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パンドラの箱に希望はない 7

Chapter 7


40


 ベンデルたちの人生終焉のアジトは、リンカンシャー区にある小汚い建物の中にあった。リンカンシャー区は全体的にはこざっぱりとした商業地区で、しゃれた衣料品店などが軒を並べていた。しかし、それはあくまで表通りでの光景で、裏通りの細い路地を入れば、女性ではひとりで足を踏み入れることができないほど、薄暗く、寂れた姿をさらすのだった。狭い路地には誰も片付けないゴミが散乱し、嫌な臭いを放っている。家とは呼べないようなぼろぼろの建物が身を寄せ合い、ひしめき合っている中で、ひときわぼろぼろの建物が目いっぱい口を広げて訪問者たちを受け入れていた。

 レトはそのぽっかりと空いているような建物の入り口を見上げながら、中へ入っていった。建物は2階建てで今にも崩れそうな木の階段が入り口のすぐ脇に続いている。ここまで案内していた若い憲兵が「こちらです」と言いながら、壊れそうな階段を気にする様子もなく登っていった。レトは無言で階段をきしらせながら後に続いた。階段を登ると、目の前に分厚そうな木の扉が閉まっている。その前には別の憲兵が腕を組んで立っていた。インディ伍長だ。レトの姿を認めるとインディ伍長は組んでいた腕を解いて話しかけた。

 「ご苦労。これは、あんたの、専門分野かもな」

 「僕の専門分野、ですか?」

 インディ伍長はそれには答えず、無言で扉を開いた。レトは室内へと入っていった。

 部屋は狭く、窓はなかった。正確には窓があったと思しきところに古びた板が覆っていたのだった。部屋は魔法ランプの明かりで照らされて、暗くはなかった。

 部屋の中央に背の低いテーブルとそれを挟むように2人かけのソファが2脚。そのソファの上に男が3人、事切れた姿で倒れていた。

 レトから見て、一番手前に倒れているのが小柄な男で、それに覆いかぶさるように頭が禿げ上がった大男が倒れていた。もうひとりは向かいのソファでのけぞっていた。そばへ寄ってみると、男の左目の端に大きな傷跡が見えた。両目はカッと大きく見開かれて、今にも眼球が転げ出そうだ。大きく開いた口は、命尽きた今でも何かを叫び続けているかのようだった。「特徴が一致している。ベンデルですね」レトはつぶやいた。

 ベンデルは一連の事件に深く関わる重要人物だった。レトはベンデルさえ押さえれば、事件は一気に解決できると考えていたのだ。しかし、ようやく押さえたベンデルは物言わぬ死人と化していた。レトは何かが自分の手からするりと零れ落ちたような錯覚に囚われた。

 「昨夜捕えた男が持っていた地図を見つけ、ここへ急行したのが今より2時間前のことです。建物の両隣りおよび裏手はほかの建物で塞がれているので、もし逃げられるとすれば屋根しかないと考え、屋根にも人員を配置し、ここに踏み込みました。しかし、ベンデルたちはご覧のような有様で、誰ひとり生きていませんでした。この事態を本部へ報告し、伍長の指示でそちらへ連絡に向かった次第です」

 若い憲兵は丁寧な口調でレトに報告した。レトは部屋の中を見回した。剥がれかけた壁紙がだらしなくぶら下がっている。壁はしみだらけで天井には穴が空いている。長年、手入れされずに放置された部屋だということはひと目で見て取れた。床は崩れた天井のかけらと思われるものや、由来不明のくずなどが散らばっていて、お世辞にも居心地の良さそうな部屋には見えなかった。一番ましなのは3人が座っていた2脚のソファだろう。生地が薄汚れているようだが、それ以上の損耗が見られず、ばねの具合も悪くないようだった。向かい合ったソファに挟まれるように背の低いテーブルが置かれている。もし、レトがもうひとつのアジトを見ていたら、同じ配置だと思っただろう。そのテーブルの上には蓋の開けられた宝石箱らしきものが無造作に放り投げられたように転がっていた。

