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パンドラの箱に希望はない 4

Chapter 4


16


 バゴット・ハマースミス氏の元妻、アジャーニ・パルマは見た目で年齢が見当のつかない女性だった。美しい顔をしているが、どこか冷めた表情は何か諦観しているように見える。若い女性でそこまでの表情になるのか、メルルには分からなかった。艶のある黒髪は自然な巻き毛で、耳元でくるくる巻いていた。紺色のドレスは居酒屋の女主人が着ているようなものだが、すらりとした体型に女性らしい肉付きの良さで、蠱惑的といって良かった。

 メルルはレトとともにバゴットの屋敷に来ていた。憲兵本部でバゴットの元妻をつきとめ、現場へ同行いただいているという連絡を受けたからだった。アジャーニからは、現場の遺体がバゴット氏本人のものであることを遺体保管所で先に確認してもらっている。それから事件現場である屋敷に赴き、現場検証に立ち会ってもらうことにしたのだ。

 「ずいぶん荒らされているわね」

 アジャーニは現場の室内を見渡しながらつぶやいた。その声からは何の感情もうかがえなかった。

 「覚えている範囲で構いませんので、何がなくなっているか、あるいは移動しているものがあるなど、思い出していただけませんか」

 そう言ったのはフォーレスである。憲兵隊で、この事件の捜査の中心は彼になっていた。

 「思い出すって言われてもね……。あんまり、彼の部屋にあるものには興味がなかったから……」

 アジャーニは物憂げな表情だ。左手で無造作に髪をすきあげる動作もけだるそうに見える。

 「夫婦でいたのは一年ちょっと。でもほとんど最初から夫婦らしい関係ではなかったわね」

 そこで、アジャーニはメルルと目が合った。

 「あら、不思議そうな顔をしているわね。そうね、ごまかしてもしょうがないし、あなたがたから根掘り葉掘り聞かれるのも面倒だから、先に話しておくわね。私はバゴットと結婚したつもりはないの。あのひとの『お金』と結婚したのよ」

……言い切った!

 メルルは心の中でつぶやいた。

 「でもね、あんまりお金好きとか思わないでね」

 アジャーニはメルルに顔を寄せた。

 「私はお金好きというより、貧しいのが嫌いなだけ。小さい時から、貧乏には苦労させられたもの」

 「それでバゴット氏と結婚を?」フォーレスが尋ねた。

 「そうよ。あのひとは適当な女を必要とし、私は貧乏暮らしから抜け出したかった。お互いの思惑が一致したというわけね。もし、お嬢ちゃんが結婚に何か夢みたいなものをいだいていたとしたら、壊すような話でごめんなさいね」

 メルルは「いいえ」と小さな声で応えた。

 「愛情のない夫婦生活だったけど、特に揉め事はなかったわ。お互いについて、そこまで関心がなかったからだと思うわ。別にあのひとに対して腹を立てることもなかったしね」

 「でも、一年で別れちゃったんですよね?」メルルが尋ねた。

 「そうなの。結婚して半年ぐらい過ぎたあたりかしら。私ね、原因不明の頭痛に悩まされるようになったの。すぐに熱を出して寝込んだりするし、さすがに精神的にも参ってしまったわ。私は、それが本当は望んでもいない結婚をしたからではないかと考えた。だって、バゴットと結婚するまで、私の取り柄は健康であることだったもの。それで私はバゴットと話し合った。きっと私の体調が良くないのは、愛してもいないあなたと暮らしているからだと」

……バゴットさんにも言い切ったんだ、このひと!

 メルルには驚きの連続だった。世の中には、自分と考え方のまったく違う女性がいる。

 「バゴットはただ冷静に私の話を受け入れてたわ。私の話が終わると、どういう手続きをして離婚するか、とか事務的な話にすぐ移って。あのひともわかってたんだと思うわ。別れることで揉めることは何も起きなかった」

 「そうですか」レトが相槌を打つと、

 「その、離婚にあたって何か条件はありましたか? お互いに、ですが」と尋ねた。

 「慰謝料のことなら、別れた時に一千万リュー、あと、5年の間は毎月20万リューが私に支払われることになっていたわ。ただし、5年以内に私が再婚する場合は、その時点で支払いを終了するという条件で。私からはバゴットに何の条件も指定していなかったから、今回、バゴットが死んだことで、月々に20万リューをいただくことはなくなったわね」

 そうか、このひとは離婚しているから、バゴット氏が死んだことで利益を得るわけではないんだ。メルルはそう思った。このひとはバゴット氏を殺害する動機はない。少なくともお金に関しては。

 「最後にバゴットと会ったのはちょうど先週だったわね。この部屋の、あのソファで、あのひとが用意した書類にサインしたの」

 アジャーニが指さしたのは、バゴットが倒れていたそばにあった、応接用のソファだった。

 「書類はここに持ってきてはいないけど、目録のようなものよ。私がここを出て行ったとき、私の物がいくらか残っていたの。それを引き取るのに、あのひと、目録を用意したのよ。余計なものを持ち出させないようにするためね。私がそれを確認し、それ以外に持ち出すものはないと確認してサインした。あとは業者にお願いして、今の住所に荷物を運んでもらっておしまい。あのひととのつながりは私の口座に振り込まれるお金だけになるはずだった」

 メルルは何かうすら寒いものを感じていた。バゴット氏も、このアジャーニも、互いに何の感情もないのに夫婦でいたのがわかったからだ。両親や姉、親戚に至るまで、度合いに差はあったものの、結婚には愛情というものがあった。ここまで情と呼べるものがない、契約的な夫婦というものを初めて見たのだ。

 「その書類のやり取りをした日のことを思い出してほしいのですが、バゴット氏に何か日頃と違うものを感じたりはしませんでしたか?」

 レトの質問にアジャーニは首をかしげた。

 「さぁ。こんな説明ではわかりにくいかもだけど、いたって普段通りだったわ。何の表情もなく、感情もなく、ただ淡々と書類のやりとりをしただけ。はた目からだと異常にみえるでしょうけど、私にとって、それがバゴットの当たり前だったわ」

 アジャーニは再びメルルに顔を向けた。

 「あなたは夫婦って感情の交流があるものって思っているようね。そうよね。私の両親はそんな感じだったから。でも、それが夫婦のすべてではないわ。貴族の婚姻はもっと冷淡なものよ。跡目を生むかどうかが貴族に嫁ぐ女性に求められているもので、愛情なんて始めから期待されていないんだから。子供を生むことを望まれていなかっただけ、バゴットとの結婚のほうがマシに思えるわ、私にとっては」

 「はぁ……」メルルはどう返していいかわからなかった。

 アジャーニはレトに視線を戻した。

 「話がそれたわね。先週、ここで会ったとき、バゴットは私の荷物を全部階下にまとめて下ろしていたわ。目録を渡されて、階下で内容を確認した後、ここに通されたわ。そして、そのソファで向かい合って、私は書類にサインした。その書類を見たかったら、後で取りに来たら? 私の家にあるわよ。それから、書類の控えを受け取ったら、あのひと、『これで全部終了だ。これでお前と顔を合わすことはない』と言ってたわ。私も『そうね』と返して、書類を手提げ鞄にしまって、そのままこの部屋を出たの。あのひとは見送ることなんてしなかった。私は階下で運送の業者が来るのを待って、業者と一緒に屋敷を離れたわ。あなたがたに呼ばれるまで、それっきり、ここには近寄りもしなかった」

 「バゴット氏が殺害されたのは三日前になるのですが、その日の晩6時以降、あなたはどこにおられましたか?」

 「やっぱり私を疑っているわけ? まぁ、いいわ。私はあの日の夜は6時からお店にいたわ。バゴットのお金で酒場をはじめたの。まだはじめてひと月ぐらいだけど、それなりにお客様に来ていただいているわ。あの日も店を開くとすぐにお客が入って、閉めるまでお客が切れることはなかったわね。お店の場所はオーウェン区にあるわ。バゴットの事務所と同じ区にあるけど、歩いて行くにはちょっと遠いところかしらね」

 「お店から離れることはなかったと」

 「ええ」

 「お店を閉めたのは何時頃ですか?」

 「そうねぇ、いつも零時を回ってから閉めていたわ。だいたいで閉めていたので正確じゃないけど、あの日も同じぐらいのはずよ」

 コジャック医師によれば、バゴット氏が殺害されたのは6時から12時の間頃とのことだった。その時間帯、アジャーニはちょうど店で客相手の仕事をしていたということになる。もちろん、裏付けを取らなければならないが、アジャーニの言うことが本当であれば、彼女に犯行は不可能だ。

 レトはそのことを記録に取ると、質問内容を変えることにした。

 「この部屋を見渡して、だいぶ様子が違うと思うでしょうが、何がなくなっているかわかりませんでしょうか?」

 レトが尋ねると、アジャーニは部屋の中を改めて見渡した。

 「そうねぇ……。あそこに、女神像があったのを覚えてるわ」

 「女神像?」レトとメルルは同時に声があがった。

 「そう、あの棚の一番広いところ。あそこに陶器製の女神像が置いてあったわ」

 「何か特徴はありましたか?」

 「ありふれた女神像だったけど、見慣れないものがあったわ。背中に宝石が埋め込まれていたの。十字状で、真ん中がルビーだったと思うわ」

 やっぱり呪いの魔法がかけられた女神像だ。ここに置いてあったんだ。メルルはちらりとレトの顔をうかがった。レトは何食わぬ顔で質問を続ける。

 「その像は、いつごろから屋敷にあったものですか?」

 「さぁ。結婚した時にはすでに持っていたわね。この部屋の掃除は私がしていたから覚えているけど、素人目にもきれいでいいものだと思ったわ」

 アジャーニはさきほど離婚の原因は、結婚生活で自分の体調がすぐれなくなったからだと言っていた。日常的に女神像の近くにいたアジャーニが、魔法の影響を受けたことは想像に難くない。女神像の正体を知ったら、このひとはどんな反応をするんだろう。

 「あとは、そうね、その女神像の横に置いてあった小箱ね」

 「小箱? どんな形のものでしたか」

 「女神像と同じように宝石が十字状にはめ込まれたきれいな箱だったわ。バゴットは『魔法の箱』と呼んでいたけど」

 ヴィクトリアが憲兵本部でブルガスという盗賊から聞いた箱のことだ。メルルはすぐに思い当たった。

 「何でも、持ち主が正しい合言葉を唱えないと、罠が発動する仕かけなんだって。あんんまり変な気は起こすなよなんて言われたけど、私は初めからバゴットの持ち物に興味がなかったから、ほとんど触りもしなかったわ。掃除のときにホコリを払い落としてあげたぐらいよ」

 「その箱の中身について何かご存知ですか?」

 「いいえ、聞きもしなかったわ」アジャーニは即答した。

 「そうですか……。では、ほかには?」

 「机の向かいにある棚の上には壺がふたつ飾ってあったわ。それぞれイマリとカラツとか言ってたわ。ただ、どっちがどっちだったか分からなかったけど。ただ、どっちも高いものだったって言ってたことは覚えているわ」

 イマリもカラツも東洋の国の焼き物のブランドである。この国では、いずれも高値で取引されている。

 「大きさはどれほどのものですか?」

 「そうね、どっちもひとの頭ぐらいの大きさだったかしら。ひとつは草の文様が染めてあったわ。もうひとつに文様はなかったけど、底の部分が青っぽくて、それが上に行くにしたがって白くなっている風合いのあるものだったわ」

 ブルガスからは魔法の箱以外に、壺のことも聞いていた。少なくともブルガスは正直に白状していた、ということなのだろう。裏付けは取れたわけだ。そして、アジャーニからは、ブルガスの自白以上のことを聞き出せる可能性があまりないこともわかってきた。

 「ほかはすぐに思い出せないわ。さっきも言ったけど、私、バゴットの持ち物にあまり興味なかったの。部屋の様子も変わっているし、記憶もあいまいな部分もあるし……」

 「この居室以外はどうでしたか? さきほどかつての寝室などをご覧いただきましたが……」

 「荒らされてはいたけど、盗られたものはないように思うわ。でも、本当にごめんなさい。確かだとは言えないわ」

 「そうですか、わかりました。では、今後何か思い出すことがあればお知らせください。それと、今後お聞きしたいことがあれば、どちらを訪ねさせていただければ良いでしょうか」

 「さっきの話に出た酒場ね。家でなければそこにしかいないわね、私。でも、お店の時間は避けてくれないかしら。客商売なので憲兵の方や探偵さんに押しかけられたら、客足が減ってしまうわ」

 「心がけます」レトは約束した。

 「あの、アジャーニさん」

 メルルは最後にどうしても聞きたいことがあった。

 「何かしら?」

 「最近のお身体の具合はいかがですか?」

 「あら、気遣ってくれるの? 嬉しいわ」

 アジャーニは艶やかな笑顔を見せ、両手を肩まで上げてみせた。すらりとした細い腕だが、その肌の色で健康そうだとうかがえる。

 「おかげさまで今は調子がいいわ。やっぱり、好きでもない男と結婚するもんじゃないわね。私、この家を出たとたんに良くなったのよ」

 

17


 カミラ夫人はメルルとそれほど身長が変わらなかった。痩せた頬、窪んだ瞳。年齢は50歳を過ぎているはずだが、その容貌のせいでむしろ実年齢をわかりにくくさせていた。バゴット氏の屋敷に呼ばれた夫人は、憲兵からの急な呼び出しにオドオドしているようだった。

 「カミラさん、あなたがバゴット氏の家政婦を務めていらっしゃるんですね?」

 フォーレスの問いかけに、夫人は小刻みにうなづいた。

 「ええ、ええ。そうです。3か月ほど前からです、はい」

 「どんな仕事を任されていたのですか?」

 「掃除と洗濯です。食事はバゴットさんがお屋敷に居られるときに、夕食だけご用意していました」

 「屋敷に居られるときというと、普段のバゴット氏は不在なのですか?」

 「あの方はオーウェン区にお仕事の事務所を構えていらっしゃってて。平日はそちらにおられます。だいたい6時頃に戻られるそうですが、私は掃除や洗濯を終わらせた時点で帰ってよいということになっていましたので、あまりお顔を見ることがございませんでした」

