第26話 コータ、王宮内を散歩する。
最近僕たちの関係が変わった。
こうしてアンジェリカの元を離れて一人で出歩けるようになったのもその一つ。
あくまで彼女の許可を得たときに限られるのだけど、のほほんと自分のペースで散歩できるのが嬉しい。
もちろん王宮から出るのは厳禁。
一応彼女は僕がどこにいるのか把握できるし、毒を盛られようが剣で刺されようが死なない。それでもまだ遠くへは行かないでと言われた。
今日もアンジェリカはマユミと二人で話したいことがあるらしく、追い出されるようにして見送られた。
これ幸いと散歩に出掛けたのだが、王宮内で特に行きたいところなんてあるはずもなく、例によって広々として庭園を歩き回る。
たくさんの庭師さんたちによって毎日毎日丁寧に手入れされており、また天国ということもあって花も簡単に萎れることなく元気に咲き誇る。見たことのない花は外国のモノなのか、過去に絶滅してしまった種類なのか。それらを見て飽きることはない。
おまけに気候は抜群。
秋は僕の一番好きな季節だった。
アンジェリカはこの前王子に言われたことに何か思うところがあったようで、少しずつ変わり始めた。
その何よりもの証が僕の身体の成長だと思う。
ほんの少しだけ成長した。ほんの少しだけ。……まだまだ成犬には程遠い。
だけど彼女が一生懸命僕との関係を考えてくれているのだということが感じられて嬉しかった。
懸案だったシンシアとの仲直りもあっさり完了し、今アンジェリカは成長の真っ只中にある。
……相変わらず身体は小さいままだけれど。
随分と犬っぽさが抜けてきたのは、マユミが近くにいてくれているからだろう。僕だけじゃきっとあのままだった。
日を追うごとに普通の人間の女の子みたいになっていくアンジェリカを見るのが嬉くもあり、自分の知っているモモ像から離れていくことを寂しく感じてみたり。
ここ数日はそんな感じでもやもやしている。
洋風の四阿とでもいうのだろうか、僕はそんなちょっとした休憩場所に身体を落ち着けていた。
本当にいい天気だと思う。ずっと秋が続けばいいのに。
そんなことを考えながらベンチに座って木々の紅葉をボケーっと眺めていると、物陰からフナフナっとした何かが現れたり消えたりしているのに気付いた。
それがどうも気になってきて、じっと見つめていること数秒。
あちらも僕の視線を意識し始めたのか動きが徐々に激しくなる。
視線を少しあげると二十歳ぐらいの綺麗な目鼻立ちの女性が物陰からチラリと顔を出しながら一生懸命何かを振っているのが見えた。
――ねこじゃらし、だろうか?
いや僕、そもそも猫じゃないし。犬だし。……あぁ違った。元人間だし。
何にしろ、そんなものに狂喜乱舞するはずもない。
だけど彼女の表情は真剣そのもの。
僕の顔を一心不乱に見つめながら、時に小刻みに、時にスナップを利かせながら勢いよく振り続ける。
段々かわいそうになってきたので、少しずつ近付いてあげた。
表情を窺うと物凄くいい笑顔。彼女の感情が反映されたかのように、ねこじゃらしが千切れんばかりにラストスパートをかけた。
更に近寄ると、彼女は物陰から姿を現してガバリと僕を抱き上げる。
予想以上に大きな胸に僕の身体がめり込んだ。すごく柔らかい。
感動した!
男の夢がここにあった。
服装から見て相当偉い人なのは間違いないけれど、その顔は見たことがあるような無いような。でも悪い人では無さそうだし、拉致られそうでも無いので抵抗もせずにじっとしていた。
彼女は念入りに周囲を警戒すると、ベンチに腰掛け僕を壊れものか何かを扱う様に慎重に膝の上に置く。そして恐る恐る撫で始めた。
随分と幸せそうな顔だった。
≪……一応、僕は普通の犬じゃなくて召喚獣ですよ? 元人間ですけれど、いいんですか?≫
誤解を解かねばと話しかけるのだが、当然犬の鳴き声。
「きゃあ、かわいい! ねぇねぇ、もっと鳴い下さいな!」
≪あの、どちらさんでしょうか?≫
……きゃんきゃん。
「う~。私もこんな子が欲しい! 農場に行ったら頂けるのかも知れませんが……。やはり生き物は世話が大変でしょうね」
彼女はぶつぶつと言いながら撫でてくる。
でもまるっきり初心者の撫で方なので気持ちよくはない。
手がすべすべしていて、見た目や口調からお嬢様だろうことは想像できる。
「ねぇキミは、召喚獣なのでしょう? こんなにも可愛いらしいのに、ね。……やはりキミもその気になれば大きくなって侵入者たちをかみ殺したり出来るのかしら?」
……ん? 何ですか、それ?
僕は思わず首を傾げた。
「きゃあ! ちょっと! あなた何なの!? メチャクチャかわいいじゃない! どうなっているのよ!」
どこが彼女のツボだったのか分からないが、おしとやかだった口調が急に雑になる。手に力が篭って身体中をもみくちゃにされた。
それからしばらく経ってようやく落ち着いた彼女は、僕を見つめて恥ずかしそうに微笑んだ。
「あぁ、本当になごむ。こうやって縁側でお茶を飲みながら猫を撫でるのがあの頃からの夢だったのよ」
彼女は何度も何度も僕の頭を撫でながら感慨深げに呟く。
こちらの口調が地のようで、もう戻すつもりはなさそうだった。
ちなみにここは縁側でもないし僕も猫じゃない。ついでに言えばお茶もない。
でもきっと彼女はこういう穏やかな老後を過ごしたかったのだろう。
――そしてそれが叶わなかった、と。
このセカイに呼ばれ、この城でこんな恰好で歩き回ることが許される人間、しかもこの風格。きっと一角の人物だったのだろうことは想像できた。
見上げると、彼女は嬉しそうな顔で僕を抱きかかえ、再び胸に押し付けてくる。
「もう! なんて可愛らしいの!」
胸の谷間に挟まれた。幸せな感触。
確かにここは天国だ――。
僕はようやくここが天国なのだと実感した。
「――あれ? ……コータ、ここにいたんだ?」
その声が聞こえた瞬間、僕を抱きしめる女性の腕に力が入った。
明らかにこわ張っている。だけどそれ以上に僕が凍り付いた。
誰の声かなんて考えるまでもない。振り返る勇気はなかった。
「もう、こんなところにいたんだ。探しちゃったじゃない」
彼女がクスクスと笑う。
だけどそもそも彼女は絶対に僕を探さない。探す必要がないのだ。
あのピクニックのときでさえ彼女は僕を一直線に迎えに来た。
「ネリーお姉さまごきげんよう。ウチのバカ犬を保護して頂き感謝いたします……」
僕は意を決してアンジェリカの顔を見ると想像通り笑顔だった。
だけど全く感情が読めない。
恐怖で粟立つ経験はこのセカイに来て初めてのもの。
もしかすると浮気現場に突入された夫の心境ってこんな感じなのかなって、そんなことをチラっとだけ思った。




