一話
僕は幼少期、神童と言われていた。
同年代の子とは比較にならず、大人すら凌駕する圧倒的な魔力量、天才的な魔力操作。
そんな僕を大人達は畏怖と敬意を表して、『戦慄の魔術師』と呼んだ。
アルマンド王国の名家、七公家。
アルマンド王国国王より公爵位を授かりし七つの家を総称してそう呼称する。
その一角を担うボネット家の長男として生まれた僕は、常に自己の力量を量る大人たちの目に晒されていた。
僕の力は幸か不幸か彼らの期待を超える……それも圧倒的に超えるもので、同年代をはるかに凌ぐ力を持っていた僕は、大人たちの期待の中、精霊契約へと向かった。
もちろん、誰一人僕が精霊契約に失敗することは無いだろうと思っていた。
……しかし、契約は出来なかった。
周囲の羨望の眼は一転、軽蔑の眼へと変わった。
いつしか僕は、『戦慄の魔術師』ではなく、『落ちこぼれ』と呼ばれ始めた。
それは家族とて、例外ではなかった。
あれほど僕につきっきりだった父と母は僕を無視し、弟や妹につきっきりになった。
僕のことを少なからず慕ってくれていた弟たちからも無視され、姉も僕にかまわなくなった。
僕は不思議と、そうなることに違和感を覚えなかった。
今にして思えば、幼いながら理解していたのだろう。彼らが見ていたものは僕ではないことを……。
力がすべてのボネット家で分家の同年代の人たちから暴力を受けなかったのは、本能的に理解していたのだろう。
「自分たちでは勝てない」……と。
それからしばらくして、周囲のそういった接し方に慣れてきた僕は、自分から周囲の人間と距離を置き、魔法の練習にいそしんだ。
しかしそんな日々でさえ、父の一言……いや、家族の総意によって突然奪われることになった。
ボネット家の屋敷は広く、豪華なつくりになっている。
侍女や執事……つまりは使用人が数十人仕えていることや、彼らが屋敷で住み込みで働いていても余りある部屋の多さからもそのことが分かる。
「――フェイ、お前は今日からこの家の子供ではない」
父に呼べれていることを侍女に聞き、父の書斎へ行き室内に入ると家族が全員そろっていた。
嫌な予感を覚えながら父の前に立つと、そう言われた。
当時まだ幼かった僕には、その言葉を理解する事が出来なかった。いや、言葉の意味は理解できていたが、その内容を飲み込む事が出来なかった。
「父さん……今、なんと?」
机に両肘を置き、僕をまっすぐ見つめる父に恐る恐る聞く。僕を見るめるその眼には、かつての温もりはなく、僕を"物"としてしか見ていないような錯覚を覚える。
願わくば、聞き間違いであってほしいと思いながら聞いた僕の言葉に。だが――――
「今日からボネットを名乗ることは許さん!今すぐ荷物をまとめて屋敷から出ていけ!!」
無情にも帰ってきた答えは、僕の望まぬ言葉だった。
父の冷め切った黒い瞳が僕を射抜く。
七公家の一角、ボネット家当主である父に纏う雰囲気に僕は耐えられなくなり、目をそらす。
だが、それも無意味な事だった。
目をそらした先にあったのは、同じような眼で僕を見る……家族だった。
深い慈愛をこめて僕を育ててくれた母は、かつての温もりをもった眼ではなく、父と同じ眼で僕を見ている。
無邪気な笑顔で僕に接してくれた弟は、ただ僕を無表情で見ていて、同じく僕を慕ってくれていた妹や頼られることを嬉しそうにしていた姉は、僕がいることをまるで苦痛だといわんばかりに表情を歪ませていた。
彼らに共通していたのは、「さっさと出て行けよ!」と言わんばかりの冷めた眼と、不満げな顔だった。
「わ……分かりました」
それらを見ただけで、僕はただ呆然とし、そして絶望した。
父の言葉、命令に肯定したのは、半ば反射的なものだったのだろう。
それ程までに彼らの態度は僕をどん底へと突き落とした。
僕はこの時、精霊契約を失敗してから抱き続けた疑問に確信を得た。
彼らが僕に見せていたあの温かい眼は、あの無邪気な笑顔は、すべては優秀だった僕に見せられた偽りの仮面だったのだと……。
その時、僕は当たり前のことながら混乱していた。
父の書斎から出ると、荷物をまとめることもせず屋敷の外へ駆け出した。
どれだけ走っただろう、息も上がり、膝も上がらない。
だが、僕は走ることをやめる事が出来なかった。
「――っ!」
ボネット領より少し出たところにある森に入ったところで、木の根に足をひっかけ転ぶ。
全速力で走り続けていた僕はこけた拍子に転げる。激痛が身体中を蝕む。
その拍子でポケットの中に入れていたガラス玉が零れ落ちる。
僕はそれを拾い、空にかざしてみる。
涙が頬を伝う。
この涙は、激痛からだろうか。それとも……
しばらく地面に大の字に寝転がり、息を落ち着かせたところでこれからどうしようといった考えが頭をよぎる。
「……この魔力は」
そんな事を考えていると、ふと、膨大な魔力を近くに感じそちらを見ると、ボネット家の分家の上位魔術師が十人ほどいた。
なぜこんな所にいるんだ?もしかしたら、連れ戻しに来てくれたのか?
