第9話 コータ、王子の一目惚れを目撃する。
朝食の後、見慣れない男の人がアンジェリカの部屋へと現れて、「王女として恥かしくないお召し物で謁見の間へお越しください」と不躾に言い放ってからすぐに帰っていった。
いきなり何のことやら。
王女に対する口の利き方でもない。
アンジェリカも不機嫌さを隠そうとせず、それでもじっとしたまま侍女のナタリーにいつもの数倍はヒラヒラしている服を着せられる。
そして例によって僕を胸に抱きながら、当てつけのように普段より更にゆっくりと謁見の間とやらに向かう。大きな扉が開かれ、悠々と入っていく彼女を中に居た人たちが驚きの目で見てきた。
≪呼んでおいて、驚くって何さ……≫
僕がポツリと呟くとアンジェリカはクスリと笑った。
そんな彼女の可愛い笑顔に釘付けになっていたのが来賓らしき少年だった。
彼も何だか立派な服を着ている。
少なくとも彼が主賓だと思える程度には。
……十五歳ぐらいだろうか?
とはいえ、ここは見た目で判断できないセカイだ。
どこか老成したような落ち着きを見せている。
緊張する場面だろうに、いっそふてぶてしささえ感じられた。
少年は見た目に似合わない咳ばらいをすると再びこちらから視線を外す。
「――失礼。……では続きを。その『システムエラー』の場所ですが、ただいま鋭意探知中です。……まずは第一報だけでも届けねばと考えて参上致しました」
業務連絡らしき話が始まる中、アンジェリカは用意されていた椅子にちょこんと腰掛ける。
少年が何度かこちらに視線を寄越すのだが、彼女はそれを完全に無視して、ひたすら僕を撫で続ける。
≪……ねぇ、……システムエラーって何なの?≫
僕も邪魔にならないように見上げて彼女に聞くと、アンジェリカは顔を寄せて同じように小さい声で説明してくれた。
このセカイの豊饒をうらやむ別セカイの者たちが、何とかこちらに侵入せんが為、システムを狂わせるという手段を使ってくるのだという。
それを感知するのが隣国の王族の仕事で、彼はおそらく王子ではないか、と。
「で、どうか対処をお願いしたいのです――」
そして対処をする軍事力を持つのがこの国だそうだ。
本来この平和なセカイでそういったモノは必要ないのだが、こういった状況に対処する為、システムエラー対策の部隊を準備しているのだそう。
「承りました。正確な場所が分かり次第お伝えください。……それまでに準備しておきましょう」
玉座に座った人が丁寧に頷いた。
初めて見るがおそらくあれが王様。つまりアンジェリカのお父さんってことだ。
王様だっていうから、もっと偉そうな人だと思っていたけれど、そんな感じは見当たらない。
むしろビジネスマンといった感じだ。――恰好は王様っぽいけれど。
≪……戦争が始まるの?≫
「大したことじゃないよ。私がこのセカイに来てからもこういうことは何度もあったわ。……システムが復旧するまで、凌げばいい話なの。復旧さえすれば、システムがこのセカイにいてはいけないモノを自動的に排除してくれるから。最悪の場合、召喚術を使える誰かが侵入者を一網打尽にすればいい訳だし……」
アンジェリカは気の無い返事をすると、再び退屈そうに僕を撫で始めた。
「――まぁ堅苦しい話はこれぐらいにしておきましょうか?」
王様が笑顔でこちらを向く。
その瞬間アンジェリカの腕に力が入った。
今までの話に彼女が口を挟む余地は無かった。
だからおそらくここからが本番なのだ。
「こういった場に出すのは初めてでしたね。……紹介します。末の娘のアンジェリカです。……アンジェリカ。こちらはフィリップ王子だ。挨拶なさい」
「……アンジェリカと申します。以後お見知り置きを」
一応そういった礼儀作法は叩きこまれているのだろう、アンジェリカは立ち上がると優雅に一礼する。
王子ハッとする。
「貴女があの――」
王子はそこまで言ってから慌てて口を噤む。
それでもアンジェリカには十分だった。
僕を抱く手に力が篭る。
この後に続く言葉を理解したのだろう。
――犬姫様。
