五十六話
「この世界は広い。だが、余達が住む地……貴様たちが暗黒大陸と呼称するあの地はあまりにも狭い。人間共がこの世界を支配する中、余達だけがあのような狭き場所で静かに生きろなどと、頭に来るではないか」
魔王、アスモディ・ベル・アンビルは人間と言う種を一掃するとフェイに告げた後、更に続けた。
アスモディとフェイ、話をしながらも互いに剣を納めない。
これは話し合いではない。
互いに殺意を持ったうえでの自身の思想を打ち明けているだけのことに過ぎないのだから。
「だから、人間を一掃する……と?」
「その通り。人間がこの世に蔓延るからこそ、余達はこの広い世界で生きることが出来ない。人間が邪魔なのだ。邪魔であるのならば、取り除けばいいだけの事。そう難しいことではないだろう」
――狂っている。
幼いフェイは、アスモディの語ることをそう感じた。
フェイの表情から、そう思っていることが分かったのか、アスモディが嘲笑しながら口を開く。
「別に、そう可笑しな話ではなかろう。貴様たち人間とて、領土や利権を巡って争うではないか。余が為そうとしていることは、〝少し〟死者が多いだけのこと」
「少し? 人が全員死ぬことが少し……?」
「そうとも。余達がこの世界を手に入れれば、余の民たちがこの世界を支配する。そうすれば人間共が死んだことなど、些細なことに過ぎない」
理解できない。フェイにはこの男の語ることが何一つ理解できなかった。
何故、そんなに笑いながら語ることが出来るのかも。
「でも、暗黒大陸から他の地に住みたいのなら、僕たちと一緒に共存すればいいだけの事。どうしてその道を選ばない!」
「余達が貴様たち人間と力にそう差異がなければその道を選んだかもしれない。だが、圧倒的に力が劣る貴様たちと共存だと? ふざけたことを。力なき者は力ある者に支配されるのがこの世の理。なればこそ、貴様たちの命を支配することこそが、強者たる余達の義務なのだ」
「それだけの理由で、人間を一掃する……と」
「それだけの理由? 逆だ。貴様たちを一掃するには十分すぎる理由だ」
ギリギリと歯ぎしりの音がフェイから零れる。
頭にきた。
この男と分かり合うことはないと感じるほどに。
「……理解できない。何一つ理解できない!」
「理解される必要などない。それに、五帝獣の契約者たる貴様とは、どの道殺し合わねばならぬ運命であったのだ。それが少し早まっただけの事」
「運命?」
「そうだ。そして、あの女を殺さねばならぬ理由も、結局はそこに帰結する」
「――っ!」
アスモディの言葉で、フェイの脳裏にボロボロに傷ついていたラナの姿が浮かび上がる。
と同時に、目の前の男が自分の大切な人を殺そうとしていた事実を再び思い起こし、アスモディに対する怒りを露わにする。
「お前が何を企もうと、その運命とやらが何であってもどうでもいい。けど、ラナさんを傷つける奴は、許さない!!」
「先ほどと同じだ。理解される必要がないのと同じように、許される必要もない!」
フェイが振り下ろした【アーシェントソード】を受けながら、まるで相容れたくないかのように告げるアスモディ。
ギギギ……と、刃と刃がぶつかり合う音がする。
互いに一度距離を取ると、今度は数合打ち合い続ける。
剣戟が空中で展開されていた。
打ち合うたび、フェイは何故五帝獣と契約した後にラナが鍛錬をするように言ってきたのかが分かった。
いずれこうなると分かっていたのだろう。
この男と交えることを。
だが、如何に鍛えているとはいえ子供であるフェイは分が悪い。
何度か魔術を行使しようとするが、そうはさせまいとばかりにアスモディが【サマークソード】を振るう。
傍から見れば、この戦いは人を超えている。
忘れているかもしれないが、【サマークソード】と【アーシェントソード】。
この二振りの剣は帝級精霊しか持ちえない究極の精霊魔法。
今何気なく振るわれているその一撃一撃にさえ、凄まじい力を秘めている。
並みの術師では、一撃振るうだけで死に絶えるだろう。
例え防御魔法を展開しようとも容易に砕かれ、攻撃魔法を行使しようとも容易に薙ぎ払われる。
そんな彼らの戦いを、下から見ているラナは驚愕の表情を浮かべていた。
「これ程、これ程の力を有しているの……?」
母から聞いてはいた。
五帝獣の力は一体だけでも膨大であると。
五帝獣の契約者たち、五英傑と共に戦場に立った、七公家たるディルセルク家前当主、自身の母であり最強の魔法使いであった母から聞いていた。
だが、いざこうして目にすると、自分の思い描いた想像を遥かに凌駕する。
そして、ただでさえ強力な五帝獣。
その全てがフェイと契約し、ある意味到達点ともいえる【アーシェントソード】を振るわれ、戦慄しないはずがない。
「今は、そんなことを考えている暇はない!」
フェイから目をそらし、目の前に立つ執事風の男へと視線を移すラナ。
自分を守るように、フリール達は自分の前に立ち、男を警戒している。
そんな警戒を気にも留めず、男は歩を止めると、胸に右手を当てて軽く頭を下げた。
「そう警戒されずとも、私自ら手を下すことはございません。陛下より受けた命はただ一つ。あなた方の足止め。ああ、ですが……あなた方がここで死ぬことには変わりありませんが」
飄々と、そう言い放った。