 「普段、あなたが屋敷を出る時間はいつ頃でしたか?」

 夫人は少し考えながら答えた。

 「ええと……、だいたい昼過ぎの3時から5時の間だったかと。お庭の掃除も任されていましたので、そちらにかかると4時までに終わるということはありませんでした」

 「庭の掃除は不定期で?」

 「そうです、そうです。隔週で1回ほどでした。バゴットさんはお庭に出ることはあまりないようなので、バルコニーから見える範囲が整っていれば、あまり細かいところはお気になさらない方でした」

 「仕事が終わると、戸締りして帰られるんですよね」横からレトが口を挟んだ。

 そこで夫人は少し言いよどんだ。

 「あの、ええと、実は、なのですが……」

 「何です?」

 「バゴットさんは変わった考えのお方らしく、私に鍵を持たせませんでした」

 「と、言うことは?」

 「ええ、戸締りはいたしておりません」

 ここでモール・マントンの証言が裏付けられた。マントンの証言通りだったわけだ。

 「バゴット氏は金融屋でしょう? そんな方が不用心なことだと思いますが」

 「そうなんです。ですが、どうも資産の大部分は別の場所に保管されていて、この屋敷にあるのはほんの一部のようなんです。不用心というより、多少の得で喜ぶ盗賊たちを陰で笑うつもりだったようで、私にも『不心得なことを考えても、それほど得にならんよ。それで、刑務所に放り込まれることになったら、そっちのほうが損だと思い知ることになる』などとおっしゃっていました。『だいたい私が不用心な真似をしている時点で、ここに私の財産があると思うほうがおかしい』と、笑っておられました」

 「しかし、さきほど元妻のアジャーニさんからは、このバゴット氏の居室に高価な品々が置いてあったことをうかがっていますが」

 フォーレスが反論するように言った。しかし、それにはメルルもそうだと思った。

 「あの、それなんですが……」

 夫人はまたしても言いにくそうにもじもじと自分の手をこすり合わせた。

 「何ですか?」

 「このお屋敷にある高価な品々というのは壺とか、そういったもののことでしょうか?」

 「そうですが」

 「それらの品々は、本来バゴットさんの持ち物ではなく、借金のかたに取り上げたものだと聞きました」

 「借金の形」

 「ええ、戦利品みたいなものだと。それらをお屋敷のあちこちに飾って眺めるのが好きなようでした」

 ここまでの話で、少しずつではあるが、バゴット氏の人物像がメルルには見えてきたような気がした。まだ想像の範囲内ではあるが、バゴット氏はあまり好感のもてる人物ではないようだ。それと、アジャーニがバゴット氏のことに関心がなかったのもよくわかった。彼女はカミラ夫人のように、バゴット氏の持ち物のことを何も聞いていなかったのだからだ。むしろ、家政婦のほうが良く知っている。

 「ところで、三日前のことになりますが、あなたはここに来ていたのですよね?」

 「……はい。その日はお勤めの日でしたので、朝、9時頃に屋敷に入りました。バゴットさんはすでにお出かけになられていておられませんでした。そういうこともあって、戸締りをされていないと思います。私が勝手に入って、お仕事できるようにと。まずは洗濯を始めて、洗濯物を物干し台にかけておきました。それから屋敷の掃除を2階から始めました。終わったときがちょうど昼頃で、昼食休みをいただき、それから1階の掃除。それはお手洗いや風呂釜の掃除も含まれています。終わるころには洗濯物も乾いておりますので、それを取り込んで畳みました。すべて終わったのが3時頃だったと思います。掃除道具などを片付けまして、その日はそのまま失礼させていただきました。4時までには屋敷を出ていると思います。その日は一度もバゴットさんとはお会いしていません」

 「その間、誰かが訪ねたりしませんでしたか? バゴット氏の不在を確認したり、あるいは在宅時間を確認するような」

 「いいえ、その日は誰もお訪ねになっておりません。……と言うか、お屋敷で働かせていただいてから、バゴットさんをお訪ねのお客様はひとりも参られていません」

 アジャーニがバゴット氏と会ったのは先週のことだ。カミラ夫人が屋敷へ来ない日に会ったということだろう。

 「4時頃にこの屋敷を出たということですが、その後はどう過ごされたのですか?」

 「そうですねぇ……。たしか、市場で買い物をしました。夕食の食材を買うためです。家へ戻ると、それから食事の用意を始めました。その日は8時前後頃だったでしょうか。主人が勤め先から戻ってまいりました。主人は退役軍人ですが、何の役職もない一兵士だったので、年金だけでは生活は厳しいのです。それで、大通りの掃除夫として今も働いているんです。ただ、勤め帰りは、同じ掃除夫仲間と一杯飲んでから帰ってくるのが習慣でしたので、帰ってくるのがさっきお話しした時間だったりするのです。それからは主人と一緒に食事を取り、そのまま外へ出ることなく過ごしておりましたが」

 「8時頃にご主人が戻られるまでは、ずっとおひとりだったんですか? 誰か訪ねられたりなどなかったんですか?」

 「娘がひとりおりますが、とうに嫁いで家にはいませんし、あの日はここに立ち寄ることはありませんでした。あの夜は、主人が戻るまで私ひとりでした」

 不在証明に関しては、家族の証言は採用されない。カミラ夫人は彼女自身の無実を証明してくれる第三者はいないということになる。

 レトはそのあたりで質問を変えることにした。

 「このお屋敷にあった品々について、今なくなっているものは何だかわかりますか? ご記憶の範囲で構いませんが」

 「ええと……」

 夫人は部屋の中央に進み出ると、辺りを見回した。そして、数え上げるようになくなった品々を挙げていく。それらはおおよそアジャーニの証言と同じものだった。『くすんだ灰皿が見当たらない』というのが、アジャーニの証言にはなかったものだった。

 「灰皿ですか?」

 「バゴットさんは煙草を吸わない方でした。それで何でだろうと。応接のテーブルに置かず、壁際の棚に飾るように置いてあるので、いつだったかお聞きしたことがあります。『この灰皿は骨董品か何かでしょうか』と」

 「バゴット氏は何と?」

 「マーリン時代に作られた、『元』魔法の灰皿だそうです。どんな魔法が仕かけられているのか知りませんが、今では効果がなくなってただの灰皿だそうです。それでも骨董としての価値はあるのだとおっしゃってました」

 「いろいろと聞いているんですね」

 「そりゃあ、大切なものや高価なものを傷つけたり、壊したりしてはことですから。何に対して特に気を配らなくてはならないか、事前にお聞きするようにしていましたので」

 カミラ夫人がバゴット氏の持ち物に詳しいのは、仕事上で必要な面もあったわけだ。

 「あと、引き出しの中も確認してよろしいでしょうか?」夫人が申し出た。

 「引き出しって、あの書斎机の引き出しですか?」

 「ええ、あそこにもそれなりに高価なものがあると聞いています」

 「そうですか、お願いします」

 夫人は書斎机の正面に立つと、ひとつずつ引き出しを引っ張り出して中を改め始めた。メルルはレトとともに夫人の両側から夫人の手元に注目した。夫人はずいぶん痩せこけた女性だが、腕力はあるらしく、両腕で難なく引き出しを引っ張り出しては戻していく。

 夫人は慣れたように引き出しの中のものを左右に分けながら確認している。引き出しの中は書斎机らしいものばかりだった。深く目盛りの刻まれた金尺、よく切れそうなはさみ、複数の書類挟み……。書類挟みは表紙の色が何種類かあって、内容によって色分けされているようだった。夫人の指は1本のペンで止まった。

 「こちらは無事だったようです」

 夫人はそれを取り上げて見せた。

 「ペンですね」メルルが夫人の持っているものを見つめながら言った。

 レトは夫人からペンを受け取ると、少し困惑したような表情になった。

 「すみません、僕はこのような品には疎くて……」

 「拝見します」横からフォーレスが手を伸ばした。

 「ああ、これはオルセーの万年筆ですね。たしかに高級品です」

 「ご存知ですか」

 「オルセーは高級文具の老舗です。貴族の使用するのはたいていオルセーの製品ですよ。この万年筆は1本5万リューぐらいするものです」

 「万年筆が5万リュー!」メルルが大きな声を出した。ちなみにメルルが使っているペンは2百リューぐらいのものだ。2百倍以上の値段の差がある。

 「まぁ5万リューするといっても、盗賊の食指が動くほどではないですね、たしかに」

 フォーレスは万年筆をレトに渡した。レトはそれを引き出しに戻して閉めた。

 「ほかに見当たらなくなったものはございませんか?」

 「今お話ししたもの以外となると、さすがに自信がございません」

 夫人は力なく首を左右に振った。レトとフォーレスから次の質問は出なくなった。

 これで尋問も終わりだろう。メルルはそう思ってレトの顔を見上げた。レトは自分の顎を少し摘まむような姿勢で考え込んでいる。何かに気付いたのだろうか。

 「フォーレス一等士官。アジャーニさんに改めて確認したいことができました。あとでお話を聞いていただけますか? あと、尋問に協力して答えている男、ブルガスにも確認したいことがあります」

 「わかりました。では、あとで詳細をご指示ください」

 フォーレスは夫人を廊下へと案内しながらレトに応えた。

 「さっきのやりとりで何かわかったんですか?」メルルがレトに尋ねると、レトは苦いものを噛んだような表情になった。

 「……確信のないことは口にしたくないんだ。今のところ何かわかったと言える話じゃないよ」

 メルルも自分の顎に手を当てて考え込んだ。これまでのやり取りに、レトが何かを気にするような手がかりがあったのだろうか。

……こういうときのレトさんって秘密主義なんだよなぁ。

 「どうかしたのかい、メルルさん」

 部屋に戻ったフォーレスがメルルに声をかけた。緊迫感のない気さくな感じだ。

 「いいえ」メルルはムスッとした表情で答えた。

 

18


 「今日はレトたちはいないのか」

 探偵事務所に足を踏み入れるや、ルッチは落胆した声をあげた。

 「彼らは捜査で出ています、殿下」

 ヒルディー所長は不機嫌そうに答えた。座っている席から立とうともしない。

 「最近、よくお顔をお出しですね」

 「そんな言い方するなよ」

 ルッチはずかずかと所長の机の前まで進むと、懐から一枚の紙を取り出した。

 「今日はこれを持ってきたんだ。このあいだ話したトランボ王国特務隊の続報さ」

 所長はそれを受け取ると、さっと目を通した。

 「同行者の名前がわかったのですか。早いですね」

 「リシュリュー配下の者は優秀なのさ。……しかし、その優秀な人材を提供するっていうリシュリューの申し出を断ったそうじゃないか」

 「理由を申し上げなければなりませんか」

 「コーデリアもヴィクトリアも優秀なのは認めるさ。でも、メルルちゃんのような子も採用したのに、即戦力になるだろうリシュリューの部下は要らないというのは何故かと思ってね」

 「単純な話です。この事務所にとって必要な人材を採ったまでのことです」

 「事務所にとって?」

 「リシュリューの部下はリシュリュー子飼いのものです。もし、リシュリューが不正を行なったとして、その捜査をする必要が出てきた場合、彼らは公正な捜査ができるでしょうか? 最悪の場合、捜査情報が洩れる恐れもあります」

 「リシュリューが不正をするだって?」

 「現時点での彼は、殿下に対しても、この王国に対しても害となる存在ではないでしょう。ですが、権力を手にした者はいつ豹変するかわからないものです」

 「リシュリューが王国を乗っ取る可能性があると言うのか」

 「今は仮定の話でしかありません。ですが、私はそうしたことを軽視した体制で、この職務を果たせるとは思っていません。殿下の理想とする、『公正で、国民に寄り添った正義』に、リシュリューの部下は似つかわしくはないでしょう」

 「今、事務所にいる者たちは、政治的に中立性が高いというわけか」

 「彼女たちは、女性であるという理由だけで、これまで冷遇されてきました。ですが、そのおかげで、どの派閥とも関りを持たず、政治的には完全に中立です。秘密を扱う仕事である以上、何らかの利害関係がある者に秘密を扱わせることの危険性はご理解いただけるものと思います」

 「……政治的中立性と秘密の保持に関する危険性の話はわかった。しかし、『女性であるという理由だけで、これまで冷遇されて』きたことのほうが本音じゃないのか? 憲兵と対等の捜査権を持つ、この仕事に就かせたいと考えた、とか」

 所長はフッと口の端に笑みを浮かべた。

 「私も『女』ですから、女に対して評価が高くなりがちなのかもしれませんね」

 「まぁ、コーデリアもヴィクトリアも、着実に実績を上げている。所長の目は確かだよ。でも、メルルちゃんを採用したのは、どの部分を買っているんだ? 真面目で、良い子だとは思うけどね。あまり頭の切れる子には見えなかったがなぁ」

 「殿下もお気づきでしょう? あの子は肝が据わっているんです。まったく採用される当てもないのに王都まで乗り込んで、自分を探偵事務所に雇ってほしいと売り込みに来ました。出来ることと言えば、中途半端に覚えた魔法とお茶の淹れ方ぐらいなのに、です」

 「雇ってくれなどとよく言えたもんだな」ルッチはかえって感心したようだった。

 「でも、そんなことぐらいでたじろいだりしない心の強さがあるんです。図々しさと言い換えてもいいでしょうが。そして、その強さは、探偵の仕事では武器になるでしょう。探偵の仕事は危険だけではありません。嫌なことにも向き合うことが必要なところもあるのですから」

 「あの子の内面の強さが採用理由か」

 「あの子は期待させるだけのものを持っていますよ」

 「所長に評価されていると知ったら、メルルちゃん大喜びするだろうな」

 「今の話はここだけのことにしてください。あの子をつけあがらせたくありません」

 ルッチはうなづいた。

 「俺もあの子が化けるのを見てみたいからな。所長のしごきに期待させてもらおうか」

 「甘くはありませんよ、私は」

……冗談に聞こえないんだよな、この人の場合。

 ルッチは心の中でつぶやいた。

 「何か?」

 ルッチは首をぶんぶんと振った。

 「いいや、何にも」


19


 「ちょっと期待外れの調査内容だな、これは」

 ベンデルは手にしている紙をひらひらとさせた。

 ベンデルのアジトにはジョン・ベリー、ルゥ、スターキー、そしてティルカが立っている。ベンデルはひとりソファに座っていた。ティルカが書き留めた図面を無言で受け取ると、それを少し見るなり文句を言い始めたのだ。

