百九十話
――夜会。
まだ国や社会が不安定だった頃。権力を持つ者たちが夜の闇に紛れて一堂に会し、様々な思惑が巡らされた会合が発展して開かれるようになった社交の場。
有力貴族たちが己の権威を誇示するために開く夜会は、権謀術数が渦巻く大人の世界だ。
フェイが父であるアレックスに連れられて夜会に出席したのは随分と昔の話で、当時の記憶は朧げなものだ。
それでも覚えていることがある。
父に、そして自分に挨拶をするために現れた大人たちを相手に、笑顔を張り付けて細やかな魔法を披露してみせたこと。
自分の魔法に称賛の言葉を向ける大人たち。その称賛を受けて嬉しそうに頭に手を載せてくる父。
そして、そのことに喜びを覚えていた自分。
あの頃はアレックスの傍にいるだけでよかった。
自分を取り囲む大人たちの相手をするのは疲れたけれど、それ以上に父が褒めてくれることが嬉しかった。
だが、その父も今はおらず、自分の立場も変わっている。
守られる子どもから一人前の貴族として振舞わなければならない。
「――それじゃあ、フェイ。始めるわよっ」
「っ、は、はい」
物思いにふけっていたフェイの意識を、陽気で明るいレティスの声が引き戻す。
場所は、精霊学校の実技施設。
眼前には得意げに両手を腰にやって胸を張るレティス。
そして周りには、こちらを興味ありげに眺めてくるゲイソンたちの姿。
(なんだか照れくさいな……)
フェイは周りを見渡してから、やっぱり辞めておいた方がよかったかなと朝の会話を思い返した。
◆
マレット家での夜会に向けて、レティスに夜会の場での立ち居振る舞いを教えてもらうことになった翌日。
精霊学校のEクラスに登校すると、いつもの光景が広がっている。
ゲイソンやアイリスは相変わらず何やら言い争っていて、フェイに気付いたメリアがパッと顔を向けてくる。
(……いや、いつもの光景とはちょっと違うかな)
教室にいる生徒たちの視線がフェイと、その隣にいるレティスへ向けられている。
王族である彼女が編入してきてまだ一日。
いずれ薄れるであろう興味や関心も、今はまだ最高潮にある。
何よりも席替えをしたばかりでゲイソンたちがいる場所も今までとは違う。
フェイはレティスと共に自分の席へ向かいながら、ゲイソンやアイリスたちに声をかける。
「おはよう。今日は何の話で喧嘩してるの」
「よぉ、フェイ。こいつが――」
「おはようフェイ君。ゲイソンの奴が間違えて前の席に座ってたのよ。それを指摘してあげただけなのに怒り出して困ってたところよ」
「何が指摘してあげただけ、だ! 『あんたの記憶力はその辺に転がってる石ころ以下なの?』って言っておいて。お前の言語力は砂粒以下だっつの」
「なんですって!?」
「んだよっ!」
「……相変わらずだね」
苦笑いをしながら隣に座ったレティスに目を向ければ、彼女もまた肩を竦めていた。
「おはようございます、フェイ様、レ、レティス殿下」
「おはよう、メリア」
「おはようっ」
ゲイソンとアイリスの応酬から逃れるようにして現れたメリアに挨拶を返す。
レティスとメリアが教室で挨拶を交わしているのを見て、フェイは密かに胸を撫で下ろしていた。
(なんだかんだですぐに馴染めそうだね)
レティスの精霊学校での生活はあくまでも短期的なものだが、それでも彼女にとって過ごしやすい環境であってくれた方がフェイとしても嬉しい。
そんなことを考えていると、口喧嘩がひと段落したのかアイリスがフェイに話しかけてくる。
「ねえ、フェイ君。今日も魔法の鍛錬ってできるの?」
「……あー、今日はちょっと」
「何かご予定がおありなんですか?」
フェイが口ごもると、メリアがおずおずと窺ってくる。
マレット家の夜会まであまり日がないこともあって、これから暫くはその準備に時間を使おうと考えていた。
そのため、アイリスたちの魔法の鍛錬に付き合う余裕がない。
とはいえ、最近になってようやく三人の鍛錬に付き合えるようになった手前、断りづらくもあった。
フェイが逡巡していると、レティスが声をあげる。
「フェイは夜会の準備があるのよ」
「夜会の準備?」
アイリスが面白い話を聞いたとでも言わんばかりの表情で身を乗り出してくる。
フェイが止めるよりも先に、レティスは得意げに話し始めた。
「今度私とフェイで出席するのよ。そこで必要な所作とか踊りなんかを私が教えることになったの」
「へえ~、すっごい貴族って感じね」
「殿下は王族だけどね」
話を逸らそうと茶々を入れてみるが、アイリスの関心はすっかり夜会の話へ向けられてしまったようで、フェイの突っ込みを無視してレティスから詳しい話を聞こうとしている。
「レティス殿下とフェイ様が夜会に……?」
メリアが少し意外そうな表情で反応する。
フェイは彼女に向き直りながら苦笑いした。
「本来は僕だけの予定だったんだけどね。まあ僕も一人は心細かったからありがたいけど」
「そうなんですね。頑張ってくださいっ」
「うん、ありがとう」
メリアの鼓舞に感謝していると、今度はレティスたちのやり取りを聞いていたゲイソンが声を上げた。
「それならよ、俺たちと一緒にやればいいんじゃねえか? 実技施設なら広いし、邪魔にならないはずだぜ」
「あんたにしてはいいこと言うじゃない! そうよ、そうしましょうよ! 一緒にいてくれたら何かわからないことがあった時にフェイ君に聞きやすいじゃない。それに、私も貴族の踊りを見てみたいし」
「……絶対後者の方が主目的な気がするんだけど」
アイリスの好奇心に満ち満ちた瞳をジト目で見つめると、アイリスは「そんなことないわよー」とわざとらしく眼を逸らした。
とはいえ、フェイとしても断るような提案でもなく、なし崩し的に実技施設で夜会の準備を行うこととなった。