第18話 シンシア、保護者の登場に驚く。
私は天国でも格差を感じて少々呆れていた。
「ここも王城の敷地内とか……。もう何なの」
ゴローを抱えて川の流れを遡りながら森の中を歩く。
侍女に尋ねたら、今年の夏はここにいることが多いと教えて貰った。
やがておしゃれなロッジ風の休憩小屋が見えてくる。
その脇の小さな滝つぼのような水場で腰まで浸かってはしゃいでいる金髪の美少女がアンジェリカを発見。例によってコータ君も一緒だ。
そして水には入らずにそれを眺めている大型犬。ラブラドールだろうか?
……っていつの間にか増えているじゃない!
「アンジェリカ!」
私が声を掛けると、皆が一斉にこちらに振り向く。
「あれ? シンシア!」
アンジェリカがバシャバシャとこちらに駆け寄ってきた。
こういうところは犬だなぁって再認識する。
「久し振りだね! 元気だった?」
しっぽがあったらブンブン振ってそうな感じ。
やっぱり可愛い。びしょ濡れだから撫ではしないけれど。
彼女は一旦立ち止まると水を両手で掬ってゴクゴクと飲み出した。
「ほら、さっきから飲みすぎ! そんなに飲むとお腹壊すわよ!」
注意するのはコータ君ではなく、もう一匹の大型犬。聞きなれない女性の声だった。思っていたよりもキツい口調に少々驚く。
アンジェリカは名残惜しそうに飲むのを諦めると、雫をボトボト落としながら岸に上がってきた。
「……早く着替えないと風邪ひくよ?」
まぁ、ここにいる人間は簡単に病気になるほどヤワではないのだけれど。
それでも彼女を見るとアレコレ手を焼いてやりたくなり、私の口からもそんな言葉が突いて出てしまう。
「まだ入るから、このままでいい」
彼女はずぶ濡れのコータを抱いたまま、うんざりしたような声で返事する。
「着替えはたくさん用意しているから! そんな姿でお友達と会っちゃダメ!」
大型犬が毅然とした態度で私たちの間に前に立ちはだかった。
しばらくアンジェリカは彼女と睨み合っていたがとフッと目を逸らす。
「……はいはい。……コータ行こ?」
「コータは置いて行きなさい!」
「マユミってば、うるさい!」
そう言いながらも、しぶしぶ一人で小屋に入っていった。
口うるさいのが二人になって相手にするのが面倒になったのだろう。
一方コータ君はその場でプルプルっと本物の犬のように身体を震わせて水を飛ばしていた。
「シンシア様、もう少しだけお待ちください」
マユミと呼ばれた大型犬は礼儀正しく私に対して頭を下げる。
……しっかりしてるなぁ。
っていうか、コータ! ボーっとしてるとあなたの仕事なくなるわよ?
私がしっかりしろとばかりにコータ君を睨みつけると、彼は首を傾げてからもう一度プルプルっと身体を震わせた。
「マユミさんというのね?」
「はい。先日からアンジェリカ様の側付きとしてお城でお世話になっています」
何て良く出来た召喚獣! しかもたった数日でもう主導権を握っている。
きっと前世はしっかりした人間だったのだろう。
「大丈夫? 何か不便なことはない?」
「心配して下さってありがとうございます。お城の皆様も、その、どちらかといえばお客様対応なので逆に緊張するというか……」
どういう意味なのか尋ねようとしたら、着替え終わったアンジェリカが駆け足で戻ってきた。
「聞いて! 聞いて! この前ね、呼んでもいないのにさぁ、フィリップ王子が来てね――」
「まだ、髪が濡れてます!」
「う~る~さ~い~!」
アンジェリカがマユミに駄々っ子みたいにイ~ってする。
完全に子ども扱いだった。見ていてほっこりする。
「……王子と王女っておとぎ話みたいよね」
「そんなんじゃないってば!」
アンジェリカもあっちに噛みついたりこっちに噛みついたり忙しない。
その後、ことの顛末を木陰で聞かされた。
「……なるほどね。確かに王子はちょっと焦り過ぎている感じがするわ。大事なコトなのだからもう少し時間を掛けて貰わないと」
「時間かけても一緒なんだけどね。私はコータの子供を産むんだから。だからシンシアは研究頑張ってね?」
「――ちょっと!」
私は慌ててアンジェリカの口をふさぐ。
ここには部外者のマユミさんがいるのだ。
恐る恐る彼女を見るのだが、特に表情自体に変化は見られない。
犬だからそういうモノと言われればそうかもしれないが。
むしろコータ君が分かりやすいだけだ。