 「期待って、何に対して期待していたのか知らないわ、私」

 かなり危険な思いをして忍び込んで調べたのだ。いきなり期待外れ発言はティルカにとって心外だった。もちろん感謝の言葉など期待していなかったが。

 「これじゃ、お前さんが忍び込んだ方法以外、侵入方法がないということになるな。しかも、お宝はあるのかどうかもわからねぇ」

 「あなたたちとってのお宝が何なのか、さっぱりわからないわ。人間が造ったゴーレムはすごそうだったけど」

 「ゴーレムなんてデカブツ、盗めねぇだろが。売りさばくにも一発で足がつくぜ」

 ベンデルは吐き捨てるように言う。その語気の強さに、ジョンたち三名の部下たちも身をすくめる。

 「できれば今夜にでも仕事と考えていたが、これじゃ無理だな」

 「無理って諦めるってこと?」

 そうだとすれば、これ以上悪事に加担しなくてすむ。しかしその場合、ベンデルはノルドンに対する要求を引っ込めたりはしないだろう。ティルカはそれだけは嫌だった。

 「私がここまでやったんだから、どうにかできるんじゃないの? 一体私に何を期待していたわけ?」

 ティルカも語気が荒くなっていた。

 「何、生意気なこと言ってんだ、小娘!」スターキーが大きな手をティルカに伸ばしてきた。ティルカはすばやく身を翻すと、腰からナイフを取り出し身構えた。

 「よせよせ、こんな所で。スターキー、お前はすぐカッとなりやがる。悪い癖だぜ」

 ベンデルがたしなめるように言うと、スターキーは伸ばしかけていた手を引っ込めた。

 「だがな、嬢ちゃん。これじゃ、俺たちとの取引は完了しねぇ。それはわかってもらえるかな。このままじゃ、俺たちはノルドンに仕事を頼まなきゃならねぇ」

 「そんなことはさせない!」ナイフを身構えたままティルカは叫んだ。

 「だったら、嬢ちゃん。取引を続行させなきゃならねぇな」

 「取引って。倉庫に侵入して調べることが取引だったはずよ」

 「だが、こんな不完全な図面じゃ、嬢ちゃんの仕事を認めることはできねぇ。嬢ちゃんは図面でしくじった分を取り返してもらわなきゃならねぇ」

 「しくじった分だなんて!」

 ベンデルは言いがかりをつけて、こちらに何かをさせようとしている。ティルカはベンデルの意図が読めてきた。しかし、ティルカは抗議を続けることができない。ノルドンのことが頭の片隅にあるからだ。

 「嬢ちゃん。俺たちはあんたのその身軽さを買ってるんだぜ。なぁ、みんな」

 ベンデルに話を振られた3人は慌てたように首をぶんぶんと縦に振る。

 「だからよ、あと少し、その身軽さを俺たちのために使ってくれないかな。なぁに、問題ないさ。もう一度、あの倉庫の屋根に登って忍び込んでもらうだけだからよ」

 「もう一度あそこへ?」

 ベンデルは口の端を釣り上げて笑みを見せた。

 「そう、そして、今度は1階まで降りてきて、内側から倉庫の扉を開けてもらおうってわけだ。できる話だろ?」

 「私の説明をちゃんと聞いてたの? 事務所にはひとがいたのよ。何時に帰るかわからないのよ。私ひとりで忍び込んで事務所のひとと鉢合わせたら、扉を開けるどころの話じゃなくなるわ」

 「事務所の者も、そう四六時中いるわけじゃないだろ。たとえば礼拝日はお休みしているもんだろ、会社っていうのはさ」

 「礼拝日」ティルカはふいにメルルの顔を思い出した。メルルは無垢で純粋な笑顔をティルカに見せていた。

 「その礼拝日の夜だったら、事務所は無人のはずだ。誰かと鉢合わせにならず、倉庫が開けられるだろ」

 「私にあなたたちの手引きをさせる気?」

 「取引の内容は、俺たちに利益をもたらす手伝いをすること、だ。図面で得られなかった利益を、あんたは提供しなきゃならないはずなんだがな」

 ベンデルは頭の後ろで手を組みながら天井を見上げるようにして言った。そう言われてティルカは何も言えなくなった。

 「決まりだな」その様子を見て、ベンデルは話を切り上げるように図面をテーブルに広げた。図面を見ようと、三名の部下たちの頭が寄せ合うように集まる。

 「とは言っても。これだけの規模の倉庫なら、警報が鳴る魔法道具が仕込まれているかもしれねぇ。短時間にかっさらう段取りは決めなくちゃあな」

 ベンデルは誰に言うともなくつぶやいている。ティルカは自分がいつの間にかナイフを下ろしていることに気が付いた。

 「嬢ちゃん、こっからは俺たちの話だ。今日のところは帰んな。次は礼拝日の18時にここに来てくれ。嬢ちゃんが来たら仕事開始だ」

……私、行くなんて言ってない。

 ティルカはそう言いたいところだったが、何かに気力を奪われたようだった。ナイフを腰に戻すと、無言のままアジトを出て行った。扉を閉めるバタンという音さえも力がなかった。

 ベンデルはティルカの立ち去る足音が聞こえなくなると、「ふん」と鼻を鳴らした。

 「スターキー。もう少し大人になれよ。あんな小娘ぐらい簡単にあしらわれるだろ?」

 スターキーは顔を真っ赤にさせたが、すぐ落ち着いたように「すまねぇ、次は気を付ける……」とつぶやいた。

 「でもよぉ、ベンデルの兄貴。仕事が終わったら、あの娘っ子は好きにしてもいいんだろ?」ルゥが下卑た声をあげた。

 「何だよ、ルゥ。あんな小娘が好みか?」

 「あいつには痛い目に遭ったんだ。お礼を兼ねてあの小娘と遊びたいのさ。いろいろやってみたいこともあるんだよ」

 ベンデルは天井を見上げた。ノルドンの仕事も片付いてしまえば、ティルカがどうなろうと知ったことではない。

 「好きにしな。ただし、ノルドンが箱を開けてからだ。あの小娘の無事を条件に仕事させているからな」

 「さすが兄貴。話せるぜ」

 「その時は俺も混ぜろよ」すかさずスターキーも声をあげた。

 「おいおい、スターキーもあの小娘が気に入ったのか。まだガリガリだぞ」ベンデルは呆れた。

 「俺もあの小娘にはいろいろうっ憤が溜まってんだ。あいつの身体で吐き出させてもらわねぇと」

 「せいぜいケガだけしないようにな。ふたりとも、あの小娘の体捌きについてこれてなかったじゃねぇか」

 「あ、あのときは油断してた、だけさ……」ルゥは勢いがそがれたように少し口どもった。

 「今度こそ、良い声で鳴かせて見せるぜ」スターキーは懲りていないようだった。


20


 ルッチは探偵事務所を出ると、少し遠回り気味に街を歩くことにした。王宮内に仕事は山積していたが、気の滅入る内容ばかりですぐ取りかかりたくない気持ちもある。それに、生まれ育った街とは言え、王太子ルチウスであるルッチにとっては、ほとんど知らない街なのだ。王族が街を出歩くことなどありえないことだったし、そうした機会があるときは必ず多くの護衛がつき、決まったところを行くだけだったからである。ルチウスが王太子となったとき、緊急時の秘密の通路のカギを手に入れた。それにより、お忍びで王宮を抜け出す手段を手に入れたのだ。父や祖父は真面目な性格だったようで、王宮を抜け出すことなどしなかったようだ。おかげで王宮の者たちは王太子のお忍びの行動に対する警戒心を持っていない。誰にも気付かれることなくルチウス王太子は「ルッチ」として、街に繰り出すことができるのだ。とはいってもそう羽目を外すわけではない。街を出歩くのはただ遊びたいという気持ちではないからだ。彼は国民に対する視点が弱い今のまつりごとには疑問を抱いていた。庶民の暮らしを知らない王族や貴族などの特権階級に、国民全体に目を向けた政治ができると言えるのか。市井というものを知ることは、今後行う政に必ず役に立つはずだ。ルッチは自分にそう言い聞かせていた。少し言い訳めいた部分に後ろめたさを感じないわけではなかったが、無駄にはなるまいと信じている。

 八百屋をのぞき、果物屋の主人に声をかけ、ルッチはすっかり「街の男」になっていた。初めは仮面姿のルッチに警戒する者がいたが、ルッチの陽気さに徐々に警戒心を解いて、今では誰からも親しみを持って接してもらえるまでになっていた。今日も顔なじみになった商店の主人たちの明るい声を聞きながら、ルッチは陽気に通りを歩いていたのだった。通りは買い物客で賑わっている。この賑わいは街の繁栄ぶりを知る目安だ。戦争のあった2年前も寂れることはなかったが、それでもここまで賑わってはいなかった。街は着実に「かつて」を取り戻しつつある。

 感慨深げに歩いているルッチの目の前を、突然小さな人影がぶつかってきた。ルッチはとっさにその人影の両肩をつかんだ。

 「あ、ごめんなさい!」人影は慌てたような声をあげた。若い女の声だ。

 ルッチは肩をつかんだ人物を見下ろした。小柄のほっそりとした少女だ。スケッチブックを小脇に抱えている。グリーンの瞳と長いまつげが印象的な、美しい少女だ。

 「ぼんやりとしていました。ほんと、ごめんなさい」少女は重ねて謝罪すると、先へ進もうとした。ルッチは少女の肩から手を離さず、少し顔を少女の顔に近づけた。

 「君、どこかで会ったことはないかい?」

 ルッチはグリーンの瞳と長いまつげに何か思い当たる感じがしていた。

 「……い、いいえ。私、剣士様の知り合いはいません」

 少女の答えに、今、自分は「ルッチ」だということを思い出した。少なくとも「ルッチ」としての知り合いではないというわけだ。しかし、王太子だとしても街娘と顔見知りということはないだろう。

 「そ、そうか、悪かったな、引き留めて。気を悪くしないでくれよ。本当にどこかで会ったような気がしたんだ」

 ルッチは急いで両手を引っ込めた。これではタチの悪い男が、少女をひっかけようとしているようにしか見えないだろう。

 「い、いえ、それじゃあ」少女は頭を下げると、ルッチの脇をすり抜けるように歩き出した。ルッチは身体をひねって道を開けた。少女は振り返ることなく通りを立ち去っていく。その後ろ姿を見つめながら、ルッチは自分の頭をかいた。

 「たしかに、どこかで会った気がするんだがなぁ……」

 そう独りごちたものの、やはり思い出せない。そうしているうちに少女の姿は人込みの中で見えなくなった。

 ルッチは諦めたように肩をすくめると、身体の向きを変えた。

 「!」

 瞬間、ルッチの全身に緊張が走った。誰かに見られている。しかも、こちらに気付かれないように。

 しかし、ここで剣の柄に手をかけるわけにはいかない。騒ぎを起こすことは、今の立場上あってはならないことだ。

 ルッチは何事もないように歩き出すと、目だけは全神経を注ぐように辺りを探った。この場合、仮面をつけていることは幸いだった。警戒心を露わにした自分の目を見られずにすむ。

 ルッチが気付くのが少し遅かったようだった。さきほど感じた視線や気配はすでに消えてしまっていた。通りを歩く人々は、ルッチにまるで関心がないように行き交っている。

……気のせいか? いや、俺が気配を読み間違えることはない。たしかに誰かに見られていた。俺の正体がバレているのか?

 そうだとすると、このお忍びの行動は今後二度とできなくなる。そんな事態になるのは避けたい。

 ルッチはすばやく通りの脇道に入ると、気配を感じたと見当をつけたあたりに急いだ。相手が走って逃げるようならすぐわかるし、歩み去ろうとしているのであれば追いつくことができる。

 見当をつけた場所は露天の並びに切れ目が入るように開いた細い脇道である。裏から脇道へ回ったルッチの視線の先に、ゆっくりと歩み去る男の姿があった。男は脇道を離れ、薄暗い路地の奥へと姿を消そうとしている。黒の帽子に黒のマント。その特徴は、ルッチが王宮で聞いていたある者と一致していた。

 「おいおい……」

 ルッチは再び自分の頭をかいた。

 「こんなところで何をしているんだよ……」

 

21


――人を見た目で決めつけてはいけない。

 それは、コリン・バースの口癖のようなものだった。彼は非常に小柄な男で、極端なほど垂れ目だった。細長い鼻におちょぼ口。お世辞にも男前の容姿ではない。自信無げな猫背の様子も、彼を魅力的な人物にするのを妨げている。頬に食い込むかのような深いしわは、実年齢よりはるかに老けているように見せた。そう、見た目だけなら、彼を「強い」とか「危険」などと思う者は皆無であろう。

 しかし、コリンは闇魔法ギルドの一員である。公的機関に認められてはいないが、彼も魔法使いとしての知識と技量を持っているのだ。「公的機関に認められていない」と言っても、初めからもぐりの魔法使いを目指していたわけではない。彼もかつては名のある魔法学院の学生であり、順調に学業を修めていれば、いずれは正式な魔法使いの資格を持ち、魔法使いギルドに所属するか、冒険者の一員として活躍できるはずだった。しかし、魔法学院で学んでいても、その全員が資格を手に入れられるものではない。何人かは夢半ばで挫折し、あるいは資質不十分として学院を去るのが常だった。そして、コリンはそのひとりだった。

 魔法の知識を有しても、資格のない者は一般のギルドに所属することができない。冒険者の一員になるのは可能だが、冒険者も仲間として選ぶのであれば、資格を持った優秀な者のほうが望ましいのは言うまでもない。あぶれた者が闇ギルドに集まるのは自然な流れだと言える。闇ギルドに資格は必要ないからである。コリンも当然のように闇ギルドの世界へ足を踏み入れた。攻撃呪文のいくつかを扱えるコリンは、ここではそれなりに名が通るようになった。「人を見た目で決めつけてはいけない」は、コリンを小者と侮ってケンカを仕かける者たちに吐くコリンの決まり文句なのだ。