 「おや、若いの。今日はひとりかね?」

 背後から声が飛んできたので、レトは振り返った。戸口でコジャック医師が髭を撫でながら立っている。

 「ああ、先生おはようございます」

 「あんたは、もう遺体を確認したかね?」

 「いいえ、詳しくはまだです。先生は?」

 「さっき簡単に診た。直接の死因は全員、心臓麻痺の見込みだが、正確を期するなら解剖するしかないがな」

 「薬物によるものではないと?」

 「ワシを試すな。これは呪い系の魔法で、死ぬほどの恐怖を味合わされたものだ。人間は本来、恐怖で身体機能が停止することがある。人間の弱点のひとつだな。だから、恐怖で気を失う者がいたりする。気を失うことで身体機能不全に陥る危険を防ぐ、本能に備わった防衛機能だ。だが、呪いによる恐怖は気を失うことを許さない。心の臓が停まるまで恐怖を味わうことになる。ワシが思う、もっとも残酷な呪い魔法だよ。こやつらは何者かに呪い魔法で殺されたんだ」

 コジャック医師は憮然とした表情だ。レトの質問に気を悪くしたらしい。

 「すみません。試すつもりではなく、呪い以外の可能性がないか確認したかったんです」

 レトは頭を下げて謝罪の言葉を述べると、医師の表情がゆるんだ。

 「むろん、予断は禁物だがな。だが、今回はワシの見立てを信用してくれていい」

 「わかりました」

 レトは再び3人の男たちが倒れているソファに向き直った。テーブルに手を伸ばすと、箱の蓋を拾い上げた。蓋には宝石が十字状にはめ込まれていたが、いずれも石本来の輝きのみで、辺りを照らすような光を放ってはいない。

 レトは続けて箱の本体も拾い上げて、中をのぞいて見た。箱の中には数枚の紙きれが入っているだけである。

 レトは紙きれを取り出して、ぺらぺらとひっくり返しながら、裏と表を確認した。コジャック医師がレトの肩越しにレトの手元をのぞき込んだ。

 「それは一体何かね?」

 「約束手形です。ずいぶん前のものですが」

 「約束手形?」

 レトは持っている一枚を医師に手渡した。レトの言う通り、手形は古いものらしく、紙の端が少し黄ばんでいた。医師は手形をじっと見つめて、ふうとため息を吐いた。

 「わからん。いったいこれが何だというのかね? なぜ、こんなものがその箱に入っていたのかね?」

 「手形のサインは『マンセル・モットー』とあります。いずれも同じ人物によるものですね。8年前から10年前のものです。そして、これらはおそらく不渡りを出した手形ですね」

 「不渡り?」

 「きちんと支払われたのなら、これらの手形はここに残っていないじゃないですか」

 「うむ、そりゃそうだ」

 「しかし、不渡りの手形が数年に渡って存在することは変です。不渡りは2度出すと営業停止になって、会社は倒産です。それが数度に渡って不渡りを出しているということは……」

 コジャック医師はポンとレトの肩を叩いた。

 「それならワシでもわかる。これは手形詐欺に使われたものだな」

 「この『マンセル・モットー』なる人物は支払われることのない手形を使って、あちらこちらで取引を行なっていたのでしょう。『マンセル・モットー』はこうして何か所からお金をだまし取っていたんでしょうね。これらの手形は『マンセル・モットー』の犯行の証拠です」

 「そんなものを宝石箱に大事にしまい込んでいたのかね、こいつらは?」

 コジャック医師はベンデルたちに顔を向けた。事情を知らない者からすれば、死亡した男たちの奇妙な行動に思えるのだろう。

 「これを保管していたのはベンデルではありません」

 レトは箱の蓋にある中心のルビーをなぞりながら言った。ルビーは大人しく沈黙したままだ。

 「この箱は『エリファス・レヴィの小箱』です。無理に開けようとする者を強力な魔法によって攻撃する、そんな盗賊対策を施された魔法の箱なんです。そして、この箱を使って、こんな手形を保管していたのはバゴット・ハマースミス。数日前、先生に検死していただいた高利貸しですよ」

 「ハマースミスって男は、過去に詐欺の被害に遭ったのかね? で、いつかモットーを告発するために証拠として残しておいた?」

 「高利貸しが何度も手形詐欺に遭うなんてないでしょう。しかも、同じ相手に。これはモットーの被害者たちから集めたものだと思います」

 「自分が代わりになって、モットーを告発するつもりだったのかね? なんとも義侠心旺盛な御仁だ。それを魔法の箱に保管するとは、やることも仰々しい。しかし、そのせいで、この盗賊どもは箱に仕かけられた攻撃魔法で死んだのだな。箱の仕かけを解除せずに、無頓着に開けようとしたために」

