百八十七話
室内がしんと静まりかえる。
フェイもレイラも、虚を突かれたようにレティスの方を見て固まっていた。
レティスが戸惑ったように眉根を下げて「何よ」と呟くと、二人とも弾かれたように困惑の声を零した。
「えっと、殿下。すみません、もう一度言っていただけますか」
「夜会に、フェイと一緒に行くって行ってるのよ」
「……やっぱり聞き間違いじゃなかったんですね」
レティスが毅然と言い放つと同時に、がくりと項垂れるフェイ。
そんなフェイの意思を継ぐようにレイラが口を開く。
「レティス様、本気ですか」
「当たり前でしょう。フェイが行くというのなら、私もついて行くわ。……何か不都合でもあるの?」
少し険のある口調で、レイラを睨みながらレティスが問う。
なぜか不機嫌な彼女の態度に一瞬気圧されながらも、レイラは王族に仕える貴族としての言葉をかける。
「恐れながら、レティス様。あまり悪戯に王家の方を夜会に招きますと、貴族間の関係が……。何より、我らマレット家は七公家の中でも新参者。あらぬ誤解を抱かれる可能性も」
レイラの言葉を聞きながら、フェイも頷く。
元来、貴族とは王族や国に仕える臣民の中で特権階級を与えられた存在に過ぎない。
国によっては貴族が権力を牛耳り、一国を支配するところもあるが、このアルマンド王国では王こそが絶対だ。
いかに七公家が絶大な権力を持とうとも、その前提が覆ることはない。
そんな中、貴族間での権力闘争にしのぎを削る中、七公家の一角を担うマレット家の夜会に王族であるレティスが現れたとあっては、他家にどう映るかは語るまでもない。
古参の家ならばまだしも、まだ公爵になったばかりのマレット家がそんなことをしては、反感を買うに決まっている。
そしてそんなことは、無論レティスとてわかっているはずだ。
貴族の人間との付き合い方は、王族であるならば王城内での教育で必ず学ばされる。
事実、貴族であるフェイやレイラも王族との接し方について十分以上の教育を受けてきた。
レイラの真っ当な指摘に、レティスはむぅと頬を膨らませる。
「じゃあ、フェイも行ったらダメよ」
「ど、どうしてですか」
「だって、どうせマレット家のことだもの。……フェイと婚約させようとするに決まってるわ」
「殿下……?」
後半になるに連れて小さな声になり、フェイの耳にはよく届かなかった。
そのやり取りに、レイラは僅かに目を細めて「なるほど、そういうことでしたか……」とため息交じりに呟いた。
フェイが当惑していると、レティスはうんうんと考え始めた。
レティスはその可愛らしい容姿と反して変なところで行動力がある。
以前も、王城の警備の目を盗んで王城に抜け出そうとしたほどだ。
そして、こうして考えこんだ後のレティスの行動は少し怖い。
何かいい考えでも浮かんだのか「そうだわ!」とレティスが顔を上げた。
「お忍びで行けばいいのよ、お忍びで!」
「市井ならばまだしも、貴族が集う場に殿下がお忍びで行ったところですぐにバレてしまいますよ……」
王族の顔を知らない貴族はいない。
爵位を賜るときに、必ず拝謁するからだ。
フェイの言葉に、またしてもレティスは考えこむ。
そしてまた、パッと顔を上げた。
「変装すれば大丈夫よ! フェイの侍従に扮して――」
「殿下にそんなことをさせたのがバレたら僕やマレット家が責任を取ることになります」
「……それはダメね」
神妙な面持ちでレティスは呟くと、天井を仰いだ。
「おわかりいただけましたか?」
ようやく諦めてくれたかと、レイラが声を掛ける。
レティスはいっそ敵意の籠もった視線を向けながら、ポツリと呟いた。
「じゃあ、フェイが夜会に行っている間私はどうしたらいいのよ」
「え、それは僕の屋敷で待っていただくしか……」
「……私から離れるつもり?」
「えっ」
沈んだ声音にドキッとしながらレティスを見ると、彼女は不安そうにこちらを見つめていた。
その表情に、フェイはハッとする。
(……そうだ、僕は殿下が万が一にも暴走したときのために、彼女と一緒にいないといけない)
光の帝級精霊をその身に宿すことになったレティスがどんな不足の事態に陥っても、同じ帝級精霊と契約を交わすフェイならば対処できるだろうと信じて、アルフレドは自身の娘を託してくれたのだ。
「……レイラさん、すみませんが僕は殿下と別行動をするわけにはいきません。陛下から、殿下の身辺を任されていますから。なので、やはり夜会も」
「…………」
無理矢理にでもフェイを夜会に参加させようという勢いすらあったレイラも、流石に押し黙る。
アルフレドの名前を出されては、一臣下に過ぎないレイラがとやかく言えることではない。
とはいえ、レイラとてこのまま引き下がるわけにはいかない。
フェイを夜会に連れてくるよう、父に厳命されているのだ。
今度はレイラが考えこむ。
やがて、苦渋の決断と言わんばかりの渋面で言った。
「わかりました。レティス様も夜会へ招待いたします」
「ほ、本当!」
「いいんですか、レイラさん」
レイラの言葉にレティスは表情を明るくし、フェイは気遣わしげに声をかける。
するとレイラは小さくため息を零した。
「仕方がありません。陛下の命であるならば、皆表面上は納得してくれることでしょう」
「それはそうですが……」
納得しかねるフェイだったが、レイラが構わないというのであればそれ以上何も言うことはない。
ただ一つ確信したことは、自分が夜会に行けば必ずレイラとの婚約のことを訊かれるということだ。
王族を夜会に招くという危険を冒してまで自分に参加させたいということは、つまりはそういうことなのだろう。
(これは、想像以上に面倒なことになりそうだ……)
嘆息しながら隣を見ると、レティスが今日一番の笑顔を浮かべていた。