冒険少年
何とか2話分書き終わりました。
カフェで昼食を摂った杏奈とグランツは、スリップノット支部から距離のある海岸線に到着した。その海岸線は港から少し距離があり、砂浜になっている。夏には海水浴客がよく訪れるとのことだ。
「ビーチか」
杏奈は言った。彼女の想像していたものは、港の桟橋があるような海岸線だった。しかし、ここにあるのはビーチ。シオンが行きたいと言っていたような場所だ。
「ビーチだな。しかも、さすが2月。人がいねえな」
「相当物好きな写真家でもない限り来ないだろうね」
こうして話しながら海岸を歩く杏奈とグランツ。付近を注意して見ていると、金色の霧が薄くかかる場所に一人の少年が倒れていた。
人が倒れているのを見た杏奈は、自分が体調を崩す時に金色の霧を吸い込んだ事を思い出す。金色の霧を吸って、頭がぼうっとして、頭痛と吐き気に耐えられず――
「まさか、まさかね」
二人が近寄った少年。彼は高熱を出し、息が細い。それでもまだ生きている。病院に運ぶべきか。
「やれやれ、どうすんだよその子。病院でも原因不明って言われるだろう? 」
グランツは言った。
「スリップノット支部に連れていこう。私も病院を信用していない。というか、あんたも解るだろう。原因くらい」
杏奈はそう言うと、少年を背負う。10歳程度の少年だが、杏奈くらいであれば簡単に背負うことができた。
「解るさ。金色の霧、でいいんだろう? 」
「ああ。私たちは生きていられてもこの子が生きていられる保証はどこにもないんだよ」
とはいえ、海岸からスリップノット支部までは相当な距離がある。病人を連れて歩いていくにはあまりにも遠い。そこで、グランツはスリップノット支部に連絡し、迎えを出してもらうことにした。
迎えが来るまでに、グランツは少年の持ち物を調べた。カメラ、携帯食料、スケッチブック、鉛筆、ボトルに入った水がバッグに入っている。
そこでグランツは気付く。
「なあ、もしかしてこいつは異界を探検しようとしたんじゃないか? 」
「なるほど」
グランツはこの装備を探検のための装備だという。それは強ち間違ってはいないだろう。少年は異界の危険性について知っているのだろうか。二人は未知の場所へ行きたいという気持ちを理解できないわけではないのだが。
「あまりにも危険すぎる。ジョエル氏でもいいからこの子を見張ってもらわなければね」
杏奈はため息をついた。表には出していないが杏奈は同時に祈ってもいた。少年が生き延びることを。
15分ほどして、車が到着する。グランツは運転手と少し話をすると、車に乗る。グランツに続いて杏奈と少年も車に乗った。
「支部についたらこの子を寝かせてください。私とグランツで様子を見ます」
車の後部座席から杏奈は運転手に話しかける。その口調には一切感情をこめず淡々と話す。杏奈は至って冷静だ。
車はスリップノット支部に到着した。朝来た支部にもう一度立ち入る杏奈とグランツ。倒れていた少年が医務室に運び込まれ、それに付き添う杏奈。グランツは入り口付近でうろたえている。
「うろたえるんじゃないよ。私達はこの症状を知っている」
椅子に座って杏奈は言った。
そこにジョエルが入ってくる。杏奈もグランツもジョエルも同じ日に再会するなどとは思ってもみなかった。
「カミモリさん、この少年との関係は……」
「ええ、ぶっちゃけ無関係です。が、症状に心当たりがあったので連れてきました」
この場でも肝の据わった杏奈。スリップノット支部の責任者であるジョエルにもありのままの事実を伝えるのだ。
「症状に心当たり……ですか。説明できますか?」
「はい、具体的には高熱、吐き気、嘔吐、酷い眠気が主な症状。ですがそれは一部にすぎません。本当は……私とグランツにしか見えないでしょう」
杏奈の言葉にジョエルは目を丸くした。ジョエルには杏奈の意図が分からない。だが、杏奈もどう説明していいのか分からなかった。なぜなら少年の高熱の原因が見えるのは杏奈とグランツだけ。しかも二人は鮮血の夜明団の構成員とはいえよそ者なのだ。
