九十一話
「これが、今後の政策になります。ご確認よろしくお願いします」
トレントとの話を終えたフェイは夕方、キャルビスト村の村長であるフォルズの家に足を運んでいた。
用件は言わずもがな今後の村の政策、一番重要なところでいうと税についてだ。
フェイは新たな政策が綴られた紙の束をフォルズの目の前の机に置く。
それをフォルズはややかたい表情で受け取る。
フェイに、中を見ていいかと視線で問う。
勿論ですと柔らかく微笑みながら。フェイは頷いた。
では、と前置きしてから、フォルズはぱらぱらと束を見る。
内容を吟味して、次第にフォルズの目が大きく見開かれていった。
「こ、これは……」
「問題ありませんか?」
驚くフォルズに対して、フェイは落ち着いた声で聞いた。
問題ないかなど、領主であるフェイが聞く必要などないにも関わらず。
「も、問題はありません。いえ、むしろ……、本当にこれでよろしいのですか?」
中に綴られている文面に目を通し終えたフォルズが、疑いの目を向ける。
記述されていたものがフォルズの予想を遥かに裏切るものだったからだ。
「し、しかしこれでは……。税など、ないも等しいではないですか!」
総所得の七割。
それが、ボネット家が治めていたころの税率だ。
所得は申告制であるとはいえ、こんな辺境の地だ。
当然物流のルートも限られてくる。
ボネット家がこの村のあらゆる物の流れを見落とすことはない。
農業による生産状況もこのあたりはまめに確認しに来ている。
だから、もし所得を一切申告しなかったとしてもボネット家は正確な所得を言い当てるだろう。
そして今回、フェイが定めた税率は――総所得の三割。
うち、一割は国に納める分で、残りの二割がフェイの分だ。
他の領地の平均が大体総所得の四割ほどであるから、比較してもさらに低いものとなる。
「十分ですよ、僕は。トレントさんたちの給与分と、生活費さえあれば。これでも多いくらいですし」
「…………、本当に、これでいいのですか?」
「ええ、勿論。あぁ、安定してきたならまた改めることがあるかもしれませんが、取りあえず暫くの間はこれで」
「わ、わかりました……」
「あと、農作業に関しても皆様のやりたいようにやってください。私はそのあたり疎いので」
頭を下げるフォルズ。
それではよろしくお願いしますと、彼に言葉を投げてフェイは立ちあがり、フォルズの家を後にした。
◆ ◆
「本当によろしかったのですか?」
夕食の時間。
トレントの用意した食事を、屋敷で口にしているフェイ。
そんな彼にトレントが唐突に問いを投げた。
「……?」
「いえ、差し出がましいかもしれませんが、もう少し税率を上げても不満はないかと。例え五割でも、彼らは喜ぶでしょう」
「分かっていますよ。でも実際、使い道がありませんから。それに何より、それだと意味がないのです」
「意味がない?」
トレントが聞き返すと、フェイは口角を上げる。
「他の貴族の税率と比べても低い税率を定める。こうすることで彼らは思うんです。僕がいい人だと。普通は信用を金で買うことはできませんが、この村では別です。ボネット家の行いで地に堕ちた信用を取り戻すのに最も効率がいいであろう方法が、税率を限界まで下げることなんです」
「なるほど……」
「そうは言っても、僕にも多少の蓄えが欲しいので、二割でもいいところを三割にしましたが。まぁ何にせよ、当面は村民の方たちが飢えに苦しまなくなることを目標にします」
「それでは、その目標が達成された後は?」
「そうですね……」
フォークとナイフを置き、天井を見上げるフェイ。
少し考え込んでから、彼は口を開いた。
「僕も、色々と欲しいものがあるんですよ。例を挙げるとアルナ鉱石が」
「アルナ鉱石ですか?」
「ええ。実際何に使うのかと言えばまだ詳しいことは言えませんが、そうしないと倒せない敵がいるといいますか……」
説明するのが難しいなとフェイは眉間にしわを寄せる。
「取りあえず、村民たちが十分な暮らしを出来るようになったら少しだけ税率を上げます。それに何より、今はそれ以外にもやることがあります。税率を下げただけですと、実際に私と関わるのは村長だけになります。村民たちと触れ合っていかないといけないですからね」
「それもまた、信用の為と?」
「打算的ですかね?」
「人間とは、そういうものでしょう……」
トレントの言葉に、フェイは確かにと頷く。
そしてどこか自嘲めいた笑みを浮かべる。
「まぁ、私は根っからの善人ではないということですよ」
そう呟いてから、フェイは再び目の前の料理に手を伸ばした。
トレントはそんなフェイを見ながら、穏やかな笑みを浮かべるのだった。
善人かどうかを決めるのは、他人なのだと思いながら。
◆ ◆
その日の夜、フォルズは村の男を家に集めた。
そして彼の口から、今後のこの村の方針を告げられたのだ。
「ば、ばかな……ッ!?」
信じられないと、驚愕を露わにしながら声を絞り出したのは、巫女服の少女、シェリルの父ベルークだった。
他の者も同様の様子で本当なのかとフォルズに対して疑いの眼差しを向けた。
「信じられないかも知れぬが、本当なのじゃ。本当に、税が以前の半分以下になった」
「フォルズ村長、あんたあのガキに何を言ったんだ」
ガキというのは、勿論フェイのことだ。
当然ながら本人の目の前でそんな呼び方はしない。
「儂は何もしておらん。それとベルーク、いくら領主がこの場におらぬからと言ってその呼び方はいかんぞ。習慣になると、うっかり……ということもある」
「あ、あぁ、わりぃ。で、領主が自分から税を三割にすると?」
「そうじゃ。これは他と比べても少ない。飢えるものは以前と比べて激減するのは明白じゃろう」
「…………、何か裏があるんじゃねえのか?」
「裏、か」
ベルークを含め、この場にいる者全員フェイのことを信用していない。
これももしかしたら何かしらの罠で、本当は別の目的があるのではないかと疑ってしまう。
彼らの懸念はもっともだ。
そして村長である自分も、そのことを思慮したうえで行動していかなければならないと、フォルズ自身分かっている。
だが、と。
フォルズはため息を吐きながら言う。
「とにかく、どのような考えで領主様がこのような方針を取ったのかは分からぬが、どのみち今のままだと全滅していたんじゃ。ここは何も考えずに従うべきではないか?」
その言葉で、村民たちは俯く。
確かに、これが罠だとしても、前のボネット家が領主だったままならば餓死者は増え続けただろう。
なら、もうこれは罠ではないと期待して、従うしかない。
どちらにせよ領主には刃向えないのだから。
「無論、儂も出来る範囲で探りは入れてみる。領主様の真意をな」
それで終。
フォルズの言葉に異論を唱えることは誰も出来ず、村民たちはただ今を生きながらえたことに安堵するしかなかった。