第25話 コータ、王子の助言に耳を傾ける。
隣国のフィリップ王子が姿を見せた。
その後方には丁寧に一礼するじいやさん。本当に仲良し兄弟だ。
ただ、タイミングは最悪だったように思う。
ハロウィンの件があって明日学校で会うシンシアとどう仲直りするのか、その手順などを一人と二匹で作戦会議をしている最中に響いたノック。
現れたのが彼らだったと。
……そのときのアンジェリカの心情たるや。
ブスーっとした彼女を前にしても二人は笑顔だった。
国同士のことも考えればアンジェリカの態度がよろしくないのだけれど、今回だけは彼女の肩を持ちたい。
それにどうもこの二人はそんな彼女の反応を楽しんでいる節さえするのだ。
不機嫌な孫娘にちょっかいを出しているというか。
例によって応接間に移動して向かい合った。
アンジェリカは胸にしっかり僕を抱いて。マユミも足元に座っている。
じいやさんも王子の隣で上品に控えていた。
「……今日はちゃんと仕事で来たんだぞ?」
ニヤニヤしながら話し出す王子にアンジェリカは目を細めて睨みつけた。
そういう僕もきっと同じような顔をしている。おそらくマユミも。
王子もまさか最初の一言でその反応が来るとは思わなかったのだろう、慌てた様に言い募った。
「イヤ、ホントだからな! 『イレギュラーの排除、確かに見届けました。協力ありがとうございました』ってな。今回は結構大規模だったモンでな?」
王子との初対面のきっかけもその話からだった。アンジェリカが不意打ちで呼び出されて、求婚されて――。
それが終息したのだと身振り手振りで報告してくれる。
もしかしたらこの国の王様にしたよりも一生懸命説明しているのではないかと思えるぐらい必死の形相だった。
別に僕たちは王子の仕事を疑問視したのではなく、アンジェリカとシンシアの危機をどう回避するかの方が大事だっただけだ。
正直王子の説明なんてどうでもいい。
ただ彼は元々仕事人間だったらしく、そこに不信感を持たれるのはプライドが許さなかったのだろう。
「――それはそれはどうもわざわざの御報告を長々とありがとうございました。それではお気をつけてお帰り下さいませ。お出口はそちらです」
アンジェリカが無表情のまま平坦な声で、ただ口調だけは無駄に丁寧に追い返そうとする。
「おいおい、そんなつれないことを言ってくれるなよ」
王子は苦笑いして項垂れた。
そんな彼の横でじいやさんがニコニコしていた。
僕たちの『帰れ!』という無言の圧力もどこ吹く風の二人は堂々と居座ることを選んだ。目の前に置かれた紅茶で口を潤すと早々にくつろぎ始め、お替わりまで要求する始末。
「――それにしても出会って結構な月日が過ぎたが、この犬はずっと仔犬のままだよなぁ」
王子は僕を撫でようとこっちに身を乗り出してきた。
アンジェリカはそれを避けるようにさりげなくソファに深く座り直すが、それでも手の長い王子には関係なくグリグリと僕の頭を撫で始めた。
「……仔犬で何か問題でもあるの?」
不機嫌の度合いが更に増したアンジェリカに、王子は別に何でもないと言わんばかりに首を傾げて違う質問をする。
「……そういや姫様って何歳だ?」
「十歳だけど、それがどうかしたの? ロリコン的には一番美味しい年頃なのかしら?」
アンジェリカの思わぬ反撃に王子は顔を引き攣らせるが、気を取り直すように咳払いすると続けた。
「……ってことは、昔姫様の飼い主だったその犬もこっちに呼ばれる前はもう結構な歳になってた訳だな。……ナリが小さいからまだまだガキンチョだと思っていたんだが」
「さっきからイヌイヌって! ちゃんとコータにはコータって名前があるの!」
アンジェリカの不機嫌度は最高潮に。
このままの不穏な空気じゃどうしようもないので僕が返事する。
「こっちに呼ばれたときは19歳でした」
その答えに王子は少し目を見開いた。
「ほう? じゃあもう高校は卒業してんだな? その割にはちょっと頼りねぇんじゃねぇか? ……俺がその頃の歳んときゃ、もう――」
だけどそのセリフ最後まで続かなかった。いや強制的に中断させられた。
――アンジェリカの投げたティーカップを顔面に受けて。
カップが派手に割れて中身が飛び散る。
下手すれば外交問題になるのだが、そんなコトをどうでもいいと思っているアンジェリカは立ち上がって叫ぶ。
「私とコータのこと何も知らないくせに。コータは私が守るの! 何かあったら大変だから私のそばをはなれたらいけないの! だから小さい身体なの!」
「いや、そんなの絶対に変だろうよ?」
王子が顔の傷から流れる赤い血を胸元から出したハンカチで拭いながらも冷静に続ける。
「ずっと前から思ってたんだ。アンタらの関係はオカシイってな。……これはアンタらの為に言ってるんコトだ」
「ハァ!? 何が私たちの為なの!? 部外者が知った風な口を利かないでよ!」
アンジェリカが唸るように叫び、その目に好戦的な光が灯った。
「もしかしてオマエは私の敵だったの? ……そう、わかったわ。じゃあ私も容赦しないから――」
そう呟くとアンジェリカは歯をむき出しにする。
犬の頃の名残だろうけれど美少女がそれをやると妙な凄みがあった。
本当に一足飛びで王子の喉元に食らいついてかみ殺しそうな勢いだった。
「お待ちください」
じいやさんが慌てて割って入る。
