第21話 アンジェリカ、パパさんとママさんの様子を窺う。
パパさんとママさんはコータを失って、どうなってしまうのだろうか。
私はことあるごとに現世の様子を窺っていた。
本当ならばコータにも見せてあげるべきだし、私にはその能力がある。
だけど、とてもじゃないけれど、彼に見せられるような光景ではなかった。
大事な大事な宝物を失って憔悴しきった二人。
お互いが決してお互いを責めることなく、ただひたすら自身の心にナイフを突き刺す自傷行為を繰り返していた。
そんな二人の子供だったからこそ、コータも親に助けを求めることが出来なかったのだろう。
結果的にその中途半端な心の毅さが諸刃の剣となってしまった。
コータにはイマイチ伝わっていなかったようだけれど、ちゃんとあの二人は彼のことを愛していた。……ただ上手く歯車が噛み合わなかっただけの話で。
夫婦共働きだったのは二人が仕事を辞めたくなかったのもあるかもしれないが、一番大きな理由は『コータが大学を自由に選べるように』とのことだった。
二人はコータが亡くなった後、寂しい想いをさせたことや相談したいときに家に居なかったことを悔いていた。
警察から、彼が犯罪者として糾弾される直前のことだったことを聞き、更にその背景も知ると、パパさんとママさんは自らの無力感に苛まれ、見る見るうちに生気が失われていった。
そこからは酷いものだった。
二人とも惰性で仕事に出かけ、帰ってきてご飯を食べて、お互いを慰めあって、泣き疲れて眠る。そして次の日になってまた仕事に出かける。
お互い何のために仕事をしているのか、それすらも分からないまま。
そんな不毛な日々を過ごしていた。
大好きな二人をここまで突き落としたのは私だった。
だけど悔いはない。
あのコータを守れるのは私だけだったから。
あの二人じゃ無理だったから。
それでも、やっぱり後ろめたさだけはどうしても消せなかった。
だから今の二人から目を逸らすことだけはしまいと、歯を食いしばって見続けていた。
だけど最近、そんな二人の状況に大きな変化があった。
一応私にだってそれなりの知識ぐらいある。二人が何をしているのか、ちゃんと理解できた。それに私はあの二人と長い期間を過ごしてきたのだ。
彼らの息子であるコータよりも!
だからあの二人がその結論にたどり着いてしまったことに対して何の疑問も持たなかった。
生物のDNAとして組み込まれた種の保存という原始の本能が、彼らをそのように動かしただけなのかもしれないが、それでも、それは追い詰められた二人が最後の最後にすがった願望だった。
――もう一度コータを自分たちの元へ。
――もう二度と同じ過ちは繰り返さない。
――今度こそコータに幸多き人生を。
母体に過度な負担がかかることは承知だった。
四十代半ばの二人に残された時間がそう多くないことも。
それでも彼らはその幸せを取り戻せるたった一つの未来を見据えると、その道をがむしゃらに走り出した。
それを家族愛と見るか、狂気と見るか。
私は下界とのリンクを切ると、今の光景の残像を消し去るように頭を振った。
そしてすっかり冷えてしまったホットミルクを飲み干す。
その気配を感じたのか、それとも初めから起きていたのか、ベッドの上で伏せていたマユミが頭を上げた。
「ごめんね、起こしちゃった?」
私の言葉に彼女は無言で首を振る。
犬の姿でもそれなりに様になっているのは、前世での人生経験の豊富さの現れだろうか。ちょっとだけ羨ましい。
「……何かイヤなコトがあったの?」
彼女の労わるような声に、少しばかり目が潤みそうになるが何とか堪える。
私は殊更明るい声で返事した。
「まぁね。……でもあなたたちに何かの落ち度があるとか、そういうのじゃないから安心して」
そう。これは誰が悪い訳でもない。
……パパさんやママさんだって全然悪くない。
それでも心がざわつくのを抑えられなかった。
結果次第で私はコータを手放さなければいけないのかもしれない。
再び彼らの元へ返さなければいけないのかもしれない。
そんな未来を想像した瞬間、身体が震えた。
私はずっとずっとコータと過ごすことだけを夢見て、それだけを心の支えにしてこのセカイを一人っきりで生きてきたのだ。
まだ半年のことだけど彼と一緒に過ごすことで、ようやくこのセカイを楽しめるようになってきたのに。
また私はコータを失わなければいかないのか?
再びコータのいなくなったこのセカイを、私はどうやって生きていけばいいのだろうか?
――これが恐怖なの?
私は今夜、生まれて初めての感情に震えが止まらなかった。
コータは相変わらずベッドでスヤスヤと眠っている。
私は起こさないようにそろりとベッドに寝転がり、幸せそうに寝息を立てる彼を胸に抱く。
「……私がこんなにも悩んでるってのに、コータってば暢気なものよね? 気持ちよさそうに眠っちゃってさ」
苛立ち紛れにコータの鼻をつつくと、ヒクヒクとさせた。
面白いから続けていると――。
≪……へぷし!≫
コータが可愛い子犬の鳴き声でくしゃみをする。
起こしてしまったかと思ったけれど、その気配は全く感じられない。
その強情さに私とマユミは呆れながらも、顔を見合わせてクスクスと笑った。
あぁ、絶対にこの幸せな時間を失う訳にはいかない。
コータは誰であっても渡さない。
たとえパパさんとママさんであっても!
「……コータは私が守るんだ。……私だけしか守れないんだ」
私の決意表明にマユミは何か言いたそうにしていたが、首を振ると無言のままいつものように私の枕元で丸くなる。そんな感じで空気を察してくれる彼女は本当に『大人』で頼もしい。
「……ありがと。何かあったら必ず貴女に相談するから」
私がマユミの額にキスすると、彼女はくすぐったそうに顔を背ける。
そんな彼女の身体に頭を沈めるようにして眠る態勢をつくった。
いつもならコータとマユミのぬくもりに包まれてすぐに眠りにつけるのだが、今夜は中々眠れそうになかった。