「……あー、見えるとか見えないじゃなくてな、原因なら分かりますよ」
ここでグランツが助け船を出す。説明できる範囲からでいい。異界とイデアの調査はどうせシドから命じられた任務なのだから。
「異界の穴。これが全てですよ。異界の穴から出る霧を吸ったこいつは体調を崩した。俺も杏奈も同じなんですよ」
「ありがとう、グランツ」
杏奈は安心したようだった。
「なるほど。貴方たちも時間が限られているでしょうから霧が原因ということは信じましょう。事実、何人か霧を吸って倒れています。ということで、この少年はスリップノット支部で様子を見ましょう」
と、ジョエルは言った。
「俺達はどうすれば……」
「何もしなくても大丈夫です。異界に行く前に煩わせるわけにはいきません。強いて言えば、調査に集中してください」
グランツが訊き、ジョエルが答える。
「あの、我々を煩わせたくないのであれば異界の穴の正確な位置を教えて下さい。私とグランツが倒れた時は不安定でしたので」
と、杏奈は口を挟む。杏奈が必要以上に上下関係を気にしないことをグランツは思いだした。
「承知しました。地図を持ってきますのでお待ちを」
ジョエルは一度部屋を出た。
ジョエルが部屋を出てすぐ。少年が目を開ける。気がついたらしい。
「……おねえちゃん?それ……」
少年は杏奈を凝視する。正確に言うと、少年が凝視しているのは杏奈ではなく、彼女のイデアだ。
――少年の目から見ても、杏奈の放つものは美しく見えた。夜空のようなものに、薄い銀色の光が混じっている。少年は見とれていた。
「あんたも見えるんだな。星空みたいだろう?」
「見えるよ。スリップノットで見える星空より綺麗。満天の星空だ」
少年は答えた。
「お兄ちゃんのはダーツ?」
「おっ!やっぱり見えてるか!」
グランツが言うと、少年は頷いた。
「でも俺、異界ってところに行こうとしていたのに……」
と、少年は言う。やはり、異界を探検しようとしていたらしい。彼くらいの年齢であれば、確かに探検したくはなるのかもしれない。好奇心の強い子供は山でも川でも、その好奇心に任せて入って行ってしまう。少年のそれもきっと似たようなものだ。
「異界は確かにまだよく分かっていない。でも、子供が行くようなところじゃない」
杏奈は言った。
「まだそんなことができなくても、いつかあんたは私みたいになれるから。鮮血の夜明団の魔物ハンターになればどこへでも行けるようになる」
杏奈は続け、少年の表情は少しだけ明るくなった。
「俺もできるかな?」
「大丈夫。きっとできるようになる」
と、杏奈は言った。
ここでジョエルが部屋に入ってきた。左手には地図を持っている。
「気がついたのですね」
部屋に入ってくるなりジョエルは言った。
「はい。どうもこの子は異界へ行こうとしていたようですが」
「なるほど。ひとまず穴の位置を確認しましょう」
ジョエルは地図を広げた。その地図にはスリップノットの中心と郊外、そして海を渡る必要のある島まで書かれていた。
「一番安定している穴は海岸線にあります。鮮血の夜明団構成員以外では釣り人の行方不明が報告されているようですね。それ以外にも不安定な穴がいくつか報告され、異界の人間がこちらへ来たこともわかっています。偽硬貨も彼らの持っていたものです」
ジョエルはいくつか印のついた箇所を指差した。
暫く話し合うと、杏奈とグランツが席をたつ。
「有り難うございます、ジョエルさん。俺達も異界の調査がありますので失礼します」
「少々お待ちを。こちらで集めておいた偽硬貨を預けておきましょう」
ジョエルは地図とともに持ってきていたアタッシュケースを杏奈に渡す。
「仮に異界で使えないとしたら捨てても構いません。サンプルとしての硬貨なら保存しておりますので。それでは行ってらっしゃいませ」
ジョエルに見送られ、杏奈とグランツは再びスリップノット支部を後にした。