世界に拒絶された男
小学生時分から、人ならざる者が見えていた。それが妖怪の類いなのか、或いは人の成れの果てなのかは、私には分からない。ただ、彼らはこちらの言葉を解せぬようで、何度呼びかけても、物を言うことは無かった。
高校生にもなると、人は途端に器用になる。いや、諦めが上手くなると言った方が正確かもしれない。勉強も、恋愛も、我々に纏わる生活の総てに諦めるという行為がついてくる。かくいう私も例に漏れず、他人と違う何かが見えることを諦め、誤魔化す術を身に付けていた。
或夜半、どうにも眠れぬので家の周りを散策していると、色の白い少女がそこにいた。
「やぁ、こんな夜更けになにをしておられるのです」
少女はこちらをじっと見るが、沈黙を保っている。
「暗いですし、人さらいでも出たら大変だ。もうお帰りなさい」
しかし、少女は目を合わせたまま一言として発しない。なるほど、おそらく少女は人ではない何かなのであろう。私はそう合点し、相手にしないことを決め、歩みを進めた。
明日、通学路に、やはり少女は立っていた。習慣とは恐ろしいもので、通りすがりに
「お早よう御座います」
などと、自然に挨拶がでた。
少女は相変わらず物を言わぬ。人ならざる者と言葉を交わすことなど叶わない。誰よりも知っているはずの事実を無視してまで、少女に挨拶をしたのは何故だろうか。習慣以上のものを感じたのだが、それが何かは分からなかった。
それ以来、少女を見れば同様に、挨拶をぶつけた。相変わらず無言を貫く少女に対し、どこか親近感を覚えたのだ。彼女は物を言えぬのだから、世界から拒絶されているのだろう。そして、それが見える私もまた世界から拒絶されているに違いない。せめて私だけでも少女のことを受け入れてやるべきだと、そう考えたためだろうか。とにかく、その奇妙な行為は日課となったのだった。
私には友人がいて、部活動もしていて、それなりに充実した生活を送っていた。それでも、何か一振りのスパイスを欠いたような、不満足の念を募らせていた。今のように不可の無い心地好い水の中に、未来永劫閉じ込められるのだと思っていた。しかし、少女と、そして奇妙な日課と出会ってからというもの、世界は彩りに満ち、そよぐ風や、降る雨ですら趣深く思えた。通学路で挨拶をぶつけるのみだが、私はそれでも満足していたのだ。いや、諦めていたのだろう。人ならざる者は者が言えぬのだから。
だが、そんなふうに思っていたとしても、どこかで欲は出てしまうものである。或夕暮れ時、昼食を食べそびれたので、コンビニエンスストアにて、気に入っているスナック菓子を仕入れ、さあ食べようかという時、前方に、花を見るあの少女を見つけた。夕日に照らされ、艶のある髪が一層映えるその姿に、感情が昂った。この現象を恋というのだと理解するのに、時間を要しなかった。
恋とは、大変に甘美なものだ。神武以来、名の有無を問わず、数多の者が文字に起こし、絵に書き、言葉にし、人に伝えようと試みる程度には。しかし、同時に心を磨り減らし、蝕む物でもあるのだ。毒のある果実という言葉で表すのが丁度いい。私はそれに手を触れ、一齧りしたということだろう。
恋を自覚してからというもの、私の心はすっかり蝕まれ、欲にまみれてしまった。少女見るだけで幸福ではあるのだが、触れられず、言葉を交わすこともできず、日を重ねれば想いは募り、ついに私は恋に溺れていた。どうにかして心のうちを伝えたいが、何度試みても、少女に届かない。触れられる距離にあっても、世界のどこにいるよりも隔たりを感じた。結局、私にはどうすることも出来ないのだ。それならばいっそ、諦めてしまおうか。この恋は叶わぬのだから、無に帰すのが一番だろう。
故に私は、首を吊った。
次に目が覚めたのは、病院だった。ベッドに横たわり、両親の謝罪を聞いていた。曰く、壁に話しかけるなど、異常な行動を見逃してしまったせいで、こうなってしまったらしい。私の想いは異常だったのか。燃ゆるようだった甘美なあの恋は、世界に拒絶されてしまったのだ。悲しみの濁流に呑まれ、私はただ、天井を見つめていた。
それから数日過ぎ、退院と同時に、私は田舎に住まわされた。新居は静寂に包まれていた。中央線の唸りも、人々が発する雑音も、そして、あの通学路も今は遠く、己の呼吸音しか聞こえぬような部屋に住まわされるのだ。
或夜、どうにも眠れぬので、家の周りを散策しているとき、ふと声を出してみようと思い立った。いや、思うより先に自然と絶叫した。人はときに奇怪な行動をするものである。
「世界よ、親愛なる世界よ。私を拒むのならば、私も貴様を拒絶してやろう」
煙のような星空の下、静寂を切り裂くようにこだました。
明日、この田舎に唯一のコンビニエンスストアにて、気に入っているスナック菓子を買おうとしたが、店員が耄碌していたのか、売ってはもらえなかった。どこへ行っても老人ばかりだからだ。これだから田舎は嫌になる。不満を募らせ、川へと出たところで、激しい雨に見舞われた。橋の下にて雨を避けることにし、しばらくたったころ、女学生が走ってきた。
「突然の雨ですね。嫌になりますよ」
女学生はこちらを見ることすらしない。
「いやぁ、こんな男が女学生に話しかけてはまずかったでしょうか。しかし、私は怪しいものではないんですよ」
女学生は反応もせず、スマートフォンを開いた。
この女学生は人の言葉を解さぬのか。なるほど、これは人ならざる何かだろう。そう考え、私はふと後ろに目をやった。
そこには懐かしい少女の姿があった。
「お早よう御座います」
少女は初めて物を言った。
はじめまして。
成り行きに任す性分から、業雪とかいてぎょうせつと言います。
平家の子孫なので、平姓を名乗りました。
なんとなく、小説を書いてみたかったので、試しに執筆してみました。
慣れないものは難しいですね。とても苦労しました。
拙い作品ですが、よろしくどうぞ。