第40話 アンジェリカ、コータにお手をする。
「モモ? 聞こえなかったの? ホラ、お手!」
目の前の小さいコータが毅然とした態度で告げる。
私はそれに逆らえなかった。
逆らう気にもなれなかった。
私はおずおずと右手を差し出し、コータの小さい犬の手の上に人差し指を重ねる。
「よし、じゃあおかわり!」
恥ずかしかった。衆人環視の下で目の前の犬にお手をするなんて。
きっと顔が真っ赤になっているに違いない。
だけど私は懐かしさで胸がいっぱいになっていた。
私は何のためらいもなく左手を差し出す。
「よし。じゃあ、次はほっぺにチュウ!」
私はかがんで小さいコータの頬にキスをする。
「……こっちも!」
コータはあの頃と同じ仕草で違う方の頬をこちらに向ける。
私は彼を抱き寄せて左頬にキスする。
彼も懐かしかったのだろう、フフフと楽しそうに笑った。
「さっきは誤解を招くような言い方してゴメンね? 別に僕はあの二人の子供として戻りたいから関係を解消しようって言いたかった訳じゃないんだよ」
私は驚いて、ただ彼の顔をまじまじと見ていた。
「ただ、もう僕をこんな風に甘やかすだけの日々は止めようねって話。『アンジェリカ』はこれから責任を負うことが増える。だったら僕はそれを助けるために側にいる。キミの召喚獣として」
私はコータの目を見つめて続きを待った。
周りも聞き逃すまいと耳を澄ませているのが分かる。
「ねぇ、モモ? 僕は怒っているんだよ」
コータは溜め息交じりで話し始めた。
「モモがこんなことでウジウジ悩んでいたこともそうだけど、一番はやっぱり、モモにそんな辛い思いをさせてしまった僕の不甲斐なさに。……ゴメンねモモ。僕もちょっとばかりこのセカイで浮かれていたのかもね」
笑うコータ。
昔のコータのようで、少しだけ私の知らない大人のコータ。
「僕はどうしようもない犯罪者だけど、それでもこのセカイで少しでも価値のある存在ならば、今度こそちゃんと役に立ちたい。このセカイで必要とされている『アンジェリカ』のそばで支えたい。……甘やかされるペットはなく、このセカイの一員として、歯車として」
「……パパさんとママさんは、もういいの?」
私の問いかけにコータは首を傾げて考え込んだ。
真剣に考えている様子だけど、その愛らしい姿に少しほっこりする。
「ん~。いっそ女の子が生まれて、どう考えてもコータではない人生を歩んでくれればって思うかな。コータの代わりじゃなくて、僕の弟か妹として幸せになって欲しい。それこそが僕の一番の望みだね。……両親も出来の悪い僕のことを忘れてとまでは言わないけれど、ちゃんと生まれてくる子供と向き合って欲しい。それが僕の嘘偽らざる気持ちだよ」
「――産み分けに関してはシステムも介入を許してくれるかも知れねぇな」
今まで沈黙を貫いていた王子が口を挟んだ。
その言葉にコータは声を弾ませる。
「もしそうだとしたら是非女の子が生まれるようにして貰えませんか? 絶対に『コータ』の変わりだと思えないように」
「この場の王族連名で申請すれば通る可能性は高いわ。今回アンジェリカはシステムに恩を売ったの。それだけの功績がある」
ネリーお姉さまも笑顔で手伝うと申し出てくれた。
こうしてあっという間にパパさんとママさんの子供についての話がまとまった。
「どうしたの? 何で泣いているの?」
不意にコータが私の身体をよじ登り、頬を舐めながら聞いてきた。
少しざらつく舌が気持ちいい。
そこで初めて私は涙を流していることに気付いた。
「そう言えば、僕がこのセカイに来た最初の夜もこんな風に泣いていたよね?」
コータは私を労わる様に頬をスリスリと寄せてくれる。
私はコータを抱き寄せて大好きな彼の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「……ほんとはね? ずっとパパさんとママさんの話をしたくなかったの。……いまの二人を知ってほしくなかったの」
「うん。確かにあの姿はショックだったかも」
私は首を振る。
「そういう意味じゃない。別にコータを悲しませたくないとかそんな理由じゃなくて、あの二人を見て、お腹に子供がいるって知って、もう一度コータとやり直したいっていうのを聞いちゃったら、コータは二人に同情して戻っちゃうんじゃないかって……」