 レトは箱をそっとテーブルに戻した。ただ、蓋は閉じずに開いたままにした。レトは後ろを振り返ると、戸口に控えるように立っているフォーレスに話しかけた。

 「フォーレスさん。僕はノルドン氏が逃亡を企てた理由がわかりました」

 「どういうことです?」

 「ノルドン氏はベンデルにこの『エリファス・レヴィの小箱』に仕かけられた魔法の術式を解くように依頼された。ノルドン氏は不本意ながら、その依頼を受けた。おそらく、引き受けなければ娘さんに危害を加えると脅されたのでしょう。ただ、ノルドン氏は素直に依頼を遂行しなかったんです。つまり、術式を解除したと見せかけて、箱の罠はそのまま残した状態でベンデルに手渡した。罠が解除されたと信じたベンデルは、このアジトで箱を開けた。しかし、箱の罠が作動して、ベンデルたちは強力な呪い魔法で攻撃されたのです。この精神系魔法は、攻撃対象を個別に指定できます。もし、その場で本来の持ち主がいるときに第三者によって箱が開けられれば、持ち主を避けて攻撃が行われるよう、そんな魔法が仕込まれたのでしょう。ベンデルだけでなく仲間ふたりも絶命しているのは、その場に居たため巻き添えを食ったんでしょうね。エリファス・レヴィはそれなりに事態を想定して、仕かけを施していたんだと思います」

 「つまり、ノルドン氏が逃亡を図ったのは……」

 「万一、失敗した場合に備えてなのでしょうね。ベンデルが箱を開けずに、代わりに開けた部下だけが倒される場合だってある。そうなれば、ベンデルは裏をかかれたことをすぐに察するでしょう。当然、報復しようとするはずです。それでノルドン氏は、そうなる前に娘さんを伴い、店を引き払って逃げるつもりだったんです。自分の仕かけた罠がうまくいったかどうかを、じっと待って確認するわけにはいかないですからね」

 「これはノルドン氏の犯行なのですね?」フォーレスの問いかけに、レトは暗い表情でうなづいた。

 「犯行……、たしかに犯行ですね。娘に害が及ばないよう、ノルドン氏は思い切った手を打ったんだと思います。一方で、ティルカさんはティルカさんで、父親を犯罪に巻き込むまいと自らが手を汚す選択をした……」

 「とんでもない悪党ですね、ベンデルは。互いを思いやる親子感情を利用して、ふたりを犯罪に巻き込んだ。ふたりとも被害者みたいなものじゃないですか」

 フォーレスの口調は憤懣やるかたないといったふうだった。

 「今となっては、ベンデルがどんな悪党だったか想像するしかありません。この箱の強力な呪いで、恐怖に苛まれて死ぬに値するほどなのかどうかも……」

 レトの発言に、フォーレスは思わず苦笑しかけた。この若者は、あくまで公正であろうとしている。悪党にすら同情しているようだ。いや、だからこそ、周りに流されず、自分の判断を信じて行動できるのだ。

 「ところで、話が途中で途切れたように思うのだが」

 コジャック医師が手を挙げて話しかけた。レトとフォーレスは弾かれるように医師に顔を向けた。すっかり医師の存在を忘れていたかのようだった。

 「なぜ、高利貸しが手形詐欺の証拠を保管していたって話なんだが」

 「ああ、それですか」フォーレスは頭をかいた。「こっちには分かりきった話だったもので……」

 「分かりきった話?」腑に落ちず、コジャック医師は首をかしげた。

 「ハマースミスは単なる高利貸しじゃなかったんです」

 レトが話を受け継ぐように言った。

 「ハマースミスは『恐喝屋』でもあったんです」


41


 ジョン・ペリーが目覚めたとき、自分が今どこにいるのか、そして、なぜ、こんなところにいるのかすぐにはわからなかった。

 小さな窓がひとつあるきりの小さく狭い部屋で、その窓には頑丈そうな鋼鉄の格子がはまっていた。部屋の明かりはその窓に入り込む光だけなので薄暗い。外は昼辺りのようだが、窓が高い位置にあるので外の様子がうかがえない。ジョン・ペリーは狭い部屋の壁際に押し付けられているようなベッドの上にシーツをかけられて横たわっていたのである。起き上がろうとすると全身に痛みが走る。ジョン・ペリーはうめき声をあげながらベッドに身体を預けて息を吐いた。足にはまるで力が入らない。身体にかけられているシーツをそっと持ち上げると、両脚が添え木とともに包帯でぐるぐる巻きにされている。さすがに鈍い彼でも、自分の両脚が折れているのだと理解できた。そこでようやく昨夜の記憶がよみがえってくる。全身が痛むのは、「着地」のときに石畳に激しく身体を打ち付けたからだ。そうだ、自分は憲兵たちから逃げようと無茶な飛び降りをして、地面に激突したのだ。

