彼女は呪われている
その日、異界に通じる穴が固定された。以前から異界の不安定な穴が出現することはあったものの、ここまで安定したものは初めてである。
レムリア大陸中西部の町。海岸に空いた『この世界ではないどこか』へ通じる穴付近にて、金髪で黄色のロリィタ服を纏った少女が目撃される。少女は調査隊のメンバーに向かってこう言った。
「この先楽園につき……」
調査隊は消息を絶ち、その寸前に贈られた報告の手紙によって情報が明らかとなる。
――スリップノットにて異界への穴を確認。非常に安定しており、周囲で異様な魔力値を観測。体調不良となったメンバー2名あり。
以上、鮮血の夜明団本部調査チームの記録。
アンジェラ・ストラウスの失踪から6年。ディサイドの町は大地震からの復興を遂げ、6年前以上に発展していた。崩れたビルは建て直され、鮮血の夜明団本部の建物も場所を移して新たに建てられた。
任務を終えてディサイドに戻ってきたシオンは、シドからの頼みで病院へ向かっていた。新しくつくりかえられた街並みの中で。
ディサイド中央病院。レムリア大陸の中でも有数の大都会のディサイドでも特に大きな病院である。シオンはディサイド中央病院に入ると、目的の病室を確認してそこへ向かう。どうやら目的の場所は個室らしい。シオンは杏奈に頼まれていたビニール袋を持って階段をタンタンとかけ上がる。
「……全く、ビニール袋と引退願いの用紙を欲しがるってどういうことだよ!」
階段を上りながら、シオンは毒づいた。彼自身は杏奈の実力――魔法が使えないながらも吸血獣を接近戦で倒すことができる程度の実力を認めていた。だが、杏奈はそれを自身で肯定することもなく、意味もないと判断していた。
シオンは病室に入る。ディサイドの町を見下ろせる階にある一人用の病室にいたのは、ビニール袋の中に嘔吐する10代後半くらいの少女。濃紺色のロングヘアーで、女にしては筋肉質な外見の。だが、シオンが知る彼女に比べると、少し痩せ細っていた。何より点滴までしているのだ。
「大丈夫か?」
シオンは彼女に尋ねた。すると、彼女はシオンの方に顔を向ける。明らかに体調の悪そうな顔だ。しかし、相変わらず綺麗な顔でもある。彼女が神守杏奈。シオンの後輩。
「大丈夫です。で、引退願いは持ってきてくれました?」
「誰が持ってくるか。そういうのは自分でやるんだよ、杏奈」
「はいはい、わかりました」
杏奈はため息をついた。彼女の目線は時計に向けられていた。なぜならば。
「失礼します、神守さん」
無表情ではあるが来た、と言わんばかりの杏奈。入ってきたのは杏奈のクラスメイト。名前は千早ノエル。銀髪をオレンジ色のリボンで束ね、この寒い季節なので制服の冬服とマフラーを身に付けている。よくいる女子高生、といった風貌。実際、千早ノエルも杏奈も女子高生だ。
「課題持ってきたよ。ついでにいつも本屋で立ち読みしている本も。暇潰しになればと思ってね」
ノエルは化学と生物の課題と遺跡や廃墟に関する本を病室の机に置いた。本は杏奈がよく読んでいるものだが、なぜそれをノエルが知っているのか不思議でならない。しかし、感謝はする。杏奈はちょうど暇潰しが欲しかったのだ。
「ありがとう、千早さん」
杏奈は言う。なぜ課題なのか。それは、杏奈が教育機関である『ハイスクール』に通うから。魔法の使えない杏奈は魔物ハンターをあきらめ、ハイスクールで教育を受け、さらに上の教育機関である『ユニバーシティ』に進むことを選ぼうとしているのだ。
少なくとも、杏奈はそれを合理的な選択だと考えている。
「いえいえ、他に任せられなくてね」
同じハイスクールに通う二人はシオンをよそに言葉を交わす。
「で、聞きたいのだけど、そのオーラは何?」
ノエルから聞かれた杏奈。その杏奈本人もオーラについては自覚がある。濃紺色の密度が濃く、星空のような輝きを湛えたオーラは杏奈にも見えているのだ。
