第24話 マユミ、落ち込むアンジェリカを慰める。
街の喧騒が部屋まで聞こえてくる。何でも今夜は城下町でハロウィンだとか。
私は主のいない広々とした、それこそ当時のワンルームマンションではそれだけで部屋が埋まってしまうような大きいベッドの上で思いっきりくつろいでいた。
なんと穏やかな人生。
あの頃のささくれ立った日々は遥か遠い昔のことのようだ。
本来何もすることが無いというのは貧乏性である私にとって決して居心地のいい環境とは言えないけれど、そこは犬だからってことで自分自身を誤魔化すことに成功した。
犬なのにも関わらず人の言葉を話すことだって出来るので、アンジェリカたちだけではなくメイドさんとも楽しくおしゃべりもしてみたりして、それなりに充実した日々を送らせて頂いている。
「……帰ってくるのはもう少し後かなぁ?」
そんなことを考えながら私はベッドの上を端から端までゴロゴロと転がりながら伸びをする。
うっかり読みかけの本を身体の下敷きにしてしまったことに気付き、慌てて皺を伸ばしてから再び読み始めた。
ただ私の予想に反して、アンジェリカたちは早めに戻ってきた。
更にこれも意外なことに随分と落ち込んでいる様子。
この前の夏祭りのときなどは、ずっとはしゃいだまま夜中も私相手に喋り通し、朝になると声がガラガラになっていた程だった。
今夜もそれを覚悟していたのだけれど。
私はどういうことかとコータに視線を合わせた。
「……まぁ、シンシアとちょっとケンカしちゃってね」
コータはお茶を濁そうとしていた。
彼なりに気を使っているのだろうがこれでは要領を得ない。
そもそもシンシアさんとアンジェリカではケンカなんて成立しないはずだ。
彼女とはほぼ毎日学校で会っているのでどのような人間かは知っている。
思慮深く、前世での年齢も私と同じかそれよりも幾らか上だったのではないか。
そんな彼女がアンジェリカと同じ土俵で言いあうというのは想像できない。
おそらくアンジェリカの方が『一線』を越えたのだ。
――人として言ってはいけないことを言ったのだ。
それは元々犬だった彼女には知るべくもないこと。
でも彼女は今夜、一度放ってしまった言葉は二度と取り消せないという事実を知った。だからこそ、この表情なのだ。
それならば幾らでもやりようはある。
「……この件は私に任せておいて。女同士の方が早いわ」
コータにそう告げると、彼は納得した顔で頷いてくれた。
私はアンジェリカの着替えを手伝ってもらう為に、控えの間で待機してくれているメイドのナタリーさんを呼びに行った。
今は着替えの真っ最中。私はコータにさり気なく話しかけた。
「ねぇ、コータ。そろそろ眠たくならない?」
「……ぜんぜん」
「じゃあ子守唄を歌ってあげようか?」
「……なんで!?」
私とコータがそんな会話をしていると、着替え終わったアンジェリカがクスリと笑った。ナタリーさんもようやく穏やかな笑顔になった彼女を見てホッとしたようだ。そのまま笑顔でおやすみの挨拶をして退室する。
アンジェリカも彼女に手を振って見送るとコータを抱いてベッドに入った。
私はいつものようにアンジェリカの枕になる。
彼女は深呼吸すると、コータを抱きながら何度も何度も背中を撫で始めた。
「……コータもお休み」
彼女がそう告げると彼の身体がほのかに光る。
やがて彼から穏やかな寝息が聞こえてきた。
どうやら私がコータ抜きで話をしたいと考えているのを汲んでくれたらしい。
……やっぱり聡い子だ。それだったら大丈夫。
コータが寝静まった後、アンジェリカはつっかえながらも出来るだけ隠さず一生懸命話そうとしてくれた。
私は彼女の負担にならないよう、無言で頷きながらそれに耳を傾ける。
……話が終わると合点がいった。
「コータもいきなり怒るのはよくないわよね? ……もうちょっと言いようがあったでしょうに」
アンジェリカは弱々しい笑顔を浮かべながら小さく頷いた。
いつもと違うコータのことが怖かったのだろう。
「でもコータのお陰でシンシアさんと決定的なコトにならなかったのよ? そこはちゃんと彼には感謝しないと」
アンジェリカがどういう意味だと言わんばかりに、首を伸ばして私の顔を覗き込んでくる。
ちょっと亀みたいで可愛かった。
私は笑みを見せないよう真剣な表情を作って話す。
「人間ってのはね、ほんの些細なことで仲違いしちゃう生き物なの。そして一度関係が壊れてしまったら、もうちょっとやそっとのコトでは取り返しがつかなくなっちゃう。昨日まで楽しく過ごしていた二人が一生口を利かなくなることだってあり得るの。……ねぇ、シンシアさんとそんな風になるのはイヤでしょう?」