 コリンの所属しているギルドは闇市場で商売している。行なっているのは主に魔法道具の売買だ。魔法道具はその性質から売買に規制がかかる商品である。技術の流出など押さえる必要もあるから、規制があるのは当然だとも言える。しかし、コリンにとってはそんなことはどうでもいいことだった。王国にとって大切な技術であっても、自分の生活を潤してくれないのであれば、それは大切なものではない。たとえ魔族の手に渡って、何かに悪用されることがあったとしてもだ。魔法道具はただの商売品。それ以上でもそれ以下でもないと思っている。

 売り物の魔法道具は露店で並べて売るというありきたりのやり方で、商品の扱いもぞんざいなのは、コリンにとってはそう意外なことでもない。闇市場での魔法道具は飛ぶように売れたりはしないが、一定の稼ぎが見込まれる。コリンにはそれで充分だった。

 そんな彼だから、店先に全身黒づくめのドレスで身を包んだ小柄な女性が現れたときは、女性の目立つ服装に少し眉をひそめただけで、何の警戒心も持たなかった。せいぜい珍しもの好きの誰かが、冷やかしに来たのだろう程度の考えしか浮かばなかった。

 「何かお探しの物でも?」そうは思っても決まり文句は欠かさない。

 一見、少女にしか見えない女性は並んでいる商品から目を離さず、「これ」とだけ言って指をさした。

 コリンが台の上に目をやると、古びた灰皿だとわかった。骨董趣味の女の子か。コリンは少し興味を持った。

 「お客さん、この灰皿に惹かれたんですかい? ひょっとしてすごい目利きじゃないですかい。これは、百年前に作られた魔法の灰皿です」

 「魔法の灰皿」

 「ええ、ですが、残念なことにこれはもう魔法の力は失われています。煙草の煙が部屋に充満しないように、煙を消してしまうものだったそうですがね。持ち主の屋敷が火事になったときに、大量の煙を吸い過ぎてダメになってしまったんでさぁ。しかし、煙草という嗜好品に使われるため、灰皿自体はいい造りに仕上げられています。それで骨董としての価値はそれなりに高い、というわけなんです」

 こういう商売でうまくやるための秘訣は嘘をあまり吐かないことだ。場当たりの知識やうんちくを披露すると、かえってボロが出てしまう。知らないことは「知らない」と正直に答える。そうすると、本来であれば10万リューの値打ちの皿が50万リューで売れるのだ。これは信頼という付加価値が付いたためだ。コリンはそう信じている。もちろん、相手の目利き部分と財力も秤にかけるから、値段はそのつど変わる。だから、商品に値札をつけることもしない。

 「これはいくらで売っているの?」

 小さな口からこぼれる声はいかにも幼い。どこかの金持ちのお嬢さんが親に連れられて骨董市場に顔を出したというところか。コリンはそう見当をつけると慎重に口を開いた。

 「これはお父様への贈り物として考えてらっしゃるのですか? でしたら、お安くお譲りいたしますよ。本来50万リューのものですが、お嬢様がお買い上げしやすいように40万リューはいかがでしょうか?」

 盗賊からは8万リューで仕入れたものだ。40万で売れればいい粗利になるが、30万リューで取引成立できれば「御の字」というところだろう。

 少女は首を横に振る。「買いに来たんじゃないの」

 「じゃあ、これがどうかしたんですかい?」まぁ、仕方がないか、と考えながらコリンは尋ねた。いい身なりだが、やはり、こんな女の子が骨董を買いに来るわけがない。じゃあ、なぜ、さっきは値段を尋ねたりしたんだ?

 「あなたが、これをいくらで手に入れたのか知りたくて」

 コリンはつまらなそうな表情を隠すことができなくなった。

 「ここではいくらで仕入れたかなんて聞いたりしないのが『暗黙の了解』というもんなんですよ、お嬢さん」

 「じゃあ、これをあなたに売ったのは誰?」

 コリンは素早く辺りに目をやった。市場に並ぶ露店には多くの客たちが、それぞれ店先をのぞきこんで、店主たちと会話を交わしている。皆、周りに何の関心も払わずに、自分だけの買い物に没頭している。コリンたちに向けて視線を送る者の存在は見られない。つまり、この女の子はひとりでここに来たということだ。

 「お嬢さん、何でそんなことを知りたがるんで?」コリンは少し不安になった。ひょっとすると、この灰皿の本来の持ち主か、その身内のひとりかもしれない。そして、自分の家の物だと主張しだすかもしれない。

 「答えてはもらえないのかしら?」

 「お嬢さん、この市場にはいろんな物を売りに来る者がいます。いろんな事情を抱えてね。こちらはそんな事情を根掘り葉掘り聞くことなく、商品の良し悪しだけで判断して売買するんです。これを売ったのが誰だったかなんて覚えちゃいませんよ」

 「思い出してもらえないかしら」

 コリンはむっとした顔になった。

 「お嬢さん、しつこいね。いったい、これがどうかしたっていうんですか。お嬢さんのものだったんですか?」

 「これはバゴット・ハマースミスの屋敷から盗まれたものだわ」

 コリンは再び辺りをうかがった。やはり、誰からも監視されていない。

 「ほう、これは盗品だったとおっしゃるんで? 根拠は? そうだという証拠は?」

 「あなたが問題ないという証拠を見せてもらうほうが先ね」

 「ずいぶん生意気な口を利くお嬢さんだね。こっちが下手に出ているうちに帰ったほうがいいんじゃないかね?」

 「下手に出なくなるとどうなるのかしら?」

 コリンは大きくため息をついた。彼はこの外見から、誰からも侮られてきた。そのたびに魔法という『きつい一発』をお見舞いして、彼を侮ることの愚かしさを教えてやったものだ。これまでは自分より大柄な男たちだったが、今回は自分と負けず劣らずのおちびさんときた。人を見た目で「弱い」と決めつけるものではないと教えてやらないと。コリンは大きく息を吸った。

 「お嬢さん、そういうことはここで話さずに、この路地の奥でしませんか。そのほうがじっくりお互いを理解できると思うんですがね」紳士的に対応する最後の機会だ。これでびびって退散してくれれば許してやらんこともない。

 「仕方がないわね。奥まで付き合えばいいの?」

 意外な答えにコリンはびっくりした。同時に怒りが湧き上がってきた。

 「そこまで言うのなら、ちょっと奥まで来ていただきましょうかね、お嬢さん」

 こちらがどれだけ攻撃魔法に長けているか思い知らせてやろう。コリンは「ついてこい」というように手招きすると、背後の路地を歩き始めた。『黒服の少女』――コーデリア・グレイスも歩き出す。ふたりの姿は路地の奥へと消えていった。

 ふたりが路地の奥へと消えると、ひとりの人物がコリンの露店に近づいた。その人物は商品の中から例の灰皿を手にすると、小突いたり、ひっくり返したりしながら何かを確認しているようだった。それが終わると灰皿を元の場所に戻し、今度は奥へ消えたふたりの後を追うように路地の奥へと進んでいった。


 「レトさん、教えてほしいんですが」

 通りを歩きながら、メルルはかたわらのレトに声をかけた。

 「何だい急に?」

 「この間、コーデリアさんのこと、強いひとだっておっしゃってましたけど、どういうところが強いひとなんですか?」

 レトは肩に留まっているアルキオネに目をやった。アルキオネはレトの肩の上でゆらりゆらりと舟を漕いでいる。

 「……コーデリアさんは所長と同じ兵学校の出身だということは知っているよね」

 「ええ」

 「コーデリアさんは、その学校の格闘部門を主席で卒業したそうだよ」

 「ええ? 格闘部門で?」

 「兵役に就いていた頃も、素手で魔族と戦って倒していたそうだから、相当の使い手だよ。『ギデオンフェルの雌豹』ってあざなで呼ばれていたぐらいだからね」

 「そんなすごいひとが何であんな可愛い恰好しているんです? あれじゃ戦いにくそうに見えるんですけど」

 「細かい理由までは聞いていない。それでもあれが『戦闘服』なんだそうだ。あの格好のほうが戦いやすいってことじゃないか?」

 「ひとは見た目で決めつけちゃいけませんねぇ」

 「そうさ」

 レトは大きくうなづいた。

 「コーデリアさんを見た目だけで判断していたら、どんなひどい目に遭うか」

 

 「お互いを理解するために奥まで来たわけだけど」

 コーデリアは腰に手を当てて辺りを見渡した。

 「これで理解できたのかしら?」

 「……はい」

 コーデリアの足元でコリンは正座していた。ほっそりとした顔はあちこち腫れまわっていた。頬の肉が盛り上がったおかげでコリンの垂れ目はやや上向き加減になっているように見える。やや呆然とした面持ちだ。

 勝敗は一瞬で決した。束縛の呪文をかけようと振り返ったコリンの腹部に重い一撃が入り、前かがみになった顔面に無数の拳が降り注がれた。呪文のひと言を唱えることすら叶わなかったのだ。

 「じゃあ、私が聞きたい話をしてもらえるのかしら?」

 「な、何をお聞きになりたかったんでしたっけ……」とぼけてみせようとしたのは、せめてもの抵抗だった。

 「あの灰皿をあなたに売ったのは誰?」

 コーデリアは腕を組んでコリンを見下ろした。表情のない瞳からの視線がコリンを刺し貫く。コリンは身震いした。

 「そ、それはですね……」

 コーデリアがじりっと一歩踏み出してきた。

 「は、は、話します、話しますから! ル、ルゥって奴が売りに来たんです!」

 「ルゥって?」

 「元『イボック盗賊団』の一員だった奴です。イボック盗賊団は規模の大きい盗賊団で、ここだけでなく、トランボ王国も荒らしまわったこともあったほどですが、数年前に頭のイボックが捕まっちまって、事実上解散状態になったんでさぁ。解散して以降は、いくつかに分裂して盗賊を続けているそうですが、ルゥは数人の仲間と盗賊家業を続けているんです」

 「ルゥが現在所属している盗賊団は?」

 「盗賊団ってほどじゃないので団名はありません。ただ頭張っているのはベンデルって野郎で……」

 「ベンデルが頭の盗賊集団なのね」

 「は、はい。ベンデルは知恵の回る奴でして、イボック盗賊団内で高い地位にいたんですがね。分裂の際は一団を率いることもせず、数人だけ連れて独立したんです。そのときにはもう連中を見限っていたんでしょうね。分裂した盗賊団は内部抗争だの、かつての縄張り争いだので、互いを潰し合うことばかり繰り返して、いつのまにやら大人数の盗賊団はみんな、なくなっちまってますから」

 「たしかに知恵の回る男のようね。で、ルゥやベンデルの身体の特徴とか教えてほしいんだけど」

 「れ、連中を捕まえる気ですかい? し、しかし、俺が喋ったことを連中に知られたら、お、俺の身の安全が……」

 「連中が捕まれば、あなたは安全よ。だから、きちんと協力して。中途半端にして連中を取り逃がすことになれば、それこそあなたの身の安全なんて保障できないわ」

 コリンは頭を抱え込んだ。

 「あ、あんたは一体、何者なんだよ……。ベンデルたちを捕まえるって、憲兵なのか?」

 「いいえ。私はメリヴェール探偵事務所の者よ。ある事件にベンデルが関わっているみたいなので探しているところなの」

 「メリヴェール探偵事務所って。あんたがその探偵なのか?」

 「そうよ」

 コリンは自分の額から汗が噴き出してくるのを感じていた。ヒルディー・ウィザーズ元憲兵隊副隊長を所長として設立された『王立』の探偵事務所。すでにいくつかの盗賊団がこの探偵事務所に潰されているのは聞いていた。事務所に所属する探偵たちは事件解決の能力だけでなく、戦闘能力の高さでも評判だった。それは、かつての戦争で『ギデオンフェルの雌豹』と呼ばれた最強の女兵士が探偵として働いていることも大きいと言われている。

 「ま、まさか、あんた、コーデリア・グレイスじゃ……」

 「あら、私、有名だったのかしら」コーデリアがこくんと首をかしげてみせた。

――人を見た目で決めつけてはいけない。

 日頃、自分が他人に戒めてきた言葉がコリンの頭に甦った。なんてことだ。よりにもよってとんでもないものに絡んでしまった。『ギデオンフェルの雌豹』ことコーデリア・グレイスの強さは王国中に轟いていたが、こんなに幼い少女のような容貌の人物だとはまるで知らなかったのだ。

 「私を知っているのなら話が早いわ。私があまり優しいひとじゃないってことも知っているんじゃない? 私が大人しいうちにベンデルのことを話してくれない?」

 コーデリアがかがみこんで話しかける。コリンは思わず正座のまま後ずさった。

 「ひ、ひぃいい。わかりました、わかりました。知っていることは全部話しますから、それ以上近づかないでください!」

 コリンは自分が知る限りの情報を包み隠さずコーデリアに話した。とにかく早く解放されたい一心で。全部話し終わったとき、コリンは両手を地面につけてうつむいたまま、ぜぇぜぇと荒い息を吐いていた。

 「はぁ、はぁ。こ、これで全部、です。知っていることは全部話しましたぁ」

 「そう。わかったわ、ありがと」

 コーデリアはすっと立ち上がると身体の向きを変えた。

 コリンはうつむいた姿勢のままつぶやいた。

 「『ギデオンフェルの雌豹』がこんな女の子だなんて……」

 「雌豹って呼ばれるのは好きじゃないわ」

 立ち去りかけたコーデリアは半身だけ振り返った。コリンは弱々しく顔だけを上げた。

 「どうせなら『黒猫』って呼んでほしいな」

 コーデリアは拳を上げると、猫が手招くようにこくっと曲げてみせた。


 コーデリアが立ち去り、意気消沈したコリンも立ち上がって路地を立ち去ると、物陰からひとりの人物が現れた。その人物はふたりが立ち去った方角とは反対方向に歩き出し、そのまま姿を消した。


22


 レトとメルルが事務所に戻ったのは、陽がだいぶ傾いた夕暮れのころだった。事務所は所長をはじめ、ヴィクトリアやコーデリアもいたが、さらにもうひとり、男がふたりを待っていた。

