第38話 マユミ、アンジェリカを案じる。
私の口元でコータがぷらんぷらんと揺れている。
どうやら相当気に入っているらしくかなり上機嫌だ。
ハンモック気分だったり何かのアトラクション扱いされているのだろうか。
そんな感じで私とコータが帰還したのだが、残念なことに歓迎の拍手などなく完全に無視されてしまった。
それどころかどこか物々しい雰囲気で全員が頭一つ高い王子をぐるりと囲み、真剣な表情で話し合っていた。
私も何事かと巨大な身体のままヌッと顔を出すと、ようやく気付いたようで全員が――それこそネリー様までもが驚きで目を見開いた。
アンジェリカが王子に文字通りお姫様抱っこされており、どうやら気を失っているらしくぐったりとしている。
「……あぁ、お疲れ様」
ネリー様が取り繕うような笑顔で告げた。
「マユミも元に戻しておきましょう」
シンシアさんに手をかざされ、ようやく私もいつもの身体の大きさに戻る。
「何があったのですか?」
聞けば作戦中にアンジェリカが倒れたそうだ。
コータが元に戻ったのもそれが原因だと。
重苦しい空気の中、雪原にちょこんと座ったコータがきゅんきゅんと鳴いた。
私は長い付き合いだからある程度分かるけれど、皆は何を言っているのかさっぱりなようで、仕方なく私が通訳する。
「……アンジェリカは大丈夫なんですか?」
「ちょっとぐったりしているだけで命に係わることはことはないかと」
代表してシンシアが答える。
理事長によれば、激しい召喚術を使った際にこうなるのはよくあることらしい。
ただ、今回程度ならばそこまでは負担にならないから、最初から身体が弱っていた可能性の方が高いというのが彼の出した結論だった。
「……やっぱり私が深夜に叩き起こしてしまったからかしら」
ネリー様が心配そうに呟いた。
アンジェリカを引っ張り出したことを気に病んでいる訳でもないだろうけれど、それなりの責任は感じているようだ。
「――いえ、違うと思います」
私は明確にそれを否定しておいた。
「確かに深夜から行動していたのも一因かもしれませんが、そもそも秋頃からずっとアンジェリカはちゃんと眠れていませんでした。……そもそも熟睡できる夜が少なかったのです」
隠しておいても良くないと判断し、私は彼女が悩みを抱えていたことを白状してしまう。
おそらく今日それを皆に告白しようとしていたことも。
静まる中、コータがきゅんと鳴いた。
「……コータは知らなくても仕方ないよ。いつも先に眠らされていたから」
「……眠らせて?」
私の言葉に反応したのはネリー様だった。
「はい、実は――」
「ちょっと待った! 先に姫さんをロッジに運んでからだ。このままじゃ身体が冷えちまう」
王子が話し始めようとしていた私たちを止めて、彼女を抱いたままロッジへと歩き始めた。
「――やっぱりここは暖かいわね?」
ロッジに戻ると、ネリー様がコートを脱いで管理人に渡す。
よく考えれば雪山だったのに寒いとか一切感じなかった。
その辺りはやっぱり召喚獣だからかもしれない。
「この子を寝かせられる場所はあるか?」
「はい、こちらに!」
管理人に先導され理事長とレイモンドさん――じいやさんを残して私たちは二階に上がる。
廊下の両脇に並ぶ扉の一つが勢いよく開けられた。
綺麗にベッドメイクされている貴賓室のような感じ。
王子が優しく丁寧にアンジェリカをベッドに寝かせ、「あとは頼むな」と告げると足早に回れ右して部屋を出ていく。
レディの寝室に長居するものではないという紳士的な判断だろう。
その辺りは流石のカッコよさだった。
コータは備え付けのイスや机を経由してぴょこんとベッドに飛び乗ると、一心不乱に彼女の頬っぺたに自分の頬っぺたをこすり付け始めた。
それは本当の犬のような仕草だった。
おそらくコータが子供の頃身体が弱った時、アンジェリカ――モモにこんな風にしてもらっていたのだろうことが想像された。
彼なりに思うところがあって、その想いを返そうとしているのだろう。