 意識を取り戻すと間もなく、医師とみられる男に診察されはしたが、互いに言葉を交わすこともなく、男は部屋を出て行った。ジョン・ペリーは部屋にひとり残された。

 ジョン・ペリーは目だけを動かして、この部屋の出口を探した。扉は窓の反対側にあった。鋼鉄製の、いかにも頑丈そうなものだ。彼は深いため息を吐いた。ここがどこなのか正確にはわからないが、犯罪者を留置する部屋であろうことは想像できたのである。自分は何てツイてないんだ。ベンデルという盗賊のカリスマの仲間になったにもかかわらず、大したことをしないうちに憲兵に捕まってしまったのである。どうせ捕まるのなら、世間があっと驚くようなことをやってから捕まりたかった。そうなれば、盗賊として箔が付くというものだ。これでは小者がドジを踏んで捕まっただけの話である。盗賊連中からは蔑んだ目で見られることだろう。盗賊にすらなれないなら、自分はいったい何をすればいいのだろう? 切ない気分になって、ジョン・ペリーの両目から涙がにじんできた。

 ガチャリと錠を外す音が聞こえると、鋼鉄の扉がきしむ音とともに開かれた。ジョン・ペリーは急いでゴシゴシと拳で涙をふき取った。

 部屋に入ってきたのはふたりの若い男である。ひとりは憲兵の制服を着ていたが、もうひとりは剣士の格好で、しかもかなり若い。成人になったばかりのようだ。

 「良かった。目を覚ましていて」声も若く柔らかい。どことなく優しささえも感じる。いったい何者なのか、ジョン・ペリーには見当もつかなかった。彼は大儀そうに身を起こすと、「誰だよ、あんたは」と不機嫌な声で尋ねた。

 「僕はメリヴェール王立探偵事務所のレト・カーペンターといいます。ある事件の捜査で、あなたに会いに来ました。少しうかがいたいことがあります」

 「探偵だぁ?」

 ジョン・ペリーは苦々し気に言い放った。自分も若いが、自分より年下に軽く見られまいと、なけなしの意地を張っているのだ。

 「あなたはベンデルという男をご存知ですか? かつて『イボック盗賊団』の幹部だった男です」

 「知らねぇよ」顔をプイと横に向けて、ジョン・ペリーは否定した。表情の動きから嘘がバレるのを恐れたのだ。

 「そうですか……。実はベンデルがリンカンシャー区にある自分のアジトの中で、仲間たちふたりとともに死亡しているのが見つかったのです」

 あからさまな誘い文句だったにもかかわらず、ジョン・ペリーは驚愕の表情で振り返ってしまった。かたわらで様子を見ていた若い憲兵――フォーレスも、ジョン・ペリーがベンデルの子分であることを確信した。

 レトはそれに気づかないふうに話を続ける。

 「現場は何者にも荒らされた様子はなく、3人が倒れていた部屋のテーブルには、この箱が落ちていました」

 レトは懐から『エリファス・レヴィの小箱』を取り出して見せた。ジョン・ペリーは一瞬ぽかんとした表情で箱を見つめていたが、やがて、誰の目にもわかるぐらい怯えた表情に変わっていった。

 「ところで、この箱は何なのかご存知ですか?」

 「し、知らねぇよ! 何で俺が知ってるって言うんだ!」

 「そうですか。念のためによく見てくださいよ」

 レトはそう言いながら、ぽんとジョン・ペリーの胸元に箱を放り投げた。

 「な、何をするっ!」ジョン・ペリーは悲鳴に近い大声をあげるとシーツを引き上げて身を守ろうとした。箱はシーツに当たって、滑るように彼のひざ元へ落ちていった。

 「今、あなたは不思議な行動をしましたね」

 レトは箱を拾い上げながら、静かな口調で言った。これまでの優しい口調から一変して冷たい響きのものだ。

 「これはただの箱でしょう? どうしてあなたがそれほど怯えたりするのですか? この箱はいったい何なのですか? 今ここで開けてみますが、中に入っているのが何なのか一緒に見てもらえませんか」