「……うん、イヤだ」
彼女は怯えたように身体を竦ませた。
まぁこれは脅しなんだけど……。
「じゃあ出来るだけ早く、来週学校に行ったら真っ先に彼女に会って、きちんとした形で謝ること。……いいわね? ……彼女のことが好きなんだよね?」
私の強めの口調にアンジェリカは大きく頷いた。
「よし。素直でよろしい。……私も一緒に謝ってあげるから」
私が説教は終わりだと言わんばかりに彼女に頬ずりすると、ようやく緊張が解けたのかくすぐったそうに笑顔を見せる。
「……もう、どっちが主人だか分からないね」
「そりゃ人生経験の差ってヤツよ」
「なんだかマユミってばお母さんみたい」
その拗ねたような言い草に笑いを堪えることが出来なかった。
別に失礼なことを言われたとも思わなかった。
おそらく彼女にとってそれは最大級の親愛の情なのだろう。
だけどそういう発言も相手次第で失言になるのだとおいおい教えていかないと。
「犬の子を産んだ覚えはないわね」
「でも今はマユミも犬じゃん。それに今の私は人間なのよ?」
「そう考えると私たちって面白いわね。お互い犬同士で人間同士。……もうこの際だからお母さんでもいいわ。未婚だったんだけどね」
今度は私が拗ねたフリをすると彼女が声を上げて笑った。
アンジェリカにいつもの表情が戻ったところで本当に申し訳ないのだが、このところ気になっていたことを切り出すことにした。
「ねぇアンジェリカ。ここ最近ずっと何かに怯えているわよね? 何かからコータを守ろうとしているのは分かるんだけど、私の目には空回りしているようにしか見えない」
厳密に言えば奪われないように警戒している。焦っている。
「……誰かがコータを奪いに来るの? そのアテがあるの?」
私の言葉にアンジェリカが目を見張った。
何かを言いかけて、だけど顔を曇らせるだけで口をへの字に噤む。
「……ごめん、やっぱり今はまだ話せない」
この前も彼女はいつか必ず話してくれると言ってくれた。
ならば私はそれを待つだけだろう。
私は了解したという意味を込めて無言で頷いた。
アンジェリカはスヤスヤと眠っているコータの鼻先をつつく。
またくしゃみでもさせようというのだろうか。
だけど彼女は彼を抱きしめ儚げに笑うだけだった。
「コータったら。……でも、これは私が望んだんだよね。……だからコータはこんな感じなんだ」
正直彼女の言葉の意味が全く理解できなかった。
私も彼の顔を見れば何か分かるかと、身体を捻って無防備なコータの顔を眺めてみる。相変わらずこちらの気も知らず心地よさそうに眠っていた。
……鼻先をつつきたくなるアンジェリカの気持ちだけは何となく理解できる。
「……マユミってさ、夜になると眠たくなる?」
私は首を振った。変な姿勢のままだったものだから、ちょっと首筋が攣りそうになった。慌てて身動ぎして姿勢を整える。
このセカイに来てから、本当に驚くぐらい眠くならないのだ。
そもそも疲れない。この身体が前世でもあればと何度か思った。
もちろん犬の身体で仕事は出来ないだろうが。
「本来召喚獣って眠くならないし、食欲もないってのを聞いたことは?」
私は頷くことで肯定する。そして再び寝息を立てるコータを見つめた。
――彼はいつもよく食べてよく眠る。
「それとは別に術者の望みも反映されるんだ。……私はコータを守る為にここへ呼んだ。そして私が一番幸せに感じていた時間をそのままコータに与えることを望んだ。だから今コータは私が幸せだったあの頃と同じ生活をしている。一緒にご飯を食べて、一緒に遊んで、一緒におしゃべりして、夜は一緒に眠る。そうやって毎日を楽しく過ごす。それが出来るように彼をそういうモノに作り替えていった」
あぁ。
この二人のいびつな関係の根幹にあるのはこれだろう。
アンジェリカはコータを完全に飼い犬として扱っているのだ。
それがコータの唯一の幸せだと信じ切って。
でもそれは間違っていると、今の私が指摘するのも違う気がした。
指摘するにも、もっと彼女が素直に耳を傾ける環境を作ってから。
アンジェリカだっておそらく間違いに気付き始めている。
それでいて触れないようにしているのだ。
触れてくる人間に対して反射的に牙を剥いてまで。
それを直視するとコータとの今の幸せな関係が壊れてしまいそうで。
その気持ちも良く分かった。




