七十八話
暗闇を彷徨う。
光のない孤独な空間。
フェイはそんな空間でただ独りいた。
ふと、近くで淡い光が灯る。
それに引き寄せられるように、フェイは視線を向けた。
そこには――かつての自分がいた。
ただ独りで魔法の鍛錬に勤しむ自分。
ただ独りで食事をとる自分。
何もかも独りで、けれど決して辛そうには見えない。
彼はずっと苦しそうな表情は見せなかった。
あの日、森で殺されかけるときまでは。
だがフェイには分かる。
あの時の自分が浮かべている笑顔には、嬉しさや楽しさなんてものが一切含まれていないことに。
本当は辛くて辛くて、全てを投げ出したかった。
一年間、自分の生きる意味を見いだせずにいた。
ただ、自分には魔法しかないから。
短い人生の中で唯一自分の存在を、一時とは言え周囲に認められていたものだから。
それだけの理由だが、でも昔のフェイには十分な理由で、あの運命の日以来一時たりとも魔法の鍛錬を怠ることはしなかった。
そして記憶は巡る――。
オレンジ色に妖しげに光る森に、フェイは走りこんだ。
そして、そこで刺客に襲われる。
ただ独り、地面に倒れて涙を流す。
――もうやめてくれ。
見たくない。
孤独な自分をこれ以上見続けたくない。
自分が生きることを諦めかけたところで、フェイはラナに出会った――
「んっ……っぅ」
目を徐々に開く。
今まで閉ざされた視界に光が差し込み、眩しさに思わず目を細める。
(ここは……)
周囲を見ようとしたところで、自分の頬を涙が伝っていることに気付き、拭う。
立ち上がる。
と同時にフェイに激痛がはしる。
そして、ようやく事態を把握した。
(そうか、盗賊を捉えた後、自分に刺さっていた矢を抜いて、その瞬間に意識を失ったのか……)
部屋は質素な造りになっている。
今しがたフェイが横になっていたベッドも、固くてお世辞にも寝心地がいいとは言えない。
と、扉を開けて外に出ようとした丁度その時、フェイがドアノブに手を触れる前に、扉が勝手に開いた。
「フェイ様、大丈夫ですか!!」
「ト、トレントさん……」
フェイが扉の前に立っていたことに驚き、目を見開きながら執事服を着たトレントは、フェイの容体を心配する。
「トレントさんの方こそ、大丈夫なんですか?」
彼だって、フェイが治療したとはいえ大けがを負ったのだ。
フェイは腹部と右半身を見ながら、そう返す。
「ええ。まだ多少痛みはありますが、問題はありません」
「そうですか。僕も、似たような感じです」
矢が刺さっていた右腕は力を籠めると痛むが、別段問題はない。
腹部も先ほどから鈍い痛みが続いているが、取り立ててどうこう言うほどのものでもない。
「それにしても、ここはどこですか?」
互いの容体の確認をしたところで、フェイの口から出る問いは至極当然のものであった。
「キャルビスト村の村長宅です」
「ということは、あの後……」
「はい。巫女服を着た少女がフェイ様の場所を教えて下さり、その後村の方たちを少女が呼び、我々をここまで連れてきてくださったわけです」
「巫女服の少女……」
そう言われてフェイの脳裏によぎるのは、一人だけだ。
あの――盗賊の命を奪うなと言った狐耳の少女。
「? どうかされましたか?」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたフェイに、トレントは怪訝そうにする。
「あぁ、いや、何でもありません。それより、村長と話をしましょう。助けていただいたこともそうですが、一応僕の立場と、今後のことを話さないといけないので」
「フェイ様のお立場に付かれましては、先に話しております」
「そうなんですか?」
「ええ。身分を明かさなければ、その……とても助けていただけなさそうな雰囲気でしたので」
なるほどと、フェイは頷く。
人類と獣人の中は、決して良いものではないことは、フェイも知っている。
だが、人類だから助けないほどまでに関係が悪化しているとは思っていなかった。
(これは、大変そうだ……)
獣人の村の領主となったフェイにとっては、この先のことが思いやられた。
「そう言えば、アンナさんは……?」
部屋を出て、村長の元へとトレントに案内されながら廊下を歩く。
その最中で、まだアンナと会っていないことに気付き、フェイは問いを投げた。
「それが、この村についた途端に倒れてしまいまして。恐らく、色々と疲れたのでしょう……」
本来であれば侍女であるアンナはフェイに付いていなければいけないのに。
申し訳なさそうな表情を浮かべながら、トレントは呟く。
だが、無理もないだろうと、フェイは思う。
兄が、結果的には助かったとはいえ死にかけたのだ。
その上、自分が【サーチサークル】でアンナたちの安全を確認していたとはいえ、当のアンナからすれば意識がおぼつかないトレントとたった二人で敵がどこから来るかもわからないところに取り残されたのだ。
不安だったに違いない。
考えれば考えるほど、自分が何故あの時盗賊たちをあそこまで追ったのか。
後悔が溢れ出してくる。
あの時自分は、きっと何か恐ろしい激情に飲み込まれていたのだろう。
そう自覚すると、途端にアンナに対して申し訳なさが湧き上がる。
――と、そんなことを思案しているフェイの視界に、一人の少女が映りこんだ。
巫女服を纏い、頭部からは狐耳が、臀部からはふわふわの尻尾が、いずれも見事な黄金色で飛び出ている。
それと同色の髪は腰まで伸び、後ろで一つに纏められている。
彼女は水色の瞳をフェイに向けていた。
「あっ、あのっ!」
声を掛けられて、フェイは足を止める。
「さっきは助けていただき、その、ありがとうございました!!」
フェイに向かって、直角に頭を下げる少女。
さっき――とは、盗賊に拘束されていたときのことを言っているのだろう。
だが、感謝の言葉を言われても、フェイは素直にそれを受け取れなかった。
「いえ、彼らをあなたの方へ向かわせてしまったのは、私の落ち度ですので。むしろ、危険な目にあわせてしまい、申し訳ありません」
「えっ……」
フェイが頭を下げたのを見て、少女はぱちくりと惚ける。
「フェイ様。フェイ様は男爵位を持つ貴族。彼女たちの領主なのです。むやみやたらに頭を下げる行為は……」
その行動を見て、隣に静かに佇んでいたトレントがフェイに小さな声で耳打ちをする。
「あっ……」
それを聞いて、フェイは思わずしまったと思う。
だが、そうは言ってもこちらに非があったのは事実だ。
どうしたものかと悩んでいると、少女はえへへ……と微笑みながら、フェイに言う。
「盗賊さんたちも助けてくれて、ありがとうございました!」
「――!」
それを聞いた瞬間、フェイは表情を硬くする。
そして、少女に対してフェイは軽く会釈をして、そのまま前へと歩き出した。
突然のフェイの行動に少女は困惑し、そしてトレントも同様に驚き、思わずフェイの顔を横から覗き見る。
「……っ!」
トレントは息をのんだ。
フェイが今まで見たことがないくらいに、怖い顔をしていたのだ。