 「ええと、あなたはベル・ブラウニーさん」

 レトの言葉にベル・ブラウニーはソファから立ち上がって頭を下げた。

 「はい、マントン商会のベル・ブラウニーです。実は皆さんに相談があって参りました」

 「相談」レトは所長に目を向けた。

 所長は自分の席で手を組んだままじっとしていたが、レトと目が合うとうなづいた。

 「詳しい話はこれからだ。お前たちもそこで一緒に話を聞いてくれ」

 「はい」

 メルルが代表するように返事をすると、ベル・ブラウニーの向かいのソファに腰を下ろした。コーデリアは自分の机の椅子に座っていたが、ヴィクトリアはソファに腰かけていた。メルルが腰を下ろしたのは、ヴィクトリアの隣だった。

 レトはアルキオネを窓際に立たせると、コーデリアの向かいに座った。そこがレトの机があるのだった。

 こうして事務所の全員が腰を下ろすと、所長が口を開いた。

 「ではブラウニーさん。お話を聞かせていただきますか?」

 「はい、ではさっそく。実は、我が商会が盗賊に狙われているようなのです」

 「盗賊に狙われている?」メルルはヴィクトリアと顔を見合わせた。

 「事の経緯を詳しく説明いたします。今朝、私が商会に出社したとき、建物の中でばさばさと羽音が響いていました。見ると、一羽の鳩が天井あたりを飛び回っていたのです。商会の建物は、そちらの探偵の皆さんが見た通り、大きな倉庫のようになっています。高価な商品が保管されているところでもあるので、戸締りについては気を使っています。もちろん窓の開け閉めについてもです。夜間に窓を開け放して、鳩などが入り込むようなことなど、我々商会の者は全員いたしません。鳩がどこから入り込んだのか建物を調べると、天窓が開けられていて、鳩はそこから侵入したのだとわかりました」

 「誰かが誤って開け放したということはないのですか?」レトが尋ねた。

 「各階の通路にも窓があり、風通しのためにあれらを開けることはあります。そこは格子がはまっていて、鳥などが入り込めないようになっています。天窓は構造上開けることはできますが、そのためには梁の上に登ってつっかい棒で持ち上げなくちゃなりません。あなたはあそこを見ていらっしゃるのでおわかりいただけると思いますが、かなり高いところです。天窓を開けるなんて、危険で面倒なことです。進んでやる者なんて、商会にはいませんよ。念のため、商会のみんなに尋ねてはみましたが、やはり天窓を開けたと名乗り出る者はいませんでした。そこで、梁のあたりを調べると、そこは長い間誰も上がっていなかったせいでけっこう埃が積もっていたのですが、誰かが踏み荒らした跡が残っていました。つまり、そこから何者かが侵入したのです」

 「天窓には鍵がかかっていなかったんですか?」

 「鍵はあるのですが、鍵をかけること自体面倒でしてね。なにしろ、あの高いところに登らなきゃならないのですから。第一、あそこから侵入しようとするなら、外の壁から屋根までよじ登らなきゃなりません。雨どいを伝えば可能でしょうが、天井付近には泥棒避けの『ネズミ返し』が取り付けてあります。非常に高い建物ですから、『ネズミ返し』をかわして屋根まで登るのは至難のことです。ですから、天窓に鍵をかける必要性を感じていなかった、というのが正直なところです。何者かが天井から侵入したらしいとわかったときも、始めはそれを信じることができませんでした。そんな危険を冒すなんて、我々にとっては正気の沙汰じゃないので」

 「何者かに侵入されて、なにか盗られたものはあったのですか?」

 ベル・ブラウニーは首を横に振った。

 「いいえ。そして、それがここへ相談にうかがうことにした理由です。何か具体的な被害があれば憲兵に届ければいいのですが、実際には何も盗られていないのです」

 「被害がないのですか?」

 「ええ、今のところです。代表にそのことを報告したとき、代表はこうおっしゃいました。『これは下見だ。侵入経路や獲物の位置など確認し、今度は大勢で襲うつもりなのだ』と。しかし、窓が開いていたという話だけでは憲兵も動いてはくれないだろうとも」

 ここで所長から声があがった。

 「みんなは今の話をどう見る?」

 「その前に確認ですが、昨晩は誰か事務所に詰めていたりしたのですか? 何かの警戒にあたっていたとか」レトの問いかけに、ベル・ブラウニーが自分の顔を指さした。

 「あの、昨夜は私が残業で事務所に残っていました。詰めていたわけではないので、おそらく午後10時前後あたりで帰りました」

 「そのとき何か異常を感じたりはしましたか?」

 「いいえ。私がいたのは1階の事務所だけです。手洗いに行った以外、どの階にも上がったりしませんでしたので、もし、そのころに何者かが侵入していたとしても、私は気付いていませんでした」

 「盗賊が盗みを働かなかったのは、そのせいかもしれませんね」

 レトが腕を組みながらつぶやくように言った。

 「もし、事務所が無人だったら、建物の扉を開けて、商品を持ち出していたかもしれないってこと?」

 「コーデリアさんの言う通りです」レトはうなづいた。

 「だとしたら、ずいぶんと慎重な盗賊だな。危険がないことを確認してから事を起こそうなんて」

 「ヒルディー。さっき私が報告したベンデルという盗賊の可能性がありそうね」

 「何です、コーデリアさん。ベンデルって」

 メルルは所長とコーデリアを交互に見やった。

 「そのことは後で説明しよう。ブラウニーさん、あなたの代表が危惧される通り、あなたがたの商会は狙われているようです。そして、その危険は近いうちに現実となりそうです」

 「ウィザーズ所長。この盗賊を捕らえることをお願いできませんか?」

 所長はかぶりを振った。

 「現時点では難しいでしょう。ここは網を張って、相手を待ち伏せるしかないように思われます」

 「待ち伏せですか? いつ来るかわからないのにですか?」

 「明日の礼拝日に、商会は営業していますか?」

 「礼拝日? いいえ……って、あっ」

 所長は大きくうなづいた。

 「礼拝日であれば、商会は無人でしょう。そして、それは周辺の工場やその他の商会にとっても同じです。あの一帯は人通りが少なくなる。目撃される危険も少ない礼拝日を狙う可能性は高い。夜間であればなおさらです」

 「礼拝日を狙うなんて、なんて罰当たりな」

 「盗賊にすれば知ったことではないでしょうね。むしろ狙いどきと考えるほうが自然です。もちろん、可能性のひとつでしかありませんが。ですから、今夜からでも網を張る必要があるかもしれません」

 「では、今夜からでも、商会で待ち伏せしてベンデルとかいう盗賊を捕らえていただけるんですね?」

 「御社を狙っているのがベンデルとは断定できません。ですが、盗賊の正体が何であれ、我々は網を張って奴らを捕らえる。それだけです」

 「そ、そうですか。いや、やはり、皆さんに相談して良かった。取り合ってもらわなかったらどうしようかと途方に暮れていたところでしたので。本当に助かります」

 「まだ、何もお助けできていませんが、お力になれるよう努めます」

 所長の言葉に、ベル・ブラウニーは笑顔で立ち上がった。

 「なにとぞ、よろしくお願いします。今の話を急ぎ代表に報告したいと思いますので、これで失礼させていただきます」

 「いいえ、もうしばらくお話しさせてください。そこへ待ち伏せするために必要な打ち合わせもさせていただきたいのです」

 所長の冷静な言葉に、ベル・ブラウニーは自分の額の汗をぬぐった。

 「あ、ああ。そうですね。すみません、少し舞い上がっていました」

 それからベル・ブラウニーとは、どこで事務所の鍵を預かり、事務所のどこで待ち伏せをするのかなどの話し合いが行われた。事務所に直接鍵の受け取りに行かないことをベル・ブラウニーは疑問に思ったようだが、盗賊たちに商会を監視されている可能性を説明されると、納得したように深くうなづいた。そこで、事務所の鍵は、ベル・ブラウニーが再び探偵事務所に届けることになった。話が具体的にまとまってようやく、ベル・ブラウニーの表情から安堵の様子が見て取れた。ブラウニーは深々と頭を下げ、重ねて商会のことをお願いすると事務所から立ち去った。

 「さて、と」

 ベル・ブラウニーが事務所を去ると、所長は室内を見渡した。事務所の全員が所長を見つめる。

 「さっき話したように、今夜から交代で商会の見張りを行なうことにする。一応、可能性の高いのは礼拝日の晩だが、今夜にも襲われる可能性はある。下手をすればしばらくかかるかもしれない。毎晩、全員で見張るわけにはいかないだろう」

 それには全員もうなづいた。

 「可能性の低い今夜は、レトとヴィクトリアで見張ってくれるか? 一度商会を見たレトとメルルを二手に分けておきたい。レトを今夜のほうにつけるのは待ち伏せに相応しい場所の確認も兼ねているからだ。今夜が空振りでも、レトから待ち伏せでの注意点など確認してもらえれば、明日の段取りには役立つだろう」

 「わかりました」

 「わかりましたわ、所長」

 レトとヴィクトリアはうなづいた。

 「明日の礼拝日の晩は、私とコーデリア、そしてメルルの3人で行なう。この組み合わせであれば、格闘戦と魔法戦の両方に対処できる」

 はじめはレトとヴィクトリアを組ませる理由がメルルにはわからなかったが、所長の説明で気付いた。

 「じゃ、じゃあ、私が魔法戦担当ということですか?」

 「そうだ。私もコーデリアも魔法は使えない。レトと君を分ける場合、この組み合わせが最良なのだ」

 メルルは少し身体が震えた。容疑者確保の場面はこれまでに数回関わってきたが、必ずレトかヴィクトリアがそばにいた。魔法戦の主力はふたりに頼っていたのだ。今回は自分が魔法戦の主力になる。この身体の震えが緊張によるものか、恐怖によるものか、それとも武者震いなのか、メルル自身にはわからなかった。

 「所長たちのことはメルルちゃんに任せたわよぉ」

 ヴィクトリアは硬直しているメルルに笑顔を向けると、メルルの肩をぽんぽんと叩いた。メルルは引きつった笑顔で「はいぃ……」と答えるのが精いっぱいだ。

 「よし、人員の件はこれで決まった。では、これまでに調べたことの報告を聞こうか」

 「それでは、僕から始めます」

 「レト、何かわかったことがあるの?」

 ヴィクトリアの問いかけに、レトは小さくうなづいた。

 「凶器の件です。あの猫の置物は……」

 「猫のペーパーナイフです」メルルが付け加えた。

 「……ペーパーナイフ入りの猫の置物ですが、あれはバゴット・ハマースミスの屋敷にはないものでした」

 「バゴットの持ち物ではない? と、いうことは……」

 「はい、所長。あれは『犯人が持ち込んだもの』です」

 「確かか?」

 「バゴット氏の元妻アジャーニ・パルマさん、通いの家政婦カミラ夫人の二名立ち合いのうえで現場検証を行いました。彼女たちは盗難にあった品々について証言してもらいましたが、どちらもあの『猫のペーパーナイフ』について触れませんでした。あれは凶器として使用されていたので現場から押収しています。今はバゴット氏の書斎にはありません。アジャーニさんに尋ねたとき、彼女は元夫の持ち物にあまり関心がなかったので、盗難に遭った品物について自信がなかったようでした。いくつか指摘はありましたが漏れているものもありました。しかし、カミラ夫人は家政婦の勤務に必要ということで、かなり詳細に覚えていました。盗難にあったものに心当たりがないか確認したところ、書斎机の引き出しを開けてオルセーの万年筆を探し出して見せたぐらいです。そんな彼女が机の上にあったはずの猫の置物がなくなっていることには気付かなかったんです」

 「つまり、凶器の猫の置物は、もともと書斎机の上には載っていないものだったというわけか」

 「そのとおりです。猫の置物の底には血の跡がついていました。それは凶行前ではなく、凶行後に机の上に猫の置物を置いたことを示唆しています。実際に使用されたナイフは血だまりの中に放置されていたので、凶行後に動かす必然性は本来ないはずです」

 「実際に元妻と家政婦は、その猫の置物のことを知らなかったのか?」

 「ええ。後で確認を取りましたら、ふたりとも見たことがないと証言しました。ペーパーナイフが仕込まれた置物ですから書斎以外の部屋に置くことも考えにくいです。あの猫の置物はバゴット氏のものでないのは確実でしょう」

 「じゃあ誰のものかってことになるけど、それはやっぱり犯人のものってことになるわよねぇ」ヴィクトリアは自分の顎に手をかけて考えた。

 「そう思います。そこで、あの猫の置物について詳細を確認したのですが、あれは魔法道具のひとつでもありました」

 「あれが?」

 「蓄光の術式が埋め込まれているんです。日中は明かりを吸収し、あたりが暗くなるころにあの猫の頭を撫でてやるとため込んでいた明かりを放出して光る仕組みです。僕たちが最初見たときは明るいところであることと、頭を撫でたりしていないので仕かけに気付かなかったんです。憲兵本部に立ち寄り、証拠品管理課で確認しました。さらに僕たちに協力的なブルガスにも見せました。彼もあれをバゴット氏の屋敷で見かけていません。もし、あれが屋敷にあったらどうするか尋ねると、とりあえず持ち出すだろうと証言しました。理由はあの猫の置物がガラス石でできているからで、安く見積もっても20万リューはするだろうからだと」

 「そういえば、とりあえず何でも持ち出す盗賊だったわね、彼らは」ヴィクトリアは納得したようにうなづいた。

 「凶器がレトの言うように犯人によって持ち込まれたものだとしよう。そこから犯人に迫ることはできそうなのか?」

 所長の質問にレトはかぶりを振った。

 「今の時点ではまだ。あの猫の置物は骨董の部類に入る代物で、50年から百年前あたりのトランボ王国で製造されていたものだったんです。一般に出回っているものではありませんでした」

