八十四話
「…………」
「…………」
「…………」
市内を歩く。
何も起きないため、散歩に来ているようだ。
とはいえ、その空気は散歩のような和気あいあいとしたものとはかけ離れていた。
フェイは真っ直ぐ前を見て、エリスはちらちらとフェイに視線を向けては目を逸らし、グレンは真面目に辺りを警戒していた。
二列で、グレンの横にレイラが。そしてその後ろにフェイ、エリスが並んで歩いていた。
フェイはエリスがちらちらとこちらを見ていることに気付いてはいるが、あえて気付いていないふりをして、目の前のレイラを見る。
歩くたびに、赤みを帯びた彼女の髪が背中で揺れる。
「あの、どこまで行くんですか……?」
フェイが口を開いて、前を行くレイラにそう聞いた。
既に精霊学校の校門を出て十分経っている。
精霊学校を伴うこの街は王都程ではないが、やはりその規模は大きなものだ。
町の端から端をいこうものなら軽く三十分はかかる。
王都のように壁で覆われているわけではなく、街の境は中々微妙なものだが、精霊学校はこの街の端に建てられている。
そして、今フェイたちは店の多い地区、商業区を歩いていた。
もう少し歩くと、それを抜けると居住区に辿り着く。そしてその先はまた閑散としていて、そのあたりがこの街の境という認識だ。
「どこまで、と言われますと、居住区の端までですね。トラブルの起きやすいのは居住区の方が多いですから。まぁ、諍いの規模自体は商業区の方が大きいですが……」
「え、昔何があったんですか……」
遠い目をして語るレイラを見て、フェイはついつい聞いてしまった。
「別に大したことではありません。半年ほどまえ、丁度この辺りで出店の商品を盗んだ人がいたのです」
「はぁ……」
盗難はよくあることだ。
だが、そんなことが遠い目になってまで語る事なのかと首を傾げていると、レイラが続ける。
「すると、そこの店主がその盗難した人を捕まえて、道路の真ん中で怒りに身を任せて殴り始めたのです。私たちが遭遇したのはその時で、怒り狂った店主を取り押さえるのはとても骨が折れました」
「あぁ、そういう……」
その光景を想像するだけで身震いする。
願わくばこれから一週間、そのような事態に遭遇しないことを心の中で祈った。
「そういえば、フェイ君。あなたは最近、男爵位を得たらしいな」
今まで会話と言う会話をしたことがなかったグレンが、フェイに声をかけた。
「ええ、おかげさまで……」
何の面白みもないフェイの返しに、グレンはふんっと鼻を鳴らす。
「父上がぼやいていたぞ。あなたがいつパーティーを開くのか」
「パーティー?」
「そうだ。爵位を得て貴族になった者は、貴族間でのつながりを得るために早々にパーティーを開いて有力貴族を招待するものだ」
「あぁ、なるほど……」
そういえばレイラも似たようなことを言っていたか。貴族との繋がりがどうとか。
レイラとの会話を振り返っているフェイに、グレンが重ねて続ける。
「それで、いつ開くんだ」
「え……?」
「パーティーだ。父上は既にいつでも行けるように準備をしてあると言っている」
「ど、どうしてですか?」
眉を寄せながら純粋な疑問を投げたフェイに、グレンはため息を吐く。
「君の存在は、君が考えている以上に大きなものだということだ。早々に覚悟を決めてパーティーを開くんだな。そうしなければ君は色々と面倒なことになるぞ?」
「面倒なこと、とは?」
「何人もの貴族からパーティーに呼ばれる」
「それはまた……」
顔を引き攣らせる。
とはいえ、今のキャルビスト地方にパーティーを開く余裕はないので、必然的にかなり先の話になってしまいそうだが。
そんなことをフェイが考えていると露とも知らずに、グレンは理解したか……とだけ漏らして再び前を向き直った。
この日は結局これ以外に目立った会話も、事件も起こることなく、初日の市内の巡回は無事に終わった。
◆ ◆
「…………」
ベッドに腰掛けながら、フェイは無言で暗い室内に目を向けた。
メリアがボネット家の屋敷に戻ってから、彼女と会話する機会が激減したなと、フェイはボーッと考えていた。
「そういえば、まだ食べてなかった……」
立ち上がり、夕食の準備をしようとしたところで、ふとその動きを止める。
(別に食べなくてもいいか。もうこんな時間だし……)
再びベッドに腰掛ける。
この部屋ともあと一週間ほどでお別れだ。
来月からはキャルビスト村の屋敷に住むことになる。
と言うのも関係して、先日王城からフェイに仕えることになったトレントとアンナの二人は、先にその屋敷に住んでいる。
掃除やら何やら、することがあるらしい。
そのあたりのことは、フェイとしても二人を信頼しているので完全に任せている。
(明日は早めに学校に行こうかな)
そんなことを考えながら、フェイは目を瞑った。