それは犬と飼い主の親愛のようであり、姉と弟の触れ合いのようであり、どこか幼い愛のようであり。
何とも言えない光景に少しだけ胸が痛くなる。
「……大丈夫、ひと眠りしたらすぐ良くなるわ」
シンシアさんが笑顔でコータの頭を一撫でする。
「何かあったら呼んでね? 私たちはあちらで話をしているわ」
ネリー様は慣れた手つきでアンジェリカに布団をかけると、コータの身体をポンポンと叩いて部屋を出ていく。
私も布団から出ている彼女の手を一舐めしてからシンシアさんに続いて一緒に部屋を出た。
昼食を取ったダイニングではすでに紅茶の準備が出来ていた。
私も皆と同じように椅子に座って前に置かれた紅茶を舐める。
「まずはゴローさん、マユミ、そしてここにはいないコータ君には王族として感謝を」
ネリーさんが切り出して頭を下げると王子も同じように笑顔で私たちに頭を下げてきた。
王族として今回の件はそれなりに重要な案件だったらしい。
私としてもこのセカイの住人として認められたみたいで嬉しい。
「これであなたたちの有用性が証明されたわ。将来的にこちらの大陸が脅威にさらされたときの抑止力にもなりえるでしょう」
紅茶カップを片手に微笑むネリー様を、全員が驚きを持って見つめる。
流石に今回はシステムエラーに関することで頭がいっぱいだったので、他の大陸のことまでは頭が回らなかった。
王子も少し眉をひそめる。
「一応私は常に公平であろうと心掛けているわ。それでもやはり多少なりとも召喚術に対する偏見があった。でもコータ君やマユミさん、それにゴローさんを知ったことで取り除かれつつある。……それでも世間一般ではまだまだ忌み嫌われた存在には違いないと思う」
シンシアさんが小さく頷いた。
彼女は幼少期に召喚術を成功させた稀有な存在であると同時に、忌避された存在でもあったのだろう。名目上の両親とはほぼ絶縁状態にあると聞いている。
「だけど、この技術自体は絶対に私たちを救うモノ。それは皆が渋々ながらも認めるところだわ。そして今回のことで更にその気持ちを強く持つことになるでしょうね。……大規模な作戦を実行し成功させた。軍を動かすよりも迅速だった。人的被害もゼロだった。何よりこの作戦を王族主導で行ったというのが大きい」
彼女はどこか陶然とした笑みを浮かべる。
「私は召喚獣部隊をアンジェリカの下に置きたいと考えているし、そう父に進言するつもりよ。……何かこのセカイにとって不都合なことがあれば、私が全責任を負うとの宣誓書と一緒にね」
それは実質ネリー王女をトップに置くと宣言したも同然だった。
「……正直国を任されている立場の人間としては、この戦力は頼もしい。……だが恐ろしくもあるな」
「それはアンジェリカが貴国に牙を剥くかもしれないってことかしら?」
「そういう訳ではないのだが、……ただなぁ」
王子は腕を組んで天井を見上げた。
システムエラーに対応している彼としても望むところなのだろうが、間近で強大な牙が誕生したことに懸念があるというところらしい。
それに王子が恐れているのはアンジェリカではなくネリー様だとはさすがに本人の前では言えないようで、彼は口ごもる。
それをじいやさんが含み笑いで揶揄した。
アンジェリカは安静にしておきたいということで、今日は取り合えずこのまま山荘で一泊することにした。
一応伝令が戦果を報告してくれているので、ちょっとした休暇名目だ。
祝勝会も兼ねている夕食なのだが、そんな気分にはなれない。
全員が当たり障りのない世間話をしながら、静かに用意されたご飯を食べていた。
そんな中、ガチャリと扉の開く音が階上から聞こえてきて、皆が天井を見上げる。
待っていると階段をトントン下りる軽やかな足音とともにアンジェリカが姿を見せた。――腕の中に眠ったままのコータを抱いて。
……おい、コータ!
おそらく全員が心の中で彼にツッコんだ。
そのツッコミが届いたのか、コータはピクリと身体を震わせ、何事かと辺りをキョロキョロ見渡した。