 「そんな特殊なものを凶器として持ち込んでいたのか、犯人は?」

 「それについてはこう解釈できます。『凶器として持ち込んだものではなかった』です」

 「凶器じゃなければ何だというんだ」

 「バゴット氏は高利貸です。そして猫の置物は20万リュー以上の値が期待される品物でした。そこから考えられるのは……」

 「借金の担保にするためね」コーデリアが声をあげた。

 「僕もそう考えます。犯人は借金のことでバゴット氏の屋敷を訪ねた。モール・マントン氏同様、玄関で声をかけたかもしれません。ですが応答がない。そこで犯人は屋敷内を探し、書斎でバゴット氏を見つけた。バゴット氏は盗賊に襲われて縛られたうえに猿ぐつわもかけられていた。犯人はまず猿ぐつわを外し、状況を尋ねたでしょう。現場には猿ぐつわに使用されたスカーフがほどけた状態で残されていました。バゴット氏は盗賊に襲われ、縛られていることを告げたと思います。そこで犯人は持参していた猫の置物を取り出し、そこからナイフを抜き出した。この時点では、犯人はバゴット氏を助けようとしていたのではないでしょうか。ですが、いざ紐を切ろうとしたとき……」

 「何が起こったのだ?」

 「……それが、わかりません。犯人はそこでバゴット氏の救出から殺害へと、行動の方針を大きく変えてしまいました。実のところ、それが大きな謎です。なぜ、犯人は急にバゴット氏を殺害しようと考えるに至ったのか」

 「何か大事なものを預けていたのに、それを盗られたとわかって腹を立てた、とか」メルルが思いついたように言った。

 「バゴット氏を殺害すると、それを訴え出る人物がいなくなってしまう。まさか殺害犯が名乗り出るわけにもいかないから、結局、誰も訴え出ることができなくなる。大事なものを盗られたのなら、それを取り返したいはずだよね? わざわざ自分でその機会をなくす行動を取るだろうか?」

 「……ですよねぇ」

 「返すのが困難なほどの借金を抱えている人物がバゴット氏を訪ねたというのは? 猫の置物を担保に返済を伸ばしてもらおうとしたけど、バゴット氏が身動きできないのを知って、つい殺してしまった……」ヴィクトリアが発言した。

 「その場合、凶器が問題になります。返済に困るほどの借金を抱えていたのなら、高価な猫の置物を凶器として使おうと考えるでしょうか? 犯行後にはそれを持ち帰らずに現場に残しておいたのですよ」

 「そんなもったいないことをしないって?」

 「バゴット氏は抵抗できない状態だったのです。だったら、手で首を絞めて窒息させるのが簡単で凶器も要らない。でも、犯人はその方法をとらなかった。それは一体なぜか? 借金をしている人物の洗い出しは憲兵の方々で確認していただいていますが、その理由がわからないと容疑者の絞り込みは難しいのではないかと思います」

 「20万リュー以上の猫の置物を台無しにしても構わないほど、バゴット氏に憎悪を抱いていたのなら、とっさに首を掻き切ったと考えられないかしら?」

 「そこなんですよね、僕の中でまとまらないのが」レトは腕を組んで首をかしげた。

 「それほど恨みを抱いているのであれば、機会があれば殺害できるよう凶器の用意はしていたんじゃないかと思います。とっさのこととは言え、ちょうど持っていたもので殺害しようなんてあまりにも行き当たりばったりです。珍しい魔法道具である猫の置物を現場に残しておいたのも浅慮です。そこから犯人まで辿られる可能性があるでしょうから。となると、その『とっさ』の状況はあまりにも突然発生したということになります。つまり、犯人は事件当日まで、バゴット氏を殺害しようなどと考えていなかった。殺意もなかった。しかし、抵抗できない縛られたバゴット氏を見つけたとき、急に殺意を持ってバゴット氏の喉を切り裂いた。そのとき凶器として使用した猫の置物は血を浴びるなどして、そのまま持ち帰ることができないものになってしまった。何かに包んで持ち帰ることもせず、まるで、バゴット氏の持ち物であるかのように書斎机に残して立ち去ったわけです。そう、持ち帰ることを断念した理由も問題です。なぜ、犯人は証拠となる凶器を持ち去らなかったのか?」

 「現場の報告で見る限り、置物を持ち帰るために使える袋の類はなかったよね。血の付いた置物をむき出しで持ち帰るのは危険だと考えたんじゃない?」コーデリアは自分の顎を摘まんだ姿勢のまま、考えを口にした。

 「犯人がはじめに犯行現場を訪れたとき、猫の置物をむき出しで持ってきていたのなら、そういう状況も起こりえたでしょう。でも、たぶん何かにくるんで持ち込んでいたと思いますよ。あの凶器はそれなりに値の張る品だったんですから。ただ、犯行後にその何かは凶器をくるむ、あるいは包むことができなくなって、犯人は凶器を持ち帰ることを断念したと考えます。血の付いた凶器をむき出しで持ち帰ることが危険だと判断したという点では、僕もコーデリアさんの考えに賛成です」

 「でも、その包みになるものは現場に残っていませんでしたよ。それは犯人が持ち帰ったと思います」メルルが口を挟んだ。

 「それも含めて理由がわかれば、犯人もわかるのではないかと思います」

 レトは話を結んだ。

 「レトは引き続き、凶器から犯人に辿り着く手がかりを追ってくれ」

 「了解いたしました」所長の指示にレトはうなづいて応えた。

 「コーデリアの捜査はどうだ? 進展はあったのか?」

 所長は続いてコーデリアに話を振った。

 「バゴット氏を襲った盗賊から、盗品をくすねた別の盗賊がわかったわ」

 全員の視線がコーデリアに集まった。

 「別の盗賊の正体がわかったんですか?」メルルは驚いたように少し腰を浮かせた。

 「その盗賊はベンデルという男を首領とする数名の集団で、決まった盗賊団名はないわ。ただ、かつては『イボック盗賊団』に所属していたそうよ」

 「『イボック盗賊団』だって?」

 「所長、ご存じなの?」

 ヴィクトリアが尋ねると所長はうなづいた。

 「『イボック盗賊団』は数年前まで、このギデオンフェル王国やトランボ王国を含め、大陸全土を荒らしまわっていた大盗賊団だ。荒っぽい連中の集まりで、盗賊団などと呼ぶのもとんでもないほどの悪党だった。やっていたのは強盗、略奪、虐殺、と悪逆非道きわまりないことばかりで、襲った村々の子女を奴隷として奴隷商人に売り飛ばしたりもしていたんだ」

 「僕も少しだけ知っています。トランボ王国から軍に追われる形でギデオンフェル王国に逃げ込んできたと。たしか、首領のイボックが逮捕されて壊滅したんですよね?」

 「ああ。私が憲兵時代に配属されていたマスターズ市に潜入していたのを、市の駐在兵とともに捕らえたのだ。イボックは駐在兵との戦いで重傷を負い、裁判が始まる前に死んだ。それ以外の幹部級のものたちも多く捕らえた。『イボック盗賊団』は数百名から成る大盗賊団だったが、束ねるものがいなくなったおかげで大きく3つに分裂した。さらに互いが主流を主張して抗争したために、ほぼ自滅する形で消滅している。あの大所帯だ。残党はいくらでもいるだろうが、ベンデルというのがその残党のひとつということか」

 「証言者によれば、ベンデルは幹部のひとりだったそうよ。でも、後継の座を狙う気はなかったようで、首領逮捕後には盗賊団を抜けている。おかげで内部抗争に巻きまれなかったみたいね。数人の部下を使って、気ままに盗賊をやっている。そんな話だったわ」

 「ブルガスがいるような盗賊団より上手うわてなわけよね。元『イボック盗賊団』の幹部が首領の盗賊団だなんて」ヴィクトリアは納得の表情だ。

 「そうじゃなきゃ、盗賊の上前をはねるなんてこと、普通はやらないんじゃない? 報復とか、縄張り争いとか、後々面倒になりそうだし」

 「利口だともいえる」表現では褒めているが、所長の口調は真逆に聞こえた。

 「盗賊相手であれば、被害に遭ったと訴えられないからな。いわゆる『やり得』ができるわけだ」

 「ベンデルたちは盗賊からくすねた品を闇市場で売りさばいていたわ。盗まれているとわかっている品を闇市場で探してみたら、骨董の灰皿が見つかったの。売っていた市場の男は『ルゥ』という男から買ったと証言したわ。そのルゥという男がベンデルの部下なの。ベンデルの部下はほかに誰がいるのか、そのあたりのことは市場の男も正確に知らないようだった。でも、知っている限りのことを聞き出してまとめてあるわ。ベンデルやルゥという男の身体的な特徴はこの資料を見てもらえるかしら」

 コーデリアは自分の机に重ねて置いていた資料を周りに配り出した。メルルも資料を受け取ると、すぐに読み始めた。

 「ベンデルってひとは傷跡という特徴があるから、すぐ見つかるかもしれないですね」

 「簡単に言うなよ。王都の人口は百万人を超えているんだ。藁の中から針を探すようなものだよ」

 レトにたしなめられて、メルルは首をすくめた。レトさんって、ほんと私には容赦がない……。

 「コーデリアさん。さっきマントン商会を狙っているのは、このベンデルではないかと口にしていましたが、何か根拠はあるのですか?」

 レトはメルルからコーデリアに視線を移して尋ねた。

「明確な根拠にはならないけれど、その『ルゥ』という男が市場の商人に尋ねていたのよ。『ほかに魔法道具を持ちこめば、それも高値で買い取ってくれるのか』と」

 「売りさばいたのは魔法の効果が消えた灰皿でした。それでも市場の商人は買い取ったんですね?」

 「骨董的価値があったからよ。その商人はルゥに、最新の魔法道具は骨董的価値がなくても高値で取引できると教えたそうよ。すると、ルゥは『近いうちにまた持ってくるかもしれない』と言って立ち去ったという話だったわ」

 「魔法道具が思いのほか高値で売れたので、味をしめたということか……。それで、魔法道具を専門に扱うマントン商会に目をつけた、と」

 「でも、それだけじゃ商会を狙っているのがベンデルだというのは考えすぎじゃないですか?」

 「メルルの言うことはもっともね。ただ、今回マントン商会を狙っているのは、『下見』を行なっている。最初に侵入したときに盗みを働いていない。ちょっと盗むだけなら、侵入できた時点でやればいい。でも、その侵入者はそうはしなかった。もっと大規模なことをするためよ。商会の様子を事前に確認するなんてこと、このあたりの盗賊はするかしら?」

 「その行動が、ベンデルの思考と重なるということですね」

 「ベンデルの思考? それって何です、レトさん」

 「『イボック盗賊団』が分裂するというとき、ベンデルはどの勢力にも属さず、また、勢力争いになるほど部下を集めることもしなかった。イボックが逮捕された時点で、この盗賊団が存続できないと読んだのだろう。それで、自分に忠実なものを数名連れて出るだけにした。その後起こった『イボック盗賊団』残党の勢力争いで互いがつぶし合う状況にも静観を貫いたことで、憲兵側にはベンデルの存在を知られずに済んでいる」

 「ベンデルは冷静で、慎重……」

 「少なくとも行き当たりばったりで行動しない盗賊だと考えられる。今回、下見に動いたものが天窓を閉め忘れるという失敗を犯したから、商会が狙われていることがわかっただけで、その失敗がなかったらベル・ブラウニーさんに気付かれることはなかっただろう。そうなれば、商会は大事な商品を根こそぎ持っていかれてるんじゃないかな」

 「根こそぎ、ですか」

 「値の張るものを少々盗んだところで額は知れているだろう。どうせなら効率よく、一度の盗みで大量に持っていきたい。この盗賊はそう考えているんだと思う」

 「確定的ではないが、蓋然性のある考えだと思うな」所長の発言に、周りのものもうなづいた。

 「……そうだとすると、バゴットさんを殺したのはベンデルかもしれないですね」メルルが何か閃いたかのように人差し指を立ててみせた。

 「メルル、そう考える理由は?」所長の質問に、皆の視線がメルルに集まった。

 メルルは注目を浴びたことで、自分の発言を少し後悔した。確信がもてるほどの考えではなかったからだ。しかし、メルルは立ち上がると、考えながら話し出した。

 「ええとですね。ベンデルもバゴットさんの屋敷を狙っていたとします。ただ、慎重なベンデルはすぐに屋敷に侵入したりしません。安全で確実に盗みができるよう、事前に調べてから実行したと思うんです。ただ、今回は別の盗賊団が先に盗みを働きました。ベンデルがバゴットさんの屋敷に侵入したのは、そのすぐ後だったんです」

 「考えられるな。続けて」

 「はい。ベンデルは縛られているバゴットさんを見つけ、紐を解くことはせずに猿ぐつわだけ取って事情を聞いたと考えます。バゴットさんは盗賊に襲われたこと、めぼしいものは金庫を破壊されて奪われたことなど説明したでしょう。ベンデルは自分の獲物を奪った盗賊の特徴を聞き出し、どこの誰が獲物を横取りしたのか知ったのだと思います。盗賊同士であれば、そういったことはわかるんじゃないでしょうか。そして、ベンデルはその盗賊から獲物を奪うために、バゴットさんから情報を聞き出そうとした。例えば魔法の箱の開け方とか」

 「魔法の箱の開け方を?」

 「ええ。そのとき、バゴットさんの喉元にナイフを突きつけて脅したんじゃないでしょうか? ちょうどそのとき、マントンさんが屋敷を訪ねてきたのだと思います。1階の玄関でバゴットさんを呼ぶマントンさんの声で、バゴットさんは助けを呼ぼうとした。だけど声を出す前に、ベンデルはバゴットさんの喉を掻き切って、口を封じてしまった……」

 「驚いた」

 レトが目を丸くした。

 「たまに君はすごいことを思いつく」

 「……褒めてませんよね、それ」

 「ただ、その推理には問題がある。凶器のナイフは犯人が持ち込んだものだと考えられる。盗みに入ったベンデルが猫の置物持参で侵入しただろうか?」

 「……バゴットさんの屋敷に入る前に、別の盗みをしていた、とか」

 「下準備してから盗みを働くほど慎重なのに、そんな『ついで』のようなことをするだろうか?」

 「……それじゃあ、こういうのはどうです? あの猫の置物はカミラ夫人が屋敷を出た後、誰かが担保として持ち込んだものだった。犯人はたまたまそこに置いてあった置物からナイフだけを抜き出して凶器として使った……」