「……マユミさん? このことはどうか内密に」
「分かりました」
以外に素直な返答。
果たして額面通り捉えてもいいモノか。最近まで王子側の人間だったのだ。
「……アンジェリカ。ちょっとコータ君と遊んできて」
私は毅然とした態度で水場を指差す。
彼女も感じ取ってくれたのか、素直に頷いてこの場を離れた。
「……コータも行くよ!」
子犬を抱いて駆けだす美少女を見送ってから、私はマユミさんに向き直る。
「さっきあの子が言ったように、私は召喚獣との子供を産むための研究をしているわ。まだ基礎的な段階だけどね。それはアンジェリカに頼まれたからではなくて、私がこのゴローとの子供を産みたくて始めたことなの」
マユミさんはちらりと私の胸元に抱かれた彼に視線をやってから再び私を見つめた。彼女だって召喚獣。召喚する側の執着は十分理解しているはず。
「ごめんね。今はまだ、誰にも知られるわけにはいかないの。……形になるまでは誰にも」
彼女は全てを察したのか、無言で頷いてくれた。
「マユミさんが話の分かる人で助かったわ。アンジェリカはすぐに暴走するし、コータ君は……いい子だけど、ちょっと頼りないからね」
彼女はふふふっと笑う。
「そう言えば、あなた人の言葉を話せるのね?」
「はい、アンジェリカ様が別に不都合はない、と。……あと、最初は私もコータ君ぐらいの大きさだったのですが、二匹も抱くと両手が塞がるからイヤだと言われてこんな感じです」
マユミは自分の身体を見下ろした。
「そもそもコータ君が言葉を話せないのはあの子の独占欲だからね。……貴女の身体の大きさも寿命に影響する心配はないから安心して」
召喚獣が術者の寿命――マユミさんの場合は彼女自身の寿命だけれど――を削るのは兵器として使ったときに限る。
「――コータ! あい・きゃん・ふら~い!」
楽しそうな嬌声に二人してそちらを見れば、アンジェリカがコータ君を空中へ放り投げていた。
……ドボン。
長い滞空時間の後、派手に水しぶきを上げて水面に叩きつけられるコータ君。
「いったい何やってるんだか……」
マユミさんも微笑まし気にそれを見守っていた。
「……もう完全に保護者ね」
「……はい、本当にそんな感じです。でも、そのおかげで穏やかな時を過ごさせてもらってます。あの子たちからも客人扱いされていたら、緊張や気疲れでふさぎ込んでいたかもしれません。……こういう役目を頂けたことで、ようやくちゃんとした居場所を得ることが出来ました」
この人は本当に疲れていたのだと悟る。
ちょっとだけ私に似ているかもしれない。
「そう、よかったわね。これからもアンジェリカのことをお願いね? ……こんなコト頼む義理もないのだけれど」
いっぱしの保護者気取りだったけれど、より近い場所で見守ってくれる存在が出来た。喜びと寂しさが半分半分。
「いえ、シンシア様には私ともどもご迷惑を掛けることがあると思いますが、そのときはどうぞよろしくお願いします」
二人で視線を合わせながら通じ合う何かを噛みしめていると、水面から顔を出したコータ君がキャンキャン吠え出した。
……確かにいくら何でもあれはやりすぎだったと思う。
苦情の一つも言いたいハズ。
「うん! いいよ!」
しかし予想に反してアンジェリカは嬉しそうに何度も頷くと、コータ君を先程よりも大きく放り投げた。力が入ったのか、明後日の方角へ飛んでいく。
コータ君は空中でもがくも、何とか態勢を整えて着水。
今度は水しぶき一つ立たなかった。
「すっごーい!」
アンジェリカが大笑いしている。
水面から顔を出したコータ君が吠えた。
何を言っているのかは分からないけれど、どこか得意げに聞こえたのはきっと気のせいではないだろう。
……あの二人ってばメチャクチャ夏を満喫してるじゃない!
ちょっとだけ羨ましいかも。
「……ねぇ、ゴロー? あなたも飛んでみたい?」
じっとコータ君の飛翔を見ていた彼に問いかけてみた。
すぐに否定の言葉が返ってくると思っていたけれど、何故か無言だった。
――興味あるんだ……。
「よかったら、私も飛ばしてあげようか?」
ゴローはハッとした表情を見せたかと思えば、首をブンブン振って私から腕から逃げる。
そして少し離れたところで伏せた。
冗談なのに。そんなに怖がらなくても。
私はマユミさんと顔を見合わせて笑った。