 レトは箱の蓋に手をかけて今にも開けようとしてみせた。

 「ば、ば、馬鹿! ここで開けるな、開けるんじゃない! わかった、わかった。話すから、その箱に妙なことはするんじゃない!」

 ジョン・ペリーは両手を伸ばして、レトから箱を取り上げようと足掻いてみせた。フォーレスは終始無言だったが、笑いだしたいのをこらえていた。

……こいつ、意外と黒い所があるじゃないか。小者をハメようなんてことをする。

 レトは箱を指さして、「この箱はいったい何で、どこで手に入れたものなのですか?」とやや身体をジョン・ペリーに近づけて詰問した。会話の主導権を完全に奪われたジョン・ペリーは、怯えたように身をすくませた。

 「そ、そいつは無理に開けようとする者を攻撃する魔法の箱だ。ガーベナの盗賊団の倉庫からかっぱらったんだ」

 『ガーベナの盗賊団』とは、ブルガスが所属する盗賊団の通称である。彼らは特に決まった首領も団名もないので、便宜上、そんな通り名で呼ばれているのだ。

 「ガーベナの盗賊団の倉庫から、これを奪ったのは、前から狙っていたのですか? ガーベナ盗賊団を」

 「盗賊団の倉庫を狙ったのは行きがかり上のことだ。もともとはハマースミスって野郎の屋敷を襲うつもりだったんだ。それをあいつらが先を越して襲いやがったから、本来俺たちがいただくはずのものを頂戴しただけさ」

 一度話し始めたら、ジョン・ペリーは饒舌になるらしかった。彼は質問に対し、詳しく答えだした。

 「ハマースミスってのは高利貸しで、けっこう貯めてるって噂はあったんだ。それなりにでかい屋敷に住んでいるしな。だが、高利貸しってのは簡単なところに金を置いたりしねぇはずだ。しかし、あの屋敷はあまりに無防備なので、あそこに金はねぇってのが最近までの見立てだったんだ」

 レトはハマースミスの無防備ぶりを訝しく思っていたが、どうやら盗賊たちに誤認させるための心理的な策だと理解した。

 「だが、あの爺さん。事務所だけでなく、自宅でも金貸しのやり取りをしているってわかってな。やっぱり金があるんじゃねぇかって話になって。そこでベンデルの兄貴たちとハマースミスの屋敷に踏み込んだんだ」

 「それはいつのことですか?」

 「……そうだな。今日からだと4日前になるのか。前もって通いの家政婦の予定を調べて、あの日、家政婦が帰った後を狙って屋敷に入ったんだが、狙っていた庭の彫像がないことがわかった。魔法灯を抱えた子供の像さ。あれは結構値打ちものだったから、金以外に狙っていたものだったんだ。そのときは先を越されたとはわからず屋敷の中に入ってみた」

 「具体的に何時ごろか覚えていますか?」

 「正確じゃないが、だいたい8時半過ぎごろだと思う。屋敷前に集合したのがその時間だったからな。それとベンデルの兄貴は待たされるのが嫌いだったから、遅刻は厳禁だったし」

 「わかりました。話を続けてください」

 「屋敷の扉を開けると、ずいぶん古いとみえて、けっこう大きくきしんだ音を立てたんだ。やばいって思ったときに2階あたりで何かの物音が聞こえてきたんだ。何の物音かはわからない。こっちはただ誰かに聞かれた、としか思えねぇ。それで俺とルゥのふたりが階段を駆け上がって、正面の部屋に入ったんだ。そうすると……」

 そこでジョン・ペリーは自分の唇を舐めて、ひと息入れた。

 「あのバゴットって爺さんが首元血だらけで倒れていたんだ。まだ首から血が流れ出ている最中だった。しかし、どう見ても息があるようには見えなかった。そこで、まだ階下にいたベンデルの兄貴とスターキーを呼んだんだ」

 「ハマースミス氏の身体には触らなかったのですか?」

 「まさか。俺たちは盗みに入ったんだ。爺さんがどうなろうと知ったことじゃねぇし、それにもうどうにもできねぇからな。見るだけで触ったりはしてねぇよ」

 「ベンデルを呼んでからどうしたんですか?」

 「ベンデルの兄貴は階下で何か調べていたらしくて、そこでガーベナの盗賊団の仕業だと気付いていたみたいだが、バゴットの死体を見ると首をひねっていたね。『あいつらが殺しをするかね』って。ただ、このまま出し抜かれっぱなしってのは気に食わねぇ。さっそく意趣返しに行くぞって話になったんだ」