……この期に及んで、そんな甘い考えが僕の中で生まれる。
「よお。悪いがお前には死んでもらうぜ。当主の命令でな、死体は燃やせ……だとさ」
そんな事を考えていると、彼らの中の一人がニタニタと品のない笑いを顔に浮かべながら言ってきた。
まるで、僕の考えを嘲笑うかのような……。
「と、父さんが?どういう事ですか!」
「んあ?どうもこうもねえよ。お前を殺して来いって……言われてんだよ!」
そう言い切ると同時に、彼らが一斉に【火の初級魔法 ファイヤーボール】を放ってきた。
大人が十人で行使したそれの数は、実に五十近い数になっており、フェイの視界に映る青い空は火の玉によって赤く染まっていた。
「「「「「【ファイヤーボール】」」」」」
そして、それは詠唱とともに堰を切ったかのように一斉にフェイに襲い掛かる。
「くっ!【ウォーターウォール】!」
とっさに【水の中級魔法 ウォーターウォール】を前方に展開し、火の玉をすべて相殺する。
「ひゅうっ!さすがは戦慄の魔術師と呼ばれただけのことはあるぜ!」
そう、これが戦慄の魔術師の名の所以。
複数人の行使した魔法を相殺しきる事など、並の魔術師では不可能なのだから。
「初級魔法が駄目なら……これならどうだ!!」
そして彼らは再び魔力を集め始める。
一属性ではない、複数の属性の魔法を行使しようとしているのを、魔力の動きで感じた。
そして徐々に魔力の形がまとまり、その時点で彼らがどんな魔法を行使しようとしているのかが分かった。
「――っ!この魔力の動きは……まさか、【火と風の中級合成魔法 ファイヤートルネード】!」
「へえ、魔力の動きだけでこの魔法が何なのか分かるとは、ますます殺すにはもったいねえ。本家にさえ生まれてなければ最強の魔術師だったかもな」
そう、魔術師は七公家にいては家名に傷がつく。
「くらえ、【ファイヤートルネード】!!」
炎を帯びた竜巻が柱のように十本ほど立ち上がり、フェイに向かって襲い掛かる。
「ちっ!【ウォーターウォール】!」
しかし、合成中級魔法の前に水の下級魔法では相殺しきれず、数本が僕に直撃する。
「ぐはっ!くっ……【エンチャントボディ】!」
【系統外魔法 エンチャントボディ】によって身体能力を強化し、それによって森の奥へと逃げる。
「おいおい、鬼ごっこか?」
逃げる僕の背中から、彼の余裕を感じさせる声が僕に届いた。
「ハアハア……」
途中で身体強化魔法の効力がつき、近くにあった木にもたれ掛かる。
「僕が、何をしたっていうんだ……。精霊と契約できなかっただけでこんな……こんな目にあうなんて!」
僕の腹部から血が流れ続ける。
【火と風の中級合成魔法 ファイヤートルネード】が直撃した箇所は風の"トルネード"によって切り傷ができ、そこから血が流れ続ける。
そしてその周囲を火の"ファイヤー"によって火傷を負っており、痛みをさらに激しいものにした。
「くそ!こんなことなら回復魔法も覚えておくべきだった!」
痛みで意識が朦朧としてくる。
「……ここで、終わるのか。こんな所で……。生まれたときから勝手に期待され、その期待に応えるために必死で頑張ってきて……なのに一度の失敗でここまでされるのか。僕はただ、皆のために頑張ってきたのに……」
―――ふざけるな!そんなことが、そんなことが許されていいわけがない!
他人のために生き、役に立たなければ殺される。道具のような人生。
僕の人生を奪っておきながら……僕の人生は僕のものだ!!
「こんなところで終わっていいはずがない!!」
考えろ、考えろ!
この場から生き延びる方法を!
