第32話 コータ、アンジェリカの前世還りを目撃する。
外と違って暖かい王宮の中を歩く。いつものように一人での散歩じゃなくて。
僕は何度も何度も振り返った。
そこにいるのはニコニコ顔でついてくるアンジェリカ。その横にはマユミも。
何故だか最近はだっこをされることが少なくなった。
学校など人が多いところでは、踏まれたり蹴られたりしないよう安全の為に抱きかかえられる。
でもそれ以外のところではこんな風に一人で前を歩かされ、後ろから無言の圧力めいたものを掛けてくるのだ。
前に回って扉を開けてくれたり、道を間違えたりすると可愛い咳払いでさりげなくそっちじゃないと知らせてくれたりもする。
だけどちょっとばかり彼女の思考が読めなくて不安だった。
どうしたものかと振り返って顔を見れば……やっぱり笑顔だし。
最近ずっとこんなのが続いていた。
何かの罰ゲームなのだろうか?
助けを求めるようにマユミを見つめると、彼女も気まずそうに顔を逸らすのだ。
そんな後ろの二人を気にしながらも廊下を進んでいると、ネリーさんがこちらに向けて手を振っているのが見えた。
ちょうど以前僕たちが捕獲されたポイントだった。
「ネリーお姉さま!」
アンジェリカはダッシュで僕を追い越すと、そのまま体当たりするかのように飛び掛かる。
彼女のお尻に無いはずのシッポの幻影が見えたような気がした。
「はいはい」
エアシッポをブンブン振っている彼女をネリーさんは笑顔で受け止める。
抱きつかれた彼女も随分と慣れた感じだった。
「……お姉さまぁ」
アンジェリカはめちゃくちゃ甘えた声で身体を預ける。
そんな彼女の顔をもみくちゃにするネリーさん。
≪いつも、こんな感じなの?≫
伝わらないのを承知で横に並んだマユミに問いかける。
「全然。……むしろ、これからだよ? ホントにびっくりするから」
マユミは僕が何を聞いたのか分かったらしい。
彼女は犬なのにアニメチックな感じでニヤリと口元を歪めた。
僕たちがこっそり意志疎通している間も二人のじゃれ合いは続いている。
身体から力が抜けたのか、アンジェリカは腰砕けでその場にへたり込んだ。
それに合わせるようにネリーさんも膝立ちになる。
するとアンジェリカはとろけそうな顔で彼女にお腹を見せてコロンと転がった。
≪……うわぁ≫
僕が目を見張るような光景でも、ネリーさんからすれば特に驚くようなコトではないらしく「ほらほら」と彼女のお腹を嬉しそうに撫で始めた。
……まさかの前世還りだった。
「うきゅ~」
変な声を出すアンジェリカを通りすがりのメイド数人が目撃し、ハッとした顔でお互い見つめ合うと、足早に顔を伏せて何も見なかったと言わんばかりに引き返していった。
そんなことなど知らないアンジェリカは、金色を髪を振り乱し、満面の笑顔で宙を蹴り、ネリーさんの腕にしがみついていた。
その姿はまさに犬!
思えばモモは僕に対して、ここまで激しく服従してくれることなんてなかった。
父さんや母さんにはこんな感じで全力でお腹を見せていたのに。
僕には「……撫でたいの? ……仕方ないなぁ、ホレ、撫でてもいいよ」と言う感じの上から目線で身体を捻っていたのを思い出す。
彼女の中で僕は弟扱いだったらしいから、それも仕方ないのかもしれない。
今、ネリーさんにお腹を撫でられながら身悶えているアンジェリカは本当に幸せそうだった。
このセカイでもちゃんとそういう相手を見つけることが出来たのだ。
しばらく二人はそんな感じでイチャついていたが、ようやく落ち着いたらしくアンジェリカはすっきりした笑顔で立ち上がった。
ネリーさんは膝立ちのしゃがんだ格好のまま、彼女のヒラヒラの服の裾をパンパンと払ってあげる。
アンジェリカははにかむような笑顔を見せると、抱きやすい位置にあったネリーさんの頭をいきなりぎゅっと抱え込む。
そして顔を潜り込ませ、ネリーさんの頬っぺたに自分の頭をグリグリと押し付け始めた。
「え? ……なあに? ……アンジェリカ?」
ネリーさんは戸惑い固まるのだが、アンジェリカは気にせずグリグリグリグリと続ける。
自分のにおいを馴染ませるように擦り付け、また「うきゅ~」と変な声で喉を鳴らす。
……はい。これは完全に服従していますね~。
心の中で目の前の光景を解説する。気分はムツゴロウさんだ。
それにしても、一体何をどうやったらここまでの短期間でこれ程の親愛の情を得ることが出来るのだろう。
ネリーさんも彼女が何をしているのか何となく分かってきたのだろう、アンジェリカの気が済むまでそれをさせ、愛おしそうに彼女の髪を撫でていた。
「ほら!」
ネリーさんが差し出したのは下界でもよく見たような茶色い紙袋だった。
アンジェリカはそれを何のためらいもなく受け取る。
「……あったかーい!」
彼女は弾ける笑顔で姉を見つめる。
「焼き芋よ。さっき保育園の帰りにね、街で買ってきたの。……アンジェリカはお芋さん好き?」
「はい。大好きです」
アンジェリカは姉を見上げながら何度も首を縦に振る。
「そう? よかった。じゃあ温かいうちにコータ君とマユミさんと一緒に食べてね?」
彼女はそう告げると何度も振り返り、その度に手を振って去っていった。
「ありがとうございます!」
アンジェリカも腱鞘炎になるか心配するほど手を振ってそれを見送っていた。
部屋で彼女の着替えが終わった頃、ほくほくの焼き芋が僕の皿の上に置かれた。
マユミの前にも。立ち上る湯気が食欲をそそる。
袋の中にあったのは僕たちで食べきれる量でなく、残りは侍女のナタリーに渡して彼女たちに食べてもらうことにした。
「ん~! おいひい!」
焼き芋を頬張るアンジェリカはご満悦の表情。
僕もマユミも食べる。
……おいしい!
「……天国は焼き芋まで美味しいのね?」
マユミがちょっと感動しているような、呆れているような感じでポツリと呟いた。
いつだったか。
アンジェリカは興奮して「ネリーお姉さまは凄い」と何度も叫んでいた。
きっと何かがあったのだろう。
逆にネリーさんに感謝していたはずのマユミはちょっと距離を置き気味。
別に避けているとかではなく。
さりげなく尋ねると、「あの人はヤバイ。絶対にヤバイ。コータも機嫌を損ねないように気を付けなさい」と僕の耳元で小さく囁いた。
何かされたのと聞いても彼女は首を振るが、アンジェリカを懐かせる為の手が鮮やかすぎて怖かったのだとだけ漏らした。
確かにネリーさんは何を考えているのか分からない人だ。
だけどアンジェリカに対して何か良くないことをするようには思えない。
それに元々はあのモモなのだ。
彼女は警戒感が強くて賢い犬だった。
人を見分ける能力は人間とは比べ物にならないはず。
……だけど、もし、ネリーさんがアンジェリカに危害を与えるような人なら、そのとき僕は何が出来るのだろうか。
僕はそんなことを考えながら美味しそうに焼き芋を頬張るアンジェリカの横顔を見つめていた。




