第10話 盗作疑惑
ようやく持ち込みのできる出版社を見つけることができた。
萌乃の小説は面白い。
読めばわかる。
今度こそ、ここで書籍化、出版してもらうのだ。
希望を抱いて出版社に乗り込んでいった才賀たちを待ち受けていたのは、予想だにしなかった言葉だった。
「あなたたちには盗作疑惑があるんですよ」
出版社の会議室はテーブルと椅子と、観葉植物が置かれただけの、殺風景な部屋だった。
そこに通された才賀たちに対して、煙草の匂いを漂わせながら現れた編集者は開口一番、そう告げた。
才賀の横に座っていた萌乃が、椅子を蹴立てて立ち上がる。
「わたし、そんなことしていません! これはわたしがゼロから考えた物語で……!」
だが、編集者は萌乃の言葉を受け流す。
持ってきて、テーブルの上に無造作に置いていた紙の束をこちらに差し出してきた。
「永許出版から、今度出るはずだった新作のゲラです」
読めということだろう。
受け取った才賀は表紙に視線を落とす。
見慣れた名前があった。
【キリナ】
それは愛奈のペンネームだった。
ペラペラと紙をめくっていく才賀の表情が、驚きに変わっていく。
「萌乃、これ……!」
萌乃にゲラを差し出し、読むように告げる。
未だ納得いかない様子で立ち尽くしていた萌乃だったが、才賀の剣幕にただ事ではないものを感じて、椅子に腰を落ち着けると、ゲラを読み始める。
その表情が才賀と同じ、驚愕するものになった。
当然だ。
愛奈が書いたという小説の中身が、萌乃の小説に驚くほど似ていたのだ。
キャラの名前や脇役の性別が男女逆転しているなどの違いはあるが、話の大筋はほとんど一緒。
「本来ならこれが出版されるはずでした。ですが、できなくなりました。どうしてかわかりますか? あなたが盗作したからです」
編集者の冷めた眼差しが萌乃を射貫く。
才賀たちは学生で、編集者は社会人――大人だ。
大人の、そんな視線に晒され、萌乃の体が縮こまる。
「そ、そんな……わたしは……そんなこと……」
否定しないといけないのに、それができない。
そんな萌乃の手を、才賀は握りしめる。
ここは自分に任せて欲しい――そんな思いを込めて。
萌乃が才賀を見つめ、小さくうなずく。
「萌乃は――彼女は盗作なんてしていません。だって彼女はずっと前からインターネット上に作品を発表してきました。それが何よりの証拠です」
「みたいですね」
「み、みたいですねって……それを知ってなお、あなたはまだ彼女が盗作したというんですか!?」
編集者のあまりの言いように、才賀は怒りを覚えた。
「彼女……というより、より正確に言うならば、あなたでしょうか。須囲才賀さん」
「俺?」
そうです、と編集者はうなずく。
「あなたがキリナ先生の情報を盗み、彼女に書かせていたのでしょう?」
「は?」
「とぼけても無駄です。話はすべて聞いていますから。あなたは幼馴染みという立場を利用して、小説とイラスト、どちらも素晴らしい才能を持つキリナ先生のアシスタントになった。しかし、実際には仕事も何もせず、ただ高額な報酬をせびるだけ。幼馴染みだからと大目に見てきたが、さすがに印税のすべてを寄越せと言われたら、キリナ先生も我慢ができない。印税はキリナ先生ががんばったゆえの、キリナ先生への報酬だ。何もしていないあなたのものじゃない。あなたの目を覚まさせようと、あえて厳しいことを言った先生に、あなたは身勝手な怒りを抱いた。逆恨みだ。そしてとんでもない嫌がらせを思いつく。キリナ先生の新作の情報を彼女に横流しして、盗作させるというね」
編集者が何を言っているのか、才賀はまったく理解できなかった。
幼馴染みという立場を利用して、愛奈のアシスタントになった?
違う。イラストを描けと命令したのは愛奈だ。素人だから無理だと断ったのに、それでもごり押して。
仕事を何もしない?
そんなわけがない。イラストを描いたのはすべて才賀だ。むしろイラストに関してだけ言えば、愛奈の方が何もしていない。
印税のすべてを寄越せ?
