五十話
「これは……!」
男の背後の空間を埋め尽くした黒帝剣。
それらは、今か今かと僕を貫く時を待っている。
「これら一本一本は、黒帝剣とほぼ同じ力を持っている。この数全てをかわすことはできないだろ」
「さあ……どうでしょうね」
笑みを浮かべ、言い返す。
余裕を見せるように振る舞うが、実は余裕などというものはもはやない。
そんなことは男も承知なのだろう。僕の言葉にふっ……と軽い息を吐くと、右手に持っている黒帝剣を僕へと向けた。
「それじゃあ、受けてみろ!」
その言葉と同時に、風切る音とともに空中に展開されていた幾本もの黒帝剣が一斉に僕へと襲い掛かる。
「くっ……はぁ――!!」
避けきれないものだけを氷帝剣で斬っていく。
男がほぼ……と言ったように、これらの剣は男の持っている黒帝剣よりも威力が弱いらしく、斬ることが出来る。
だが……何分数が多い。全てを防ぎきることは難しい。
「【アイスソード】!」
右手に氷帝剣を持ちながら、左手にもう一本、氷帝剣を作り出す。
「ぐっ……!」
腹部に、鈍い痛みが走る。
防ぎきれなかった剣が一本、刺さっていた。
「はあ……はあ……」
男が最初に展開した剣は防ぎ切ったのだろう。攻撃がいったんやむ。
だが、見ると男は再び空中に剣を展開していた。
「哀れだな」
「……?」
地面に右ひざをつきながら左手に持っていた氷帝剣を地面に置き、そのまま腹部に手を当てて出血を抑えていると、男が憐憫の眼を向けながら、呟いた。
「だってそうだろ?氷の帝級精霊なんかじゃなく、俺みたいに闇の帝級精霊と契約していれば、負けることはなかった。役立たずに当たって、不運だったな」
「――っ!」
役立たず……?彼女が?
「でもまあ、今更こんなことを言っても遅いな。お前はここで死に、氷は俺の力の贄となるんだからな」
「――かいしろ」
「ああ?」
「撤回しろ――!」
僕から溢れ出る魔力が、空中に展開された剣を吹き飛ばす。
「ばかな!?」
「闇は凍らせることが出来ない?何を言っているんですか、あなたは。万物を凍らす彼女……その力を以てして、闇〝程度〟を凍らすことが出来ないとでも?」
男が混乱していることをよそに、詠唱を始める。
『――世界は我を拒絶する 世界は我を排除する』
『有象無象に拒絶され、けれど我はそれを拒まない』
『されど低俗にして下賤な者たちに、見下されることは耐えられぬ』
『我を拒絶する者たちよ、ならば我から拒絶しよう』
『動くことも、語ることすら許されぬ 万物が停まった世界で 我は独り、何にも拒絶されぬ独りになるだろう!!』
「【フリージングワールド】!!」
地面を支配していた闇。天を支配していた闇。この空間を支配していた闇。
それらはすべて、一様に凍り付く。
この力は万物を凍らせる。闇が存在する〝空間〟さえも、凍り付く。
「馬鹿な!闇に勝てるわけが!!」
「これで、この空間は僕が支配したことになる」
「寄こせ、寄こせ、寄こせええ!!うおおおおおお――!!」
黒帝剣を両手に持ち、僕に襲い掛かってくる。
「――!?」
僕の意思をもって、男を凍らせようとする……。
……が、それは叶わなかった。
「がはっ!」
口から血を吐く。体が動かない。
激痛が襲う腹部を見ると、血とは別に、闇が溢れ出ていた。
「ぐっ……」
何とか両手を動かし、男の突き出してきた黒帝剣を氷帝剣で受け止める。
「ふ……ふはははは!どうした、この空間は支配したんじゃなかったのか!?」
男は僕を見て嘲笑する。
そのまま僕に近付き、黒帝剣を振り下ろしてくる。
僕を襲うはずの痛みが一向に訪れない。
半ば反射的に閉じていた瞼を開ける。
「はは……全く、君には敵わないな」
僕を守るように分厚い氷の壁が展開され、男の攻撃を受け止めていた。
僕が行使した魔法ではない。誰が行使したのか、それは言うまでもない。
何故なら、先ほどから僕の背中をひんやりとした……だが、どこか安心する感触が伝わってくるのだ。
「こんな僕を、助けてくれてありがとう。フリール……」
「別に、あんたのためにしたわけじゃないわよ!」
右手を僕の前に突き出し、左手を僕の肩に置く。
体の重心を僕の背中に預けながら、されど顔は僕には見せない。
いつもそっぽを向き、いつものセリフを零す。
ああ……本当になつかしい。
「氷帝獣……だと!?」
雪のように白い肌。肩あたりまでしかない青髪を自らが放つ冷気でなびかせる。
飾り気のない青いワンピースで身を包む彼女は、同じく真っ青な目で男を見ると、怒気を含ませながら言い放つ。
「よくも、私のフェイをいたぶってくれたわね!」
「聞いてないぞ、あいつからはこんなこと……聞いてない!」
氷帝獣、フリールの言葉をよそに狂ったように叫びだす男。
がんがんと黒帝剣を氷の壁に叩きつけるが、壁にはひび一つ入らない。
「く、くそおおおお!!」
無駄だと悟ったのか、背中を向けて逃げ出す男。
だが、彼女がそれを許すはずは……。
「ぐっ……」
「フリール?」
急に氷の壁を解き、僕に倒れるようにもたれかかってきた。
「大丈夫よ。今回は無理やりあんたの魔力を借りて現界しているけど、その時にもらった魔力が尽きかけてるだけ」
「そう……か」
「無理しなくていいわ。あの時のことを考えれば、私を開放したくない気持ちもわかるわ。自らの手で、一番大切な人を殺そうとしたもの」
「ごめん……」
僕の言わんとしていることを察し、僕を擁護してくれる。
だが、分かっている。自分が弱く、それゆえに彼女たちに鎖を巻き付けているのだと。
本来なら、今すぐにでもその鎖を解き放つべきなのだ。
けれど、そうしようとするたびに僕の脳裏にあの時の光景が思い浮かび、もう一歩を押しとどめてしまう。
彼女に向けていた視線を、逃げた男の方へと向ける。
だが、そこにはすでに男の姿はなかった。
気付けばこの森を覆っていた闇も、氷も消え去っている。
「――っ!」
「しょうがないわね。消える前に、その傷を治してあげるわ」
僕の腹部に両手を添えると、ひんやりとした何かがそこに流れてくる。
いつの間にか傷はなくなっていた。
「私は、あんたの契約精霊」
「フリール?」
突如、呟きだすフリール。
「あんたは帝級精霊の契約者。傲慢にして不遜な者」
「……」
「私の全てはあんたのもの。あんたが望む限り、私はその力を貸し与え続ける」
彼女が呟くのは、彼女と……彼女たちと出会い、契約をしたときに言った言葉。
「忘れないで。私たちはあんたの中にいるということを……」
魔力となって僕の中へと入っていく。
同時に、彼女に鎖が巻き付けられる。
消える寸前に彼女が零した涙がぼくの頬を伝う。
彼女の涙を流しながら見せた笑みが、頭から離れなかった。