『死体は燃やせ……だとさ』
先ほど彼らが言っていた言葉が頭をよぎる。
「死体を燃やすと言う事は、その後死体の確認をされることは無い……か。身代わりでも作れたら……。闇系統の魔法で使えるのは中級まで。中級までに質量をごまかせる魔法はなかったはず……。くそ、どうする!」
「おーい、どーこだ!」
近くに、まるで僕を弄ぶかのような声で僕を呼ぶ分家連中の声が聞こえる。
「質量の持つ魔法に闇系統の魔法でコーティングするか……。今のところ使えそうなのは【土の中級魔法 クレイドール】……。これに【闇の中級魔法 ダークフォーム】をかけて……」
――【闇と土の合成上級魔法 ダークレイドール】
「ここか!」
「くっ!」
「へへへ、見つけたぜ!何、心配することは無い。骨も残らず消してやるよ。【ファイヤートルネード】!」
再び、炎の竜巻が出現する。
「くっ!【ウォーターウォール】」
展開された水の壁で相殺することは出来ず、"フェイ"にあたる。
「ぐはっ!」
「もう立てねえだろ!へへ、手こずらせやがって。じゃあな……【ファイヤートルネード】!」
その場で燃え尽きるフェイ。
それを見ながら、リーダー格の男が言う。
「よし、お前ら帰るぞ!当主様に報告だ!」
「「「ああ!!」」」
「……な、何とかうまくいった……」
近くの木からさきほど身代わりを放った場所に降りる。
「いっつ!少しは手加減してほしかったな……。血が止まらない、ぐっ!」
しばらく歩くと体が動かなくなり、その場で倒れこむ。
「頼むから動いてよ!僕は帰らないといけな…………帰るって、どこに帰れば……。屋敷には帰れない。結局、僕の帰る場所なんてどこにもないじゃないか
フフフフ……ハハハハハ!!」
自然と笑い声があふれ出る。今までたまりこんでいたものがあふれ出るかのように……。
「そうだ、生きてたって帰る場所なんかないじゃないか!僕はなんのために戦ったんだ……」
頬を流れるであろう涙はもう出ない。涙を流すことすら馬鹿らしく思える。
この世のすべてに諦め、幻滅し、意識を手放そうとしたとき……
「ねえ君、大丈夫?」
「――っ!?」
目を開けると、そこには金髪碧眼の綺麗な女性が立っていた。
「って、大丈夫なわけないか。ちょっと待ってね、【ハイヒール】!」
すると、痛みが引いていき、徐々に傷口も塞がっていく。
「み……【水の上級魔法 ハイヒール】!?」
回復系の魔法は習得が難しく、中でも【ハイヒール】は最高峰の魔法である。
その魔法を使える彼女に驚きを覚えた。
「ふうー、あ、あんまり動いたら駄目よ。傷は完全には塞ぎ切ってないんだし……」
「あ、ありがとうございます」
「んっ、いいのいいの。それよりどうして傷だらけでこんなところに?」
「……えと、それは……」
僕は正直に話すか迷った。
迂闊に話せば父の耳に僕が生きているという情報が届くかもしれない。
「大丈夫よ、私はこの森に暮らしているから、誰にも言わないわよ」
「えっ?」
どうしてわかったのか、それだけが気になる。
「ふふ、だってそんな顔をしてたもの」
「そう……ですか」
もういいだろう、どうせ死んでも構わないんだ……。
半ばやけになりながら、僕は話した。家の事、精霊契約の事、先ほどの戦闘の事。
「そう、そんなことが……。やっぱり、ボネット家はボネット家ね」
「……?」
「ねえ、行くところがないなら私のところに来ない?」
「えっ……?」
「ほら、私って息子が欲しかったのよ!」
「はあ……」
いや、ほらって言われても……。
「それに、ここにいても死んじゃうわよ」
「死ぬ……」
何故だろうか。死ぬといわれても、恐怖を感じなかった。
それどころか、その言葉の残す余韻にこそ、僕の求めるものがあるかのような……そんな錯覚を覚えた。
理由は、分かっている。
「別に、もう死んだって構わない」
嘘偽りのない、心からの言葉。
そう……心のどこかでこう思っていたのだ。
あの家にいた頃も、僕は死んでいた。
周囲の期待に合わせ……ただ、他人が望むことのみを為してきた。
望まない日常。望まない生活。望まない自分自身の姿。
そんなものは死んでいるのと同義だ。
望まない毎日に飽き飽きし、精霊と契約できずに周囲の期待の眼が僕ではなく弟たちに移ったことに、僕は心のどこかで安堵していたのだろう。
「――っ!」
不意に、頬に痛みが走る。
何故だろうか、痛いのに……とても優しい感じがしたのは。
「何バカなこと言ってるの!あなた、このまま他人に人生を奪われたまま死んでもいいの!?」
「――っ!」
この一言は、今の僕を突き動かすのには十分だった。
そうだ、僕はもう死んだことになっている。
やっと、あの退屈で空虚な日々から抜け出したところじゃないか!
「す……すみませんでした」
「んっ、分かったのならいいのよ。……それで、ついてくるわよね?」
「……はい、お願いします!」
「じゃあ、これから私のことはお母さんって呼んでね」
「なんでそうなるんですか!?」
「いいじゃない、私たちこれから親子なんだから。……あ!そういえば名前言ってなかったわね。私はラナ=ディルク」
「あ、僕はフェイ……フェイ=ディルクです」
「ふふ、よろしくね」
「はい、よろしくお願いします、ラナさん」
「もーう、お母さんでいいのに!」
――僕はこの時、初めて本物の「愛情」を感じた気がした。