 「あの屋敷で何か盗ることはしなかったんですか?」

 「あれだけ荒らされてたんだ。ロクなものも残っちゃいねぇだろうって探しもしなかったよ」

 「そこでガーベナの盗賊団の倉庫に盗みに入ったんですね」

 「ああ。そのとき、なぜか憲兵たちが張っているのがわかったからよ。正面の扉を壊す方法は避けて、天井の明かり窓を破って入り込むやり方で盗みに入ったんだ」

 「箱はそのときに奪ったんですね?」

 「そうだよ……、って俺に箱を近づけるな! さっき言ったろ。そいつは危険な箱なんだ。ベンデルの兄貴をったのは、その箱に違いねぇんだ!」

 レトは目の前でぱかっと箱の蓋を開けてみせた。ジョン・ペリーは「ひぃっ」と引きつった悲鳴をあげる。

 「箱がベンデルを殺したのは間違いありません。ですが、今はこの通り作動しません。箱に物をしまい、再び合言葉で錠をかけないと、この箱は働かないのです」

 ジョン・ペリーはきょとんとしたが、やがて顔を真っ赤にさせた。

 「てめぇ、俺をハメやがったな! 俺の口を割らせるために!」

 「ええ、はめさせてもらいました。あなたが兄貴の無念を晴らせるように」

 ジョン・ペリーは今度は狼狽した表情を浮かべた。

 「あ、兄貴の無念を、何だって?」

 「この箱はあなたがたがそのまま開けることはできない代物です。そして、あなたはこの箱の危険性をしっかりと認識していた。つまり、ベンデルたちもむやみに箱をあけることはしなかったはずです。なのに、箱は開けられて、ベンデルたちは箱の魔法で死亡しました。死ぬまで恐怖心を煽り立てる強力な呪いの魔法で、です。あなたはアジトに合流することなく捕まったので、ほかの仲間のように巻き添えに会わず助かりました。あなたは相当に運がいい」

 ジョン・ペリーはレトの意図がつかめず、困惑し続けている。自分がツイている? さっきまでツイていないと思っていたのに?

 「あなたなら、箱に罠が仕かけられたままの箱をベンデルに開けさせた人物がわかるはずです。それは誰ですか?」

 ジョン・ペリーはうなづいた。そういう話なら自分でもわかる。「ノルドンっていう魔法鍵師だ」

 「そのノルドンというのはどんな人物なのですか?」

 「詳しくは知らない。もともと『イボック盗賊団』にいた盗賊のひとりだったようだが、途中で団を抜けたらしい。ガーベナの盗賊団からかっぱらったお宝をさばいているときに、スターキーが街で見かけて兄貴に知らせたんだ。なんでもノルドンってのは、盗賊団の魔法鍵師の役割を果たしていたって話で、盗賊から守るために仕かけられた魔法を解除することをしていたそうだ。だから、魔法の箱の解除もできるだろうって兄貴がノルドンの店に箱を持って行ったんだ。それから、兄貴はマントン商会から逃げる際に箱を回収するって言いだして、乗っていた船を降りて、ノルドンの店にひとりで向かった。俺は前のアジトに用があったから、一緒に船を降りたが、そこで兄貴と別れたからそれっきりさ。俺はそのあとすぐに捕まっちまったからな」

 「ベンデルはひとりで店に向かったんですね? ほかの仲間は?」

 「そのまま船に乗ってアジトに向かったよ」

 「ベンデルが船を降りたのはどこです?」

 ジョン・ペリーは首を振った。

 「オーウェン区の船着き場があるところ、ぐらいしかわからねぇ。俺はあのあたりの土地勘がねぇんだ」

 「周りには誰もいませんでしたか? あなたがたを不審に思うような人は?」

 「さぁ、あのときは俺も気が急いていたからな。あまり周りに注意を払っていなかった」

 「……そうですか。では最後に。『マンセル・モットー』という名前に聞き覚えはありませんか?」

 「何であんたがその名前を知っている?」ジョン・ペリーは不思議そうに尋ねた。

 「知っているんですか? マンセル・モットーを?」

 「名前だけさ。バゴットの屋敷には金があるって話を聞いたのはマンセル・モットーからだって、スターキーが言ってたんだ。そいつも昔『イボック盗賊団』にいた奴だとさ。と言ってもずいぶん古いころの話で、10年前には団を抜けていたってことだから。久しぶりに街でばったり会って、昔話をしたついでに、狙いどころの情報も話していたってことだ。……そうか。マントン商会であんたたちが張っていたのはマンセルからのタレこみだったんだな。スターキーを通じて、俺たちの行動が筒抜けになってたんだ。それであんたたちは商会で罠を張ってやがったんだな」