彼女はずっとそう呼ばれながら蔑まれてきたのだ。
だけど続いた言葉は意外なものだった。
「――なんとお美しい姫君だ。ぜひ二人っきりでお話がしたいものです」
王様は我が意を得たりと鷹揚に頷く。
「どうぞどうぞ、娘もこういった場に出ることを求められる年齢になりました。最初のお話相手がフィリップ王子ならば、これ程ありがたい話はない訳でして。……さぁさぁ、時間など気にせずお好きなだけ。少々常識の通用しない娘ですが、そこは何卒ご容赦を」
そして二人と一匹は追い出されるようにして、別の場所へと移動することになった。
この城のことを知らない王子を先導する形で、アンジェリカは唯一自分が落ち着くことのできる庭園に移動した。
色とりどりの花を見ながら、王子が小声で話しかけ、アンジェリカが笑顔でそれに答える。傍目には初々しい光景に見えたかもしれない。
だけど依然として彼女の気は立ったままだった。
周りに誰もいないことを確認すると、ようやく彼女は真顔で振り返った。
「――さて、一体どういうつもりでしょうか?」
「いや、あんな話は退屈だろうと思ってね。もちろん貴女に一目惚れしたのも事実だ。――だからあの犬姫様だと知って私自身、少々困惑している」
不躾にもクツクツと笑いだす王子。
アンジェリカはもし犬だったら毛を逆立てていただろうというぐらいの目で睨みつけた。
「そんな怖い顔をしないでくれよ。もしよければ、私の結婚相手になることを前提としたお付き合いをしたいとさえ思っているのですよ、……どうでしょう?」
出会ってその日にプロポーズときた!
だけどアンジェリカは余裕の笑みで即答する。
「ごめんなさい。貴方も素敵な方だと思うのですが、私には心に決めた人がいるのです。……ですから、その話は受けられませんわ」
彼女は迷うこともなくそう切って返すと、僕を彼の目の前に突き出した。
……やっぱり、そうなるか。
王子の息がしばらく止まった。
断られることは想定内でも、まさか仔犬を突き出されるとまでは夢にも思わなかっただろう。
それに関しては僕としても同情せざるを得ない。
「……え? まさか、……コレ?」
「コレって言わないで! ちゃんとコータって名前があるんだから!」
「いや、でも犬だろ? 結婚は出来ねぇだろうよ?」
王子の地の部分が出たのだろう。
ちょっと巻き舌のべらんめぇ口調になった。
「そんなコト知ってるわ! でも私はコータの子供を産むの! その為の研究も始ま――」
≪ちょっと、待って! それはまだ言っちゃ駄目ってシンシアが言ってたでしょ!?≫
慌てて僕がストップをかける。
「あ、……そう、だったね」
「……君はこの犬が何を言っているのか分かるのか?」
王子はツッコミどころ満載のアンジェリカのセリフは一旦置いて、まず僕のことが気になったようだ。僕としては『気になるの、そこ!?』といった感じだが。テンパった人間の思考回路というのは得てしてそういうものだ。
「当然でしょ? 召喚獣なんだから」
アンジェリカはそれこそ、何を今更と言いたげに半眼で睨みつける。
その視線を受け止めた王子に理解の表情が浮かんだ。
「……なるほどな、そういうコトか……」
王子は全てが繋がったと言わんばかりに何度も頷くのだった。
「とにかく私はコータ以外の誰とも一緒にならないから」
「正直、俺としては国同士の連携やら他にもいろいろとあるから、ぜひこの縁談は受けて貰いてぇんだがなぁ……」
いわゆる大人の事情ってヤツかもしれない。
フィリップ王子も最初の王子様対応を止めて、この口調を続けるようだ。
「そんな手しか使えないような男じゃ話にならないわ。……また出直して来たら?」
だけどアンジェリカは鼻で笑う。
それって彼女を納得させるような手を使えば了承するってコトなの?
僕は慌てて彼女を見上げるが、アンジェリカは余裕の笑みでそんな僕を見下ろしていた。
「……それもそうだな。次はもっとマシな手を持ってくることにしよう」
王子は不敵に呟くと、何が面白かったのか豪快に笑い出した。