第27話 王女ネリー、アンジェリカをからかう。
「――あれ? ……コータ、ここにいたんだ?」
後ろからその声が聞こえた瞬間、私の背中に変な汗が浮かんだ。
この私が誰かを恐れるなんて。
声の主は末の妹アンジェリカ。足元には大型犬。
マユミだとかいう名前の隣国の王子が連れてきた子だろうか。
「もう、こんなところにいたんだ。探しちゃったじゃない」
アンジェリカは笑顔こそ見せているものの、どこか強張っている。
「ネリーお姉さまごきげんよう。ウチのバカ犬を保護して頂き感謝いたします……」
あちらも緊張しているのか、すぐに私から視線を外す。
この子はいつもそうだ。
本能が勝っているのか、私のことを怖がってちゃんと真っ直ぐ見てくれない。
私を廊下などで見つけてもさり気なく脇道に逃げてしまう。
本当はこうやって私の前に立つのもイヤなのだろう。
だから彼女は私ではなく胸元のコータ君を睨みつけると――小さく舌打ちした。
思わぬ行動に私は驚く。こんな行儀の悪いことをする子ではないはずだ。
ましてや私の前でそんな態度など、絶対にありえない。
アンジェリカの視線を追いかけると、私の胸の谷間にすっぽりと挟まれたまま凍り付いているコータ君を発見。
……なるほど、ね?
おかげで私は余裕と笑顔を取り戻すことができた。
「あら? アンジェリカ。久し振り。元気にしていた? 暇だったもので撫でさせてもらったわ」
私はちょっとした確認の為、コータ君をこちらに振り向かせ、更に胸に押し付けてみる。案の定、アンジェリカは呼吸を止めて顔を強張らせた。
しかし笑顔だけは崩さない。大したものだ。
「どうぞお好きなように。減るものでもありませんし、いくらでも撫でてやってくださいな。……コータも随分と喜んでいるようですし、ねぇコータ?」
八つ当たりとばかりにコータ君の背中をギロリと睨みつける。
視線を合わせた訳でもないのに、悪寒がしたのだろうか、胸の中の彼がピクリと身体を震わせた。
あらあら、もしかしてこれってちょっとした修羅場じゃないかしら?
私は本性が出ないようにいつもの笑みを顔面に張り付ける。
「心配しないで、別に貴女から奪うつもりなんてないわ。私もこんな小さくて可愛らしい子が欲しいなって思っていただけなの。……ホラ、農場で貰ってもすぐに大きくなっちゃうでしょ?」
「そうですね、一応コータはそういう常識から外れた存在です」
「やはり召喚術を使うしかないのかな? でもそこまでして近くに置いておきたい相手なんてそれこそ子供か孫ぐらいだし。彼らを殺してまで……というのは……ちょっと、ね?」
「それこそ、殺したいほど憎い相手を探してみてはどうですか? お姉さまならば事欠かないでしょう? 彼らを従順にしつければいいのです。……そういうの得意ですよね?」
アンジェリカも余裕を取り戻したのかニヤリと口元を歪める。
この私に対して中々失礼なことを言ってくれるものだ。
……まぁこればかりは紛れもない事実なのでぐうの音も出ない。
なるほど、この子はこういうことも言えるようになったのかと思うとそれなりに感慨深いものがある。
私は彼女の評価を上方修正すると、コータ君を抱き直してベンチに腰掛けた。
「本当に殺してやりたいと思っていた人は私よりも先に死んじゃったからね。……あいにくクソババアみたいな汚物を近くに置いてこのセカイを楽しめるような広い心は持ち合わせていないの」
子供の産めない私を思いっきりいびってくれた。
養子として迎えた大事なウチの子供たちに罵声まで浴びせてくれた。
……『野良犬にくれてやる遺産などない』とも。
確かに義実家はそこそこの小金持ちだったが、私が生涯で稼ぎ出した額からすれば所詮数パーセント程度。
そんなはした金など一緒になって馬鹿にしてきた義弟夫婦にくれてやった。