そんなこと一度も言ったことがないし、そもそもこれまで手伝ってきてそんなものが支払われているということ自体、知らなかった。
「つまり、あなたも須囲さんの被害者と言える」
編集者が同情するような目で萌乃を見る。
「ち、違います! 才賀くんはそんな人じゃありません……!」
「……そう言えと言われているんですよね? わかっています。キリナ先生から聞いていますから。須囲さんは自慢の容姿で女性を誑し、意のままに操ると。キリナ先生もその被害に遭われた。人として最低です」
編集者は才賀を睨みつける。
「今回、自分が打ち合わせに応じたのは、キリナ先生にお願いされたからです。語部さんの目を覚まさせると同時に須囲さん、あなたに立ち直ってもらうために。もう二度とこんなろくでもない真似をしてはいけません。あなたみたいな人のことを信じている、キリナ先生のためにも。大事な幼馴染みなんでしょう?」
最後に編集者は、今回の一件は他の出版社にも共有されているので、どこに持ち込みをしても無駄だと付け加えた。
出版社を出ると、土砂降りの雨だった。
来た時はあんなに晴れていたのに。
だから当然、傘なんて持っていない。
少しここで雨宿りしていれば、晴れるかもしれない。
だが、
「こんな失礼なところ、長くいたくなんてない。走ろう、才賀くん。大丈夫、濡れたって。乾かせばいいだけだもん」
萌乃の見た目は完全に深窓のお嬢様なのに、その口から飛び出す言葉はずいぶんとアグレッシブだった。
「ほら、行こう。才賀くん」
走り出す萌乃。
才賀はその場に留まったまま。
萌乃が立ち止まり、不思議そうに才賀を見る。
「やっぱり、俺は萌乃に関わるべきじゃなかったのかもしれない」
「才賀くん……?」
愛奈の手の込んだ嫌がらせ――というには悪質なデマは、才賀を苛立たせたが、同時に思い知らされもした。
この世界での愛奈の力の大きさを。
愛奈の言うことに真実は何もなく、デタラメばかりだ。
だが、愛奈は売れっ子作家であり、その発言が尊重され、正しいとされる。
萌乃のそばに才賀がいる限り、萌乃の小説が本になることはないだろう。
むしろ、状況はどんどん悪くなっていくに違いない。
才賀は萌乃の小説が好きだ。
かなりエッチなところももちろんいいが、何より萌乃の人柄がよく伝わってくるところが最高にいい。
読んでいて心があたたかくなれるのだ。
そんな萌乃の小説が自分のせいで出版されないなんて、そんなのは絶対に駄目だ。
なら、自分にできることは一つしかないだろう。
「……萌乃の小説が出版されるの、俺、楽しみにしてるから。本屋で並んでたら、必ず買うから。だから」
「だから、何?」
雨に濡れていた萌乃が戻ってきて、才賀の前に立つ。
「ねえ、才賀くん。何を言おうとしてるの?」
「……萌乃、もしかして怒ってる、のか?」
「もしかしなくても怒ってるよ!」
萌乃は才賀の服をグッと掴んで、才賀の体をグッと引き寄せた。
「わたし、言ったよね!? 大好きな才賀くんのイラストで、わたしの小説の表紙を飾って欲しいって! なのに何でそんなこと言うの!?」
「けど、俺が萌乃と一緒にいたら――」
「キリナ先生のことなんてどうでもいい! あの人が邪魔してくることなんて、想定済みだもの! それより才賀くんはどうしたいの!?」
「俺……?」
萌乃の大きな瞳が才賀を見つめる。
自分はどうしたいか――。
そんなのは考えるまでもなかった。
「……萌乃の小説のイラストを描きたい。他の誰にも描かせたくない。萌乃のイラストを描くのは俺だ」
「うん、わたしも同じ。他の誰にもわたしの小説のイラストを描いて欲しくない。才賀くんにだけ描いて欲しい」
自分の思いを口にして、萌乃の気持ちを耳にして、才賀は覚悟を決めた。
服を掴んでいた萌乃の手に、才賀は触れる。
「……ごめん、萌乃。弱気になってた」
「大丈夫。わたしだって自分が才賀くんに迷惑をかけてるかもって思ったら、きっと同じふうに考えたと思うから」
萌乃がはにかんだ。
こんなにも自分のことを大事にしてくれる萌乃の存在に、才賀はたまらなくなる。
「大丈夫だよ、才賀くん。わたしは絶対諦めないから。この小説より、もっとずっと面白い小説を書いて、ぜひ出版させてくださいって言わせてみせるから! そうして才賀くんのイラストで表紙を飾ってもらうんだから!」
「もちろん、最高のイラストで飾らせてもらう」
「うんっ!」
「ありがとう、萌乃」
その気持ちをもっと強く伝えたくて、才賀は考えた。
どうすれば伝えられる?
言葉よりもっとずっと雄弁に――。
答えは自然と出た。
才賀は萌乃を抱きしめた。
全身で伝えればいいのだ。
「さ、才賀くん……!?」
才賀の胸の中で、萌乃が慌てふためく。
「本当にありがとう、萌乃」
「………………それはわたしの台詞だよ」
抱きしめ合う才賀と萌乃。
あんなに土砂降りだった雨は、いつの間にか止んでいた。