番外編-Trick or Treat-
――十月三十一日、ハロウィン。
この日の宗はいつになくニヤニヤしていた。
「こっとみ~っ♪」
いつものように部活が終わった後、正門で宗を待っていると、やけに上機嫌な様子で駆け寄って来た。
(うゎ……な、なんか……スキップしてるけど……また良からぬ事を考えてるんじゃ……?)
なんとなくそんな予感が頭を過る。
そしてその予感は見事に的中した。
「琴美、ちょっとこっち来て♪」
宗はそう言うとあたしの手首を掴んであれよあれよという間に、校舎の影に引っ張って行った。
「あ、あのー……宗……?」
不安なりながら口を開くと、宗はにやりと“悪い顔”を浮かべながらこう言った。
「Trick or Treat!」
あたしはこの言葉が出て来るのを、これまたなんとなく予想していた。
だって今日は“ハロウィン”
『Trick or Treat』……つまり、『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ』
いかにも宗が好きそうなイベントだ。
「Happy Halloween!」
だから、あたしは満面の笑みでこう返し、今朝早起きして作ったパンプキンパイを差し出した。
「……へ?」
案の定、宗はポカンとしている。
あたしが何もお菓子を持っていないと思っていたみたいだ。
お菓子がないなら悪戯が出来る……そう考えたからこんな校舎の影なんかにあたしを連れて来たんだろうけれど、
実はあたしもさすがに宗と付き合い始めて一年近く経つ訳で、こんな事はお見通しだったのだ。
「むー……」
宗は“してやられた”という顔で頬を膨らませていた。
でも、そこはやっぱり宗。
あたしの肩をガシッと掴んで逃げられないようにすると、いきなりキスをし始めた。
何度も……何度も。
「……ちょ……しゅ……っ!? ずるい……、お菓子……あげた……のに……」
キスの嵐が巻き起こる中、あたしは無駄な抵抗だと知りながら声を発した。
「でも俺、琴美とキスしたかったから‥‥それにこれは悪戯じゃないもん」
宗の言葉に、もはや“ハロウィン”など最初から関係なかったんじゃないかと突っ込みを入れたくなった。
(も、もう……)
“キス魔”の宗は何か事ある度にあたしにキスをする。
それでも人前でキスをするのを嫌がるあたしに気を遣って、こうやってなるべく人目に付かない所でする優しさに免じて、
あたしはされるがままなのだった――。
「宗、パンプキンパイは亜理紗ちゃんと一緒に食べてね?」
やっと“キスの嵐”から解放された後、そう言うと宗は眉根を寄せた。
「ダメ、もちろん俺が全部食べる!」
「にいたんの意地悪ーっ!」
「にいたんって言うなー」
「もう……せっかく亜理紗ちゃんと一緒に食べるように焼いたのにー」
「大丈夫、亜理紗は今夜はいないから♪」
「またそんな嘘ばっかりー」
「嘘じゃないって」
「はいはーい」
あたしは見え透いた嘘に笑いながら正門に向かって歩き始めた。
「ホントなのにー」
宗はまだそんな事を言っている。
◆ ◆ ◆
「あれー?」
そうして、いつものように一緒に駅まで帰り、自転車置き場に行くとあたしの自転車の前輪が
ペッチャンコになっていた。
今朝からどうもおかしいとは思っていたけれど……どうやらパンクしたみたいだ。
これじゃあ、乗って帰る事も出来ない。
「こりゃパンクだな。釘かガラス片でも踏んだのかもしれないな?」
あたしの自転車のすぐ近くに自転車を停めていたいた宗が異変に気付いて来てくれた。
「後でお父さんに直して貰うよ」
「なら、今日のところは俺が家まで送って行くよ」
「えっ!?」
「だって、もうこんな暗いんだし、心配だから」
「で、でも……そうしたら宗が帰るのが遅くなっちゃうよ?」
「平気だよ」
真剣に言う宗の瞳に何も言えなくなってしまう。
「さ、帰ろ」
宗はそう言うと自転車を押して歩き始めた。
「う、うん」
あたしはパンクした自転車を押しながらその後を追った。
◆ ◆ ◆
「わぁー、シュウさんだー♪」
家の前に着くとちょうど玄関から出てきた誠が宗の姿を見つけて駆け寄って来た。
「姉ちゃんの帰りが遅いから、母さんが様子を見に行ってくれって言ったから出てきたんだけど、
シュウさんと一緒になら良かった♪
ねぇ、シュウさん、せっかくウチまで来たんだから寄ってって下さい!」
誠はそう言うと、宗の返事もろくに訊かずに腕を引っ張った。
「え……で、でも突然お邪魔したら迷惑なんじゃ……?」
「大丈夫ですよー!」
グイグイと宗を家の中に引き込む誠。
「……っ」
宗はもう声にならない声を発しながら家に入った‥‥いや、引きずり込まれた。
「おかえりー……て、あらっ?」
お母さんは誠が突然連れて来た宗を目にして驚いた。
「あ、あの……こんばんは」
「母さん、シュウさんだよ!」
嬉しそうにお母さんに宗を紹介する誠。
「まあぁっ!? 琴美ちゃんのっ♪ さあさあ、上がって上がって!」
お母さんはあたしの部屋に飾ってある宗の写真を目にしているから当然宗の顔も知っている。
その本人がこうして目の前に現れたことに興奮して宗に上がるように促した。
「……え、えと……じゃあ……ちょっとだけお邪魔します」