私は思いの丈を全て告白した。
「私ね? ……ずっとずっと怖かったの。去年の秋にママさんが妊娠したって知ったときから、二人にコータを盗られるんじゃないかって。だからずっと誰にも渡すもんかってコータのことを縛っていたの」
「そっか。そのことで悩んでたんだね? 心配させてゴメンね? でもこれからはそういうことも一緒に悩もうね?」
私はコータのその言葉に本格的に泣き崩れた。
悩んでいたことが全て解決して、私はようやくゆっくりと眠ることができた。
いつものようにコータを胸に抱いて、マユミを枕にして。
眠りにつく一秒前までおしゃべりして――。
そして私は幸せな夢を見た。
王宮の庭園で咲いた立派な桜。
それをみんなで花見した。本当に素敵な光景だった。
みんなみんな笑顔だった。
外の眩しさで私は目を覚ます。
久し振りにスッキリとした寝起きの感覚を思い出した。
不用意に身動ぎした私に反応してコータも目を開ける。
「ごめんね。起こしちゃった?」
「ううん、もう全然眠くないから。むしろちょっと寝すぎたかも」
腫れぼったい目をしたコータを胸に抱き、私はパジャマのままマユミを連れて部屋を出た。
ロッジの中とはいえ、やはり冬山。廊下は冷え込んでいた。
私がスリッパをペタペタさせて階下に降りると、大きなテーブルで一人ネリーお姉さまが湯気の立つ紅茶を飲んでいた。
「あら、早いわね?」
「お姉さまだって」
「まぁ、私はその、朝が早いから」
やっぱりお年寄りは朝が早いっていうのは――。
そう考えた瞬間、いつの間にか近付いていたお姉さまが頬をつねる。
「こら、失礼なコト考えたでしょ?」
「……ごめんなさい」
ここは素直に謝る。
彼女も本気で怒っていなかったらしくすぐに笑顔に戻った。
「どうする? アンジェリカも飲む?」
「ううん。……ちょっと外の空気吸いたいの」
「じゃあこれ羽織りなさい」
彼女は今まで羽織っていたコートを脱いで、私の後ろに回って着せてくれた。
お姉さまの体温が残っていて暖かい。
でもそれを告げるのはちょっと恥ずかしくて私が口にしたのは別の言葉だった。
「ちょっと丈が長い……」
「ふふふ、ほら、ちゃんと折ってあげるから」
お姉さまは鼻歌を歌いながら甲斐甲斐しく私の袖や裾を折ってくれた。
「はい、じゃあいってらっしゃい!」
「……行ってきます」
私は俯いたまま靴を履いて外へ出た。
目の前に広がるのは一面の雪世界。
当然ながらどこにも足跡が無い。
そこに私とマユミが新しく歩いた証をつけていく。
そうやってしばらくロッジの周りを散歩していると、マユミが急に走り出し雪を掘り始めた。
「なんか、犬みたいだよ?」
私の声など聞こえないのか、マユミは熱心に掘り続けてようやく顔を上げた。
「……ホラ、アンジェリカ、これ何か分かる?」
「ん? 何?」
茶色い土が見える地面を覗き込めば緑の草か何かが見えた。
小さい紫色のつぼみがついている。
「これは雪割草っていってね。春の訪れなの」
「……そっか。もう春なんだね」
私がしゃがみ込んでそれを見つめていると胸元のコータが顔を上げた。
「そう言えば夢を見たよ」
「……夢?」
「うん。みんなで花見する夢」
コータの言葉に私は立ち上がる。
「それ! 私も見た! 王宮の庭園で花見するの!」
「……春になって、いつかみんなで出来たらいいね」
マユミの言葉に私は大きく頷いた。
きっと出来る。
もう怖いものはない。
私はこの優しいセカイでコータとみんなと一緒に生きていく。
少しずつ成長して、少しずつみんなとの関係を変えながら、その変化も楽しみながら、私は生きていく。
私は雪割草のつぼみを見つめながらそう心に誓った。
先週の宣言通り今回で一旦物語を閉じます。
新作に集中したいとか、季節を合わせたいとか、単純にネタが足りないとかの理由です。
ただ書きたいエピソードはまだまだありますし、41話目は花見の話と決定しています。
あとじいやさんが現世に生まれ変わる日の話とか、コータの妹が生まれる日の話とか。
ですが私自身器用な人間ではないのでまずは現在鋭意投稿中の新作に集中するつもりです。
もしよろしければそちらも覗いて頂ければ幸いです。
身勝手な完結申し訳ないです。