「……王子はそんなつもりで言った訳ではありません。取り敢えずここは収めてください。この通りです!」
じいやさんは物凄く丁寧に頭を下げた。
だけどそれでは収まらなかったアンジェリカは小さく唸り声を上げ続ける。
そんな剣呑な空気の中、マユミの声が響いた。
「いたんだよね、『オレが若い頃は――』って言いながら太もも触ってくるスケベオヤジ。キャバ嬢やってるころはこれを聞くのが仕事みたいなトコあったけど、そんなの知るかってなモンよ。そもそも生きている時代が違うっていうのにね? ……それに立派な人間だって自称するのならキャバクラみたいな欲望の吹き溜まりに来るなっての」
普段のマユミらしからぬ、どこか世間に対して斜に構えたような声色。
それに一番驚いたのはアンジェリカだった。呆然とマユミを見ている。
「それに集団就職・終身雇用っていう貴方たちを支えてきたシステムのツケが私やコータの世代に回ってきているってコトを理解してもらえるとありがたいんだけどね? そんなことを全て無視して自分たちの価値観が正しいってのは調子に乗り過ぎじゃないの? 私の人生をメチャクチャにしておいてナニサマ?」
いつも温厚なマユミがアンジェリカ以上に、それも別のところで怒りを示されて王子もじいやさんも困惑していた。
でもそのおかげでアンジェリカの強張っていた腕から力が抜けるのを感じる。
これはマユミなりの配慮だったのだと理解した。
――もちろんずっと彼女の中で燻っていた本心だろうけれど。
王子はアンジェリカに気付かれないように息を吐くと表情を緩めた。
「まぁ、スケベ行為に関してはスケベオヤジ代表として俺が謝らせてもらおう。……ってもそのキャバクラって場所へは行ってないぞ?」
「……どうだか」
マユミは投げやりながらも普段の口調に戻る。
王子も変わった空気に笑顔を浮かべ、改めてアンジェリカに向き直った。
そして先程とは違い、彼女を諭すように話し始める。
「さっきは悪かったな、姫さん。別にコータもアンタも責めるつもりはねぇんだ。コータを守りたいっていうアンタの気持ちもよくわかる。……だけどなアンタはコータじゃない。別の人間なんだ。コータだってコータなりにイロイロ考えてんだよ。それらを無視して自分のやり方が全て正しいと思い込んで、内へ内へと入り込むってのはどうしたモンかって話をしたかったんだ」
優しい声だった。
目の前の、まだ少年とも呼べるような見た目からは到底出てこないような、酸いも甘いも噛みしめた穏やかな語り口。
事実、目の前の王子は本当に人生経験豊富な先輩だった。
「まだまだアンタらには時間があるんだ。今はその関係で良くても、十年後二十年後もずっとそのままってのは絶対に無理が出てくる。……だからそうならない為にもゆっくりでいいからお互いがお互いの気持ちを理解しあって、尊重し合って、その中で一番いい形を見つけていけばいいんじゃねぇか?」
「……良いことを言っているように聞こえますが、結局肝心のカミさんには逃げられたのですよね?」
じいやさんがここぞとばかりに混ぜっ返した。
「だから逃げられてねぇっての。待ってもらえなかっただけだっつうの」
王子が笑顔でじいやさんの肩を叩く。
マユミが笑い、それにつられるようにアンジェリカも微笑んだ。
「――わかった。……私、ちゃんと考えてみるね」
アンジェリカが吹っ切れたような顔で頷いた。
王子はそんな彼女を見て心底嬉しそうな表情を見せる。
その顔は未来の妻を見つめるような顔ではなく――。
「おう、別に急がんでいいぞ。それにさっきの言葉を覆すようなこと言ってなんだが、今の関係は今しか成立しねぇからな。コータを一方的に守るっていう時間を楽しむのも、それはそれで悪くなかったりする。一度変わっちまうと、いくら『あの頃の方が楽しかったから』と言っても後戻りなんて出来ねぇからな。……形だけは取り繕えるだろうが」
「昨日マユミにも同じようなコトを言われたわ。……人間関係は簡単に元通りにならないって」
アンジェリカがハッとした顔でそう言うと王子とじいやさんも目を見開き、彼女の足元で行儀よく座っているマユミを見つめた。
年長者二人の視線を一身に浴びてマユミが恥ずかしそうに俯く。
「あ? ……何だよ? もしかしてもう説教済だったのか? そりゃ悪りぃことしたな」
王子がガハハと笑い出す。
「でも、まぁそういうことだな。……ずっと友達だと思ってた連中がいきなり他人行儀になって敬語を使いだしたりしてな。そういうのは寂しいモンさ。今まで通りにしてくれって頼んだところで、最早それは上司命令になっちまう。もうどうあがいても後戻りは出来ねぇんだわ。取り戻したくても取り戻せないモンってのはあるだよ。別に悪い話じゃないんだが……やっぱり寂しいわな」
僕たちは思い思いに頷く。
王子は深呼吸して続けた。
「だからいつか変わるってことを頭に入れておきながら今を大事に過ごせばいい。きっとそれはアンタらの財産になる。……アレ? 俺ってばちょっといいこといったんじゃねぇか?」
王子はドヤ顔でこちらを見渡す。
「……まぁね。ほんのちょっとだけね」
「最後の一言さえなければ完璧でしたな」
マユミとじいやさんの冷静なツッコミに対し、王子は盛大に顔を歪ませる。
そのやりとりにアンジェリカが声を上げて笑った。
そんな彼女を見つめる王子が大人でカッコイイと思えた。