「シュウくん、クリームシチューとか好き?」
「えぇ、好きです」
「じゃあ、夕飯も食べて行って♪」
満面の笑みで言うお母さん。
「それ賛成!」
誠も嬉しそうに言うけれど……。
「あたしもせっかく家まで送ってくれたからそうして貰いたいとは思うけど……、
宗のお家でもご飯を作って待っててくれてるんじゃないかな?」
「いや、それは大丈夫。今日は両親と亜理紗は昼過ぎから父さんの実家に行ってるから、
晩御飯はコンビニで弁当でも買って帰るつもりだったんだ」
「シュウさんは行かなくていいんですか?」
「あぁ、祖父さんが入院したらしいんだけど、さっき風邪をこじらせただけだって、
お袋からメールが来てたから心配ないっぽい」
「じゃあ、やっぱり家で夕飯食べて行って下さい!」
誠はそう言うといつもお父さんが座っている席に宗を座らせた。
部屋着に着替えてお母さんと一緒にクリームシチューを温め直したり、
冷蔵庫からサラダを出していると背中にものすごい熱視線を感じた。
「……」
思わず無言で振り返ってみると――、
「♪」
やっぱり宗だった。
「ところでシュウさんが姉ちゃんを送って帰るなんて、なんかあったの?」
誠に訊かれ、自転車がパンクしていたことを思い出す。
「うん、あのね、自転車がパンクしちゃってて、歩いて帰るつもりでいたら、
暗いから宗が送って帰るって言ってくれたの」
「まあ、シュウくんて優しいのね♪」
お母さんはすっかり宗のことが気に入ったみたいだ。
「でも姉ちゃん、お父さん今日は飲み会で帰って来るの遅くなるってさっき電話があったから、
明日も歩きだよ?」
するとここで誠が残念なお知らせをしてくれた。
「えー、じゃあ誠、パンク直して?」
「やだ、面倒くさい。それに明日もシュウさんが姉ちゃんを送って来てくれるんなら、
またご飯一緒に食べられるし♪」
「何言ってるの? 明日は宗のお母さんも普通に夕飯を作って帰りを待ってるだろうから、
たとえ送って貰ったとしても無理には引き止められないよ?」
「ご飯はともかく、俺は毎日でも送って帰りたいけどな?」
宗がにやにやしながら言う。
「宗もそんなこと言って、誠に取りつかれて帰れなくなっても知らないよ?」
「何だよ“取りつく”ってー」
そう言って頬を膨らませる誠。
だけど実際、夏の合宿の時もなんだかんだとずっと宗と一緒にいたのはどこの誰だろう。
「でも、それなら俺がパンク直してやるよ」
すると宗があたしの自転車のパンクを直してくれると言い出した。
「え、いいよ。そんなことしてたらホントに遅くなっちゃう」
「いいっていいって、夕飯ごちそうになるお礼だよ♪」
宗はそう言うとニカッと笑った。
◆ ◆ ◆
その後――。
「よっし、直った!」
宗は本当に晩御飯を食べた後であたしの自転車のパンクを直してくれた。
面倒くさがっていた誠も宗がパンクの修理を始めると、何も言わなくても自分から手伝っていた。
「シュウくん、ありがとうね。これ、明日の朝御飯に食べて」
そして宗が帰る間際、パンクを直してもらっている間にあたしとお母さんで作った
おにぎりと卵焼きが入った包みをお母さんが宗に手渡した。
「わぁ、ありがとうございます!」
宗はそれをとても嬉しそうに受け取った。
「それじゃあ、ごちそうさまでした! おやすみなさい」
宗はそう言うとあたしと誠、お母さんに手を振って自転車をこぎ出した。
「「「気をつけてねー」」」
あたしとお母さんと誠の三人で宗が見えなくなるまで見送る。
「シュウくんて、本当にいい子ねー? お母さん気に入っちゃった♪」
「だろー? 夏の合宿の時もずっと俺にバスケのことをいろいろ教えてくれてさ、
俺、あんなお兄ちゃんが欲しかったなー」
「……」
(“愚姉”で悪かったねー?)
でも、本当に宗のことが好きなのはあたしだもん。
そんなことを心の中で言いながら、家へ入ると――、
……RRRRR、RRRRR……、
宗からメールが届いた。
(んー? 何かな?)
言い忘れた事でもあるのかと思ってメールを開くと‥‥、
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部屋着の琴美、すっげぇ可愛かった♪
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そんな内容だった。
(もう……っ、宗ったら)
でも、本当はすごく嬉しかった。
制服のままいるのも不自然だし、かといって部屋着以外の服なのもどうかと思って、
結局はいつも家にいる時のような部屋着に着替えた。
自然体のあたしを目にしてどう思ったのかちょっと不安だったけど、
“可愛い”って言ってくれたことでホッとした。
……RRRRR、RRRRR……、
そして、また宗からメールが届いた。
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Happy Halloween♪
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宗と付き合い始めてもうすぐ一年――。
あたしは一年前よりももっと‥‥もっと宗のことが大好きになっていた――。