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「今日は桜を見に行きましょ。去年も見に行ったわよね、自信はないけれど、ちょうど今日だったような気がするのよ。ねえ、行きましょう」
昨日の時点で、もう会話は不可能であろうと言われていた。
穏やかに眠る姿を眺めて、徐々に息が弱くなっていて、それで終わりだと完全に告げられてしまった。
余計に悲しくなるくらいの、オブラートに包まれて僕は伝えられたのだ。
だから病室に入ったとき、彼女が起き上がって待っていてくれているところを見ると、僕には驚きの他なくなってしまったんだ。
桜を。
絶対に無理だということを、僕も彼女も知っているのに、なぜだか行けるような気がした。
僕にしても彼女にしても、そうだった。
ベッドの傍で寄り添って、愛を語り合い最期の時間を過ごすことが、今の僕のするべきことなのだろう。
けれど僕は彼女と桜を見に行かなければいけない、そう思ったのだ。
「それじゃあ、僕たちは先に行っているから、すぐに来るのだよ」
彼女の隣で眠っている想桜を抱っこして、去年を目指して歩き始めた。
本当に時間を戻れたのではないか、そう思えるほどに、去年と全く変わらない景色がそこには広がっているように思えた。
僕の語彙力では、表現できないこの美しさは、何も変わりやしないのだ。
この腕で抱き締める宝物が変わったとしても、こんなにも何も変わりやしないのだ。
風が巻き起こって、ぶわっと僕の視界を桜色に染めたものだから、なんだか僕にはなんだか僕には世界が桜と一体化したかのように見えた。
力強さという色が加えられたからこその美であると、僕は知っている。
『素敵な桜ね。あなたと想桜ちゃんと一緒に桜が見られて、幸せなことだわ。来年も是非、この日には、桜を一緒に見に来ましょ。どうかいらしてちょうだいね』
どこかから彼女の声が聞こえてくる。
彼女の魂が、桜に宿っているのかもしれなかった。今なら平気でそう思える。
もしかしたら、僕も彼女も一緒に桜を見られるって、疑いもせずに思っていたのは、こういうことだったのだろうか。
いつだって彼女は僕たちを見守ってくれている。
一年に一度だけ、話をすることだってできるというのだろう。
桜に包まれたこの地で、別世界への扉を開くのだろう。
桜の木の下には死体が埋まっているだけじゃなくて、桜の木は、この世とあの世を繋ぎ合わせてくれているのではないだろうかと思う。
彼女の墓を建てるなら、ここしかないと僕は思った。
鳴り響く電話の音は、僕と彼女の世界が、隔たれてしまったことを告げる音だろう。
彼女の魂を守る場所が作れるまでは、認めずにいればいいのだ。
どうか桜よ、僕の愛しい人を守っておくれ。
強い想いを桜に馳せて、僕はゆっくり瞳を閉じた。




