第15話 マユミ、過去を振り返る。
私の人生はメチャクチャだった。
子供は親を選べないという言葉があるが、まさにそれだった。
暴力だとかそういったモノは無かったのが、せめてもの救いだろうか。
父親はいわゆるパチンコ狂いと呼ばれるヤツで、仕事自体は持っていたものの、給料のほぼ全額をブチ込むような男だった。負けがかさむと借金まで作って勝てるまで続けるようなクズだった。
だから基本的に母親のパートと、中学に入ってからは私もアルバイトのお金で家計をやりくりしていた。
何故こんな使えない男と結婚したのかと母親に何度も問い詰めたが、毎度毎度よく分からない答えが返ってくる。顔だけはいい父親とブサイクだがきっちりとした生活力のある男とほぼ同時期に告白されたが、悩んだ末に父親を選んだという話もあった。
どう考えても後者だろうと頭を抱えたが、生まれる前の話だ。今更私にどうすることもできない。
タイムマシンでもあればど、ダメ元で何度か机の引き出しの奥を覗いたのは私の黒歴史だ。
現実を取り戻し(ある意味現実逃避とも言えるが)、何とか人生を変えようと必死で勉強した。
早く家を出たかった。この家にいるとドンドコ不幸になりそうだったからだ。
そして第一志望の大学に無事合格し脱出に成功した。
とはいえ、東京での生活もそれなりに大変だった。奨学金こそ認めて貰えたものの高い家賃光熱費。
イロイロと何やかんや買わされる教材代に最低限の衣食住の生活費。
アルバイトでコッソリ貯めていたお金なんて一月で吹っ飛んだ。
仕方なく手を出したのが割のいいキャバ嬢。ある意味必然だった。
慣れない接客に悪戦苦闘しながらもようやく一人前を名乗れるようになった頃、客として粘着してきたのが彼だった。
彼は一流商社の人間を名乗る、身なりのいいオジサマだった。
生理的に合わなかったけれど、いわゆる極太客の登場に私は必死だった。
彼は優しい人で、そこに付け込んで身の上話で同情もさせた。
それが効き過ぎたらしい。
――まさか妻子を捨ててまで私を選ぼうとするとは。
結果的に彼の妻が店に怒鳴り込んできて終了。
私は店をクビになった。
オジサマは婿養子だったらしく、裸で放り出されたと聞いた。
店をクビになって、すぐに生活も苦しくなった。
その後別のキャバクラが決まって働きだしたのだが、そこに満を持してオジサマが再登場する。
仕事を奪われて、お金もないので基本的に店の外や私のマンションの外で待機。
いわゆるストーカーというヤツだった。
どうしたものかと何度か警察に相談したが、キャバ嬢の痴話ゲンカだと話を真剣に聞いてもらえない。親身になってくれるはずの婦人警官でさえどこか冷めた目だった。
それでもようやく彼は捕まった。
こればっかりは時代が味方してくれたというのもある。
類似事件で殺された女性がいたのだ。
やがて裁判が開かれ、私も何度か法廷で傍聴した。
この件を最後まで見届けたかったのだ。
彼は裁判中、一貫して私を守りたかったのだと胸を張っていた。
どうしても私を守りたかったのだ、と。
そして傍聴席にいる私を振り返った。――あの優しい目で。
全員が、彼の弁護士でさえもオジサマを頭のオカシイ人間を見るような目をしていた。
それが彼なりの真っ直ぐな愛だと理解出来ていたのは、あの場で私だけだった。
そう、私が彼を歪めてしまったのだ。
私は彼にだけ分かる様に小さく頷いた。
彼はそれを受け取ると大きく瞬きして、口元に小さく笑みを浮かべるのだった。
その後も粛々と裁判は続き、判決が出る前夜、彼は拘置所で首を吊った。
私は大学4年になり本格的に就職活動に励んでいた。
いわゆる超氷河期世代だ。バブル崩壊後の混迷の時代。
ニュースでは毎日のように企業倒産の話題で溢れていた。
土地の登記簿がどうだとか、大人が勝手に欲をかいて自滅して、そのシワ寄せが何の罪もない就職活動生に直撃する。
それなりの大学でそれなりの成績で頑張っていた私でさえ、中々決まらないという状況が続いた。
その中でも手応えがあった企業の最終面接まで行って、あとは結果待ちというところまで漕ぎつけた。
私は家でじっと落ち着いて待つことも出来ず、一度母親の顔を見ようと父親の居ない時間を見計らって実家に向かった。
懐かしい駅前でお土産代わりにドーナツを買って家までの道をプラプラと歩いていると、たまたま知り合いのおばさんに出会った。
彼女は笑顔でこう尋ねてくるのだ。
「マユミちゃん、結婚するの?」
――と。
なんでも私のことを知りたがる身なりのいい男性が近所に現れて、私の家族の話を聞いて帰っていったそうだ。
「『しっかりとした、いい娘さんですよ!』って答えておいたからね」
そう胸を張るおばさん。
笑顔で有難うございますと返しておいたけれど、心当たりは一つしかなかった。
……身辺調査されていたんだ。
パチンコ狂いの父親の存在が知られたんだ。
このご時世、優秀な学生は選り取り見取り。
そんな中で何故、一流企業が借金持ちのクソ親父を持つ学生なんて選ばなきゃならないのか!
結局私は母親にも会わず、回れ右で東京に戻って部屋に閉じこもった。
一人、真っ暗な部屋で笑い続けていた。
涙を流しながらドーナツを貪り食った。
結局私はどこにも就職出来ず、いわゆる派遣社員として働くことになった。
頑張れば正社員になれるというような嘘くさい話に縋りながら。
当然そんなこともなく、時期が来たら切られる。また別の会社で同じような調子のいい話に乗せられて頑張るもやっぱり切られる。
その中で結婚を考えた相手もいたけれど、正直に父親の話をしたら全員見事に手のひらを返した。
父親はいつの間にか会社をクビになっており、その間も借金は雪だるま式に増え続け、気が付けば何故かそれを私が返済することになっていた。
未来に絶望しながら明日生きる為だけに働く日々。
――そして私はいつの間にか三十八歳になっていた。
「気が付けばこのセカイにいて、私は犬になっていました。今はこちらのレイモンドさんのお屋敷でお世話になっています」
私はオジサマの顔を見上げた。
厳密にはもうおじいちゃんだけれど、その穏やかな物腰と回転の速い知性がそれを感じさせない。
私の置かれた境遇を完璧に理解してすぐに動いてくれた素敵な男性だ。
彼が皺だらけの優しい手つきで頭を撫でてくれる。
私はそれが嬉しくて思わず目を細めてしまう。
そんな私たちを皆が神妙な顔で見つめていた。
同情してくれたのだろう。
冷静に考えるとヒドイ話だけど、私の心にある気持ちは正反対だった。
そのギャップに何故か笑えてくる。
笑い出す私に、みんなは不思議そうな顔。
「不思議とあのオジサマに対する嫌悪感はありません。むしろ感謝というか、彼は人生を賭して私を救ってくれたんだって思える程です」
本当に心穏やか。
彼はここに連れてきてくれたのだと確信できた。
彼なりの愛だと。
――歪過ぎてで誰にも理解してもらえないだろうけれど、私はちゃんと受け取ったよ。
私は天井を見上げて誰にともなく頷き返した。
一週間遅れの投稿です。
ようやく体調が戻りました。ご迷惑をおかけしました。