮かべながら小さくうなずいた。

「あ、うん。友香さんにもそれは言われたよ。大丈夫かなって心配で…」

「大丈夫だって。滑れるようになったらきっと楽しいから」

「…うん、ありがと」


 それでも、美帆の不安が和らぐことはなかった。自分を誘っておきながらまったく美帆のことを気にすることなく楽しみを抑えられない様子の佐井との距離は、縮まるどころか遠のいていくような気がしてならない、と美帆は思っていた。

(佐井さんに「教えて」って言ったら、教えてくれるのかな…)


 しかしそれは、思い切り滑りたい人に水を差すことになりかねない。そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか日帰りツアーの集合場所へと到着した。

 ここから長距離の観光バスに乗り込み、六時間ほどかけて目的のスキー場に向けて出発する予定だ。時間になると、バスの座席は満席になった。軽い仮眠を取ったら、窓の景色が都会の風景から山間の景色に変わっているなんて想像もつかない美帆だったが、バスが出発してまもなく、バイトで疲れた体はバスの心地いい揺れには抗えず、意識を手放し眠ってしまったのだった。




「やっと、着いたぁ…」

 バスを降りて、背伸びをしながら友香の最初のひと言だった。

 朝日が眩しい真冬の山の麓に到着した一行は、一身にその暖かな光を浴びながら降り立った地の景色を眺めていた。美帆の視界に入る目の前の山。そのそびえる山を見上げると、とても真っ白で…

(あの山を滑るの? ホントに?)


 美帆は、自分がここにいることが場違いな気がしてならなかった。

「おい、ぐずぐずすんなよ。荷物取ったら、すぐ行くぞ」

 目当ての山を前にして、いつもより明らかにテンションが高い佐井は、白い息を吐きながらすでに大股で歩き始めていた。

「あ、待って…!」

 美帆も直樹も、バスから降ろされた自分の荷物を急いで担ぎ、佐井の後に続く。

「ひと休みくらいさせなさいっての…!」

 不満を言いながらも、友香もその後に続いた。




 目的のレストハウスに到着するなり、4人は二手に分かれて更衣室へと入っていく。そこで着替えを済ませ、彼らはロビーで待ち合わせると、ボードを手に白銀の世界へと繰り出した。

「雪質はそんな悪くないな」

 佐井は足元の雪を手ですくい取り、真剣な顔で雪の状態を見ている。

「んじゃ、行くか」

 ボードを担ぎ、彼は早速リフトに並び始めると、「あ、ちょっと…!」と焦りながら その後すぐに友香が続く。


「あぁ、もぉ、待ってよぉ」

 慣れない雪の上で、更に履き慣れないブーツを履いた美帆は、転びそうになりながらも佐井さんの後を付いて行こうとした。

「美帆、とりあえず、俺の華麗な滑りを下から見ておけよ!」

 佐井が後ろを振り向いて、そう言い放つ。

(うわっ、うざっ)

 思わず苦笑いを浮かべながらも、美帆はそんな佐井の後ろ姿を目で追っていた。


 まださほど混んでいない様子のリフトに佐井と友香と直樹がそれぞれ並んでいると、彼らを乗せたリフトは、順番にゆっくりと上へと送り始める。


 そして約10分後……

 佐井の一際目立つスカイブルーのウェアが、風の勢いに乗って華麗に滑り降りてきたのが見えてきたのだ。

(うわ、かっこいい…)

 雪しぶきをあげながらボードを操るその姿は、普段の佐井からは想像つかない光景だった。周りにいる人たちの視線を奪い、颯爽と滑り降りてくる佐井の姿に美帆は釘付けになっていた。


(ボードが大好きなんて、意外だったけど…)

 そして、急に我に返る。

(これはちょっと、ハードル高くない…??)

 そして佐井は、眉をひそめながら突っ立っている美帆のそばまで降りてきたのだ。

「どうよ?」

 初滑りを堪能した佐井のその得意げな顔に、美帆は苦笑いを浮かべていた。

「…なんだよ、その顔」

 気分を害したのか、微妙な反応の美帆に文句を言う。


(ハードルが高い、なんて言えない…)

「すごいかっこよくて、ビックリした…」

 嘘はついていない。圧倒されたことを伝えると、機嫌を直した佐井が美帆の頭をポンポンと軽く叩いた。

「お前も精進しろよ」

 それはまるで、頑張ったらご褒美があるぞと言われているようで、美帆の目がきらんと輝く。すると佐井は、再びリフトへと向かって行った。

(頑張らなくちゃ…)

 よし、と気合を入れ直しひとりうなずいていると、ちょうど滑り降りてきた直樹が美帆に近づく。


「美帆ちゃん、あっちでスクールの受付してたよ。」

 呼ばれた美帆は、直樹がさす方を見る。リフト乗り場の近くで、スノーボード教室の受付をしているようだ。

「…行ってくる。」

 力強くうなずき、美帆は歩き出した。

「俺もひと滑りしてくるね。また後で!」

 そんな勇ましい美帆の背中に直樹がそう口にすると、彼はさわやかにリフトの方へと去っていった。

(よーし、頑張るぞぉ…!!)