「呪いだよ。スリップノットに行ってからこいつに呪われて、体調を崩した。別にメリットもない何かなんだから呪われたってことでいいだろう。なんだろう、変なものに憑かれているみたいだろう? 」
「やっぱりスリップノットね」
知っている様子のノエル。この時点で完全にシオンは置いていかれている。
スリップノットとは大陸の南西部にある半島の町。港町であり、人はそれなりに住んでいる。そして、件の異界への穴が出現し、何人もの住人が体調不良で苦しんでいる。
「あのー、俺も混ぜてもらえますー?スリップノットなら心当たりがあってよ」
シオンは言う。そのシオンにも杏奈の持つオーラが見えていた。
「ええと、どちらさんでしょうか? 」
ノエルは聞き返した。
ノエルはシオンを知らない。この反応は至極当然だろう。
「シオン・ランバート。杏奈の魔物ハンターとしての仕事仲間だな。別に怪しい関係ではないから安心してくれよ」
シオンは答えた。
「まさかあなたも……」
ノエルはシオンに対しても何かを感じているようだった。その興味と疑いの混じった目を向けられ、シオンは口を開く。
「スリップノットの調査記録を持っているんだよ。で、研究チーム曰く体調不良とスリップノットの乱れたエネルギーは関係あるかもしれない、ってな」
シオンの発言について、杏奈は知らなかった。杏奈が倒れたのはスリップノット調査の帰り。高熱と頭痛、吐き気、嘔吐の症状が出ていた。それからずっと入院していたので研究については何も聞いていないのだ。
その一方でシオンは行方不明となった先遣隊の次に行われた調査の結果も知っていた。
「それは私も知っています。というか、私も当事者ですから。1ヶ月前、スリップノットの祖父の家に行ったときに高熱で倒れ、このオーラを会得しました」
ノエルの体の周りに文字の塊が現れた。新聞や雑誌にあるような文章の塊。杏奈の出したオーラとはまた性質が違う。それに圧力というものはないが、病室の中に不思議な空気を振りまいていた。
「考古学者の祖父曰く、これは概念と魂の反応。失われた魔法、イデアと呼ぶそうです。一説によれば魔法とはくらべものにならないくらいできることが多いそうですね」
「イデアなぁ……もしかしてコレのことか? 」
シオンの発言にノエルは「まさか」と思った。しかし、そのまさかである。シオンからオレンジ色の波が出る。それはシオンにも調節できるようで、広がっては壁に反射した。
「俺もスリップノットとはまた別のところで、高熱で倒れた。それ以来出せるんだよ」
シオンが言うと、ノエルは目を白黒させた。ノエルはこれをスリップノットだけの出来事であると信じこんでいたのだ。
「そう、それもイデアです。もしイデアの調査をなさるのであれば私も協力します。どうしても解き明かしたいのです」
ノエルは言った。
それがノエルの望み。そして、鮮血の夜明団の調査内容にも少し触れていること。このとき、シオンとノエルの利害は一致した。それに付き合わされることになるであろうと、杏奈は感じていた。
「調査ねぇ。きっと私の最後の仕事になるだろう」
杏奈は言った。
「杏奈……本当に引退する気なのか」
その杏奈に尋ねるシオン。
「そのつもりです。魔法の使えない魔物ハンターなんてお荷物でしょう。いえ、魔法が使えないだけじゃない。射撃も投擲も苦手って、もう戦闘をするなって言われているようなものでしょう」
杏奈はふざけているわけでもシオンを試しているわけでもなかった。そもそも杏奈はそのようなことを絶対にしない。病気を笑いのネタには絶対に使わない。だからシオンは、杏奈が本気だとすぐにわかった。
「あのなあ、本当に使えないやつは入って1年くらいで死んでいくんだよ。生きているお前は間違いなく有能だ」
と、シオンは言った。