 レトはそれには答えなかった。

 「マンセル・モットーはどこにいるんですか?」

 「さぁ、あんたたちは知らないのか?」

 「僕はあなたに教えてほしいのです」

 ジョン・ペリーはレトの顔をじろじろと見つめた。レトの表情は真剣ではあるが、何の感情もうかがえない。ジョン・ペリーはため息を吐くと、どこか諦観したような表情になった。

 「悪いな。俺も知らないんだ。会ったこともない奴だから特徴も教えられねぇよ。スターキーが生きているのなら話は別だが」

 「スターキーというのはどういう特徴の人物ですか?」

 「大男さ。髪も眉毛もない奴だよ」

 今度はレトがため息を吐いた。「その人物ならベンデルのそばで死んでいました」

 「だと思ったよ」ジョン・ペリーはつぶやいた。彼は、これまではどことなくベンデルたちの死が現実のものとして受け止められなかったが、レトの落胆ぶりで3人が本当に死んだのだということを実感するようになった。本当に終わっちまったんだ、ベンデルの兄貴たちと騒ぐ、『祭り』の日々が。

 レトはジョン・ペリーに頭を下げると、扉に向かって歩き始めた。

 「おい、あんた」ジョン・ペリーはレトに声をかけた。

 「何です?」レトは立ち止まると顔を少しジョン・ペリーに向けた。

 「あんたは俺に兄貴の無念を晴らさせてくれると言ったよな? ノルドンの野郎を捕まえるんだよな?」

 レトは顔をそむけた。「ベンデルの無念は晴らせないかもしれません」

 「何だと」

 「ノルドン氏はすでにこの世にいません。何者かに殺害されているのです」

 レトとフォーレスは部屋を出て行った。

 部屋には呆然としたジョン・ペリーだけが残された。


42


 レトが王立病院に着いたとき、メルルは待合室のベンチの上で所在無げに足をぶらぶらさせながら座っていた。父親のそばを離れようとしないティルカを見ていられなくなったのだ。ティルカをひとりにさせるのは問題ではあるが、メルルはティルカが病院を抜け出して逃げたりはしないと信じていた。

 「君、ひとりだけか?」うつむいている頭の上から声をかけられ、メルルは億劫そうに顔をあげた。そこには自分を見下ろしているレトの姿があった。

 「あ、レトさん。お疲れ様です。あれから何か進展がありましたか?」

 「……お疲れは君のほうだな。進展と言えば、ありすぎるぐらいだよ」

 レトはメルルの隣に座った。レトも疲れているようで、どすんと大きな音を立てた。

 「少し長くなるが聞くかい?」

 「お願いします」

 そこで、レトはこれまで見聞きしたことをメルルに説明した。始めは何の表情も浮かべずに聞いていたメルルだったが、話の終わりごろになると、真剣な表情になってレトの横顔を見つめていた。

 「では、この事件にはマンセル・モットーという人物がからんでいるのですね?」

 「……そうだ」

 「でも、どこにいるのかわからないんですね?」

 「……そう、かもしれない」

 メルルはレトに顔を近づけた。「レトさん」

 「何だい?」今度はレトが億劫そうだ。

 「レトさんはマンセル・モットーが誰なのか見当をつけているんですね?」

 「たぶん」

 「じゃあ、なぜ捕まえに行かないんですか?」

 レトゆるゆるとメルルに顔を向けた。「絶対の確証がない」

 「でも問い詰めることはできるでしょう?」

 「あいまいな話では追い詰められない」

 「教えてください。レトさんが考える犯人は誰なんですか?」

 レトは周りを見回した。待合室は大勢ではないが、頻繁に人の出入りがある。ふたりが話しているすぐ後ろでも老婆が診察の順番待ちをしているところだ。

 「ここでは話せない。それに、ティルカさんをずっとひとりにしているだろう? 彼女のところに行かないか」

 「わかりました」メルルは立ち上がった。

 地下の安置所ではティルカがひとり、椅子に座ったままノルドンを見つめていた。その姿は放心している様子ではないが、何かの感情をうかがわせるようなものもなかった。ただ静かに父の寝顔を見つめているふうだった。レトたちが入ってくる足音でティルカは顔だけをレトたちに向けた。