 「そうだとすれば、それは最初の盗賊に襲われる前に置いてあったということになる。でも、あの盗賊はめぼしいものはとりあえず持っていくような盗賊だった。ブルガスもそれを見つけたのであれば盗んでいただろうと証言している。猫の置物が盗まれずに放置されていたとは考えにくい。もし、そうだとして、あの猫の置物にナイフが仕込まれていることを犯人はどうやって知っていたのか? あれは、ギデオンフェル王国の物ではなく、トランボ王国の骨董品だった。かなり目利きでないと知らないんじゃないかな」

 「私の推理、完全粉砕ですね……」メルルはしょげた。

 「いや、そうでもないよ。バゴット氏の喉元にナイフを突きつけて脅していたところを、マントン氏がやってきたのでとっさに殺してしまったというあたり。それが正解の可能性はある」

 「可能性、ですか……」

 「なぜ、絞殺ではなく、斬殺なのか。そのことの説明にもなっているからね。ナイフで脅すつもりが、実際に使うことになってしまった。その指摘は覚えておこうと思う」

 「褒めてくれるんでしたら、もっとわかりやすく褒めてくださぁい。なんかもやもやしますぅ」

 メルルはじたばたしながら抗議した。

 「ほんと、レトってひねくれているわよね」

 ヴィクトリアが頬杖をついて、呆れたような表情でレトを見つめた。

 「ひねくれたことを言っているつもりはないんですが」

 「それだよ!」

 周りから一斉に声が上がった。


23


 メルルが事務所を出たときには、すでに夜も更けていた。若い娘にとって、街中での夜道は危ないなどと言われるが、メルルは王都の夜道を歩くのが好きだった。通りは魔法灯で照らされて明るく、どこか華やいだ雰囲気だ。通りを行き交う人々も家路を急ぐ風でなく、メルルと同じように夜道を歩くのを楽しんでいるように見える。メルルの故郷はいわゆる山村で、魔法灯はなかった。夜道を歩くにはランプが必要だ。子供の頃のメルルにとってランプは重く、それを手に歩くのはおっくうなものだった。月が明るい夜はランプなしでも夜道は歩けるが、メルルの故郷で夜に出歩くものなどいない。なぜならば、熊などの獣や魔物が徘徊しているからだ。熊が人を襲うことはあまりないが、魔物はいろいろな理由で人を襲う。食べるためであったり、金品を強奪するためであったり、あるいは、ただ殺すことが目的で襲うこともあるそうだ。そんな山村で生活してきたメルルにとっては、王都の夜道に何の危険性も感じていなかった。魔法灯で照らされた王都のように、華やかな光景を見たことがなかった10代半ばの少女には、この風景がただまぶしく、心躍らされるものなのだ。人の姿がなければ、歌いたい気分だ。

 それに楽しみなこともある。明日は礼拝日。ティルカに会える。メルルにとって王都でできた初めての友だちなのだ。それも年齢の近い友だちだ。

 メルルの故郷は、人口は少ないが子供も少ないわけではない。一家族に五人から六人の子供がいるのが当たり前だからだ。しかし、メルルと同世代の子供は、たまたまではあるが非常に少なかった。そのせいで、メルルはいつも姉とその友人たちか、弟たちと遊ぶしかなかった。表立って言ったことはないが、メルルにとっては寂しいと思っていたのだ。

 だから、ティルカに会えることは王都の夜道を歩くことと同じぐらい心湧きたつものだった。意識的にしていないのにもかかわらず、スキップするように歩いてしまう。

……明日、ティルカとは何を話そう。いろいろありすぎて整理つかない……

 通りの壁を見上げながら、まとまらない思いをぐるぐると巡らせていると、ふと、胸壁からすらりとした脚がぶらぶらとぶら下がっているのに気付いた。その形のいい脚には見覚えがあった。

 「まさか……」

 メルルはぶら下がっている脚から目を離さずに駆け出した。胸壁を登る階段を見つけると、一段飛ばしに駆け登る。上に着くころにはさすがに息が切れて、ぜぇぜぇと息を吐いた。それでも再び駆け出すと、脚がぶら下がっていたあたりへ急いだ。

 そして、――。

 「やっぱり……」メルルは息をつぎながらつぶやいた。

 胸壁の狭間に腰かけていた人影は驚いたように振り返った。

 「メルル……」影の主はティルカだった。

 「どうしたの、こんなところで? 家はこっちじゃないんでしょ?」

 「あなたこそ。どうしてここにいるの?」

 メルルはティルカのそばの壁に背中を預けて、深く息を吐いた。

 「だって私の家、こっちにあるんだもの。私、この区に住んでいるんだよ」

 「え、ここに? だって、ここ……」

 「そう、王宮勤めの兵隊さんが大勢暮らしているところ。私、前の戦争で旦那さんを亡くした方の家に下宿させてもらっているの」

 「へえ……」

 ティルカは首をめぐらし、自分の背後を見渡した。2階建ての小さな家が身を寄せ合うように並んで建っている。画一的な造りだが、そのおかげで調和のとれた印象だ。ティルカはその風景が気に入って、ときどきスケッチに来たことがあったのだ。

 「じゃあ、あなたの家もこの並びにあるの?」

 「ううん、私が住んでいるのはもう少し西側。さっき上がった階段より向こう側にあるの」

 「そうなんだ」

 そちらは今ティルカたちがいるところより古い建物が多いところだった。

 「そうだ、ティルカ。今から私の部屋に寄らない? 少し話ししたいこともあるし」

 「えっ、今から? 明日会うのに?」

 ティルカは苦笑いした。

 「明日は明日話したいことを話すの。今日は今日話したいことを話したいの」

 ティルカの表情は苦笑いから笑顔に変わった。

 「……あなた、突然何を言い出すか、わからないひとね」

 メルルは、あっ、と口を押えた。

 「ごめんなさい。私って強引だった。迷惑だった?」

 ティルカには今日は気分がふさぐ一日だった。自分の家とはまるで離れた高台に足を向けたのは、この高い胸壁から王都の夜景を見て気を紛らわすためだった。しかし、ぼんやりと王都の風景を見つめていても、夜景の美しさがティルカの心を晴らすことはなかった。ただ、今の気持ちのまま家に帰って、ノルドンと顔を合わすのが嫌だった。ノルドンはあまり口にはしないが、自分のことをいつも気にかけている。気持ちのふさいだ状態で家に帰れば、ノルドンは必ず自分のことを心配していろいろ聞いてくるだろう。でも、そのときにティルカは本当のことは何も言えない。嘘をつかなければいけない。ノルドンを心配させないためなら嘘なんていくらでもつくつもりだが、それでも嘘をつく回数は少ないに越したことはない。さきほど胸壁の狭間から腰かけて街を眺めながら、心の中ではいつ心が晴れるのか、つまりは家に帰れる「顔」が作れるのかを考えていたのだった。そんなところへメルルがやってきた。今まで何を考えていたのか、それがわからなくなるくらい突然に。ティルカは自分の心がすでに晴れかかっているのに気付いた。何だろう、こっちをかき乱してくるのに、それが嫌にならない。むしろ、すがすがしいとさえ思えてくる。

 「迷惑だなんて」ティルカは否定するように手をひらひらと振った。実際には「ありがとう」と言いたい気持ちだった。

 「こちらからもお願いしていい? 少し寄らせてくださいって」

 メルルは、ぱぁっと笑顔になった。

 「ぜひぜひ!」


 メルルの下宿も2階建ての建物だ。さきほどティルカが見ていたものと違うのは、建物の外に階段が付いていることだ。

 「昔は1階と2階は別々のひとが住んでいたんですって。だから階段が外側についているの。時代が進んで、建物ひとつに一家族住むようになったの。家の中にも階段が付いて、1階と2階がつながったんだけど、外側の階段は外されなかったんですって。おかげで大家さんの部屋を通らずに自分の部屋に入れるの。私、帰宅時間が不規則だから迷惑かけずに帰ることができる今の下宿先はありがたいの」メルルの説明にティルカが疑問を口にした。

 「帰りはいつもこんな時間なの?」

 「だいたい、こんな時間かな。仕事によっては深夜になることあるし……」

 「あなた、何の仕事をしているの?」

 「ええっと、説明が難しいな……」メルルは腕を組んで考え込んだ。ふたりは狭い階段を一列になって登っていた。古いものらしく、一歩登るごとにギシギシと嫌な音を立てている。

 「着きました。話の続きは入ってから。さぁ、どうぞ」

 メルルは扉を大きく開き、ティルカをうやうやしく手招いた。ティルカはくすりと笑う。

 「では、お邪魔します」

 メルルの部屋はさっぱりとしたものだった。テーブルと椅子、そしてベッドだけの部屋。服をしまえるような棚はなく、備え付けの小さな棚が壁にあるだけだった。

 ベッドのそばには大きな窓がある。カーテンはなく、そこから街の風景が見えている。

 「すごい、街の風景が見えるんだ」

 ティルカは窓に駆け寄ると、大きく窓を開いて身を乗り出した。

 「高台にある家だからね。私もここからの景色が気に入って、ここに住もうって決めたの」メルルは自分の腰に両手を当てて、自慢するように言った。

 「いいな、王都が見渡せられる」

 ティルカは窓枠に足をかけた。

 「ティルカ、何を……。あ、危ない!」

 メルルが慌てて声をあげたが、ティルカはすでに窓から外に出てしまっていた。メルルが窓に駆け寄ると、ティルカは1階の屋根の上に立っていた。

 「あ、危ないよ、ティルカ。早く戻ってきて……」メルルは気が気でない。

 「私は平気。小さいころから高いところばかり登って、すっかり慣れてしまっているの」

 「慣れているって、ここ、すごく高いんだよ。下の通りまでだったら、4階建ての高さぐらいになるんだから」

 「私ね」

 ティルカはくるりとメルルに顔を向けた。

 「子供のころ、王都の大聖堂にある、一番高い尖塔のてっぺんに登ったことがあるの」

 「ええ? あそこって立ち入り禁止じゃ……」

 「そう。だから、こっそりと真夜中に」

 メルルは言葉を失った。

 「尖塔の壁はごつごつした石を積み上げて造られていたから、手をかけるところに悩まなかったし、まさかあそこを登ろうとするなんて誰も思っていなかったみたいで見張りもいなかったし、意外と簡単だったわ」

 「意外と簡単って……。簡単に昇れないでしょ、あんなの!」

 メルルは窓から外を指さした。その先には大聖堂の尖塔がそびえ立っている。今、メルルがいる位置よりも高いようだ。メルルの下宿の高さを目安にすれば、おそらく15階分に相当するだろう。

 ティルカは声をあげて笑った。メルルのすっとんきょうな声がおかしかったのだ。

 「もちろん、危ない目にあったことも何度かあったわ。でも、私、今もこうして生きているでしょ? 高いところは本当に得意なの」

 「わかったわ、ティルカ。でも、もう戻ってきて。いくら大丈夫って言われても、私が怖い」

 「そうね、じゃあ、部屋に戻るね」

 メルルは窓から下がると、ティルカは何事もないようにするりと部屋に戻ってきた。

 「いきなり勘弁してよ。ほんと怖かったんだから」ティルカが戻るなり、メルルはティルカにすがりついて抗議した。

 「ごめんなさい。もっと見晴らしのいいところで景色を見たかったから」ティルカはメルルの頭をなでながら謝った。

 「絵を描くのが好きなひとって、高いところが平気なの? だったら私、絶対、絵が上手にならない。無理。絶対、無理」

 「絵の上手下手と、高いところが平気なのは関係ないわ。でも、高いところからの景色を描きたければ、平気なほうがいいと思うな」

 「最初は慰めて、結局とどめを刺しているじゃない……」メルルの弱々しい声に、ティルカは再び笑い声をあげた。

 「でも、あなたは自分の夢を叶えるために王都に来たのでしょ? それを叶えて王都で働いているんじゃない。そんなこと、私のほうが無理って思うわ」

 「……うーん、夢を叶える、か。それはどうなのかわからないな」

 メルルはどさりと自分のベッドに腰をかけた。ティルカはその隣にそっと腰を下ろした。

 「どういうことなの?」

 「このあいだ、魔法の修行の途中で先生が亡くなったって話したでしょ?」

 「……たしか、魔物に殺されたんだったよね」

 「うん。そのとき、私、自分の夢ってわからなくなっていた」

 「修行ができなくなったから?」

 メルルは首を横に振った。

 「違うの。そのとき、私がなりたかったのは魔法使いじゃなかったことに気付いたの」

 「何になりたいと思っていたの?」

 「どちらかと言えば、何になりたくないと思っていたのか、ということ」

 「なりたくない?」

 メルルは古ぼけた天井を見上げた。部屋は明かりが灯されていなかったが、通りの明かりで互いの顔がわかるぐらいに明るかった。

 「私の住んでいたのはね、イーザリスの小さい農村だったの。いろんな野菜を育てていたけど、お茶が特産なの。特にカント茶は村の生活を支えていたわ。私はその村で生まれたの。4人兄弟の次女。姉、私、妹、弟の順ね」

 「兄弟が多いってうらやましい。私はずっとひとりだったから」

 「それなりに大変よ。兄弟の間でも気の使うことってあるし……。でも、一番大変だったのは、お姉ちゃん。私だけでなく妹たちの面倒も見てくれてたんだもの。姉と私は7つ年齢が離れていた。間にお兄ちゃんがいたみたいだけど、私が生まれる前に亡くなったみたい。生まれた子供が全員大人になるほうが珍しい。そういう村なの。生まれた子供の何人かは死んでしまうのが当たり前、こうなるのが当たり前、ああなるのが当たり前。私の周囲はそんな『当たり前』でいっぱいだった。それに私は疑問も感じていなかった」

 「でも、疑問に思うようになったんだ」

 「きっかけはお姉ちゃんの結婚だった。お姉ちゃんは村で一番の美人だったから、求婚してくる男のひとは大勢いた。結局、村長の次男に嫁いだの。義理のお兄さんは働き者で誠実なひとで、お姉ちゃんは幸せな結婚をしたと思う。そのお姉ちゃんの結婚式で、隣村の伯父さんがお祝いに来てくれたんだけど、そのとき、伯父さんが私に言ったの。『次はメルルの番だね』って」