アレが死んだと聞いたときは子供たちと盛大に祝杯を挙げたものだ。
でも夫はちゃんと私の味方をしてくれた。
彼は歪みまくったあの家の中で唯一まともな感性を持った人だった。
それでも遺伝子レベルまで染みついていた歪みは残っていて、それに関しては私が時間をかけて再教育を施した。
もちろん夫のことは愛している。現在進行形だ。
無事こちらのセカイに呼ばれる資格を得た夫を王女の権力でもって探し当て、もう一度夫婦になる約束も済ませた。夫は泣いて喜んでくれた。
個人的にも調教済の夫が側にいてくれるならば安心できるというモノ。
「私は貴女たちのように相思相愛の関係が欲しいの。でもそういう召喚獣は普通手に入らないわ。本当に素敵なことだと思う」
またの名を主従関係とも。
ある意味男と女の理想形だと思う。
もちろん女が上。……当然だ。
実は夫を召喚獣として側に置く手を考えなかった訳ではない。
ただ王族の私がそんなことをすると評価が下がるのではないかと、それが怖かっただけだ。
そういう意味ではアンジェリカは尊敬に値する。王女という立場に重きを置いていなかっただけだとしても。
私の混じりっけのない賞賛の言葉に彼女の耳が一気に赤くなった。
「……べ、別に相思相愛なんかじゃないですよ。コータだってお姉さまのことが気に入っているみたいですし」
あらあら、何を嫉妬しているのだか。
一丁前に女の子なんだ?
そんな姿を見ると、ついついからかいたくなるのが私の悪いクセだ。
「じゃあ今夜、この子を借りてもいいかしら?」
これ見よがしにコータ君を胸に押し付けてグリグリ擦り付けるとアンジェリカの顔が引きつった。それのみならずマユミという名の犬まで顔を逸らしてしまう。
何事かと見下ろすとコータ君が私の胸に挟まれて鼻の下を伸ばしていた。
――まぁ、何て分かりやすい子!
アンジェリカは愕然とした様子でコータ君を睨みつけていた。裏切られたと考えても無理はない。もし夫が他の女にこんな顔をしていたら――。
……当然お仕置きが待っているわよね?
「どうぞ、コータなんかでよければいくらでも!」
アンジェリカは半ばやけくそになって答えると回れ右をして大股で引き返していく。それがあまりにも可愛らしくて、その足早な後ろ姿に追い打ちをかけた。
「……じゃあ夜になったら一緒にお風呂に入ってくれる? いっぱい洗いっこしようね、コータ君?」
その言葉にコータ君が私を見上げて目を見張った。
恥ずかしそうな、期待に満ちているようなそんな目。
次の瞬間アンジェリカが駆け足で近寄り、コータ君を強引に私の腕からひったくっていく。
「ウチのコータに変なこと教えないでください!」
彼女は私に噛みつくようにそう告げると、コータ君を抱いて立ち去って行った。
肩越しにコータ君がアンジェリカと私を心配そうに交互に見ている。
そんな姿がいじらしくて手を振って見送った。
私たちの足元でじっと様子を窺っていた大型犬も、丁寧に頭を下げてゆっくりと去っていく。
「……あの子をよろしくね?」
私は彼女だけに聞こえるようにお願いすると、もう一度振り返り丁寧に頭を下げる。そして今度は駆け足で彼女を追いかけていった。
きっと前世は聡明で気の利く素敵な女性だったのだろうことがこの一連の流れの中で窺えた。出来るならば私の側に置きたいとさえ思える。
だけど、そんなことより――。
「……アンジェリカ、ちゃんと女の子になれたんだね?」
正直バケモノの相手は専門外なので手をこまねいていたが、おしゃまな女の子の相手はむしろ得意分野だと言える。
「……そろそろ頃合いかも知れないわね」
私のその何気ない呟きを聞いた者は誰もいなかった。
そのとき、どんな表情をしていたのか知る者も――。




