75日
「眠っていろと言ったじゃないか。どうして起きてきてしまったんだい」
歩けるほど体調がよさそうに見えることがなかったので、年が明けてからは、いくら彼女が出掛けたがってもベッドの中でほとんどを過ごさせた。
そればかりではさすがに、反対に体調に悪いものだから、軽い運動をサポートしつつもやはり彼女に無理をさせたくなくて、ベッドからは、せめて部屋からは出さないようにしていた。
仕事を進めていると、後ろに荒い呼吸を感じ、振り向けば彼女が立っていた。
さっぱり何を考えているんだかわからない、何も読み取れない表情で、彼女が僕をじっと見つめている。
僕の責めるような問いにも、少しだって答える気配はないのである。
「どうして、起き上がって歩いてきたんだい。僕は仕事中だったのだし、途中で倒れてしまっても、仕事が終わるまで気が付かなかったかもしれないよ。何かあったらどうするつもりだったんだ」
つい口調が厳しくなってしまう。
泣きそうに彼女の表情が歪む。
「ねえ、今日は何の日だか覚えてる?」
「僕たちが出会った日だよ。それがどうかした?」
泣きそうだった表情に、うっすらと涙が滲んでいるように見えた。
「どうかしたって、あのね、覚えてたんならもっと一緒に祝おうとしてくれたっていいじゃないの。わがままだってわかってるけど、今日くらいは二人でいちゃいちゃできるかなって、私は期待してたんだから。一人で浮かれちゃってこれじゃ馬鹿みたいね」
彼女が記念日を大切にしたがる人だということを、知らない僕ではない。
少し焦らしたいとは思ったけれど、泣かせるつもりはもちろんなかった。
……彼女はもう焦り始めているようで、だからこそ、焦らすようなことがしたかったのに。残されている時間が僅かだなんてこと、一瞬だけでも払拭できたならと思った。
焦らしたい感情はより醜いものだっただろう、が。
「歩き回らなくたって、すぐに見つかるはずの場所に、プレゼントは贈られている。気付いてくれたらそれだけでいいことなんだよ」
僕も一緒にいたくて堪らなかったのだけれど、やはり今日はなぜだか焦らして、彼女から僕を求めてほしいと意地悪い感情が醜さが占めてしまっていた。
キョトンとしている彼女が、可愛くて可愛くて、彼女に見つめられた僕は彼女を見つめることしかできずに、美しすぎる瞳に吸い込まれそうになっていた。
永遠へと誘われるような、恐ろしい感覚は、僕の心に幸せを広げていく。
「な、何よこれっ。こんなもの、いつの間に付けていたって言うの?」
不思議そうな表情が見る見る喜びに変わっていくのが僕に嬉しかった。
「ねえ、今日は何の日だか知ってる?」
「それはね、私とあなたの結婚記念日よ」
僕の問いに、彼女はにっこりと笑った。