 気合いを入れ直し、美帆は受付の時に言われた集合場所に向かった。




 しかし、現実はそう甘くはなく、教室の時間が終わり解散した後も、初めてやるボードが劇的にすぐにうまくなるようなことはなく、ヨタヨタと滑るその姿に覇気はなくゲレンデの端っこまで到達すると、そこでペタンと尻もちをついた。

(だいたい、あたし運動神経無いに等しいのに… あぁ、尻餅つきすぎてお尻痛い…)

 ため息をつきながら、思わず空を仰ぐ美帆。 スクールに入っても、ボードのコツを掴むことができず、虚しいままあっという間に時間は終わり、初心者コースのはじっこで、美帆は途方に暮れていた。


 まず、美帆はリフトが怖かった。足にボードをつけたまま乗り込むのが難しくて、無事に乗れたかと思ったら今度は降りるときにちょっとパニックになる。そして、焦って転んで後ろから来るリフトにぶつかりそうになったり、そのまま降りれずに乗ったまま降ってしまったりと、失敗を繰り返していた。


(…お腹空いたなぁ)

 もうすでに、美帆の中で佐井に教えてもらおうなどといった欲もなく、心が折れそうになっていた。

「美帆ちゃん」

 そんな時、雪をはじく音とともに颯爽と彼女の前に現れたのは直樹だった。

「あ、直樹くん…」

「佐井さんじゃなくてごめんね。」

「ごめん、そんなつもりは…」

 苦笑いしながら謝る直樹に、美帆は慌てて立ち上がろうとしたが、バランスを崩してまた尻餅をついてしまった。


「大丈夫? …てか佐井さんは?」

「友香さんとずっと滑ってるんじゃないかな。」

「誘っておいて、しょうがない人だな。とりあえず俺らだけでもレストハウスに戻ろうか。もうお昼だし。お腹空かない?」

「空いた!!」

「じゃぁ、行こう。」

 直樹が差し出してくれた手に掴まり、美帆はゆっくりと立ち上がった。


 レストハウスに向かうためには、ここにいる初心者コースの斜面を降りなければならない。斜面の中腹辺りにいる美帆は直樹に滑り方のコツを教わりながら、なんとか滑り降りることができた。

(まだまだ先が長いなぁー…)

 つい乾いた笑いを浮かべながらレストハウスの中を歩いている時、ふと髙橋の言葉が美帆の頭をよぎった。

『美帆ちゃん、それは脈アリなんじゃん?』

(どこがだよ〜〜〜!!!)

 美帆は肩をすくめた。

(佐井さんなんて、あたしのこと放ったらかしで、友香さんとばっかり滑って…)

 美帆は急に立ち止まる。

(あぁ、そうか…) 


「美帆ちゃん?」

 直樹が声をかけるが、彼女の耳には届いていない。

(佐井さんは、あたしをダシにして友香さんを誘いたかったのかな…)

 そんなはずはない、とどこかで否定する自分より、妙に納得してしまう自分の方が大きかった。

(友香さん、あたしなんかに比べてすごくキレイで、話題も豊富で…。それに二人は名前で呼び合ってるし…)

 更に美帆は目を大きく開きながら気付く。

(なにより、あたしの気持ちを聞いても、佐井さんはいつもと変わらないし、それは相手にされてないってことだよね…?)


 彼女の中で、一つの結論に達した時、ストンと何かが心に落ちた。

「ちょっ、美帆ちゃん、どうしたの?」

 涙を流している美帆を見て、直樹が驚いて声を上げた。美帆は慌てて涙を手で拭い、首を振る。

「な、なんでもないよ!! ごめん!!」

「…そう?」

 怪訝そうな顔をして直樹は、空いている席に着いた。

「飲み物、取ってくるね。コーヒーでいい?」

 美帆は妙に明るい声でそう言うと、ドリンクコーナに急いだ。


 席に戻ってきたふたりはお昼ご飯を注文した。なんとなく重苦しい空気が、二人を襲う。それを払拭するかのように、美帆は明るい口調で「…佐井さんにメールしないと。レストハウスでご飯食べてるって…」と、ウエアのポケットからケータイを取り出し、メールを打とうした。すると、珍しく不機嫌な顔をした直樹が冷たく遮ったのだ。

「いいよ。そんなことしなくても。子どもじゃないんだし」

「え? …だって」

「午後はさ、俺が教えてあげるよ。滑れるようになったら、きっと楽しいからさ、ボード」

 直樹の笑顔に美帆は戸惑いを隠せない。


「…俺なら、美帆ちゃんをそんなふうに放っておかないけどな」

 向かいに座っている彼が、少しもどかしそうにそう付け加えたのだ。

(直樹くん…)

 美帆はドキッとした。

(そんな価値のある人間じゃないよ、あたしは…)

 直樹のアプローチに胸が痛くなり、美帆は自嘲気味に笑った。

「アハハ… あたし、同情されてる?」

「何言ってるの。俺は…」

 真剣な顔をした直樹の顔を真っ直ぐに見られず、美帆は目を逸らしたまま立ち上がった。

「お水飲みたくなっちゃった!」

「美帆ちゃん…」

「…ご飯食べたら、あたしひとりで練習してくるよ。直樹くんは佐井さん達と合流して、楽しんできて?」


 美帆はできるだけ明るく提案した。誘われるがまま、ここに来た自分が間違えだった。美帆は思わずそう口にしそうになり、慌ててその言葉を飲み込んだ。そんなことを直樹に言っても仕方ないことくらい彼女も解っている。ただでさえお荷物状態なのに、言ってもどうしようもないことを言って困らせるのは、違うと思っているからだ。

 その時、注文した食事が出来上がったことを知らせる端末がぶるぶると震えながら、けたたましい音が鳴り出した。ほぼ二人同時に鳴り出し、お互いにびっくりした顔をして、つい笑い合う。自分の食事を取りに行き、できたての食事を前にしてふたりでいただきます、をした。

「おいしいね」

 寂しさを悟られぬよう、美帆は楽しそうにその食事を頬張っていた。

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