第35話 アンジェリカ、緊急任務に呼び出される。
深夜、コータを胸に抱きマユミを枕に気分よくぬくぬくと眠っていたところを無理矢理叩き起こされた。
久し振りの熟睡を邪魔され何があったのかと飛び起きれば、マユミが枕役を放棄し文字通り私の頭をバシバシ叩いていたのだ。
いきなりの出来事に目を白黒させていると、ドアがノックされていることに気付く。どう考えても緊急事態だった。
「入りなさい!」
私が声を張り上げれば、ガチャリと扉が乱暴に開かれ役人らしき男の人が現れた。その後ろに申し訳なさそうな侍女のナタリーが顔を伏せて付き従っている。
「アンジェリカ王女、夜分遅く失礼いたします。今すぐお着替えされて謁見の間へお越しください」
男はそれだけ告げると踵を返して去っていった。
「……それだけ?」
今のは私の呟きではなくナタリーの言葉だった。
彼女は自分の主である私を粗雑に扱われたことに腹を立てていた。
その彼女の気持ちだけで心を落ち着かせることができた。
「さて、ナタリー? さっそくだけど着替えを手伝ってくれるかしら?」
私が笑顔で告げると、彼女も一度だけ苛立たし気に息を吐くといつもの優しい笑顔に戻った。
「はい。……それにしても、こんな深夜に何があったのでしょうね?」
「ナタリーこそ、深夜に起こされて大変だったわね?」
「……いえ、私は元々眠りが浅い方なので」
ナタリーとそんな話をしながら手早く着替える。
だけど本当に珍しいこともあるものだ。
わざわざ嫌がらせの為に深夜に叩き起こすとは思えないから本当に用があるのだろう。
だからといって一応王女とはいえ元犬の自分に何が出来るのだろうか。
「……マユミ? そろそろそこで気持ちよさそうに眠っているコータを叩き起こして頂戴」
彼女は無言で頷くとベッドに飛び乗る。
私という熱源を失ったコータは今度は布団に潜り込んで熟睡していた。
マユミはそんな彼を引きずり出すと、彼の頭をバシバシと容赦なく叩き始める。
≪……もう、朝ご飯なの?≫
そんなコータの寝ぼけ声に寒々しい部屋内がちょっとだけ和んだ。
私はマユミに先導させて謁見の間に急ぐ。
いつもならコータを先に歩かせるのだけど、今はそんな時間の余裕も無さそうだった。
その彼は私の腕の中で何度もあくびをかみ殺している。
腫れぼったい目をしょぼしょぼさせるコータが可愛い。
広間に向かうと父である王様とその前に元婚約者フレデリック王子、そして部屋着姿のいつもより色っぽいネリーお姉さまがいた。
その外にもこの時間に叩き起こされたであろう役人やら軍人らしき人物が数人。
私が来賓である王子に頭を下げると、彼も笑顔で礼を返してくれたが疲労の色が濃かった。
いつもはポンポン出てくる軽口もなく終始無言だった。
「――アンジェリカ、深夜に起こして悪かったな」
いつもなら父王から私に対して話しかけるようなことはまず無い。それも労わるような言葉など。それだけに事態の重さを感じてガラにもなく緊張してしまう。
「今晩……いや日付的には昨晩だな。……オラン山脈の我が国側でシステムエラーに起因する歪みが出たそうだ。……それも緊急性があり大規模だと」
その言葉に王子が伏せていた頭を更に下げた。
「それに関しては我々としても本当に申し訳なく思っております。別に見逃していたとか貴国に害を与えようなどと企んでいた訳でもありません。……どうかこれだけは信じていただけるよう」
彼は察知出来なかったことをひたすら詫びる。
軍を持たない隣国の彼らはシステムエラーに対応できない。
今まではあちらが予測し、アンジェリカの国でそれに対処するという信頼関係でもって円満に解決してきた。それを疑われると近隣諸国の防衛体制が根本から崩れていく。
「大丈夫です。我々の貴国に対する信頼はいまだ揺るいでおりませんよ。……もしかしたらこの前のシステムエラーは今回の為の序章だったかもしれませんね」
父王が鷹揚に頷くと、王子はもう頭を下げずただ黙礼するに止める。
だけどその姿からは忸怩たる思いがにじみ出ていた。
「さて、ここからが本題なのだけどね? ……今からそれも雪の山中で大規模な軍を動かすのはちょっと難しいって話になってね?」
ネリーお姉さまが緊張感のない気楽な感じの声で続けた。
いつもの『それでは少しお茶にしましょうか?』というような。
だけど彼女がこの場を支配し始めているのは朧気ながら理解できた。
私は頷くことで続きを促す。
「でね? 私が進言したの。『アンジェリカと召喚獣たちを使ったらどうかしら?』ってね?」
その言葉でその場にいた人間の視線が一斉にネリーお姉さまから私へ向いた。
「今のアンジェリカは、王族としてすべきことをきちんと理解していると思うの。貴女ならこの両国の危機に対応すべく本領を発揮してくれるに違いないと。貴女は絶対に期待に応えてくれると。……私はそれを信じているわ」
今の言葉にあの頃の怖いネリーお姉さまが見え隠れする。
きっと私は今回、お姉さまに最大限に利用されるのだろう。
だけどそれならば私もお姉さまを利用し返せばいいだけの話。それがお姉さまから教わった淑女の振る舞い。それをお姉さまも望んでいる。
私の目の色が変わったのに気付いたのだろう、ネリーお姉さまは良く出来ましたと言わんばかりに口元を歪めた。
お姉さまは絶対に私の敵ではない。
私を利用するけれど、敵ではない。
お互いが得をする道を見つけたから誘ってきただけの話。
「了解しました。召喚獣であるコータとマユミを使って全力で対応いたします。ご期待ください!」
私は今自分に出来る一番の笑顔でこの役目を引き受けた。
これこそが、王族としての正しい振る舞い。
ネリーお姉さまをチラリと横目で窺うと彼女は満足そうに頷いていた。
私は部屋で待っていてくれたナタリーと一緒に出かける準備を済ませ、まだ星が出ている冬空を見上げながらゆっくりと馬車に乗り込む。
だけどどれだけ待っても一向に出発する気配がない。
気になって馬車の窓から身を乗り出すと、寒い中、コートを羽織り仁王立ちしたネリーお姉さまがいた。
彼女は私に気付いたのか笑顔で手を振る。
「もうちょっとだけ待っててね? 助っ人を呼んだから」
しばらく馬車の中で待っていると見慣れた馬車が現れて私の横に並んだ。
降りてきたのはシンシアだった。腕にゴローを抱いている。
馬車の中には彼女の祖父である理事長までいる。
「おはよう! なんか大掛かりな作戦が始まるんだってね。……でもさ召喚獣部隊ってちょっとカッコいいわよね?」
どうやらシンシアも参戦するらしい。
理事長はお目付け役だが、敵の規模によっては彼も参戦するそうだ。
「さてそれでは皆さん、これから大々的に召喚獣での『狩り』を行います。さっそく雪山へ出発しましょう!」
ネリーお姉さまが楽しそうに声を上げ私の馬車に乗り込んできた。
観測役を買って出た王子と彼に付き従うじいやさんが苦笑いし、彼らも自分たちの馬車に乗り込む。
そしてまだ暗い中、雪山に向けて馬車が動き出した。




