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2日

 ニュースでは、桜の開花を伝え始めている。

 僕の住んでいる地域で、桜の花が咲くのも、もうすぐなんじゃないだろうかと思う。


 儚さという色が加えられたからこその美であると、約一年前の僕は知っていた。

 それは今の僕は知らない感情になりつつあった。

「桜がもうすぐ咲くよ。そういえば、去年もこの頃はちょうど体調が悪くなってしまっていたよね。だけど、桜の花が咲いたら、途端に元気になったんだっけ。今年もそうして、一緒に花見に行きたいね」

 元気に返事をしてくれる気力も、ないというのだろうか。

 僕が訪れた時間が悪くて、偶然、彼女は眠かっただけなのだろうか。


 ただ手を握るだけで、それ以上のことを彼女はして来なかった。

 言葉も発しないし、握った手に力を入れることさえ、彼女はしやしないのだった。

「お花見、楽しかったわね。今年も行きたいものだわ。今日は? 今日はどうなのよ? そういえばね、私は夜桜が見たいの。今日からでも、有名な場所へ行けるんじゃないかしら、夜までなら行けるでしょう?」

「残念だけど今日は無理だね。外に出ても大丈夫なくらい、元気になったらだよ。僕も一緒に桜を見に行きたいから、桜が咲ききるまでに、元気になってもらいたいかな」

 夜に連れ出せるような体調じゃないし、それが無理であることを、彼女がわかっていないはずがない。


 つい彼女を責めるような口調になってしまっていた僕に、彼女は悲しそうな視線をちらりと向けて来る。

「だって、それじゃあ、それだったらば、……無理なんだもの。無理なの、あなただって、いい加減わかっているでしょ? もうお花見なんてできないわ。できない、できないのっ!」

 涙を散らして嘆いた後に、彼女は魂が抜けたように黙ってしまった。

 瞳も虚ろで、彼女がどこかへ行ってしまったのじゃないかと、本気で思ってしまった。

 そんな姿が恐ろしく思えてに違いない。

「うえぇ、うぇえうぇええん!」

 僕の腕の中、大人しく眠っていた赤ちゃんが、えんえんと泣き出してしまったのだ。


 その泣き声に引き留められたのか、うわの空だった彼女が帰って来た。

「しおんなんてどうかしら。想うに桜って書いて、想桜よ。この子にぴったりだと思うの」

 本当に彼女を引き留めようとしてくれていたのか、彼女が微笑めばすぐに泣き止んだのである。

 その様子を見ていた彼女が、思い付いたとそのように言ったのだった。


 想桜。

 持ち歩いている鞄からメモ帳を取り出して、試しにそっと書いてみる。

 彼女にその字を向けたなら、ふわりと花の微笑みをくれた。

「そう、そうよ。どうかしら?」

 何か入れたい文字はあるかと、僕はずっと探していたのだが、どうしてこんな簡単な答えが見つからなかったのだろうか。

 僕たちのことを見ていれば、知っていれば、答えはいつもすぐ傍にあったはずなのに。


「想桜。読み方と照らし合わせてみても、読みづらい漢字かもしれないけれど、僕たちが与えるべき文字は桜、その字しかないんだ。僕たちの想いも、きっと伝わるはずだよね」

「そうだわ、伝わるわよ。だって私たちの子どもなんだもの。ねえ、想桜ちゃん」

 ここが病院だと言うところ、彼女がベッドに横たわっていると言うところ、それさえ除けば、ただ幸せな家庭そのものであるようだった。

 彼女のそれが不幸せだというわけではないが、もちろん悔しさも苦しさもある。


 名付けたばかりの名が気に入っているのか、想桜はにっこりと笑っているように見える。

 それが、仏やら菩薩やらに見えて、彼女を迎えに来ているように思えた。天使と死神は紙一重であるような、そんなことであろう。

 あぁ苦しかった。


 一年間、僕の傍で舞い散り続けて無限に舞った、桜の花弁が今は見えない。

 代わりに、本物の桜の花が開いているのだった。

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