八十五話
「あっ……」
「……!」
いつもより三十分早めに登校したフェイは、教室に向かう。
と、教室の扉を開けたところで、フェイは思わず口を開いた。
「フェ、フェイ様!」
「メリア、早いね」
何故か、既にメリアも登校していて、自分の席に座っていたのだ。
「何だか、屋敷に戻ってからあまりフェイ様とお話が出来ていないと思って、何故か早く来ちゃったんです」
少し照れ笑いを浮かべながらメリアは事情を説明する。
それを聞いて、フェイは柔らかな笑みを浮かべる。
「何だ、メリアもだったんだ」
「え?」
「いや、僕もどうにもメリアがいないと落ち着かなくてさ」
「~~っ」
ぱくぱくと口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返すメリア。
「そういえば、最近はどう?」
折角なのでと、フェイはメリアに話題をふる。
「どう、とは?」
「いや、ボネット家での暮らしはどうなのかなと思って」
「そうですね……」
んーっと、唇に人差し指を当てて振り返るメリア。
少しの間を置いてから、彼女は答える。
「何と言うか、静かすぎて不気味……です」
「静かすぎる?」
「はい。私を見ても嫌そうな顔をしないんです。何と言ったらいいのでしょうか。……私なんかに、構っていられない、みたいな」
「……なるほど」
ボネット家が何をしているのかは分からないが、何はともあれメリアに害がないようで良かった。
フェイはそう思いながらゲイソンたちが登校するまで久しぶりにメリアとじっくりと談笑した。
◆ ◆
「今日も何もありませんね」
放課後。
市内の巡回二日目の今日も、特に何か起きるでもなかった。
そんなこんなで校門に戻る最中、レイラが詰まらなげにつぶやいた。
「会長は、何か起きてほしいとでも思っているんですか……」
「そんなわけないじゃないですか。何も起きないのならそれに越したことはないですよ」
フェイの問いにレイラは至極まっとうなことを返す。
どうだか……と、フェイは半ば呆れながらそれ以上問うのをやめた。
校門に辿り着く直前、レイラがふと足を止めた。
「どうですか? この後、少しお茶でも。折角このメンバーでいるわけですし」
レイラが唐突に、にこやかに微笑みながら提案した。
「私は構いません。この後用事があるわけではありませんし、フェイ君と話すのも悪くはない」
くい、と黒縁メガネを指で上げて、グレンがフェイを見ながら答える。
それに続くように、おずおずと右手を上げながらエリスも返す。
「わ、私も大丈夫です……」
結果として、フェイに視線が集まる。
諦めたようなため息を吐きながら、フェイも同意の声を上げた。
「分かりました、僕もご一緒します」
「では、決まりですね」
その答えを待っていたといわんばかりに、フェイが答えた途端にどこかへと歩き始めた。
フェイたちはその後を追うしかなかった。
◆ ◆
「ここです」
五分ほど歩いてから、唐突にレイラは一つの店の前で立ち止まった。
「ここは……?」
少し意外だった。
意外、というのは、店の外観、そして窓から見える内装がひどく可愛らしかったからだ。
「見ての通り喫茶店です。さあ、中に入りましょう」
先陣を切って、レイラが喫茶店の扉を開けた。
カランカランと鳴る音と共に、ウェイトレスがレイラに声をかける。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
「予約をしていたレイラです」
「あ、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
何でもないかのように続くやり取りに、レイラを除く三人は、はて? と首を傾げた。
予約してあるということは、断られない事前提だということだからだ。
ウェイトレスについていくと、個室に通された。
机が一つ、椅子が四つで四方を壁で囲まれている。
扉のある完全な個室。
ともかく、フェイたちはそこに座った。
レイラの向かいにフェイ、フェイの横にエリスという座り方。
特にこれには何の意図もない。
「さぁ、ここは私が持ちますから、どうぞ好きなものを頼んでください」
言って、二枚あるメニューのうち一枚を、レイラはフェイに渡した。
「あ、ありがとうございます」
それを反射的にフェイは受け取る。
そしてメニューを見ようとしたところで、横に座っているエリスがジーッとこちらを見ていることに気付き、声をかけた。
「エリス、先に見なよ」
そう言って、フェイはエリスにメニューを渡した。
が、一方のエリスはと言えば、あっけにとられたような、嬉しそうな表情を浮かべたまま動かない。
「? エリスさん?」
「あ、い、いえ、お先にどうぞ!」
「いや、別にいいですよ。特に大したものは頼みませんから」
「じゃ、じゃあ……」
エリスの提案で、フェイとエリスは二人で一緒にメニューを見る。
その光景は、向かいに座るグレンとレイラから見ても、仲のいい兄妹にしか見えない。
そして……
(今、呼び捨てで、敬語を抜きで話しかけられた……!)
密かに頬を紅潮させながら、エリスは今にも大声で叫びたい衝動を抑えながら直前の言葉を思い出す。
『エリス、先に見なよ』
六年ぶりに再会してからというもの、自分の名を呼ぶときはいつもさん付け、そして話すときも敬語を使い他人行儀だった兄が口にした言葉。
本人は無意識のようで気付いてはいないが、エリスにとっては本当に嬉しかった。
このとき、エリスは自分が何を頼んだのか、憶えていられなかった。