 ティルカは口を挟まなかった。

 「伯父さんは何でそんなことを言うんだろう、と私は思ったの。私は当時13歳で、結婚のことはおろか、恋愛もわからないのに。でも、村では女の子は10代で結婚するのが当たり前だった。お姉ちゃんが20歳まで結婚しなかったのは、村では遅いほうだったの。伯父さんは、このあたりの村では当たり前のことを口にしただけなんだと思う。でも、私にはそれが当たり前のことと思えなくなった。そうなると、今まで何も感じていなかったことに疑問を持つようになってしまったの」

 「農家の仕事が嫌になったの?」

 「それは違う。たしかに野菜を育てたり、お茶を育てたりするのって大変。どちらも霜が大敵で、茶畑に霜が降りそうな夜は夜通しかがり火を焚いて、霜が降りないようにするの。決して楽にできる仕事じゃない。でも、やりがいがないわけでもないし、それに誰かが農業をしているから、私たちは野菜が食べられるし、お茶を飲むことができる。誰かがやらなければならない大切な仕事だと思う。でも、私は自分が農家に生まれたから農業をするのが当たり前だなんて考えられなくなった。『なりたくない』と言ったのは、当たり前と言われていることをそのまま受け入れたりする自分のこと。自分で考えて、自分のやりたいことに納得さえすれば、農業を……、家の手伝いを続けていたと思う。でも、何もわからず、当たり前のように農家を継ぐなんてこと、もうあのときの私には考えられなかったんだ」

 ティルカは黙ってうなづいた。メルルの話の全てをわかったとは思わないが、自分の中にも、メルルの考えと通じるものを感じていたからだった。

 「……とは言うものの、じゃあ自分がいったい何をしたいのかわからないから、そんなことを考えているだなんて誰にも話せなかった。そうこうしているうちに2年も時間が過ぎて、そのときもまだ、私は何がしたいと思っているのかわからないまま毎日を過ごしていた。そんな中で、村で疫病が流行りだしたの」

 「流行病はやりやまいが……」

 「村にはお医者さんはひとりもいないし、病気がうつるのを恐れて街のお医者さんは来てくれなかった。何人か亡くなり、私の両親も病気になった。あのころ、お姉ちゃんはお腹に赤ちゃんがいたから、家に戻ってもらうわけにはいかなかった。私が両親の看病をしたわ。でも、日に日に弱っていく両親をどうすることもできずにいたの。村中の人々が絶望しかけたとき、あのひとが現れた。魔法薬剤師のカーラ・ボルフ。後に私の先生になるひと。私の村が疫病で苦しんでいる話を聞き、自ら進んで村に来てくれたの。村の様子を確認すると、すぐに薬を調合して、村のみんなに配って歩いていた。先生が薬を配ってからは誰も亡くなることなく、疫病も治まったの。私の両親も助かった。みんな先生に感謝していたけど、私は感謝以上に衝撃だった。疫病は周りに広がるといけないから、誰も近づかないのが当たり前。医者が来ないのも当たり前。村のみんなはただ疫病が治まるのを待つだけ。そして、それが疫病に襲われた村の当たり前だった。でも、先生はそんな『当たり前』を蹴っ飛ばすように村にやって来て、村のみんなを救ってくれた。誰からも頼まれてもいないのに。貧しい村から満足な報酬がもらえないこともわかっているのに。私は、どうすれば先生のような考え方ができるひとになれるのだろうと思ったの。一番の方法は先生の弟子になることだと思った」

 「それで先生に弟子入りを?」

 「弟子入りを志願したとき、最初はまともに取り合ってもくれなかった。でも、あきらめずに何度もお願いすると、ひとつ条件を出されたの」

 「どんな条件?」

 「『自分のやりたいに責任を持ちなさい。それが約束できるのであれば考えてあげる』って」

 「『自分のやりたいに責任を持つ』……」

 「責任って重い言葉だよね。でも、先生の弟子になれるのであれば、どんな責任も負うつもりでいたので即答したわ。『はい』って」

 「メルルはやっぱりメルルなのね」

 「何、それ」メルルは苦笑いを浮かべた。

 「でも『責任』の意味はすぐ思い知らされた。『それなら、自分の両親を説得して弟子入りを許してもらいなさい。許してもらえなければ弟子入りは認めないから』って言われたの」

 「でも、それはそうだよね」

 メルルは大きくうなづいた。

 「家を出て、妹たちの面倒も見ずに、魔法の修行をする。言葉にすればそういう話だから、両親が許してくれるわけがなかった。最初は話の半分も聞いてもらえずに叱られた。両親の見舞いにやって来た隣村の伯父さんからも『何を考えている』って叱られた。妹たちには『お姉ちゃんに捨てられる』って泣かれるし、説得なんて無理だって思った」

 「じゃあ、説得をあきらめて村を飛び出したの?」

 メルルは首を振った。

 「説得は、弟子入りに必要な条件だったから。ただ、説得する方法が見つからずに悩んでいたとき、お姉ちゃんに呼ばれたの。お姉ちゃんは無事に元気な赤ちゃんを産んで、身体も回復してきたころで、お母さんがお姉ちゃんに泣きついたのね。私がお姉ちゃん子だって知っているから、お姉ちゃんなら私を思いとどまらせることができるだろうって。お姉ちゃんに呼び出されて、お姉ちゃんにも叱られるかと思ったとき、こう言われたの。『やりたいのであれば、本気を見せなさい。本気だとわかれば私はあなたの味方になるから』。そのとき、私は両親を説得するための方法が見えた気がした」

 「どうやったの?」

 「お姉ちゃんの言う通り、味方を増やすことにしたの。まず、お姉ちゃんに話をした。それから伯父さんにも話をした。どちらにも時間をかけて、一生懸命に。話を最後まで聞いてくれなきゃ、説得なんてできないから、お姉ちゃんや伯父さんを通じて、両親にはせめて最後まで話を聞いてもらえるようにお願いしたの。で、話を聞いてやるぐらいは聞いてやるってなったの」

 「そこからが勝負よね」

 「そう。でも、さすがにお姉ちゃんや伯父さんのようには話が早く進まなかった。お父さんにすれば農業が嫌になっただけだと怒るだけだったし。堪りかねたお母さんが、先生を呼んで、私の前で尋ねたの。『娘が魔法使いになれる見込みはありますか?』って。お母さんからすれば、先生から『見込みなし』のひと言を引き出せれば私が諦めると考えたんだと思う。先生は『見込みがあるかどうかはわかりません』って答えた」

 「『見込みがある』とは言ってくれなかったんだ」

 「そりゃあ、見込みがあるなんて言えないでしょ。あのときの私って、美味しいお茶を淹れる以外、得意なものってなかったんだもの。でも、先生は続けてこうも言ってくれた。『でも、この子は自分の行動に責任を持つことができます。この姿勢を貫くことができればわかりませんよ』って」

 「先生も味方してくれたんだ」

 「これでお母さんが先に折れたの。お父さんはなかなか折れなかったけど、そこはお母さんがなだめるようにして説得してくれた」

 「自分では説得できなかったんだ」

 「先生はそこのところはわかっていたと思う。先生が見ていたのは、私の説得する能力ではなくて、説得するための姿勢だったと思うから」

 「すごい先生だね。弟子入り前から弟子を鍛えていたんだもの」

 「そうかもね」メルルは笑った。

 「でも、修行が始まると、もっと大変だったなぁ」

 「びしびししごかれたの?」

 「ううん、そういうことは全く。先生の教え方はね、少し見本を見せてくれると、後は何にも教えてくれない、というやり方なの」

 「どういうこと?」

 「後は自分でモノにしなさいってこと。自分で考えて、いろいろ試して、あちこち調べたりして。だから、『こうすればできる』ということはひとつも教えてくれなかった」

 「このあいだ見せてくれた炎の魔法は、自力で会得したの? すごいじゃない!」

 「あれはね、炎系の中では基本のもので、魔法の本に詳しく解説してあったの。ただ難しい文字が多かったから、先生には文字を教えてもらった。魔法はあまり教えてくれなかったけど、それ以外のことだったら何でも教えてくれたなぁ」

 メルルの心に当時の風景が蘇ってきた。一緒に料理をしたり、山に山菜や薬草を採りに行ったり、そして、勉強を教えてくれた。文字や計算式など、メルルが独力で魔法を学ぶために必要な知識はぞんぶんに注ぎ込んでくれたのだ。そして、注いでくれたのは知識だけではない。メルルはそれが何かをわかっている。

 「メルル、大丈夫?」

 ティルカの心配そうな声で、メルルは我に返った。気が付けば、涙が頬を伝っている。

 「うん、大丈夫。ちょっと思い出しちゃって……」

 メルルはごしごしと自分のこぶしで涙をぬぐった。

 「いいなぁ、メルルは。そんな素敵な先生に教えてもらって。私は文字も計算式も全部父さんから教わったわ。今は違うけど、元々は教師だったんだって。でも、教えるのはけっこう苦手そうだった」

 「元教師なのに?」

 「教師になったのはいいけど、向いてなかったみたい。それで辞めたんだって」ティルカが笑いながら言うと、メルルは一緒に笑いだした。

 「じゃあ、ティルカも絵の描き方は自分で覚えたの?」

 「絵の描き方は誰にも教わってないわね。絵のおもしろいところって、そこだと思うけど」

 メルルはかくんと首をかしげた。「絵のおもしろいところ?」

 「絵を描く方法って、決まっていないの。だから、自由にできる。全部自分のやり方で。道具だって自由。普段はスケッチブックに鉛筆で絵を描いているけど、何もなかったら、石畳の上に、砂や小石を置いて絵を描いたこともあったわ。小さいころの話だけど。そのとき描いていたのは父さんの似顔絵。父さんの帰りを家の前でずっと待っていたんだけど、待ち疲れて小石で絵を描いて気を紛らわせていたの」

 「小さいころから絵を描いていたの?」

 「うん。私が物心ついたときには、もう父さんと私の二人暮らしだったから、家に居てもつまんなかったし」

 「そうやって絵を描いているうちに、あれだけ腕をあげたんだ」

 ティルカは手を振った。

 「私の絵をすごく褒めてくれるけど、上手に描けたものなんてひとつもないよ」

 「そんなの謙遜だよ。ティルカの絵はすっごくキレイで、すっごく素敵なんだよ!」

 ティルカは笑みを浮かべて首を振る。メルルはティルカの笑みに違和感を抱いて黙った。

 「私は絵を描くのは好きだけど、目的があって描いているわけじゃないの。あなたは先生のように魔法の使えるひとになりたいと思ったから、文字や数式を覚え、魔法も覚えた。でも、私は絵描きを目指していたわけでないから、絵の勉強なんて何もしていないの。たぶん、職業画家の目から見たら、私の絵はでたらめだと思うでしょうね。絵を描くことについて、私は何ひとつ努力していないんだもの」

 「じゃあさ、ひとつ目指してみない?」

 メルルはティルカの両手をぎゅっと握った。ティルカは驚いたように目を丸くする。

 「目指すって、何を?」

 「絵描きさんになるの。ほら、毎年、王宮で絵画の公募ってやってるじゃない。あれに応募するの。最優秀賞が取れなくても、入賞から人気画家になったひとがいるんだから、ティルカにも可能性があるわよ。好きなことを目的にするのって大変なことだと思うけど、ティルカだったらやり通せるって思う」

 ティルカは苦笑いした。

 「確信的に言うのね、メルルは」

 「この間見せてもらったスケッチで、すんごく感動したの、私。当たり前に見ていた王都の景色が、あんなに複雑な色で出来ているなんて考えもしなかった。私はあの絵でティルカの心の深さに触れた気がしたの。一瞬であなたの絵に夢中になったんだから」

 ティルカはメルルに握られている自分の手に視線を落とした。この子は何て力強く私の手を握るのだろう。そして、何でこうも温かく柔らかいのだろう。ティルカは重苦しい気持ちでいたのが楽になった気がした。

 「ありがとう、メルル。私、考えてみる」

 ティルカは立ち上がった。メルルもあわてて立ち上がる。

 「今夜はこれで帰るわ。あなたと話すと楽しいから何時間もおしゃべりしてしまいそう。でも、あまり遅くなるといけないから」

 メルルはあっと言って自分の口に手を当てた。

 「ごめんなさい、そうだったね。ティルカのお父さん、心配してるよね」

 「うーん、どっちだろう。仕事に夢中になると、私がいつ帰ったか気付きもしないくらいなの。とりあえず、そっと帰ってみるわ」

 「気をつけて」ティルカを戸口まで送りながら、メルルはティルカの背中に手を置いた。

 「平気よ。私、夜道を歩くときは辺りに気を配りながら帰っているの。王都は広いから変なひともいるしね。この間あなたに初めて会ったときも、誰かに後をつけられていたみたいだったの」

 「え?」メルルの足が止まった。

 「大丈夫よ。私、うまく撒いてみせたから。そういうの得意なの」

 メルルは少し考え込んだ。この間ティルカと別れたあと、誰かに見られていた気がしていたのを思い出したのだ。あれは気のせいじゃなかった……?

 「そういうわけだから、見送りもここで大丈夫よ。それじゃ、明日、私の家に招待してあげるね」

 ティルカは手を振りながらメルルの部屋から出て行った。

 「あ、ティルカ!」

 メルルは戸を開けるとティルカの姿を探した。ティルカは階段の途中だった。ティルカはメルルを見上げた。

 「何? メルル」

 「お、おやすみなさい、ティルカ」

 本当はほかの言葉をかけたかったが、思いつかなかった。

 ティルカはメルルに向かってにっこりと笑みを返した。

 「おやすみなさい、メルル」

 ティルカの姿は角を曲がってすぐ見えなくなった。メルルは階段の下まで降りると、ティルカの姿を探しつつ、辺りを見回した。

 ティルカは下りの道をまっすぐ歩いている。夜も更けて行き交うひとの姿はない。この間のようにこちらをうかがう人影も見当たらない。

 メルルはほっと息を吐くと、自分の部屋に戻って扉を閉めた。

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