第22話 コータ、ひとりで散歩する。
アンジェリカが柔らかい日差しの中でスヤスヤと眠っている。
今日は学校もお休み、そして天気も見事な秋晴れということで、彼女とマユミと僕の三人はピクニックに来ていた。
午前中こそアンジェリカも元気に僕たちと走り回っていたのだが、お昼ご飯を食べている最中から眠たそうに目をこすり始めた。
察したマユミがさり気なくアンジェリカの後ろで大きな身体を丸くする。
アンジェリカは苦笑しながらで彼女を軽く撫でると、チャチャっと後片付けを済ませ早速横になった。それから一分もしないうちにアンジェリカの規則正しい寝息が聞こえ始めた、と。
もしかするとずっと寝不足気味だったのかも知れない。授業中でも生あくびばっかりだった。せっかくなのでちょっとの間だけでも寝かせてあげよう。
……寝る子は育つって言葉もあるぐらいだし。
ただ僕としては少々手持ち無沙汰になってきた。付き合って寝るにしても今はそこまで眠たくないし。さてどうしたものか。
≪……ねぇ、ちょっとだけそのあたりを歩いてきてもいい?≫
マユミに告げるのだが、悲しいこと召喚獣同士でも僕の言葉は理解してもらえない。それでも勘の鋭い彼女は背中にアンジェリカの頭を乗せたまま器用に首を傾げると、「……散歩?」と小声で尋ねてくる。
僕が大きく頷くと、彼女は了解とばかりに前足を上げて見せた。
「あまり遠くに行っちゃダメだよ?」
まるで子供を気遣う母親のようなセリフを背中越しに聞きながら、僕は散歩に出かけた。
普段はアンジェリカに抱かれての移動だから、目線が現世よりも少し低い程度でそこまで違和感はなかった。しかしこうして移動すると改めて身体の小ささを痛感させられた。
とにかく雑草の背が高いのだ。
いや『雑草なんて名前の花はない』って素敵な言葉があるって知っているけれど、やっぱり雑草は雑草だ。
悲しいことにそれらのせいで全然風景なんて楽しめない。
だから多少街道を逸れてでも出来るだけ茂みは避けるように、見晴らしのいい場所を歩くようにする。
地面を自分の足で踏みしめて進む感覚が新鮮だった。
犬として召喚されたせいだろうか、僕の鼻と耳の性能が人間の頃よりも遥かに高くなっていた。秋の花の匂い、それに交じって何かの美味しそうな匂い。木々が風で揺れ、葉がこすれる音。それらに耳を傾け楽しみながらゆっくりと歩く。
やがて僕の耳が川のせせらぎを捉え始める。
探険気分でそちらに進路を変えてしばらく進むと、綺麗な川にぶち当たった。
緩やかな流れなので僕の小さい身体で水に入ったとしても、流されるようなことにはならないだろう。
少し喉の渇きを覚えて反射的に水を覗き込むのだが、流石に犬のように水を飲むのには抵抗を感じる。……衛生的にもちょっと。
しかし誰が見ている訳でもないし、別に飲んだところで腹を下すようなヤワな身体でもない。
僕は覚悟を決めると、出来るだけ淀んでいない場所を選んで身を乗り出し、一口また一口と喉を潤した。
≪……それにしても、いい場所だなぁ≫
のんびり風を感じていると、それだけで気持ちが安らぐのを感じる。
川の向こうは果樹園。そして水車小屋。まさしくファンタジー世界の『ザ・田園風景』という言葉が浮かぶ。
魚が水面から跳ね、それが日差しを浴びてキラキラと光っていた。どこからか鳥も飛んで来ては水辺で身繕いしながら遊びだす。
僕はそれをボケーっと眺めていた。
≪やっぱり、あの鳥たちもシステムに選ばれたのかな?≫
逆にここに呼ばれない鳥って、一体どんな何を悪いことをしたのだろう?
収集されたゴミを漁って迷惑をかけたカラスとか、大事な一張羅にフンを落とした鳩だとか?
そんなのを想像しているとちょっと笑えて来た。
考えてみれば考える程不思議だった。
このセカイに住まう生き物は一体どういう基準で選別されているのだろうか。
人間は分かる。言葉通りルールを破ったモノが排除されるのだろう。
でも動物は違うはずだ。
人を襲ったサメやクマはおそらく違うセカイに落とされるのだろう。だけど彼らの視点から見れば、人間こそ自分のテリトリーに入ってきた害獣なのだ。
このセカイに招かれた人間だって、蚊やゴキブリぐらいは殺したことがあるはず。それが不問になるのなら、人喰いサメも不問にしてやらないとダブルスタンダードだ。
そんなこと気にした方が負けなのかも知れないが、気になるものはどうしようもない。
しばらくそんな禅問答めいたものを繰り返していると、アンジェリカの悲壮感漂う叫び声が聞こえてきた。
何かとんでもないことが起きたてしまったのかと、慌てて振り返る。
早いリズムの足音が一直線にこちらに向かってきた。それもそのはず主である彼女は僕の居場所を把握出来るのだ。
やがて息を切らせたアンジェリカが姿を見せ、僕に何の異変もないと知ると腰が砕けたようにその場にしゃがみ込んだ。その後ろではイマイチ状況を把握できていないのか、マユミが困惑したように僕とアンジェリカを見比べている。
「もう! コータ、溺れたんじゃないかって心配したじゃない!」
何故かアンジェリカは目を吊り上がらせて激怒していた。
召喚獣は簡単に死なないはず。毒を飲もうが剣で突き刺されようが死ねないって。他でもない彼女自身がそう言ったのに。
≪……いや、ちょっと散歩しただけだよ。すぐに戻――≫
「そんなことは聞いてない! なんで勝手に出歩くの? 私からは絶対に離れちゃいけないでしょ!」
こんなヒステリックな彼女は初めてだ。……そもそも一人で出歩いちゃいけないなんて、そんな注意を受けたこともないし。
マユミもこれはオカシイと思ったのか彼女の袖を咥えて引っ張り、間に入ってくれる。
「ちょっとアンジェリカ、落ち着いて――」
「マユミは黙ってて!」
だけどアンジェリカは全く聞く耳を持たない。
絶対変だった。彼女の言葉だけはちゃんと聞いていたのに。
「……お願いだから、二度と私に黙ってどこかに行かないで!」
アンジェリカは僕を乱暴に持ち上げると、ぎゅっと強く抱きしめてきた。
背中にポタポタと熱いモノが落ちてくる。
――彼女の涙だ。
よく分からないけれど、彼女が本気で心配してくれていたことだけは理解できた。
≪ごめんね。一人で出歩いちゃいけないって知らなかったから≫
僕のしおれた声にアンジェリカはハッと顔を上げ、一瞬息を詰まらせる。
やがて苦悶の表情を浮かべ、首を何度も横に振る。
「……違うの。本当はコータが悪い訳じゃないの。別に一人で自由に出歩いてもいいの。……でも私の知らない内にどこかに行かないで。コータのことが心配なの! ……お願いだから」
アンジェリカは自分の心を落ち着かせるように、僕の背中を撫で続けていた。




