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7(屋上にて)

 演劇部に専用の部室はなくて、したがって専用の倉庫もない。とはいえ、大道具やら小道具やら、いろいろなガラクタが舞台ごとに出るのが、この部活の宿命である。大部分は廃棄するにしても、再利用できそうなものは取っておきたくなるのが人情というものだった。

 そこで余分なスペースのない学校側と、公演ごとの労力を可能なかぎり減らしたい演劇部とで、甲論乙駁の議論があった(……とかなかったとか)。

 それで、どうなったかというと――

 結論はわたしの目の前にあった。四階から続く階段には、右側半分に大小のダンボールや衣装の入ったケース、正体不明の器具や木材の破片が置かれている。何に使ったのかよくわからない書き割りや、一見して不要そうな小物類なんかも。

 話しあいの結果、普段使われるのことのない屋上に続く階段を、当面の仮置き場として利用することになったのだ。仮置き場といいつつ、もう何年もそのままなのだから、実質的には物理的な占有権が発生してしまっている。

 ガラクタ――失敬――荷物は、踊り場まで続いていて、そこからさらに先へと進もうとしていた。まるで、草木が自然とはびこるみたいに。誰も手を加えないかぎり、エントロピーは増大する、という熱力学の第二法則は、こんなところでもきちんと証明されていた。

 わたしは演劇部の輝ける蓄積を尻目にしながら、階段を屋上へと向かった。この辺は蛍光灯さえつけられていなくて、網目のゆるい暗闇がたゆたっている。

 蹴飛ばせば壊れてしまいそうなアルミの引き戸を開けると、小さな青空が出現した。光の中に落っこちるみたいに、わたしはその向こう側に足を踏みいれる。

 平坦なコンクリートだけの無愛想な屋上には、夏の光が何に邪魔されることもなくいっぱいにあふれていた。やけに濃くて白い雲が、まるで自慢でもするみたいな大きさで、ずっと遠くに浮かんでいる。サウナっぽい熱波が体の中を通り抜けていった。

 何というか、つまりは夏なのだ。

 わたしは体が溶けてしまわないうちに、久瀬先輩の姿を探した。見渡すかぎりの屋上には誰もいなくて、蝉の声だけが岩にもしみいらずに響いている。まさか、本当に空気の精にでもなってしまったわけではあるまいに。

 ふと思いついて、わたしは入口横のほうにまわってみた。もしかしたら、と思ったのだ。

 そこは日陰になっていて、日光浴をするには殺人的すぎる太陽光を避けられるようになっている。暑さに変わりはないけれど、台風の日に傘を差してるかどうかくらいには違っていた。

 そうして思ったとおり、そこには先輩の姿があった。

「こんなところでさぼりですか、久瀬先輩――?」

 わたしがそう声をかけると、久瀬先輩は特に慌てる様子もなく手元の台本を掲げてみせた。

「立派に練習中のところだよ、俺は」

 建物の段差に腰かけたまま、久瀬先輩はそう答える。

 久瀬丞一郎(くぜじょういちろう)、三年生。見ためはかなりいいかげんで、言動のほうもそれを裏切らない。垂れ目で、口元の動きが少なくて、ちょっと何を考えているのかわからないところがある。ただし根はまじめないい人で、その点では外見で損をしているといってもよかった。

 そして、演劇部で主として脚本を担当している人でもある。

「どうしてみんなといっしょに練習しないんですか?」

 一応、わたしは訊いてみた。答えは大体わかっていたけど。

「そのほうが効率がいいからだよ。何でもかんでも、一塊になってやればいいってもんじゃないしな」

「相変わらずやさぐれてますね、先輩」

 と、わたしは感心してみせた。

「お前の口の悪さには負ける」

 たいしたダメージも感じさせずに、先輩は軽く返事をする。

「――そういうお前こそ、どうなんだ。さぼりじゃないのか?」

「照明器具のチェックをしとこうと思ったんですけど、何か体育館が使用中みたいで」

「それが手の込んだ言い訳じゃないことを祈るよ」

 先輩は投げやりな調子で笑った。

 夏の暑さに違いはなかったけれど、その場所は意外と風通しが良かった。効果絶大とはいえないにしろ、それなりに役立ちそうな風が吹いていく。先輩には猫みたいに、涼しい場所を見つける才能があるのかもしれなかった。少なくとも、視聴覚室とは違って埃っぽくないのは事実だ。

「実は、先輩にちょっと聞いておきたいことがあったんですけど」

 無駄話もなんなので、わたしは用件を切りだすことにした。

「何だ? 今の俺につきあってる彼女はいないぞ。愛の告白ならいつでも歓迎だ。もちろん、誰かほかの女子からの伝言でもOKだけどな」

「いたことあるんですか、彼女?」

「そういうリアルな返答はするな」

 あまり、聞きたくないことを聞いてしまった気がする。

「先輩の恋愛事情なんかは置いとくとして」

「――なんか、ね」

「今回の劇の脚本、書いたのは先輩じゃないですよね?」

 訊くと、先輩はちょっと正体不明の視線でわたしのことを見た。表情が読めないと、こういう時に困ってしまう。

「……いや、俺じゃないな」

 ややあってから、先輩は言った。何だか不自然な間を残して。

 もっとも、その答えは(舞台についての発表があった)最初の時の様子から予想はできていたことだった。もしも自分で書いた脚本だったら、内容について質問したりはしないだろう――それが手の込んだ言い訳でないかぎり。

「先輩は、今度の脚本について何か聞かされてないんですか?」

 わたしは予定通りに次の質問へと移った。

「いや――」

 と言ってから、先輩はしばらく口の中で言葉をためていた。

「ただ、鹿賀のやつが準備室でコピーをとってるのを見たから、何か特別なんだろうとは思ったよ。普通、台本はデータから印刷するのに、今回は原本からコピーするって言ってたからな」

「その時、部長から何か聞きました?」

「特にはないな。元台本をちょっと見せてもらったけど、題名を確認したくらいだ。誰が書いたのかも聞かなかった」

「気にならなかったんですか?」

 久瀬先輩は肩をすくめてみせた。わかりやすいジェスチャーのわりに、表情のほうはあまり変わっていない。

「わざわざ聞くほどのことだとも思わなかったんでな。別に俺だけが脚本を書く約束があるわけでもあるまいし、怪しむようなことじゃない」

「まあ、そうですけど……」

 わたしは腕を組んで難しい顔をした。新しい情報は入手できなかったわけだ。

 そんなわたしを見て疑問に思ったのか、久瀬先輩が訊いてくる。

「一体何を調べてるんだ、お前は?」

「実は、部長が言うには、今回の舞台を提案したのは部員の誰かなんだそうです。けど、それが誰なのかは事情があって教えられないって」

 わたしがそう言うと、先輩は何かを考えるような顔つきをした。した、と思う。その表情は魚類と同じくらいわかりにくかったけれど。

「……先輩、何か知ってるんですか?」

 訊くと、久瀬先輩は神妙な面持ちで、

「もしかしたら――」

 と、つぶやいている。けれど、その先を続けようとはしない。

「一体、何なんですか?」

 中途半端な返事をされて、わたしは不機嫌な顔をしてみせた。

「いや、たいしたことじゃないし、言うほどのことでもないんだ」

 先輩はあくまで言葉をにごす。それから、こんなことを付言した。

「……ただし劇とは違って、この世界には本人の自由意志ってものがあるからな。たんなる興味本位で首をつっこんでいいことかどうか、よく考えたほうがいいのかもしれん」

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