 「ああ、探偵さん。父に会わせてくれてありがとうございます」ティルカは小さく頭を下げた。

 「礼を言うことはありません。僕はあなたに辛い話をしなければならないからです」

 レトの言葉にティルカはすぐに反応しなかった。ティルカはノルドンを見つめながら、ゆっくりと区切るように話した。

 「これ以上、辛いことがあるんでしょうか? どうぞ、お話しください」

 「ベンデルのアジトを見つけました。アジトではベンデル、スターキー、ルゥの三名がいましたが、全員死亡していました。……『エリファス・レヴィの小箱』の魔法によってです」

 ティルカは驚いたように振り返った。「『エリファス・レヴィの小箱』ですって?」

 レトはその箱がノルドンによって細工されていたこと。それによって箱の開錠がなされたと信じたベンデルが箱を開けて、箱の魔法で死んだことを語った。レトが話し終わるころにはティルカの表情は虚ろなものになっていた。

 「父さんがそこまで追い詰められていたなんて……。私、気付くことができなかった」

 「ノルドン氏もあなたがベンデルに絡めとられていることに気付いていませんでした。互いに心配をかけまいと気を遣ったからです。そのことであなたが気に病むことはないと思います」

 「そうだよ、ティルカ」脇からメルルが声をかけた。

 「話の途中で邪魔をする」

 ふいに背後から声が飛んで、メルルは飛び上がった。後ろを見ると、所長がしかめ面で入ってきた。

 「ティルカさん。あなたに大事な話があって、ここに来ました。いいでしょうか?」

 ティルカはあいまいにうなづいた。「ええ」

 「ノルドン氏の詳しい身元がわかったのです。ノルドン氏……、ノルドン・ハーマインはトランボ王国出身の元トランボ王国魔法学院の研究員および教員でした。およそ20年前のことですが。当時、ノルドン氏には『ティルカ』という名前の娘がいましたが、生後8か月で亡くなっています」

 ティルカの反応は鈍いものだった。「亡くなっていたんですか……」

 「もし、存命していたとしても年齢は20歳になります。記録にある『ティルカ』はあなたのことではありません」

 メルルは衝撃を受けていたが、ティルカは驚くほど冷静だった。ティルカはノルドンの顔を見つめながら、囁くように言った。

 「……何となく、実の娘でない気はしていました。でも、そうですね。事実を突きつけられると、こたえますね。そうですか、私はノルドンの娘ではなかったんですね」

 「……実は、あなたを実の娘ではないかと考えている人がいます。そのことでお話させていただきたい」

 ティルカはゆっくりとかぶりを振った。

 「私は自分の身元を明かす何ものも持ち合わせていません。そんな私にどんなお話をされても、私が何者かわかるはずがありません」

 「箱! 箱よ、ティルカ! ノルドンさんが亡くなる前に持っていたという箱。ノルドンさんは自分にもしものことがあったら中を見なさいって言ってたんでしょ? きっとその箱にティルカのことがわかる何かが入っているんだよ!」

 メルルの大声にレトは渋い表情になったが、ふと真剣な表情に変わった。

 「今、何て言った?」

 「だからぁ、ノルドンさんは自分に何かあったら、箱を開けてみるようにって以前から言い残していたんですって!」

 そこでメルルは気付いたように、「あ、でも、それ盗られちゃってるんですよね、今……」と弱々しくつぶやいた。

 「そうか、それがあった」レトは自分の顎に手をかけた。

 「今度はお前か。いったい何だ」所長は自分の腰に手を当てて、あきれ声を出した。

 「一連の事件を一気に解決する決め手です」

 「一連の事件?」

 「バゴット・ハマースミス殺害事件、ノルドン氏殺害事件、そしてティルカさんを巡る問題のすべてです」

 所長は鋭い視線をレトに向けた。「それらがすべて繋がっていると?」

 「これらは直接繋がっているわけではありません。ですが、『エリファス・レヴィの小箱』を通じて繋がっているんです。そこで所長、アメデ隊長たちに出向いていただけるよう話を通していただけませんか?」

 「アメデ隊長だと?」

 所長はさっとティルカに目を向けたが、すぐにレトに戻した。

 「お前、いったい何を考えている? 勝算のある話なんだろうな?」

 「かなり博打です」レトは正直に答えた。

 「ですが、これ以上にない価値のある賭けです」

 所長は、ふぅとため息を吐いた。

 「ふだんは慎重なお前が博打とはな。……わかった、その賭け、私も乗ってみようじゃないか。で、博打を打つのはどこなんだ?」

 メルルはレトの顔を見上げた。レトは口を真一文字に結んでいる。メルルはレトの横顔に強い決意を感じた。

 レトは力強い口調で言った。


 「マントン商会です」

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