89日
一月一日、彼女は本当に眠り、眠り眠り続け、眠ったまま一日を過ごした。
彼女が目を覚まさないものだから、僕は溜まり始めている仕事を、そしてまだ期限がある仕事もついでに終わらせてしまった。
できるだけ、彼女と一緒にいられるときは彼女との時間を過ごしたいから、彼女が眠っている間の時間を僕は少しだって無駄にしたくなかった。
一月二日の朝、僕が目覚めると、彼女は既に起きていた。
嬉しいことに元気なようで、なんと料理を作って、僕が起きるのを待っていてくれたようなのである。
二人分のお雑煮が用意されていたのだ。
「本当は御節でも作りたかったのだけれど、材料の問題も能力の問題もあって、諦めるしかなかったの。だけどね、かなり成功したお雑煮だと思うから、食べてもらえると嬉しいわ。本当に私が作ったの? って、自分で不思議になっちゃうくらいだもの」
料理をする方ではないにしても、アニメ作品とかで見るように、ダークマターを製造するような料理の腕はしていない。
彼女の作ったお雑煮、それも自信作というのだから、期待する気持ちで胸がいっぱいである。
食べてみれば、果たして美味ではないか。
実際に「愛情」というものが隠し味として入っているのであろう、信じられないほどの美味しさである。
美味しいというのは思ったとおりであるが、想像していた美味しさを余裕で上回っている。
「どう、かしら? 言葉で教えてもらわないと、私にはわからないわ。どう思ったか、正直に教えて」
絶対にわかっているくせに、彼女は言葉にすることを求めてくる。
「美味しいよ。最高に美味しい。僕はね、こんなに美味しいものは、食べたことがないよ」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。ありがとう。急いで食べて、喉に詰まらせないよう気を付けるのよ。病院へ搬送されるのは私の担当だもの」
病院へ搬送されるのは担当、どういうことだよと思うけれど、彼女の表情は完全に冗談である。
何かを気にしてのことではなさそうなので、心配だけはさせないように僕は食べる速度を少し落とす。
美味しいからつい頬張ってしまったけれど、早いもの勝ちだとか、そういうものでもない。だれも奪いやしないのだし、急いで食べてしまうよりも、その美味しさをより味わうべきという気持ちも僕にはあった。
言った傍から咽てしまっていたもので、そうせざるを得なかったというものもある。
「そういえば、お餅なんてどこにあったんだい?」
自分でも驚くほど高速で完食して、おかわりまで頼んで、ふとそこが気になった。
用意しようかと迷いはしたけれどお餅を買った覚えはない。
「もらったじゃないの。覚えてないの? 年末に佐倉さんにお会いしたじゃないの。年明け頃に、そろそろ赤ちゃんも生まれるっていうし、会いに行ったでしょ? そのときにもらったお餅よ」
「あれは、鏡餅だったじゃないか」
「鏡餅ももらったけど、それとハート型の可愛らしいお餅をもらったでしょ? 手作りなんだって言っていたじゃないの。あなたねぇ、それはもう認知症の域よ。子どもに馬鹿にされたって知らないんだから」
彼女に言われて記憶を辿ってみれば、そうだったような気もする。
遠い記憶の方が鮮明であるのに、近頃は、すぐ近くの記憶が曖昧になって来ている。
それは少しずつ感じていたことであったが、悪化の速度があまりに著しいように思える。
幸せな記憶を自己防衛のために封印しようとしている、その準備期間なのだろうと、僕は遠く思わずにいられなかった。
「そうだったっけかね」
適当に誤魔化すような笑顔を浮かべながら。




